No.638
映画「ダウントン・アビー/新たなる時代へ」をシネプレックス小倉で観ました。故エリザベス女王も愛したイギリスの大人気ドラマの劇場版第2弾です。なんと最初が結婚式のシーンで、最後は葬儀のシーンという"ザ・冠婚葬祭映画"でした。かなり嬉しかったですし、しっかり感動もできました。とにかく脚本が素晴らしく、「これぞヒューマンドラマ!」という真髄を見せてもらいました。
ヤフー映画の「解説」には、「20世紀初頭のイギリスの大邸宅に暮らす貴族一家と使用人たちの生活を描く『ダウントン・アビー』シリーズの映画版第2弾。ダウントンで映画撮影が行われる中、先代伯爵夫人の予期せぬ相続話を巡って騒動が巻き起こる。監督を『黄金のアデーレ 名画の帰還』などのサイモン・カーティス、脚本をシリーズ初期から携ってきたジュリアン・フェロウズが担当。ヒュー・ボネヴィル、マギー・スミスらおなじみの面々に加え、ヒュー・ダンシー、ローラ・ハドック、ナタリー・バイ、ドミニク・ウェストらが新たに出演する」とあります。
ヤフー映画の「あらすじ」には、以下の通りです。
「1928年、イギリス北東部にある邸宅ダウントン。グランサム伯爵ロバート(ヒュー・ボネヴィル)らは、他界した三女の夫トム(アレン・リーチ)とモード・バッグショー(イメルダ・スタウントン)の娘との結婚を祝福していた。一方、長女メアリー(ミシェル・ドッカリー)は傷みが目立つ屋敷の修繕費に苦慮していたところ、屋敷で映画撮影をしたいとのオファーを受ける。さらにロバートは、母バイオレット(マギー・スミス)が南フランスの別荘を相続したことに驚き、そのいきさつに疑問を抱いた彼は家族と共に別荘へ向かう」
わたしは、この映画がシリーズ第2弾とは知らずにチケットを予約購入してしまいました。ネットでの高評価を知って観たくなったからです。それで、前日に前作となる劇場版「ダウントン・アビー」をU―NEXTで鑑賞しました。国王夫妻が訪れることになった大邸宅ダウントン・アビーが舞台です。グランサム伯爵家の長女メアリー(ミシェル・ドッカリー)は、パレードや晩さん会の準備のために引退していた元執事のカーソン(ジム・カーター)を呼び戻しますが、国王夫妻の従者たちは、自分たちが夫妻の世話や給仕をやると告げます。一方、先代伯爵夫人バイオレット(マギー・スミス)の従妹モード・バッグショー(イメルダ・スタウントン)は、自分の遺産をメイドに譲ろうと考えていました。
そのメイドは、じつはモード・バッグショーの娘でした。前作のラストでは、彼女と恋に落ちたトム(アレン・リーチ)が舞踏会の会場の外にあるバルコニーで2人だけでダンスするというロマンティックな場面が出てきます。その後、2人は結婚し、今回の「ダウントン・アビー/新たなる時代へ」の冒頭では、2人の結婚式のシーンから始まります。この2人のみならず、ドラマシリーズ時代から気になった男女はすべて結ばれたました。1組か2組はうまく結ばれなかったカップルがいてもいいのに、このドラマでは気前良く片っ端から結んでいくのです。観ている者を幸せな気分にする、まさに究極のハッピードラマでした。
そして、ネタバレ承知で書くと、この映画の終盤にマギー・スミス演じる先代伯爵夫人バイオレットが亡くなります。波乱万丈の人生を歩んだバイオレットは息子のグランサム伯爵ロバート(ヒュー・ボネヴィル)から「母さん、何か欲しいものはない?」と聴かれたとき、「何もないわ。欲しいものはすべてあなたが与えてくれたわ」と言います。そして、2人の孫娘である伯爵家の長女メアリー(ミシェル・ドッカリー)と次女イーディス(ローラ・カーマイケル)に向かって「あなたたちは必ず幸せで豊かな人生を送るわ」と言うのでした。伯爵家には三女もいましたが、すでに他界しています。残された2人の孫娘に対する最高の祝福の言葉に、わたしは感動しました。
バイオレットが息子と2人の孫娘に言い残した言葉を聴いて、わたしは一条真也の映画館「愛する人に伝える言葉」で紹介したフランス映画を思い出しました。癌により余命宣告を受けた男とその母親が、限られた時間の中で人生の整理をしながら死と向き合う姿を描くヒューマンドラマです。この映画の中に現役の癌専門医であるガブリエル・サラが演じるドクター・エデが「最期に愛する人に言うべき5つの言葉」を末期癌患者である主人公バンジャマン(ブノワ・マジメル)に教え、バンジャマンはそれを母・クリスタル(カトリーヌ・ドヌーヴ)に実際に言うシーンがあります。その5つの言葉とは、「赦してほしい」「あなたを赦します」「愛しています」「ありがとう」「さようなら」でした。これも非常に含蓄の深い最期の言葉ですが、バイオレットの最期の言葉には本当に感動しました。
「ダウントン・アビー/新たなる時代へ」のラスト近くでは、バイオレットの葬儀が行われます。普段から気品と格式のある英国貴族の葬儀ですから、それは見事なものでした。わたしは、ブログ「エリザベス女王の国葬」で紹介したセレモニーを連想しました。もちろん、エリザベス女王の場合は国葬ですから、イングランドの地方に住む一貴族に過ぎないバイオレットの葬儀とは規模も豪華さもまったく違って比較になりません。しかし、エリザベス女王の棺を乗せた霊柩車はガラス張りでしたが、バイオレットの霊柩車もガラス張りでした。エリザベス女王は「ダウントン・アビー」のファンだったことはよく知られており、勲章の間違いを指摘したというエピソードもあります。この映画でのイギリスでの公開は2022年4月でした。一説によれば、エリザベス女王は王宮内で本作を鑑賞されたとか。そのとき、女王は棺を運ぶガラス張りの車を指して「わたしも、あんなのがいいわ」とおっしゃったのかも?
「ダウントン・アビー/新たなる時代へ」のラストシーンは、映画の冒頭で結婚式を挙げた2人の赤ちゃんがダウントン・アビーに到着する場面でした。バイオレットはいなくなりましたが、新しい家族が増えたわけです。これこそ、サブタイトルにある「新たなる時代へ」ということでしょう。わたしは、この映画を観て、「小津安二郎の映画のようだな」と思いました。黒澤明と並んで「日本映画最大の巨匠」であった彼の作品には、必ずと言ってよいほど結婚式か葬儀のシーンが出てきます。小津ほど「家族」のあるべき姿を描き続けた監督はいないと世界中から評価されていますが、彼はおそらく、冠婚葬祭こそが「家族」の姿をくっきりと浮かび上がらせる最高の舞台であることを知っていたのでしょう。
小津映画最高の名作とされるのは「東京物語」(1953年)です。この映画は葬儀が終わった後の描写が見事です。葬儀が終わり、遺族は料亭で会食をします。杉村春子扮する長女の志げは、「ねえ、京子、お母さんの夏帯あったわね。あれ、あたし形見に欲しいの」と言い出す。その志げも、長男の幸一も、三男の敬三(大阪志郎)も、次々に帰っていきます。まさに、去っていく者、残されていく者が残酷にも区分けされていくのです。そして最後まで老父(笠智衆)の側にいたのは、戦死した二男の嫁である紀子(原節子)だけでした。老父は、血を分けた子どもたちよりも親切な紀子に感謝の言葉を述べ、亡き妻の形見である女物の懐中時計を贈ります。その意味は、そこに「時間の永遠性」を表しているのだと思います。たとえ持ち主が変わっても、人が滅して転じても、時間だけは常に絶え間なく流れていくということです。
小津は「小早川家の秋」(1961年)のラストで、笠智衆扮する農夫に、「死んでも死んでも、あとからあとからせんぐりせんぐり生まれてくるヮ」と言わせています。映画評論家の西村雄一郎によれば、それと同じように、「東京物語」のこのシーンでは、流れては消え、流れては消えする時間の永続性、無常観というものを、時計というオブジェによって表現しているのだといいます。わたしは、「儀式とは、時間の永遠性に関わるもの」であると考えていますが、結婚式に始まり葬儀に終わる「ダウントン・アビー/新たなる時代へ」という映画も、小津映画と同じく家族の中に「時間の永遠性」を見出すべく、それを浮き彫りにする文化装置として冠婚葬祭のシーンを描いたように思います。そして、「ダウントン・アビー/新たなる時代へ」は新たなる生命の誕生を描いて終わります。人は生まれ、老いて、病み、やがて死ぬ。しかし、その後もせんぐりせんぐり新しい命が生まれてくる。時間が永遠であるように、生命もまた永遠なのです。
「ダウントン・アビー/新たなる時代へ」の重要な点は、約1世紀前の英国人の血筋に対する考え方です。この映画では、バイオレットが数年前に亡くなったモンミレール侯爵が彼女に別荘を与えたことを明らかにし、家族を驚かせます。また彼女は、それを彼女の曽孫娘であり、亡きシビル・クローリーとトムの娘であるシビーに遺贈するつもりだというのです。狐につつまれたような気分で、グランサム伯爵一家はヴァイオレットのの別荘を訪れ、休暇を過ごすこととなるのですが、そこでロバートは自身の出自について、人生が根底から覆されるかもしれない話を耳にします。彼は茫然自失となるのですが、限嗣相続制の下、いかに爵位が彼らの精神的・物質的な拠り所であったかがよくわかります。女王陛下の国でも、100年前は限嗣相続制などという馬鹿げたものが存在したということが信じられません。ちなみに、日本の天皇家でも男系での継承の限界が指摘されていますが、わたし自身は、愛子さまが女性天皇になられることを願っています。
「ダウントン・アビー/新たなる時代へ」の時代は1928年ですが、当時のファッションが見事に再現されていました。時代考証者のアラステア・ブルーズの監修によって、当時の歴史に忠実であり、なおかつ英国貴族らしさあふれる華やかなドレスの数々が登場します。衣装デザインを担当したアンナ・メアリー・スコット・ロビンスは「デザインした衣装は数百にものぼります」と振り返り、「1920年代後半の新しい時代を表現しました」と南仏での衣装へのこだわりを明かしました。当時英国貴族たちの旅行先として温暖な気候の地域が流行っていたという背景もあり、映画ではイングランド北東部のダウントンから見事に印象が変わった南仏らしいリゾートファッションを楽しむことができます。
そして、「ダウントン・アビー/新たなる時代へ」では、あのダウントン・アビーにハリウッドの映画撮影班がやってきます。ハリウッドの映画製作会社は、映画の撮影にダウントンを使用することを申し出るのですが、ロバートと引退した執事のチャールズは反対します。しかし、ロバートの長女で不動産マネージャーのメアリーは、莫大な邸宅の修繕費の工面に悩んでいたところでした。屋敷は傷みが目立ち、屋根の修理が必要だったのです。映画会社の謝礼は高額だったので、メアリーは父の反対を押し切って撮影を許可し、使用人たちは胸をときめかせます。彼らは実際に映画にもエキストラで出演するのですが、わたしは彼らの緊張ぶりをスクリーンで見ながら、ブログ「映画出演」で紹介したように自分が初めて映画出演した日のことを思い出しました。また、わが家は建築90年以上のボロ家ですが、日本映画「精霊流し」のロケに使わせてほしいというオファーがあったことも思い出しました。
ダウントン・アビーで撮影を開始したハリウッドの映画撮影班ですが、突如、撮影は中止になります。彼らが製作していたのは音のない無声映画、つまりサイレント映画でしたが、時代は音声の入ったトーキーに移行していたのです。それで、映画会社側も「今後は、トーキー作品しか作らない」という方針を打ち出したのでした。そうです、「ダウントン・アビー/新たなる時代へ」で描かれた1928年は、映画界にとってサイレントからトーキーへと転換していくとても重要なな年でした。作中でも、メアリーが鑑賞するサイレント映画の客入りがガラガラであるという描写がありましたし、最初のトーキー映画とされる「ジャズ・シンガー」(1927年)への言及もありました。つまり、1928年とは、映画界にとって「新たなる時代へ」を象徴する年だったのです!
『心ゆたかな映画』(現代書林)
メアリーの発案で、すでにサイレントで撮影した作品をトーキーに変えてゆく技術的なエピソードなども面白かったです。他にも映画史的に興味深いシーンも満載で、映画好きにはたまらない映画でした。この映画を観て、わたしの心はゆたかになりました。わが次回作『心ゆたかな映画』(現代書林)は、11月15日発売予定。お楽しみに!