No.663


 東京に来ています。1月12日の午後、出版関係や映画関係の打ち合わせをした後、ピカデリー新宿で日本映画「とべない風船」を観ました。地元では鑑賞できない作品で、とても心に沁みました。素晴らしいグリーフケア映画でしたね。新年早々いきなり一条賞の候補作に出合いました!
 
 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『コンフィデンスマンJP』シリーズなどの東出昌大主演によるドラマ。瀬戸内海のある島を舞台に、妻子を亡くした漁師の男性と島を訪れた女性の触れ合いを描く。メガホンを取るのは『テロルンとルンルン』などの宮川博至。『ドライブ・マイ・カー』などの三浦透子、『深夜食堂』シリーズなどの小林薫、『エリカ38』などの浅田美代子のほか、原日出子、堀部圭亮、笠原秀幸らが共演する」
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「瀬戸内海のとある島に、凛子(三浦透子)がやってくる。彼女はうつ病を患っており、島に暮らす父・繁三(小林薫)のもとで療養しようとしていた。島に着いた日の夜、繁三の家に何も言わずに魚を届ける憲二(東出昌大)と出会う。彼は数年前の豪雨災害で妻の幸(なかむらさち)と息子を亡くしていた。凛子が島の人々と顔なじみになる中、小学生の咲(有香)の行方がわからなくなる。憲二が彼女を発見して島民たちは感謝を述べるが、幸の父・中村(堀部圭亮)は彼が娘と孫を死なせたと彼を責める」
 
「とべない風船」は、広島国際映画祭など、国内外の映画祭に出品された人間ドラマです。平成30年(2018年)に発生した西日本豪雨による土砂災害の記憶の風化への警鐘も踏まえ、豪雨で家族を失った傷を抱えて孤独に生きる主人公を、瀬戸内海の美しい風景の中に映し出しています。西日本豪雨は、西日本を中心に北海道や中部地方を含む全国的に広い範囲で発生した、台風7号および梅雨前線等の影響による集中豪雨です。この豪雨により、西日本を中心に多くの地域で河川の氾濫や浸水害、土砂災害が発生し、死者数が200人以上という甚大な災害となりました。平成に入ってからの豪雨災害としては初めて死者数が100人を超え、「平成最悪の水害」と報道されました。
 
 東日本大震災や阪神・淡路大震災を描いた映画は多いですが、豪雨災害を描いた映画というのは珍しい気がします。少なくとも、わたしは初めて観ました。自然の猛威によって尊い人命が奪われる悲劇は、地震も豪雨も変わりません。考えてみれば、日本は「地震大国」であると同時に「豪雨大国」でもあることを再確認しました。その豪雨災害で最愛の妻と子を亡くした憲二を東出昌大は見事に演じていました。途中、死んだはずの妻と子が「ただいま!」と帰宅するシーンがあります。妻が「遅くなってごめん! 心配かけたね」と言い終わらないうちに憲二は幼い息子を抱きしめ、「心配したんだぞ!」と号泣します。でも、それは夢でした。夢から覚めて、冷酷な現実に直面した憲二は現実の世界でも号泣します。それはあまりにも哀しい場面で、わたしも貰い泣きしました。
 
 それにしても、東出昌大は迫真の名演技でした。「浜遊び」として、若者たちが浜辺でバーベキューや花火をするシーンがあります。憲二や凛子も参加していましたが、突然の雨が降ってきて、みんなズブ濡れになります。そのとき、雨に濡れた花火が暴発して大きな音を出すのですが、それを聴いた憲二は錯乱します。妻と子が亡くなった豪雨による土砂崩れの瞬間がフラッシュバックしたのです。トラウマという言葉では表せないほどの大きな心の傷を負った憲二が取り乱す様子もじつにリアルで圧倒されました。東出昌大という俳優は本当に凄いです。なかなか、悲嘆の淵にある人間の心理をここまで表現できるものではありません。間違いなく、彼は日本映画界に必要な人材です。不倫騒動でバッシングされましたが、妻と離婚した彼も不倫相手の女優も十分に禊を受けたと思います。もう、このへんで世間も彼を赦すべきだと思います。
 
 公開記念舞台挨拶で、舞台あいさつで撮影当時の心境を振り返った東出は「キツいものを描くときこそ、『覚悟を持ってやりました』って胸を張って言える気持ちを持ってカメラ前に立ち続けなければいけない」と語りました。取材会では、「例えば僕も父を亡くしたとき、愛猫を亡くしたときは時間が薬だった。でも、役者って自分の実人生のことが、役を考えるきっかけ、引き出しになるのかもしれないけど、実人生は完結してない。進行形なので、この役で東出の人生が救われる、転機になるということはない」とも語りました。彼は20年1月に不倫が報じられ、同8月に離婚。妻子を失うという境遇は、「とべない風船」の主人公・憲二と重なる部分もあります。それゆえに、迫真の演技が生まれたのかもしれませんね。
 
 その東出は、昨年、関東近郊の山間部にある山小屋で狩猟生活を送っていると一部で報じられました。彼は、「狩猟は5年前からやってて、田舎にも通ってました。今は田舎に住んでるけど、一軒一軒の家の距離は遠くても、すごい人が訪ねてきて、人の距離は東京よりも近い。あったかさのある日々は楽しいです」と語っています。映画では、近隣住民で野菜や魚を差し入れする場面もありますが、「山でもめちゃくちゃあるし、僕もお裾分け文化はしてます。重いものを運んだりとか、30代の若い奴が来たって喜んでくださいます。東京の家賃だけで1カ月暮らせます。スマホ(の電波は)あやしいけど」と言います。狩猟生活との二刀流で役者としての再生を図る東出ですが、狩猟によって「いのち」と向き合うことは役者としての深みをもたらしているように思えます。
 
 東出昌大が演じた憲二とともに主人公といえるのが三浦透子が演じた凛子です。彼女はうつ病を患っており、島に暮らす父のもとで療養しようとしていたわけですが、三浦透子の演技もまた良かったです。彼女といえば、一条真也の映画館「ドライブ・マイ・カー」で紹介した第94回アカデミー賞の国際長編映画賞(旧・外国語映画賞)受賞作での女性ドライバー・みさき役が印象的でした。しかしながら、今回の彼女は何度も車には乗るのですが、まったく運転しません。運転するのは、もっぱら父親の繁三(小林薫)か憲二であり、彼女はいつも助手席に座っています。この「ドライブ・マイ・カー」と真逆の人物設定は面白いと思いました。でも、みさきも、凛子も、心の底にグリーフを抱えており、影のある存在であることは同じでした。失礼ながら、三浦透子は美人とは思いませんが、その名の通りに透明感があり、素晴らしい演技をする女優さんですね。
 
 この映画のタイトルである「とべない風船」は、憲二が妻と息子が帰ってくることを願って庭にくくりつけている黄色い風船のことです。凛子の母親(原日出子)は不治の病で亡くなる直前に、憲二に「わたしがあの世に行って、あなたの奥さんと子どもに『待っててあげて』というから、あなたは生きなさい!」と言います。天国の死者に「生まれ変わるのは待って。憲二さんとここで再会してからにして」というのです。このセリフには、ちょっとした衝撃を受けました。なぜなら、わたしには『また会えるから』(現代書林)という著書もあり、同名の歌の作詞もしましたが、つねに生者の視点で「また会える」と考えていたことに気づいたからです。でも、よく考えれば、迎える死者の視点に立てば「待っている」ということになります。いわば、故郷への帰省と同じで、都会から両親の待つ実家に行く側が「また会える」であり、子や孫の帰りを楽しみにしている側からすれば「待っている」なのです。この視点は、グリーフケアにおいて重要であると思います。
 
「とべない風船」の風船の黄色は、山田洋次監督の映画「幸福の黄色いハンカチ」のオマージュです。実際、「とべない風船」の劇中でも、黄色い風船を見た凛子の母が「幸福の黄色いハンカチ」の名を口にする場面があります。「幸福の黄色いハンカチ」は、1977年に公開されるや大ヒットを記録し、その年の映画賞を独占した、日本映画史に輝く不朽の名作です。刑務所帰りの中年男が、偶然出会った若い男女とともに妻の元へ向かうまでを描いたロードムービーです。過去を持つ主人公は、若いカップルに「自分を待っていてくれるなら、家の前に黄色いハンカチを掲げておいてくれ」と妻に手紙を書いたことを打ち明けます。最後は大きな感動が待っており、観客は涙せずにはいられません。主演は名優・高倉健、その妻役に倍賞千恵子、製作当時映画初出演の武田鉄矢、桃井かおりらが共演しています。わたしも大好きな作品です。
 
 最後に、黄色ではなくて赤色の話をしたいと思います。「とべない風船」を観た新宿ピカデリーでは、上映前に冠婚葬祭互助会の仲間である千代田さんやサンセルモさんの結婚式場の広告が流れました。わが社だけでなく、同業の仲間たちもシネアドに取り組んでおられることを知って嬉しかったです。それから、一条真也の映画館「レッドシューズ」で紹介した日本映画の予告編が流れて、感激しました。わたしもチョイ役で出演した「レッドシューズ」がつに2月24日から新宿ピカデリーをはじめ全国公開されるのです。しかも、ネットでも非常に高評価で、カンヌ国際映画祭へ出品が決まっています。ぜひ、最高賞である「パルムドール」を取ってほしいものです!

「レッドシューズ」舞台挨拶で赤のジャケットを着用
 
 
  
同じ赤色のボルサリーノを求めました
 
 
 
 ブログ「花束贈呈と舞台挨拶」で紹介したように、昨年12月9日にリバーウォーク北九州内にあるシネコンのT・ジョイで行われた北九州先行上映の舞台挨拶で、主演の朝比奈彩さんと松下由樹さん、雑賀俊朗監督に花束をお渡ししました。そのとき、赤のレザージャケットを着たのですが、なかなか好評でした。それで、ジャケットとマッチする帽子はないかと、新宿ピカデリーのすぐ近くにある伊勢丹メンズ館を訪れました。1階の帽子売り場に、ちょうど色のピッタリ合う赤のボルサリーノがあったので、即刻で購入。店員さんから「俳優さんですか?」と訊かれて、すっかりいい気分になったのですが、よく考えたら、こんな派手な帽子、一般人は買わないでしょうね。(笑)北九州の街中で、こんな帽子被って歩いていたら「大親分」と間違われそうなので、還暦の祝宴のときにでも使うことにします! 気分は、コンパッション・レッド! 

気分は、コンパッション・レッド!