No.680

 
 東京に来ています。
 2月23日、一条真也の映画館「逆転のトライアングル」で紹介した映画を観た後、出版関係者と日比谷のカフェで次回作の打ち合わせ。その後、再びTOHOシネマズ日比谷に戻って映画「エンパイア・オブ・ライト」を観ました。イギリスの映画館を舞台にしたラブストーリーで、感動の名作でした。
 
 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『007 スペクター』『1917 命をかけた伝令』などのサム・メンデスが監督などを手掛けるラブストーリー。1980年のイギリスの映画館を舞台に、人々の絆や、そこで出会った男女の姿を映し出す。『女王陛下のお気に入り』などのオリヴィア・コールマンのほか、『ブルー・ストーリー』などのマイケル・ウォード、『シークレット・ガーデン』などのコリン・ファース、『クリスマスとよばれた男の子』などのトビー・ジョーンズらがキャストに名を連ねる」
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「1980年代初頭のイギリスの海辺の町マーゲイト。つらい過去を抱えて生きるヒラリー(オリヴィア・コールマン)は、地元にある映画館・エンパイア劇場で働いている。厳しい不況の中、ある日、夢をあきらめて映画館で働くことを決意した青年スティーヴン(マイケル・ウォード)が彼女の前に現れる。やがて彼らは心を通わせていくが、二人の前に思わぬ試練が立ちふさがる」
 
 エンパイア劇場で働いている主人公・ヒラリーは訳ありの白人女性です。彼女は劇場で新たに働くことになった黒人青年のスティーヴンと心を通わせていきますが、彼らが休みの日にバスでビーチに行くシーンには心温まるものがありました。しかし、砂浜で砂遊びをしているとき、ヒラリーは次第に狂気を帯びていきます。錯乱して砂の城を壊すヒラリーを呆然としながら眺めるスティーヴン。あまりにも切ないシーンでした。
 
 スティーヴンには夢がありました。建築士になるという夢です。いったんは夢を諦めた彼でしたが、「こんな所でくすぶっていてはダメよ!」と言うヒラリーに励まされ、「もう一度、挑戦しよう」という気になります。しかし、彼には日々激しくなる黒人差別の洗礼が待っていました。それにしても、1980年代のイギリスに映画で描かれたような露骨な差別感情があったとは驚きです。マーガレット・サッチャー政権時代とのことですが、わたしは信じられない思いでいっぱいでした。
 
 そんなヒラリーとスティーヴンはお互いにコンパッションな感情を抱き合い、2人だけの「悲しみの共同体」を作ります。エンパイア劇場で一世一代のプレミア上映会が開かれ、市長をはじめとする地元の名士たちが集まった夜、ドレスに身を包んだヒラリーは勝手に舞台上で挨拶し、支配人のセクハラ行為を夫人に暴露します。その後、精神病院への入院生活を経て、スティーヴンと再会した彼女は子どもの頃に父親と釣りに行った思い出話をした後、「恥って、心を蝕むのよ」と語るのでした。
 
「エンパイア・オブ・ライト」の舞台は映画館です。この映画は、映画館への愛に溢れています。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)にも書いたように、わたしは映画館とは人工洞窟であると考えています。古代の洞窟内でイニシエーションの儀式が行われたように、映画館において、わたしたちは臨死体験をするように思います。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為にほかならないのです。つまり、映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。わたし自身、映画館で映画を観るたびに、死ぬのが怖くなくなる感覚を得るのですが、それもそのはず。わたしは、映画館を訪れるたびに死者となっているのでした。
 
「エンパイア・オブ・ライト」にはノーマン(トビー・ジョーンズ)というベテランの映写技師が登場しますが、彼は光と闇をコントロールすることのできる人物として描かれていました。ノーマンは、スティーヴンに向かって「映画は静止画の連続だ。でも、1秒間に24ある静止画の間には闇がある。人間の視覚はその闇を知覚できないんだ」と語ります。わたしは現在、「ウェルビーイング」と「コンパッション」の本を2冊同時に書いていますが、ノーマンのセリフを聴いて、「ミュージカルがウェルビーイング的な芸術なら、映画はコンパッション的な芸術ではないか」と思いました。映画のフィルムに潜んでいる闇の存在がコンパッションに通じているからです。
 
 また、ノーマンの言葉に接して、わたしは一条真也の映画館「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」で紹介した中国映画に登場した映写技師を連想しました。彼は人々の崇拝と称賛を一身に集めています。この映画において映写技師は上映会で、照明から音響まですべてをコントロールする神のような存在として描かれています。1969年、文化大革命時代の中国。強制労働所送りになった男(チャン・イー)は、22号という映画本編前のニュースフィルムに娘が1秒だけ映っていることを知り、娘の姿を見たい一心で強制労働所から脱走します。映画館のある村を目指す道中、フィルム缶を盗む子供(リウ・ハオツン)を目撃した男は、娘が映っている22号のフィルムかと思いその子供を捕まえます。身寄りのない子供はリウという名前の少女で、やがて成り行きで小さな村にたどり着いた2人は、村で勃発した騒動を通じて奇妙な絆で結ばれていくのでした。
 
「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」の映写技師は映画の知識が豊富で、フィルムを自分の子供のように丁寧に扱い、映画への愛に溢れています。フィルムが傷んだ時は、心から悲しみます。同様に、「エンパイア・オブ・ライト」のノーマンも映画への愛に溢れています。そんな彼が傷ついたヒラリーのためだけに特別に上映した作品がありました。1979年にピーター・セラーズが主演した「チャンス」(原題「BEING THERE」)です。数十年屋敷から出たことのない庭師チャンスは、主人の死をきっかけに解雇、突然世間に放り込まれます。見るもの全てが珍しい彼は、そこで余命いくばくも無い財界大物を夫に持つ美しい貴婦人が乗る高級車に轢かれ、屋敷に招かれることになります。この「チャンス」という映画はヒラリーに感動の涙を流させ、彼女に生きる希望を抱かせるのでした。この映画が無性に観たくなりました。