No.582


 TOHOシネマズ日比谷で、この日から公開の映画「ナイトメア・アリー」の初回上映を鑑賞しました。一条真也の映画館「ベルファスト」で紹介した前夜に観た映画と同じく27日(現地時間)開催の第94回アカデミー賞の作品賞にノミネートされています。ショービジネスの裏側およびグリーフケアの闇を描いた内容で、興味深かったです。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「ウィリアム・リンゼイ・グレシャムの『ナイトメア・アリー 悪夢小路』を原作に描くサスペンス。ショービジネスの世界で成功した野心家の青年の運命が、ある心理学者との出会いによって狂い始める。メガホンを取るのは『シェイプ・オブ・ウォーター』などのギレルモ・デル・トロ。『アメリカン・スナイパー』などのブラッドリー・クーパー、『ブルージャスミン』などのケイト・ブランシェットをはじめ、トニ・コレット、ウィレム・デフォー、リチャード・ジェンキンス、ルーニー・マーラが出演する」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、「1939年、カーニバルのショーを観終わったスタントン(ブラッドリー・クーパー)は、マネージャーのクレム(ウィレム・デフォー)に声をかけられる。そこで出会った読心術師のジーナ(トニ・コレット)に気に入られたスタントンは、彼女の仕事を手伝い、そのテクニックを身につけていく。人気者となった彼は一座を離れて活動を始めるが、ある日精神科医を名乗る女性(ケイト・ブランシェット)と出会う」です。

「ナイトメア・アリー」は、ウィリアム・リンゼイ・グレシャムの1946年の同名の小説に基づいて1947年に製作された「悪魔の往く町」のリメイクです。「悪魔の往く町」はジュールズファースマンの脚本からエドマンドグールディングが監督したフィルムノワールで、ジョーン・ブロンデル、コリーン・グレイ、ヘレン・ウォーカーが脇役を務めるタイロン・パワーが主演しています。わたしも1カ月ほど前に初めてDVDで鑑賞したのですが、一発で気に入りました。タイロン・パワーが圧倒的にハンサムで、男女問わず観る者の心を捕えて離しません。

「悪魔の往く町」では、カーニバルの怪しげな雰囲気も魅力的でしたし、何よりもグリーフケアの闇ともいうべきインチキ霊能力の世界を描いているところが非常に興味深かったです。戦前からアメリカには「心療内科」というものが存在し、患者をカウンセリングしていた事実も、この映画で初めて知りました。心身医学は元来ドイツで誕生した医学です。その後アメリカ合衆国にわたり、精神科医を中心に発展していきました。諸外国では精神医学の一分野という認識であり、大半の国では精神症状がある時点で精神科の受診となります。1940年代から1960年代までは、フロイト派の精神分析や力動精神医学などを学んだ者が扱うものと考えられていましたが、近年の潮流は行動医学へとシフトしています。

 その「悪魔の往く町」が当代一流の俳優陣を使ってリメイク、しかもあのギレルモ・デル・トロがメガホンを取るというので楽しみでたまらず、公開されるのを指折り待っていました。冒頭のカーニバルのシーンから怪奇趣味満点で、その方面を好むわたしには至福の時間となりました。ウィレム・デフォーが演じる興行主のクレムが「ギ―ク」という言葉を呼び込みの口上で何度も口にします。「ギ―ク」は日本語では「オタク」と訳されることが多いですが、オリジナルの「悪魔の往く町」では「狼男」、今回リメイクされた「ナイトメア・アリー」では「獣人」といった意味で使われています。ひいては、「化け物」や「怪物」といった意味にまで広がっている感があります。

 ギレルモ・デル・トロといえば、これまで多くの不思議な生き物を作ってきました。「パンズ・ラビリンス」(2006年)のパンや「ヘルボーイ ゴールデン・アーミー」(2008年)の"死の天使"などが代表的ですが、彼はもともとラヴクラフトのクトゥルフ神話を愛読し、「フランケンシュタイン」や「吸血鬼ドラキュラ」などの古典的なモンスターに魅せられてきました。彼の住処は「荒涼館」と呼ばれ、そこには古今東西、奇妙奇天烈なモンスターたちが蒐集されています。「荒涼館」の全貌は『ギレルモ・デル・トロの怪物の館 映画・創作ノート・コレクションの内なる世界』ブリット・サルヴェセン&ジム・シェデン著、阿部清美訳(DU BOOKS)で知ることができますが、デル・トロの怪物への愛情がハンパではないことがよくわかります。


 そんな怪物趣味、怪奇趣味に溢れたギレルモ・デル・トロのワールドが、「ナイトメア・アリー」のカーニバルのシーンで炸裂しています。特に、この「ナイトメア・アリー」という作品は「読心術」と呼ばれる詐術のトリックを明かしているのが特徴で、最初にトニ・コレット演じる女性霊媒ジーナ・クランバインが、次にブラッドリー・クーパー演じるスタントン・カーライルが読心術のショーを披露します。この読心術ですが、その後も廃れることなく連綿と継続し、驚くべきことに現在でも見ることができます。もっとも、いま、読心術を操る者は「霊能者」ではなく「メンタリスト」と呼ばれますが......。

 ジーナの読心術ショーには、デヴィッド・ストラザーンが演じるピート・クルンバインというアシスタントがいます。彼はアルコール依存症で、ショーの最中にも寝てしまったり、ほぼ廃人同然ですが、かつては読心術のエキスパートでした。スタントンは、このピートから読心術のノウハウを学びます。そして、すべて学び終えたら。彼はピートをこの世から消してしまうのでした。このスタントンがピートを葬るくだりはスリリングであり、ただでさえ異様な雰囲気に満ちたカーニバルがさらに異様になっていいく様子がうまく描かれていました。

 そんな異界としてのカーニバルにおける一服の清涼剤というか、少しの「安らぎ」を感じさせてくれるのが、ルーニー・マーラ演じるモリー・ケイヒルです。カーニバル芸人の娘として生まれたモリーは、外の世界を知らずに芸人たちの中で育っていきます。父を失った後は、ロン・パールマン演じる怪力芸人のブルーノや小人症の「将軍」たちが彼女を庇護します。外の世界も恋愛も知らずに純粋無垢に育ってきたモリーの前に現れたのが、素性の知れないスタントンでした。彼がモリーと夜のカーニバルの回転木馬でデートするシーンは幻想的で、ロマンティックでした。

 モリーは、下着か水着のようなコスチュームで身体に電流を流すショーを披露します。この半裸の美少女の電流ショーというのがいかにもいかがわしく、インチキ臭いのですが、当時のカーニバルの雰囲気をよく表現していました。カーニバルに警官が踏み込み、公序良俗に反するとしてモリーを捕まえようとしたとき、スタントンが持ち前の読心術を使って、彼らを撃退します。互いに惹かれ合う関係となったスタントンとモリーは、カーニバルの一座から離れ、2人だけで読心術のショーを行うようになりますが、それは次第に心霊ショーの方向に流れて行きます。スタントンの先達であるジーナは、心霊ショーの危険性を訴え、スタントンに警鐘を鳴らしますが、彼は心霊ショーという大金を稼げる詐術にのめり込んでいくのでした。

 この心霊ショーのくだりが、まさにグリーフケアの落とし穴というか闇を感じさせました。愛する人を亡くして悲嘆の淵にある人に「故人はあなたの隣で微笑んでいますよ」といった具合の会話を展開するのですが、これは日本でも少し前に流行したスピリチュアル・カウンセラーといった人種を連想させました。また、ブログ「安魂」で紹介した日中合作映画の世界にも通じます。降霊術で今は亡き愛する人に再会させるという詐術を描いた映画ですが、幽霊でもいいから亡き愛する者に会いたいというのはグリーフケアの範疇です。しかし、残された者は最後には愛する者の死を現実として受け止め、生きていくしかありません。映画の後半で、モーツァルトの「レクイエム」が素晴らしいのは、「悲しみではなく喜びを表している」と大道と力宏が会話するシーンがあるのが印象的でした。

 さて、グリーフケアの闇を描いた名作「悪魔の往く町」を観たとき、リメイクの「ナイトメア・アリー」では、主人公スタントンの運命を翻弄する謎の心療内科医リリスをケイト・ブランシェットが演じると知りました。わたしは、「これは怖そうだな」と期待が高まったのですが、実際、彼女が演じるリリスは顔も表情も態度も発言もすごく怖かったです。ついでに、ハンドバッグの中に入っている物も怖かったですね。彼女は、オーストラリア国立演劇学校在学中から演劇で高評価を得ましたが、エリザベス1世を演じた「エリザベス」(1998年)が批評家に絶賛され、アカデミー主演女優賞に初ノミネートされました。その後はコミカルタッチな人間ドラマ「狂っちゃいないぜ」(1999年)からファンタジー大作「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ(2001年~2014年)まで多彩な役柄を演じ、引く手あまたの名女優として活躍しています。

「ナイトメア・アリー」では、ケイト・ブランシェットが、これでもかというくらい「美魔女」ぶりを見せてくれました。彼女の多くの出演作の中で、わたしが一番好きなのは2015年のアメリカ映画「キャロル」です。この映画には、ルーニー・マーラも出ています。1950年代ニューヨークを舞台に女同士の美しい恋を描いた恋愛ドラマなのですが、「太陽がいっぱい」などで知られるアメリカの女性作家パトリシア・ハイスミスが52年に発表したベストセラー小説「ザ・プライス・オブ・ソルト」を、「エデンより彼方に」のトッド・ヘインズ監督が映画化しました。同性ながらも強く惹かれ合う女性たちの心情を、これ以上ないほど切なく美しく描いていました。

 パトリシア・ハイスミスといえば、長編アニメーション小説『太陽がいっぱい』の原作者としてよく知られています。『太陽がいっぱい』は1960年にルネ・クレマン監督によって映画化され、世界中で大ヒットしました。音楽はニーノ・ロータで主題曲も当時ヒット。出演はアラン・ドロンで、彼の出世作となりました。その後、「太陽はいっぱい」は1999年に「リプリー」としてリメイクされました。アンソニー・ミンゲラ監督、マット・デイモン主演でしたが、「『太陽はいっぱい』ではよくわからなかった登場人物たちの人間関係が『リプリー』ではわかりやすく描けていた」という声が多かったようです。この「太陽がいっぱい」と「リプリー」の幸福な関係が、まさに「悪魔の往く町」と「ナイトメア・アリー」にも言えるのではないでしょうか? 「悪魔の往く町」も魅力溢れるフィルム・ノワールでしたが、それをアップデートした「ナイトメア・アリー」はハリウッドが誇る娯楽超大作として、現代の「見世物小屋」の役割を見事に果たしていました。