No.662


 クリスマス・イヴ・イヴとなる23日の北九州は雪が降って非常に寒かったです。その夜、わたしは映画「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」をシネプレックス小倉で観ました。とても感動的な音楽映画でした。同性愛や麻薬の描写もリアルに描かれていました。今年はこれで映画鑑賞を打ち止めとし、いよいよ一条賞(映画篇)の最終選考に入ります!

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「アメリカの歌手で女優のホイットニー・ヒューストンの半生を描いた伝記ドラマ。『I Will Always Love You』などの名曲の数々やスーパーボウルでの国歌斉唱シーンなどが登場し、母親のステージでスカウトされたホイットニーがスターダムを駆け上がる姿を映し出す。監督を『ハリエット』などのケイシー・レモンズ、脚本を『ボヘミアン・ラプソディ』などのアンソニー・マクカーテンが担当。『レディ・マクベス』などのナオミ・アッキーや『プラダを着た悪魔』などのスタンリー・トゥッチらが出演する」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。 「ホイットニー・エリザベス・ヒューストン(ナオミ・アッキー)は歌手になることを夢見て、シンガーの母シシー(タマラ・チュニー)の厳しい指導を受けていた。やがて母親のステージのオープニングアクトで歌声を披露したことをきっかけに、ホイットニーはスターへの道を歩み始め、歌いたい曲を自分らしく歌うことにこだわっていく」

 わたしは彼女と同年齢ということもあり、ホイットニーの音楽をリアルタイムで聴いてきました。最初に彼女の存在を知ったのは、1977年のモハメド・アリの伝記映画『アリ/ザ・グレーテスト』の主題歌でジョージ・ベンソンが歌った「グレーテスト・ラブ・オブ・オール」のカバー曲でした。もう、この世にこんな美しい歌声が存在するのかと思って陶然としました。この曲は、「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」の冒頭シーンにも登場します。83年、ホイットニーが母シシーのオープニングアウトでこの曲を歌っているところが敏腕プロデューサーのクライヴ・デイヴィスの目にとまり、アリスタ・レコードと契約するのです。翌84年にはテディ・ペンダーグラスとのデュエット曲がヒットしました。85年にリリースした「そよ風の贈りもの」で爆発的人気を獲得し、2作目のシングル「すべてをあなたに」から7曲連続で全米シングルチャート1位の記録を打ち立てました。この記録はビートルズの6曲連続を超える新記録であり、いまだに破られていません。

 1987年の2枚目のアルバム「ホイットニーII~すてきなSomebody」は、日本のオリコン洋楽アルバムチャートでも87年6月15日付から通算11週1位を獲得しました。その後も「ユー・ギヴ・グッド・ラヴ(そよ風の贈りもの)」、「セイヴィング・オール・マイ・ラヴ・フォー・ユー(すべてをあなたに)」、「ハウ・ウィル・アイ・ノウ(恋は手さぐり)、そして「オール・アット・ワンス」などを聴くたびに全身が雷で打たれたように感動してしまいます。ホイットニーは世界で最も売れている歌手の1人です。累計セールスはアルバムが1億4000万枚以上、シングルは5000万枚以上で、アメリカ合衆国のRIAAより「アメリカ合衆国で(女性アーティスト史上)4番目に売れている歌手」と評価されました。

 彼女は、1963年8月9日、ニュージャージー州ニューアークで、父ジョン・ヒューストンと歌手の母シシー・ヒューストンの3番目の子供として生まれました。母シシーは、60年代に活躍したスイート・インスピレーションズのリード・ボーカルで、後にはエルヴィス・プレスリーやアレサ・フランクリンのツアーにバック・コーラスとしても参加。シシーがツアーに出ている間、父親ジョン・ヒューストンが育児を担当しました。従姉には、ディオンヌ・ワーウィックやディー・ディー・ワーウィック、ジュディ・クレイなど、ゴスペルやR&B、ポップ、ソウルなど多くのジャンルでヒットを持つ歌手がいます。さらには、ダーレン・ラヴがホイットニーの名付け親であり代母であり、アレサ・フランクリンは名誉伯母といいます。このように、ホイットニー・ヒューストンは、音楽業界におけるサラブレッド中のサラブレッドでした。

 ホイットニー・ヒューストンの映画といえば、一条真也の映画館「ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~」で紹介した2019年1月に日本公開されたドキュメンタリー映画があります。48歳という若さで不慮の死を遂げた彼女の真の姿を、貴重な映像や音源、関係者の証言からひもといた内容です。監督は「ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実」で第72回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞したケヴィン・マクドナルド。家族、元夫のボビー・ブラウンや映画「ボディガード」(1992年)で彼女と共演したケヴィン・コスナーらが出演しています。ちなみに日本で異常なほど人気の高いケヴィン・コスナーですが、ホイットニーの起用は彼自身の希望だったそうです。ホイットニーもケヴィンのファンだったとか。

 ホイットニーの初出演映画となった「ボディガード」は、サスペンス・タッチのラブストーリーです。脅迫状が次々と送り付けられる傲慢な女性シンガーを、敏腕ボディガードが警護をすることになりますが、険悪な関係から次第に愛情が芽生え始めます。しかし魔の手は次第に過激さを増していきます。この映画、全世界で4億ドルを超えるヒットを記録しました。ホイットニー歌唱の主題歌「オールウェイズ・ラヴ・ユー」や挿入歌「アイ・ハヴ・ナッシング」「ラン・トゥ・ユー」は、いずれもグラミー賞やアカデミー歌曲賞にノミネートされ、主題歌に至ってはグラミー賞をはじめとしたその年のあらゆる音楽賞を総なめにしました。またこれらの楽曲が収録され、デイヴィッド・フォスターの編曲したサントラ盤は、全世界で4200万枚を売り上げる大ヒットを記録しました。

「ボディガード」公開前年の91年には、第25回スーパーボウルで試合前に米国国歌を斉唱しました。この斉唱は史上最高の国歌斉唱と絶賛され、後にシングルとしても発売されています。また、その10年後にアメリカ同時多発テロ事件のチャリティとして再リリースされ、ヒットしています。米国国歌に対して、多くの黒人は複雑な思いを抱いているといいます。米国国歌とは戦争の歌であり、米国民のマジョリティである白人の敵意はソ連やベトナムやイラクといった敵国だけでなく、マイノリティである黒人にも向けられているからです。その米国国歌を見事に歌い上げたホイットニーは、子どもの頃、色が薄い黒人として、色の濃い黒人たちから差別を受けていたといいます。

 1994年には、ネルソン・マンデラが晴れて自由の身になった記念コンサートが南アフリカで開催され、ホイットニーが出演しました。南アフリカでアパルトヘイトが廃止されて最初にコンサートを開いた歌手がホイットニーだったそうです。そのとき歌ったナンバーはどれも素晴らしいものであり、いま聴いても感動的で泣けてきます。彼女の圧倒的な存在感は、性別、国境、世代、そして人種までをも超えて、同時代を生きた人々に大きな活力を与えたのです。まさに彼女の歌は、人類にとっての「こころの世界遺産」であったと思います。そんな神から天使の歌声を与えられたホイットニーがなぜ、転落していったのか。なぜ、麻薬に溺れたのか?

 ホイットニー・ヒューストン転落の理由について、わたしは、ずっと、「それは、きっと、彼女があまりにも早く栄光をつかんでしまったからだ」と思っていました。わたしは人生には「慣性の法則」というものが働いており、高く上がったものはそれだけ低く沈むのではないかと考えています。ホイットニーの人生は、ちょうどその法則に当てはまるような気がしていました。しかし、この映画を観て、彼女は誰にも知らない心の闇を抱えていたことを知りました。幼少期に体験した不幸な出来事から生まれた心の闇は、彼女をドラッグへと走らせたように思えてなりません。ドラッグで身を滅ぼした女性歌手といえば、一条真也の映画館「ジュディ 虹の彼方へ」で紹介したジュディ・ガーランドがいます。ジュディも、ホイットニーも、アメリカ人の「こころ」に永遠に残る歌姫であり、その輝きは現在も変わりません。ホイットニーはタバコも吸っていたようですが、映画の中で、プロデューサーのクライヴ・デイヴィスが「君がタバコを吸うのは、ストラディバリウスを雨ざらしにするようなものだ」と語ったセリフが印象的でした。

 映画「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」の脚本家であるアンソニー・マクカーテンは、 一条真也の映画館「ボヘミアン・ラプソディ」で紹介した大ヒット作の脚本も担当しています。この映画は、「伝説のチャンピオン」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」といった数々の名曲で知られるロックバンド、クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの伝記ドラマです。1970年のロンドンで、ルックスや複雑な出自に劣等感を抱くフレディ・マーキュリー(ラミ・マレック)は、ボーカルが脱退したというブライアン・メイ(グウィリム・リー)とロジャー・テイラー(ベン・ハーディ)のバンドに自分を売り込みます。類いまれな歌声に心を奪われた2人は彼をバンドに迎え、さらにジョン・ディーコン(ジョー・マッゼロ)も加わってクイーンとして活動するのでした。この「ボヘミアン・ラプソディ」は、拙著『心ゆたかな映画』(現代書林)の第1章「ミュージック&ミュージカル」のトップバッターとして登場した1本です。同書には「ジュディ 虹の彼方に」も登場します。間に合えば、「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」も取り上げたかったです。
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心ゆたかな映画』(現代書林)