No.650
日本映画「土を喰らう十二ヵ月」を観ました。場所は3日連続で通っているシネプレックス小倉です。「食」がテーマとばかり思っていましたが、驚くべきことに、理想の「葬」が見事に描かれていました。しみじみと感動しました。間に合ったなら、『心ゆたかな映画』(現代書林)の「死生観とグリーフケア」で取り上げたかったと思いました。今年の「一条賞」映画篇の大賞候補作です。
ヤフー映画の「解説」には、「水上勉のエッセイ『土を喰う日々―わが精進十二ヵ月―』などを原案に描くヒューマンドラマ。歳の離れた恋人がおり、長野の自然に囲まれた生活を送る作家の日々が映し出される。監督と脚本を担当するのは『ナビィの恋』などの中江裕司。ミュージシャンで俳優の沢田研二、『ラストレター』などの松たか子、『青葉家のテーブル』などの西田尚美のほか、尾美としのり、瀧川鯉八、檀ふみらが出演する」と書かれています。
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「作家のツトム(沢田研二)は、長野の山荘で一人の暮らしを楽しんでいた。彼は山で採れる実やきのこを集め、畑で育てた野菜を自ら料理して味わい、四季折々の自然を感じながら原稿を執筆。担当編集者で恋人の真知子(松たか子)がときどき東京から訪れ、二人で旬の食材を料理して食べる時間は格別だったが、その一方でツトムは13年前に亡くした妻の遺骨を墓に納められずにいた」
原作は、直木賞作家・水上勉の『土を喰う日々―わが精進十二ヵ月―』(新潮文庫)です。かの名作グルメ漫画『美味しんぼ』にも登場する食の名随筆で、旬の野菜などを使って、いかに美味しい料理を作るか、工夫して食材を生かすかが詳しく紹介されています。著者は少年の頃、京都の禅寺で精進料理のつくり方を教えられました。成人してからも、畑で育てた季節の野菜を材料にして心のこもった惣菜を作ります。同書は、そうした昔の体験をもとに、著者自らが包丁を持ち、1年にわたって様様な料理を工夫してみせた、貴重なクッキング・ブックです。と同時に、香ばしい土の匂いを忘れてしまった日本人の食生活の荒廃を悲しむ、異色の味覚エッセイでもあります。
一条真也の映画館「ザ・メニュー」で紹介した前日に鑑賞した映画を美味しいものが登場するグルメ映画と思っていたのですが、全然そうではありませんでした。最後に登場するチーズバーガー以外はまったく食欲をそそらないスノッブ料理しか出てきませんでした。その翌日に観た「土を喰らう十二ヵ月」は、まさに日本人の食欲を刺激する究極のグルメ映画でした。映画の冒頭で、主人公の作家・ツトム(沢田研二)は、担当編集者で恋人の真知子(松たか子)に小芋をふるまいますが、とても美味しそうでした。熱々の小芋を次々に平らげ、それを肴に日本酒の熱燗を飲む真知子の至福の表情が印象的でした。ツトムが道具を使って小芋の皮を剥くシーンがあります。「何をしてるの?」と尋ねる真知子に向かって、ツトムは「小芋の皮を剥いてる。寺の小僧時代に教わったんだ」と答えるのでした。
そう、ツトムは少年時代に禅寺で修行をしていました。これは原作者である水上勉の人生を反映しています。福井県の棺桶造りや宮大工をしていた家に生まれた水上勉は、5人兄弟の次男として育ちました。生家は乞食谷(こじきだん)と呼ばれる谷の上にあり、そこは死体を埋める谷のとば口で、一家は地元の素封家の所有する薪小屋に住んでいたといいます。8歳の時には北丹後大震災に逢い、家から茶畑に避難する経験をしました。当時京都の臨済宗寺院相国寺塔頭、瑞春院の住職になった山盛松庵が、若狭で酒井家賞を受けた子供から小僧をとろうとして選ばれ、貧困もあって、9歳の時に京都の伯父の元に送られ、10歳の時に正式に瑞春院に入ったのです。このとき、勉少年は、たけのこ採りの方法も教わったようです。
食べるとは、気を取り入れること(映画.comより)
この映画は、「食」と「葬」の映画ですが、「気」をテーマにした映画でもあります。宇宙には気という生命エネルギーが満ちています。人間や動植物は、宇宙から気のエネルギーを与えられて生まれ、また宇宙の気のエネルギーを吸収して生きているのです。東洋医学では、人間は天の気(空気)と地の気(食物)を取り入れて、体内の気と調和して生存しているといいます。科学的に見れば、気は一つの波動なのです。したがって気が乱れると病気になってしまいます。荘子は「気が集まればそれが生命である。気が拡散すればすなわち死である」と言いました。人間というものは天の気、地の気が集まってできた存在であり、その気がなくなれば死ぬというのです。東洋医学というより東洋思想の根本的な考えは「気」を中心に置いています。
恩人の娘から梅干しを貰う(映画.comより)
地の気を蓄えた食物には、食べられる期限というものがあります。スーパーなどで食品を買うと、つねに賞味期限や消費期限との戦いなので疲れてしまいますが、中には奇跡的に長持ちする食品というものがあります。梅干しです。映画の中で、主人公のツトムが少年時代に修行した寺の娘(壇ふみ)が彼の山荘を訪ねてくるシーンがあります。父親である住職が亡くなったとき、彼女は母親と共に寺を追い出されたのでした。そのとき、梅干しの樽を持ち出しており、今は亡き母親が「もしツトムさんに会ったら、この梅干しをお裾分けして」と娘に言い残していたのでした。60年前に漬けた梅干しを貰ったツトムは、1人になったとき、そっと1粒を口に入れます。最初は塩の塊のようで、最高にしょっぱかった梅干しでしたが、ツトムの唾液と合わさっていくうちに次第に甘露のような甘さが口いっぱいに広がりました。なつかしい恩師の顔を思い浮かべて涙を流すツトムを見て、わたしも貰い泣きしました。
義母と食事するツトム(映画.comより)
ツトムは、13年前に最愛の妻を亡くしています。彼はまだ妻の遺骨を納骨することができず、自宅に置いたままです。妻の母親、つまりツトムの義母が近くの山小屋のような家に1人で生活しており、ときどきツトムはそこを訪ねます。映画では、不愛想な義母がツトムに「飯は食ったか?」と訊きます。「まだです」と答えるツトムに、義母は山盛りのタクワンと味噌汁と白米を食べさせます。わたしは「えっ、おかずはタクワンだけ?」と思いましたが、その質素な食事がじつに美味しそうなのです。義母は壺に入った山椒をおかずにしていますが、けっしてツトムには食べさせてくれません。ツトムは、亡くなった妻も山椒が大好物で、愛犬にまで「山椒」と名づけたことを思い出します。食後に、義母は「まだ、あの子の墓は作らないの? あのまま遺骨を家に置いていてはダメだよ」とツトムに言います。そして帰りに、義母は手作りの味噌を樽ごとツトムに持たせてくれるのでした。
義母の葬儀の準備をするツトム(映画.comより)
その義母が亡くなります。ツトムは、自分の住む山荘で葬儀を執り行います。葬儀社も存在しないような山奥ゆえに、ツトムは自分で棺桶や祭壇を調達し、写真店に連絡して故人の遺影を用意します。ツトムの大工の友人(火野正平)が設えた祭壇は非常に大きいものでした。ツトムが「この祭壇、ちょっと大き過ぎないか?」と言うと、友人は「いや、立派な祭壇で送ってもらった方が故人は嬉しいよ」と答えます。また、写真店が運んできた遺影も想定外に大きなものでしたが、「大き過ぎないか?」と言うツトムに「大きい写真の方が故人も喜びますよ」という答えが返ってくるのでした。わたしは、この当たり前といえば当たり前の会話に、しみじみと感動しました。そうなのです。小さなお葬式、家族葬、直葬、0葬......日本の葬式をめぐる環境はどんどん薄葬化される印象ありますが、元来、故人のために祭壇も遺影も「少しでも、立派なものにしてあげよう」と思うのが人情でしょう。通夜振る舞いの料理を作る(映画.comより)
義母の通夜の際、ツトムは通夜振る舞いの料理を自分で作ります。通夜振る舞いとは、通夜が終わった後、弔問客を別室に案内して酒食をふるまうことです。普通は寿司の出前や仕出し屋の料理などが出されますが、ツトムの山荘は山奥にあるため、そんなものは期待できません。ありあわせの食材を使って、自分で通夜振る舞いの料理を作るしかないのです。義母は付き合いのない人だったので、「参列者も少ないだろう」と考えていたツトムですが、予想を超えて多くの参列者が通夜に訪れました。じつは、義母は手作りの味噌を近隣の主婦たちにお裾分けし続けてきたようで、彼女の訃報を知って多くの婦人たちが集まったのです。彼女たちは、義母の遺影が飾られた大きな祭壇に野菜やさまざまな食べ物を置いていきます。きっと、生前、義母から味噌を分けてもらったとき、野菜などでお返ししていたのでしょう。わたしは、このシーンを見て、古き良き日本の「地縁」に感動しました。こんな葬儀を実現できるコミュニティがあれば、葬儀社も互助会も不要かもしれませんね。しかも、少年時代に仏道修行したツトムは自身で「般若心経」まで読経し、故人を弔っているのです!
近刊『葬式不滅』(オリーブの木)
その義母の味噌を使った料理をツトムが振る舞うシーンも良かったです。通夜の後で、参列者が故人を偲びながら飲食する「通夜振る舞い」は大切な慣習であると思いました。通夜振る舞いの料理は、基本的に精進料理です。精進料理というのは、禅宗、それも道元が開いた曹洞宗で発達しました。ツトムが少年時代に修行したのも曹洞宗の寺で、彼は9歳のときから精進料理を作ってきたのです。精進料理以外にも、曹洞宗が発達させたものがあります。日本の仏式葬儀です。今日の葬式仏教のもとを作り上げたのは曹洞宗でした。日本で禅宗が盛んになった時代には、中国で新しい儒教の流が生まれ、それが影響を与えました。曹洞宗の葬式は、その後、他の葬式のやり方として採用されたのです。このことは、一条真也の読書館『葬式消滅』で紹介した島田裕巳氏の著書に詳しく書かれていますが、島田氏は曹洞宗が発達させてきた日本の葬式そのものが消滅すると主張しています。わたしは、その反論として『葬式不滅』(オリーブの木)を書きました。年内発売の予定です。
それにしても、ツトムの義母の通夜振る舞いで提供される精進料理の美味しそうなこと! 特に、胡麻豆腐が大好評で、通夜に集まった近隣の婦人たちは「これ、どうやって作ったの?」とツトムを質問攻めにします。ツトムがその料理法を説明して、少年時代に京都の禅寺で修行していたときに作り方を覚えたのだと告げると、婦人たちは「都の料理を味わえるなんて、ありがたいわねぇ!」と喜びます。また、ツトムの義母が作った味噌を使ったモロキュウとおにぎりがあまりにも美味しくて、彼女たちは「旨すぎて馬鹿になるわ」と言いながら、故人にも「食べさせてあげたかったわね」と言うシーンはしんみりしました。そして、彼女たちはツトムを囲んで飲み始めます。美味しい料理を作ってくれるツトムはモテモテです。ツトムを演じた沢田研二も日本を代表するモテ男の1人で、老いて体型が崩れても色気があります。彼の友人役を演じた火野正平もモテ男として有名でした。
ツトムが料理上手で、しかも優しいので、恋人の編集者・真知子も彼にメロメロでした。彼女は心筋梗塞で倒れたツトムを発見して、救急車を呼びます。病院まで搬送される間、真知子はずっとツトムの手を握っていました。そして、回復して退院し、自宅に戻ってきたツトムは真知子に「君がいなかったら、僕は助からなかった」と感謝の言葉を述べます。真知子は「わたし、あなたと一緒にここで暮らすことに決めたわ」と言いますが、ツトムはその申し出を断ります。少し前に、ツトムの方から「ここに住まないか?」と誘ったにもかかわらず、です。おそらく、彼女の将来を案じて申し出を断ったのでしょうが、傷ついた真知子は若い作家との結婚を決めたのでした。なめこ狩りをするツトムに向かって、彼女が「もう、ここには来ない。わたし、結婚することにしたわ」と告げるシーンは泣けましたね。わたしは、もともと松たか子のファンですが、この映画でも素晴らしい演技を見せてくれました。
この映画に1つだけ違和感があるとすれば、主演の沢田研二が太っていることです。一時に比べれば少しはスリムになったようにも見えますが、まだまだポッチャリ体型です。この映画のツトムのような生活をして、ツトムのような食生活をしていれば、こんな体型にはならないようにも思えます。しかし、現代人はダイエット意識が過剰なので、これがナチュラル体型だとも言えるかも。ジュリーの若い頃はモデル並みにスリムで、神々しいまでの美しさでした。ルックス、歌唱力、パフォーマンス......どれを取っても超一流で、色気がハンパなかったです。しかし、もともと太りやすい体質の彼はアイドルとしてのイメージを損なわないために、食事をした後に指を喉に突っ込んで吐いていたそうです。そこまでして体型維持に努めていたわけですが、この映画で老いたジュリーが白米をたらふく食べたり、たけのこを齧って笑顔になるシーンを見ると、なんだか嬉しくなってきます。
この映画は、なんといってもジュリーの存在感と演技が素晴らしかったです。これまで「太陽を盗んだ男」「夢二」「魔界転生」などの沢田研二の主演映画が好きでした。一条真也の映画館「キネマの神様」で紹介した映画では、それらの作品の主人公たちとは一線を画すカッコ悪い爺さんを演じていました。そして、「土を喰らう十二ヵ月」では、カッコ良く人生を修める爺さんを見事に演じています。何より、ジュリーが演じたツトムには豊かな死生観というものがありました。この映画には、西行法師の「願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」という和歌や鴨長明の『方丈記』なども登場しますが、父親が棺桶を作る大工で、自身も少年時代から寺の小僧として枕経を詠んでいたツトムは、常に死に親しむという心がありました。
豊かな死生観を持つツトム(映画.comより)
映画の中で「奥さんの遺骨はどうするの?」と尋ねる真知子に対して、「人はしょせん1人で生まれて、1人で死んでいく。明日も明後日もと思うから生きるのが面倒になる。今日1日暮らせれば、それでいい」というツトムの台詞も登場します。真知子に去られた彼は、毎晩、寝る前に「さあ、これから死ぬぞ」と自分に言い聞かせ、「それでは、みなさん、さようなら」と念じて眠りにつくのでした。しかし、朝が来て、目が覚めると、「ああ、生きている」と実感するのでした。ツトムが毎日、目覚めるたびに生まれ変わるシーンを見て、わたしはブログ「入棺体験」で紹介した19日開催の「サンクスフェスタ in小倉紫雲閣」で入棺体験をしたことを思い出しました。
この映画を観る前日に「入棺体験」しました
この入棺体験コーナーは大人気で、昨日も高齢者の方を中心に50名近くが体験されました。みなさん、「これで長生きできる」とニコニコ顔で帰っていかれました。わたしは、朝一番でお客様が来る前に、自分でも試しに棺の中に入ってみました。本当に自分が死んだような気がしました。わたしは「これまでの人生に悔いはないか」と振り返り、自分の人生をフラッシュバックしてみました。すると、いろんな想いが次から次へと思い浮かんできました。亡くなった方の気持ちが想像できたように思います。そして、「わたしが人生を卒業する日はいつだろう。いずれにせよ、今日は残りの人生の第1日目だな」と思いました。わたしは、「死」と「再生」を疑似体験することができました。「一度死んだと思って、生まれ変わったつもりで頑張るぞ!」と思いました。
シネプレックス小倉の通路で
最後に、映画「土を喰らう十二ヵ月」の存在を初めて知ったのはシネスイッチ銀座で観た予告編でした。てっきりミニシアターでしか観れないと思っていたのに、まさか地元のシネコンで鑑賞できるとは...シネプレックス小倉、すごい! シネプレックス小倉といえば、現在、通路に新作映画の「レッドシューズ」が告知されています。ブログ「二度目の映画出演」で紹介した、わたしの出演作です。雑賀俊朗監督の最新作で、朝比奈彩主演。共演に佐々木希、観月ありさ、松下由樹など。全編オールロケを行った北九州市での先行上映が12月9日から始まりますが、なんと、わたしが舞台挨拶で朝比奈彩ちゃんに花束贈呈することになりました。今から、ワクワクが止まりません!