No.583


 日本映画「偶然と想像」をシネプレックス小倉のレイトショーで観ました。ブログ「第94回アカデミー賞」で紹介したように、一条真也の映画館「ドライブ・マイ・カー」で紹介した濱口竜介監督作品が国際長編映画賞(旧・外国語映画賞)を受賞しました。「偶然と想像」は「ドライブ・マイ・カー」と同じ2021年に作られた濱口監督の短編集です。それぞれ約40分の作品が3本収められていますが、いずれも驚きに満ちた名作で、非常に良質の映画体験ができました。観て良かったです!

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「第71回ベルリン国際映画祭で審査員グランプリを受賞したヒューマンドラマ。かつての恋人に親友が思いを寄せていることを知った女性を筆頭に、偶然と想像をテーマにした三つの物語が展開する。メガホンを取るのは『ドライブ・マイ・カー』などの濱口竜介。『十二人の死にたい子どもたち』などの古川琴音、『グッド・ストライプス』などの中島歩、『水の声を聞く』などの玄理のほか、渋川清彦、森郁月、甲斐翔真らが出演する」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「ヘアメイクアーティストである親友のつぐみ(玄理)から好きな男がいると聞かされた、モデルの芽衣子(古川琴音)。だが、その男が元恋人の和明(中島歩)だと知る(第1話『魔法(よりもっと不確か)』)。芥川賞を受賞した大学教授・瀬川(渋川清彦)に落第させられた大学生・佐々木(甲斐翔真)は、復讐を企てる(第2話『扉は開けたままで』)。高校時代の友人である夏子(占部房子)とあや(河井青葉)が、20年ぶりに仙台で再会。当時のことで盛り上がるが、徐々にすれ違っていく(第3話『もう一度』)」

 親友が「いま気になっている」と話題にした男が、2年前に別れた元カレだったと気づく「魔法(よりもっと不確か)」。50代にして芥川賞を受賞した大学教授に落第させられた男子学生が逆恨みから彼を陥れようと、女子学生を彼の研究室を訪ねさせる「扉は開けたままで」。仙台で20年ぶりに再会した2人の女性が、高校時代の思い出話に花を咲かせながら、現在の置かれた環境の違いから会話が次第にすれ違っていく「もう一度」。それぞれ「偶然」と「想像」という共通のテーマを持ちながら、異なる3編の物語から構成されています。

 わたしもかなり多くの映画を観てきましたが、「偶然と想像」のような作品は初めてです。なんというか、驚きました。3本とも世にも奇妙な物語であり、不思議な話でした。ファンタジーでもなければ、SFでもホラーでもミステリーでもないのですが、とても非日常的で不思議な話です。超常現象が一切出てこないのに、これだけ「非日常」の物語を紡げることに驚きとともに深い感銘を受けました。「映画って、すごいな」と思いました。思うに、この3本の「不思議さ」とは人間の「心の不思議さ」であり、「縁の不思議さ」ではないでしょうか?

 3本の短編映画とも「偶然」という名の「縁」の不思議さが見事に描かれています。この世には「縁」というものがあります。すべての物事や現象は、みなそれぞれ孤立したり、単独であるものは1つもありません。他と無関係では何も存在できないのです。すべてはバラバラであるのではなく、緻密な関わり合いをしています。この緻密な関わり合いを「縁」と言うのです。わたしの生業である冠婚葬祭業というのは、結婚式にしろ葬儀にしろ、人の縁がなければ成り立たない仕事です。この仕事にもしインフラというものがあるとしたら、それは人の縁にほかなりません。

「偶然と想像」という映画のテーマは、つまるところ「縁」であると思いました。「偶然と想像」は、濱口監督がアカデミー国際長編映画賞に輝いた「ドライブ・マイ・カー」との共通点が多いです。まずは、「偶然と想像」は感情をあまり出さない演劇的なセリフ回しが特徴ですが、「ドライブ・マイ・カー」の台本を読み合わせるシーンもそうでした。第1話「魔法(よりもっと不確か)」の女性の浮気という要素もそうですし、第2話「扉は開けたままで」の女性の秘めた性欲と二面性というテーマもそう。性欲を擬人化したようなセフレ彼氏の存在は、「ドライブ・マイ・カー」の主人公の役者の妻と浮気相手の若い役者に重なります。第3話「もう一度」では、平穏な主婦が青春の輝きがなくなった自分の現状を「時間に少しづつ殺されていく」と諦念的に表現する場面では、「ドライブ・マイ・カー」で演じられる「ワーニャ叔父さん」のテーマと重なります。

 それにしても、濱口監督の才能には目を見張ります。1978年神奈川県川崎市生まれの彼は、父親の仕事の関係で転校続きの幼少期を過ごしました。この点は、第1話「魔法(よりもっと不確か)」に登場する男性に似ています。東京大学に入学しますが、当初は映画への関心はなく、当時総長を務めていた蓮實重彦が映画批評の分野で重きをなしたことも全く知らなかったとそうです。しかし、映画研究会に所属すると急速に映画に傾倒し、文学部では美学芸術学研究室に進学。この頃から8mmで自主製作映画を撮り始めています。大学卒業後、映画の助監督やテレビ番組のアシスタントディレクターなどを経たのち、映画監督を養成するコースとして新設されていた東京藝術大学大学院の修士課程に入学。修了作品として監督した「PASSION」が、サン・セバスティアン国際映画祭や第9回東京フィルメックスのコンペティション部門に選出されるなど、学生作品としては異例の注目を集めました。

 学生時代から独特の演出が注目されてきた濱口監督ですが、日本国外の主要映画祭で受賞が相次ぎ、世界的に高く評価されるようになりました。そのきっかけとなった作品が「ハッピーアワー」(2016年)です。この作品では、ほぼ演技経験のない出演者への演技指導法として、フランスの監督ジャン・ルノワールが実践していた「イタリア式本読み」と呼ばれる手法を採用しました。これは、実際に撮影に入る前に俳優に台本を読ませる「本読み」を行いますが、このとき俳優に一切の感情を込めずに「電話帳を読み上げるように」言葉を読みつづけることを要求します。このプロセスを経ることで、俳優は相手のこまかな動作や感情の動きに鋭敏になり、演技の真剣さ・リアリティが濱口の望む方向へ大きく変わるのだといいます。この手法の一端は「ドライブ・マイ・カー」で、主人公の舞台演出家が実践する演出として劇中劇の形で描かれています。

 「ハッピー・アワー」は、なんと上映時間が317分という長いヒューマンドラマです。30代後半に突入した、あかり、桜子、芙美、純。仲が良くどんなことでも屈託なく話せると考えていた彼女たちだが、純が1年にわたって離婚協議をしていたことを知ります。離婚裁判に臨むものの、さまざまな理由から勝ち目のない純。それでも諦めようとしない彼女の姿を目の当たりにした3人は、自分たちの生き方を再考。そんな中、気晴らしになればと四人で有馬温泉へ旅行します。楽しいひとときを過ごす一方、純はある決意を胸に秘めていたのでした。キャストは、濱口監督が主催する即興芝居をテーマにしたワークショップの参加者たちから選出。ロケも濱口監督が拠点とする、神戸市内で敢行しています。この作品は、ロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞を受賞しました。

 カンヌ映画祭に出品された「寝ても覚めても」(2018年)も、海外から高い評価を得ました。第32回野間文芸新人賞に輝いた柴崎友香の小説を映画化したラブストーリーです。突然行方をくらました恋人を忘れられずにいる女性が、彼と瓜二つの男性と出会って揺れ動くさまを追う物語です。麦(東出昌大)と朝子(唐田えりか)は恋に落ちますが、麦は彼女の前から突然居なくなってしまいます。それから2年がたち、彼女は麦との思い出が残る大阪を離れて東京で暮らし始めます。ある日、麦と外見はそっくりだが性格の違う亮平(東出昌大)と出会う。麦のことを忘れられないがゆえに彼を避けていましたが、一方の亮平はそんな彼女に強く惹かれます。朝子は、亮平と接するうちに彼に惹かれていくのでした。この映画、主演2人の不倫騒動によって変な意味で大きな話題になりました。

 そして、「ドライブ・マイ・カー」(2021年)です。長い映画ですが、非常に興味深い作品で、村上春樹ワールドの幻想性もよく表現されていました。妻を失い喪失感を抱えながら生きる主人公が、ある女性との出会いをきっかけに新たな一歩を踏み出す物語です。脚本家である妻の音(霧島れいか)と幸せな日々を過ごしていた舞台俳優兼演出家の家福悠介(西島秀俊)だが、妻はある秘密を残したまま突然この世から消えます。2年後、悠介はある演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島に向かいます。口数の少ない専属ドライバーの渡利みさき(三浦透子)と時間を共有するうちに悠介は、それまで目を向けようとしなかったあることに気づかされるのでした。日本が誇るグリーフケア映画の名作だと言えます。

 さて、「ドライブ・マイ・カー」が長編国際映画賞を受賞した第94回アカデミー賞授賞式では、ウィル・スミスがプレゼンテーターのクリス・ロックをビンタするという前代未聞の事件が起こりました。ロックが脱毛症で苦しんでいる彼の妻ジェイダ・ビンケット・スミスをの髪型を揶揄したことに、スミスが激怒したのです。ジェイダは脱毛症を公表し、髪が抜けたり薄くなったりするヘアロスと闘っていることを明かしています。ロシアのウクライナ侵攻によって「暴力」への批判が叫ばれている中で、スミスは公然と暴力をふるったのです。「暴力は絶対に許せない」という意見と、「人前で妻を馬鹿にされて平然と笑う夫より断然こっちのほうがいい」という意見に世界中が二分されました。その後、主演男優賞を受賞したウィル・スミスがビンタしたことを涙を流して謝罪しました。いろんな意味で、歴史的なアカデミー賞授賞式となりました。

ヤフーニュースより



 29日、国際政治学者の三浦瑠麗氏がフジテレビの情報番組「めざまし8」に出演し、ウィル・スミスの殴打事件に言及しました。三浦氏は「ドライブ・マイ・カー」の名前を出して、「ウィル・スミスの行動を指して、カッコイイ!という声がもちろん出てくるでしょう。今回の『ドライブ・マイ・カー』のテーマもそうなんですけど、『有害な男性性』と訳される"Toxic masculinity"という考え方があって、何で妻が言われたのに夫が乗り出していって、俺の女を!ってパンチするんですかね?ここも、本来先進的な社会だったら論点として出てくる話。妻が抵抗できないか弱い存在であることを前提にして、俺の持ち物にケチ付けて、傷つけたな!っていうのは世の中の暴力の基礎にある考え方」と主張しました。

 三浦氏は「ドライブ・マイ・カー」の内容にも触れ、「男性の主人公がどうやって自分の中の有害な男性性や自己愛を乗り越えて、他者に心を開いていくかっていう話でもある」とし、「こういう映画が受賞しておきながら、アカデミー賞の授賞式でこういう暴力がまかり通ってしまうっていうのはいいパパであるウィル・スミスさんは私も大好きですけど、もうちょっと批判的に見なきゃいけないのもある」と指摘しました。ちなみに、スミスは、自叙伝『ウィル(原題:Will)』で、2016年に亡くなった彼の父親が母親に対して暴力を振るっていたことがトラウマになっていると告白しています。

 三浦氏の発言で知った「有害な男性性」という考え方には、ハッとしました。「暴力は許せない」「妻を守ってカッコいい」という単純な二元論を超えた発想で、さすがに三浦氏は鋭いと思いましたが、「ハッピー・アワー」「寝ても覚めても」「ドライブ・マイ・カー」の濱口作品すべてに共通するのは「有害な男性性」の否定のようにも思えます。というか、彼の映画では主役はいつも女性で、男性は蚊帳の外です。その意味で、現在の日本映画界を騒がせている榊英雄や木下ほうかの性加害事件は、濱口ワールドから最も遠い場所にあります。性の暴力はもちろん、言葉の暴力も絶対に許せません。映画とは「暴力」ではなく「ケア」のメディアであってほしいですね。