No.665


 東京に来ています。1月17日の夜、ブログ「全互連新年行事」で紹介したイベントが終わった後、二次会は参加ませんでした。まだ感染が怖いからです。その代わり、亀戸から日比谷に移動し、TOHOシネマズシャンテでドキュメンタリー映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を観ました。ネットで非常に高評価のドキュメンタリー映画です。153分と非常に長くて疲れましたが、知らないことが多々あり、映画史の勉強になりました。
 
 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『荒野の用心棒』『アンタッチャブル』など多数の映画音楽を手掛けてきたエンニオ・モリコーネ氏が、自らの半生を回想するドキュメンタリー。かつては芸術的地位が低かった映画音楽に携わり、何度もやめようと思いながら続けてきた日々を振り返る。『ニュー・シネマ・パラダイス』などでモリコーネ氏と組んだ、ジュゼッペ・トルナトーレが監督を担当。クエンティン・タランティーノ、クリント・イーストウッド、ウォン・カーウァイ、オリヴァー・ストーンらがインタビューに応じている」
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「多くの映画やテレビ作品で音楽を手掛け、2020年に逝去したエンニオ・モリコーネ氏。クエンティン・タランティーノ監督やクリント・イーストウッドらが彼に賛辞を贈る一方、自身は映画音楽の芸術的価値が低かった当時の苦しい胸のうちを明かす。『荒野の用心棒』での成功、『アンタッチャブル』で3度目のアカデミー賞ノミネートとなるも受賞を逃し、落ち込む様子なども描かれる」
 
 イタリアの作曲家であるエンニオ・モリコーネは、1928年11月10日生まれ、2020年7月6日逝去。ローマで生まれ、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院でゴッフレド・ペトラッシに作曲技法を学んだ後、作曲家としてテレビ・ラジオ等の音楽を担当しました。1950年代末から映画音楽の作曲、編曲、楽曲指揮をしています。映画音楽家デビューは1960年の「歌え! 太陽」だと言われていましたが、オリジナルのスコアを使用した映画は1961年のルチアーノ・サルチェ監督の「ファシスト」であり、こちらがデビュー作だと言われるようになっています。同年、カトリーヌ・スパーク主演「太陽の下の18歳」の映画音楽を担当し、「サンライト・ツイスト(邦題)」(ゴーカート・ツイスト)で注目を浴びました。
 
 1960年代半ばから70年代前半にかけては、「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「続夕陽のガンマン」などの「マカロニ・ウェスタン」映画のテーマでモリコーネの名声は高まりました。他にもジャン・ギャバンとアラン・ドロンが共演した「シシリアン」、ジョーン・バエズが歌った「勝利への讃歌」(1972年)なども好評でした。マカロニ・ウエスタンでは、セルジオ・レオーネ監督との名コンビでも知られました。1986年、ローランド・ジョフィ監督の歴史映画「ミッション」で新境地を開拓、それ以後はイタリア国外でも評価が高まり、1987年には「アンタッチャブル」でグラミー賞を受賞しています。
 
 そして、1989年のイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」で、モリコーネは世界的な知名度を得ます。これまでに「天国の日々」(1987年)、「ミッション」(1986年)、「アンタッチャブル」(1987年)、「バグジー」(1991年)、「マレーナ」(2000年)と、合計6回アカデミー賞にノミネートされています。日本でも、2003年にNHKの大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」の音楽を担当。2007年、第79回アカデミー賞で名誉賞を受賞。2016年、「ヘイトフル・エイト」の音楽で第88回アカデミー賞の作曲賞を受賞。2017年、イタリア共和国功労勲章受章。2019年、旭日小綬章受章。2020年7月6日、ローマの病院で死去。91歳没。6月末に大腿骨骨折の為に入院中でした。
 
 映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」では、信じられないような有名監督が続々と登場して、モリコーネを絶賛します。ベルナルド・ベルトリッチ、ブライアン・デ・パルマ、ダリオ・アルジェンド、クリント・イーストウッド、ウォン・カーウァイ、オリヴァー・ストーン、ジュゼッペ・トルナトーレ、そしてクエンティン・タランティーノなどですが、特にタランティーノは「モリコーネは音楽の大天才だ。比べるなら、ベートーヴェン、モーツァルト、シューベルトといった音楽家かな」といった具合に最大級の賛辞を贈ります。彼は、「ヘイトフル・エイト」の音楽にモリコーネを起用し、初のアカデミー賞作曲賞をもたらしました。タランティーノのファインプレーです。
 
 わたしも映画史の本などを読むのは好きなので、わりとモリコーネの実績についても知っているつもりでしたが、「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を観て知らなかったことが次々に出てくるので驚きました。たとえば、フランス支配からのアルジェリアの独立戦争を描いた戦争映画の傑作である「アルジェの戦い」(1966年)の音楽をモリコーネが担当しているとは知りませんでした。1954年から1962年にかけてフランスの支配下にあるアルジェリアにおいて、フランス軍と抵抗組織の攻防を描いています。ジッロ・ポンテコルヴォ監督が、映画を作るにあたって記録映像を一切使わず、目撃者や当事者の証言、残された記録文書をもとにリアルな劇映画として戦争の実体をドキュメンタリー・タッチで詳細に再現した作品です。
 
 また、ギャング映画の名作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984年)の音楽もモリコーネが担当したことも忘れていました。同作は、マカロニウエスタンの巨匠セルジオ・レオーネの遺作となった作品です。ハリー・グレイの自伝的小説を原作に、ニューヨークのユダヤ系ギャングたちの栄光と破滅を、少年期、青年期、老年期の3つの時代を行き来しながら描いた傑作ドラマ。1920年代初頭のニューヨーク。ユダヤ系移民の少年ヌードルスは同年代のマックスと出会い、深い友情で結ばれていきます。彼らは仲間たちと共に禁酒法を利用して荒稼ぎするようになりますが、ヌードルスは殺人を犯し刑務所へ送られてしまいます。1931年、出所したヌードルスはマックスらと再会し、裏社会に舞い戻るのでした。ヌードルスをロバート・デ・ニーロ、マックスをジェームズ・ウッズが熱演しました。
 
 さらに、「モリコーネ 映画が恋した音楽家」では、アカデミー賞作曲賞候補になったブライアン・デ・パルマ監督の「アンタッチャブル」(1987年)の名シーンが流れますが、非常に懐かしかったです。1930年、禁酒法下のシカゴ。財務省から派遣された特別捜査官エリオット・ネスは街を牛耳るギャングのボス、アル・カポネに敢然と戦いを挑みます。ネスを演じたケビン・コスナーはこの作品で一躍トップスターになりました。「戦艦ポチョムキン」(1925年)のソ連映画の名シーンをモチーフにした乳母車が階段を転げ落ちるシーンは、結末を知っていてもハラハラします。この映画では、コスナーらが着ていたジョルジョ・アルマーニが世界的に注目されたことでも知られています。公開当時、大学生だったわたしは渋谷の西武百貨店でアルマーニのスーツを衝動買いしたことを記憶しています。あのスーツ、どこに行ったかな?
 
 そして、多くの日本人にとってモリコーネの音楽は「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989年)のテーマ曲ではないでしょうか? 一条真也の映画館「ニュー・シネマ・パラダイス」に書いたように、わたしはあの映画をまったく認めていません。主人公のサルヴァトーレが30年も故郷に帰らなかったこと、映写技師のアルフレードが自身の仕事に対して誇りを持っていないこと......すべて、わたしは認めることができません。だいたい、この映画のメガホンを取ったジュゼッペ・トルナトーレという監督は変態だと思います。一条真也の映画館「鑑定士と顔のない依頼人」および「ある天文学者の恋文」で紹介した作品などは完全にアブノーマルな変態映画です。モリコーネの生涯で残念なのは、彼の最後の作品が「ある天文学者の恋文」という駄作であることです。その1作前の「ヘイトフル・エイト」で引退してほしかったですね。
 
 モリコーネはマカロニ・ウェスタンやジャッロなど暴力や流血描写が多い映画への音楽提供で名高いですが、本人は過度な流血描写を嫌悪していたとか。セルジオ・レオーネ監督の「続・荒野の用心棒」に対しては公開当時から一貫して俗悪な映画であると考えており、モリコーネの音楽を使用したクェンティン・タランティーノの映画「ジャンゴ 繋がれざる者」(2012年)に対しても「正直言って好きな映画ではない。流血ばかりで」と語っています。ピエル・パオロ・パゾリーニ監督は、残酷描写の多い「ソドムの市」(1975年)の音楽をモリコーネに依頼した時、試写でショッキングな描写を一切モリコーネに見せませんでした。モリコーネはこの配慮に感銘を受け、終生パゾリーニに対して変わらぬ友情の念を抱いたといいます。
 
 モリコーネは献身的なカソリック教徒であり、キリスト教民主党を支持しました。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの惨劇には心を痛め、犠牲者を追悼する曲を作っています。また、愛妻家として知られ、2007年にアカデミー賞特別功労賞を受賞した際には、壇上で「このオスカーを、大いなる献身と愛情を持って、長年自分のそばに常にいてくれた妻のマリアに捧げたい。マリア、君への想いは変わらない」と、愛妻マリア夫人に感謝の言葉を捧げています。そのマリア夫人に対して、モリコーネは常に「映画音楽はもうすぐ止める」と言い続けていました。本格的なクラシック音楽を学んだモリコーネにとって映画音楽は「恥」であり「屈辱」だったようですが、ある時期から映画音楽家として人生を終える覚悟を決め、「止める」とは言わなくなりました。現在、クラシックの楽団やロックバンドなど、あらゆる音楽家たちがモリコーネの曲を演奏しています。本当に、素晴らしいことですね!
 
 153分という上映時間は正直言って長すぎましたが、「モリコーネ 映画が恋した音楽家」は映画好きにはたまらない音楽映画でした。ドキュメンタリーにしろ、ドラマにしろ、音楽映画はいいものです。この映画の上映前には、TOHOシネマズシャンテで映画「デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム」の予告編が流れました。現代において最も影響力のあるアーティストにして"伝説のロック・スター"デヴィッド・ボウイの人生と才能に焦点を当てた作品です。30年にわたり人知れずボウイが保管していたアーカイブから選りすぐった未公開映像と「スターマン」「チェンジズ」「スペイス・オディティ」「月世界の白昼夢」など40曲にわたるボウイの名曲で構成する珠玉のドキュメンタリー映画であり、デヴィッド・ボウイ財団唯一の公式認定ドキュメンタリー映画というから楽しみですね。3月24日公開。これは観なければ!