No.689


 東京に来ています。3月14日、一条真也の映画館「オマージュ」で紹介した韓国映画を新宿武蔵野館で観ましたが、同館では、観たかった異色の宗教映画「ベネデッタ」も上映されていました。上映時間もうまく合ったので、そのまま連続鑑賞。想像の斜め上を行く宗教映画の大傑作でした。
 
 ヤフー映画の「解説」には、「『ルネサンス修道女物語 聖と性のミクロストリア』を原案に、17世紀に実在した修道女ベネデッタ・カルリーニを描くサスペンス。幼くしてカトリック教会の修道女となった女性が、聖痕や奇跡によって人々にあがめられる一方、同性愛の罪で裁判にかけられる。監督などを務めるのは『エル ELLE』などのポール・ヴァーホーべン。『ドン・ジュアン』などのヴィルジニー・エフィラ、『メルテム - 夏の嵐』などのダフネ・パタキアのほか、シャーロット・ランプリング、ランベール・ウィルソンらが出演する」と書かれています。
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「17世紀、現在のイタリア・トスカーナ地方にあたるペシアの町。幼いころから聖母マリアと対話し、奇跡を起こすとうわさされていたベネデッタは、6歳でテアティノ修道院に入る。ある日、彼女は修道院に逃げてきた若い女性バルトロメアを助け、やがて二人は秘密の関係を結ぶようになるが、ベネデッタが新しい修道院長に就任したことで波紋が広がっていく」
 
 この映画は、17世紀にレズビアン主義で告発された実在の修道女ベネデッタ・カルリーニの姿を描く伝記映画です。ベネデッタは幼い頃から聖母マリアやキリストのビジョンを見続け、聖痕が浮かび上がりイエスの花嫁になったと報告した女性とされています。民衆の支持を得て修道院長に就任しながら告発された女性の人生を、ヴァーホーヴェンはR18+指定の過激なサスペンスとして描きました。物語の舞台は、現在のイタリア・トスカーナ地方に位置するペシアです。6歳で修道院に入り純粋無垢なまま成人したベネデッタの数奇な人生が描かれます。
 
 わたしも、これまで多くの宗教映画を観てきましたが、「ベネデッタ」は正直言って大変な傑作でした。ここだけの話ですが、わたしはカトリックの修道女という存在が苦手です。あまりにもストイックな生活を送っているので、「普通の人間の心情がわからないのでは?」と思うこともしばしば。ましてや、中世ヨーロッパの修道院ならいざしらず、21世紀の日本でも修道院に入る際は多額の持参金が必要と聞いては気持ちが引いてしまいます。「ベネデッタ」では、聖女と崇められたベネデッタにキリストが憑依するシーンが迫力満点でした。まあ、本当の奇跡というよりはベネデッタの無意識の発露であるとは思いますが。
 
「ベネデッタ」における非常に重要な登場人物に、ベネデッタの前の修道院長がいます。なんと、伝説の大女優・シャーロット・ランプリングが演じていています。一条真也の映画館「すべてうまくいきますように」で紹介したフランス映画でも、彼女はソフィー・マルソー演じるエマニュエルの母親役を演じていました。彼女は、ルキノ・ビスコンティ監督の「地獄に堕ちた勇者ども」(1969年)を経て、リリアーナ・カヴァーニ監督の「愛の嵐(The Night Porter)」(1974年)で世界中の映画ファンにその存在を広く知られました。「愛の嵐」は元ナチス親衛隊員とゲットーに収容された美少女の愛欲を見事に表現しました。全裸同然のエロティックなコスチュームも大きな話題になりましたが、「ベネデッタ」も「愛の嵐」に負けずに官能的な作品となっています。ちなみに、新宿武蔵野館では「すべてうまくいきますように」も上映されていましたので、シャーロット・ランプリング作品の2本が同時上映されていたことになります。
 
 それにしても、ポール・ヴァーホーヴェン監督は、非常に冴えていました。彼はオランダ・アムステルダム出身。ライデン大学で数学と物理を学び、1971年に長編映画監督デビュー。第2作「ルトガー・ハウアー 危険な愛」(1973年)でオランダ国内の話題を集め、「4番目の男」(1983年)などで国際的にも知られるようになりました。「グレート・ウォリアーズ 欲望の剣」(1985年)でハリウッドデビューを果たし、続くSFアクション大作「ロボコップ」(1987年)で一躍、知名度を高めました。アーノルド・シュワルツェネッガー主演のSFアクション「トータル・リコール」(1990年)は大ヒットを収めるとともに、アカデミー視覚効果賞を受賞。
 
 ヴァーホーべンは、シャロン・ストーン主演のエロティック・サスペンス「氷の微笑」(1992)でも反響を呼びました。以降の監督作に「スターシップ・トゥルーパーズ」(1997年)、「インビジブル」(2000年)、「エル ELLE」(2016年)などがあります。「エル ELLE」は、ゲーム会社の社長を務めるミシェル(イザベル・ユペール)がある日、自宅で覆面の男性に暴行されてしまう物語です。ところがミシェルは警察に通報もせず、訪ねてきた息子ヴァンサン(ジョナ・ブロケ)に平然と応対します。翌日、いつも通りに出社したミシェルは、共同経営者で親友のアンナ(アンヌ・コンシニ)と新しいゲームのプレビューに出席するのでした。ヴァーホーべンの一連の作品は、過剰な暴力描写などでたびたび物議を醸しながらも、鬼才として作品を世に問い続けています。
 
 わたしは修道女は苦手ですが、修道女が登場する映画は好きです。一番好きなのは、イエジー・カヴァレロヴィッチ監督のポーランド映画「尼僧ヨアンナ」(1961年)です。辺境の地。スーリン神父(ミェチスワフ・ヴォイト)が到着したばかりの宿屋で、馬丁や女将、中年男たちが悪魔憑きの噂をしています。修道院の中では、悪魔に憑かれた尼僧たちが大声でわめき、みだらなことをしているといいます。悪魔祓い師としてやってきたスーリンは早速修道院へと向かいます。尼僧マウゴジャータ(アンナ・チェピェレフスカ)に出迎えられ、修道院の中へ招じ入れられた彼の前に、尼僧ヨアンナ(ルツィーナ・ヴィンニツカ)が姿を現わします。ヨアンナは、自分には8つの悪魔が取り憑いていると告げるのでした。宿屋・原野・教会という密閉された小宇宙を舞台に、押し付けられた教義に反抗する人間の本性を描いた神秘的傑作でした。
 
 映画「ベンデッタ」を鑑賞した前日、日本では新型コロナウイルス対策のマスク着用ルールが緩和され、脱マスクの日常が始まりました。いよいよコロナ禍も終息に向かう気配です。「ベンデッタ」では、コロナではなくて、ペストがまん蔓延する社会が描かれています。ペストは多くの死者を出し、遺体は大きな穴に投げ込まれていました。これまでに世界史を変えたパンデミックでは、遺体の扱われ方も悲惨でした。14世紀のペストでは、死体に近寄れず、穴を掘って遺体を埋めて燃やしていたのです。
 
 15世紀にコロンブスが新大陸を発見した後、インカ文明やアステカ文明が滅びたのは天然痘の爆発的な広がりで、遺体は放置されたままでした。20世紀のスペイン風邪でも、大戦が同時進行中だったこともあり、遺体がぞんざいな扱いを受ける光景が、欧州の各地で見られました。もう人間尊重からかけ離れた行いです。その反動で、感染が収まると葬儀というものが重要視されていきます。人々の後悔や悲しみ、罪悪感が高まっていったのだと推測されます。コロナ禍が収まれば、もう一度心ゆたかに儀式を行う時代が必ず来ると思います。