No.664
TOHOシネマズ日比谷で、この日から公開された映画「SHE SAID /シー・セッド その名を暴け」を観ました。ハリウッドのセクハラを告発したベストセラー回顧録を映画化したものです。内容は地味でしたが、劇場はほぼ満員でしたね。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの長期にわたる性的暴行を告発した記者たちによる回顧録を映画化。ハリウッドの絶対権力者による犯罪を暴くため、真実を追い求める記者たちの執念を描く。監督は『アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド』などのマリア・シュラーダー、脚本は『イーダ』などのレベッカ・レンキェヴィチ、製作陣にはブラッド・ピットが参加。巨大権力に挑んだ二人の記者を、『プロミシング・ヤング・ウーマン』などのキャリー・マリガンと『ルビー・スパークス』などのゾーイ・カザンが演じる」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「ニューヨーク・タイムズ紙の記者ミーガン・トゥーイー(キャリー・マリガン)とジョディ・カンター(ゾーイ・カザン)は、映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインが数十年にわたり、権力を笠に着た性的暴行を重ねていたという情報を得る。取材を進めるうちに、彼がこれまで何度も記事をもみ消してきたことが分かる。被害女性たちは多額の示談金で口を封じられ、報復を恐れて声を上げることができずにいた。問題の本質は業界の隠ぺい構造にあると気付いた記者たちは、さまざまな妨害行為に遭いながらも真実を求めて奔走する」
「SHE SAID /シー・セッド その名を暴け」は、「#MeToo」運動の発端となったセクハラ報道を描いた映画です。米国映画界の実力者として、業界内で非常に大きな影響力を持ち、業界の人々から恐れられ、逆らいがたい存在となっていたハーヴェィ・ワインスタインがセクハラで告発されました。もともと、2006年に若年黒人女性を支援する非営利団体「Just Be Inc.」を設立したアメリカの市民活動家タラナ・バークが、家庭内で性虐待を受ける少女から相談されたことがきっかけで、2007年に性暴力被害者支援の草の根活動のスローガンとして提唱し地道な活動を行ったのが「#MeToo」の始まりですが、2017年にニューヨーク・タイムズが、2015年から性的虐待疑惑のあった映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによる数十年に及ぶセクシャルハラスメントを告発したのです。これは後に「ワインスタイン効果」と呼ばれるほどの大反響がありました。
2015年にワインスタインの名を出さずに問題のセクハラを告発していた女優のアシュレイ・ジャッドら数十名が実名でセクハラを告発、雑誌「ザ・ニューヨーカー」も10ヶ月に及ぶ被害者への取材記事をウェブ版で発表し、大きな話題になりました。セクハラや性的暴行が発覚したことで、ワインスタインが経営するワインスタイン・カンパニーは経営が悪化、2018年3月19日に連邦破産法の適用申請手続きが行われました。また、被害者たちによって申し立てられていた性的暴行の件で、2018年5月25日にニューヨーク市警によって逮捕され、その姿はマスコミにもさらされ、訴追されました。2020年2月24日、ニューヨークの裁判所の陪審はワインスタイン被告に有罪評決を出しました。「SHE SAID /シー・セッド その名を暴け」を観て意外だったのは、もっとハリウッド全体の性的犯罪における腐敗ぶりが描かれているのかと思いましたが、結局はワインスタイン1人が異常者だったという内容だったことです。
数々のセクハラと性的暴行を繰り返したワインスタインですが、わたしは彼が無類の女好きとばかり思っていたのですが、この映画を観て、違う考えも沸いてきました。一条真也の読書館『映画の構造分析』で紹介した内田樹氏の著書にも書かれているように、アメリカ映画の本質の1つに「ミソジニー」があります。「女嫌い」という意味です。西部劇やミュージカル映画の名作にも、数多くのミソジニー映画があります。わたしは、ワインスタインがユダヤ人やアジア人に強い偏見を持っていたにもかかわらずユダヤ人女性やアジア人女性にもセクハラをしていたという事実から、「彼はもしかして女嫌いというか、女性への復讐の意味合いで、あのような行為を繰り返したのではないか」と思えてきました。その思いは、次第に確信に近くなりました。
よく考えれば、ワインスタインほどの金と地位があれば、セクハラなどしなくても、枕営業もいとわない女優の卵などをいくらでも愛人にできたはずです。それでも特定の愛人を作らずに、手あたり次第に周囲の女性に手をつけたというのは、女性の存在そのものに憎しみような感情があり、個々のセクハラは女性への復讐だったのかもしれません。失礼ながら、ワインスタインはあの外見ですし、若い頃からモテるタイプではなかったものと推察されます。女性への復讐というのは、自分を無視し、自分を振り、馬鹿にし続けてきた女どもへの仕返しということです。まあ、女好きから来るセクハラも、女嫌いのミソジニーも、正反対のようで、じつは女性蔑視という点では共通しています。どちらも、許されることではありませんね。
セクシャルハラスメントがテーマの映画といえば、一条真也の映画館「スキャンダル」で紹介した2020年公開の映画が思い浮かびます。奇しくも、ニューヨークの裁判所の陪審がワインスタイン被告に有罪評決を出した日に鑑賞した作品です。2016年にアメリカのテレビ局FOXニュースで行われたセクシュアルハラスメントの裏側を描いたドラマです。テレビ局で活躍する女性たちをシャーリーズ・セロン、ニコール・キッドマン、マーゴット・ロビー、数々のセクハラ疑惑で訴えられるCEOを「人生は小説よりも奇なり」などのジョン・リスゴーが演じました。わたしは、この映画を会社経営者のコンプライアンス研修のつもりで観たのですが、ハラスメントとは人間の尊厳を喪失する悲嘆を招く行為であり、グリーフケアにも通じているのだと悟りました。しかし、「スキャンダル」では生々しい性犯罪の場面が登場しますが、「SHE SAID /シー・セッド その名を暴け」にはそのような場面は一切登場しません。あくまでも、被害者の証言のみです。
「SHE SAID /シー・セッド その名を暴け」では、性犯罪そのものよりも、巨悪を暴く新聞社の記者たちの闘いがメインテーマのようでした。その意味で、一条真也の映画館「記者たち~衝撃と畏怖の真実~」で紹介した2019年公開の映画を連想しました。イラク戦争のさなかに真実を追い続けた実在のジャーナリストたちを描く実録ドラマです。2002年、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領は大量破壊兵器の保持を理由にイラク侵攻に踏み切ろうとしていました。アメリカ中のメディアが政府の情報を前提に報道する中、地方新聞社を傘下に持つナイト・リッダー社ワシントン支局の記者ジョナサン・ランデー(ウディ・ハレルソン)とウォーレン・ストロベル(ジェームズ・マースデン)は、その情報に疑念を抱き真実を報道するため取材を進めるのでした。
『礼を求めて』(三五館)
セクハラに話を戻しましょう。セクシャルハラスメントとパワーハラスメントの両方を合わせて「セ・パ両リーグ」などと呼ぶようですが、わたしは、ハラスメントの問題とは結局は「礼」の問題であると考えています。「礼」とは平たく言って「人間尊重」ということです。この精神さえあれば、ハラスメントなど起きようがありません。今から約2500年前、中国に「礼」を説く人類史上最大の人間通が生まれました。言わずと知れた孔子です。彼の言行録である『論語』は東洋における最大のロングセラーとして多くの人々に愛読されました。特に、西洋最大のロングセラー『聖書』を欧米のリーダーたちが心の支えとしたように、日本をはじめとする東アジア諸国の指導者たちは『論語』を座右の書として繰り返し読み、現実上のさまざまな問題に対処してきました。
ちなみに、「SHE SAID /シー・セッド その名を暴け」で最後に実名報道されることを許可した被害者たちは、「キリスト教徒として」という言葉を使っていました。ギリギリのところで、人間の尊厳の拠り所となるのは宗教であり、アメリカというキリスト教国に住む人々にとっては『聖書』だったのです。『論語』で孔子が「人の道」を説いたように、『新約聖書』にはイエス・キリストによる「人の道」の教えが解かれています。多くの人々が、それを「こころ」の支えとしてきました。『論語』にしろ『聖書』にしろ、人類が長く読み続けてきた書物は、「こころ」の支えという点では最強ですね!