No.692


 ネットフリックス世界1位を記録し、第95回アカデミー賞で4部門獲得のドイツ映画「西部戦線異状なし」を観ました。1930年のルイス・マイルストン監督による映画版で広く知られる、ドイツの作家エリッヒ・マリア・レマルクの長編小説『西部戦線異状なし』を、原作の母国ドイツで改めて映画化した戦争ドラマです。リアルな戦場シーンと、あまりにも切ないラストシーンに胸が痛みました。
 
 ヤフー映画の「解説」には、「[Netflix作品]第1次世界大戦のドイツ軍兵士の姿を描き、映像化もされてきたエリッヒ・マリア・レマルクによる小説を原作とする戦争ドラマ。意気揚々と出兵した17歳の若者が、戦場の現実を目の当たりにする。出演はフェリックス・カマラーや『さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について』などのアルブレヒト・シュッフ、『ラッシュ/プライドと友情』などのダニエル・ブリュールなど。監督を『ぼくらの家路』などのエドワード・ベルガーが務める」とあります。
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、「第1次世界大戦下のヨーロッパ。ドイツ軍に志願した17歳のパウルや仲間たちは、西部戦線で戦う部隊に配属される。最初は祖国のために戦おうと強い志を抱いていたパウルたちだったが、凄惨な戦場を目の当たりにし、戦意を失っていく」です。
 
 わたしは高校時代に原作小説を読みました。小倉高校の世界史の教師だった大塚先生という方が、授業中にレマルクの『西部戦線異状なし』を紹介されたのですが、当時貪るようにあらゆる本を読みまくっていたわたしは、その日の帰りに小倉の金榮堂という書店に寄って文庫本を求めました。リアルな戦場の描写に圧倒されて、その日のうちに読了しました。作者のレマルクはドイツ生まれ。1916年、第一次世界大戦に出征し、戦後は小学校教員やジャーナリストなどの職に就きながら、小説を執筆。1929年、『西部戦線異状なし』を発表し、一躍世界的な人気作家となりました。1932年、反戦作家としてナチスの迫害を受け、スイスに移住。翌年国籍を剥奪され、著書は焚書の処分を受けました。1939年、アメリカに移住。主な著書に『凱旋門』『愛する時と死する時』など。
 

 この映画、今年のアカデミー賞で作品賞や国際長編映画賞ほか9部門でノミネートされましたが、結果は国際長編映画賞・撮影賞・美術賞・作曲賞の4部門で受賞を果たしました。イギリスのアカデミー賞では作品賞を受賞しています。レマルクのあまりにも有名な小説の3度目の映像化です。この小説が世界中で大ベストセラーとなったのは、ドイツで出版された翌年の1930年にハリウッドがすぐに映画化されたからです。ルイス・マイルストン監督がメガホンを取り、アカデミー賞の作品賞と監督賞に輝きました。その後も戦争映画あるいは反戦映画の最高傑作として映画史に名前を刻んでいます。1979年には2度目の映像化が実現しましたが、これはCBSによるTVドラマでした。本国ドイツで作られるのは本作が初めてになります。そう、この映画はドイツ人監督、ドイツ人役者、そしてドイツ語による初めての映画化なのです。
 
 舞台となるのは1917年、第1次世界大戦の西部戦線です。そこに送り込まれた兵士のほとんどは高校を卒業したばかりの初々しい青年たちでした。17歳の主人公パウルもその1人です。彼らは、母国のために戦うことがドイツ帝国の男子のあるべき姿と謳う政府と軍のプロパガンダに踊らされ、意気揚々と戦場に向ったわけですが、輝いていた瞳もあっという間、本当にあっという間に恐怖と悲しみで曇ってしまいます。彼らが連れて行かれた西部戦線の塹壕は、まさに地獄そのものだったからです。映画の冒頭から、目を覆いたくなるような地獄絵が展開します。降りしきる冷たい雨、泥にまみれた死体、吹っ飛ばされる人体、飛び散る肉片。木の枝には死体がひっかかり、目の前で戦友たちが次々と倒れて行くのでした。

サン・シャモン突撃戦車登場!!(Netflix)
 
 
 
 西部戦線の地獄絵にひと役買うのが第一次大戦中に活躍したフランス軍の戦車でした。サン・シャモン突撃戦車です。映画ではおそらく初登場と思われる戦車で、強烈なインパクトでした。3両のサン・シャモン戦車が地響きをあげて靄の向こうから現れるシーンは、まるで怪獣映画のようでした。生まれて初めて戦車を見る若きドイツ兵たちは、75ミリ銃砲を備え、大きな鉄の塊にキャタピラを付けた戦車に恐怖心を抱きます。しかし、この戦車、塹壕戦用に開発されたにもかかわらず越壕能力が低かったことでも知られています。この映画でも、塹壕を越えることが出来ずにそのまま突っ込み、逃げそこなったドイツ兵を無残にも敷き殺してしまうのでした。
 
『西部戦線異状なし』の3度目の映像化となる本作は、じつに2時間28分に及びます。その半分以上が塹壕戦です。レマルクは第1次世界大戦に出兵した自身の経験をもとに原作を書いたので、武器の扱いや塹壕等の描写は極めてリアルです。もちろん塹壕の外もリアルですし、兵士の屍もリアルです。主人公パウルの目に焼き付ける地獄を、観客が一緒に目撃する構成になっていて、まさに一瞬も気を抜けない息詰まるシーンの連続です。マイルストンが監督した1930年版が有名になったのは強烈な印象を残すラストのせいですが、2度目の映像化となったTVドラマ版もそれをほぼ踏襲しました。しかし、本作はそれとは違う表現を用いており、タイトルの『西部戦線異状なし』にさらに近い演出になっています。
 
 わたしは、昔から第1次世界大戦に強い関心を抱いてきました。この戦争には、人間の「こころ」の謎を解く秘密が多く隠されていると思います。毒ガスはもちろんですが、それ以外にも、戦車・飛行機・機関銃・化学兵器・潜水艦といったあらゆる新兵器が駆使されて壮絶な戦争が行われました。「PTSD」という言葉この時に生まれたそうですが、わたしは「グリーフケア」という考え方もこの時期に生まれたように思えてなりません。それは人類の精神に最大級の負のインパクトをもたらす大惨事だったのです。21世紀を生きるわたしたちが戦争の根絶を本気で考えるなら、まずは、戦争というものが最初に異常になった第1次世界大戦に立ち返ってみる必要があるでしょう。
 
 第1次世界大戦を舞台にした戦争ドラマといえば、一条真也の映画館「1917 命をかけた伝令」で紹介した2019年のイギリス・アメリカ合作映画を思い出します。非常に迫力のある戦争映画で、わたし自身が戦場にいるかのような臨場感を味わいました。無数の死体が地面に転がっていたり、川に浮かんだりしている様子もドキュメンタリーのようにリアルでしたね。戦地に赴いたイギリス兵士2人が重要な任務を命じられ、たった2人で最前線に赴く物語を全編を通してワンカットに見える映像で映し出します。メガホンを取るのは「アメリカン・ビューティー」などのサム・メンデス。「マローボーン家の掟」などのジョージ・マッケイ、「リピーテッド」などのディーン=チャールズ・チャップマン、「ドクター・ストレンジ」などのベネディクト・カンバーバッチらが出演しています。
 
「1917 命をかけた伝令」では、全編が1人の兵士の1日としてつながって見えることで、臨場感と緊張感が最後まで途切れません。わたしも、戦争を疑似体験しました。第1次世界大戦が始まってから、およそ3年が経過した1917年4月のフランス。ドイツ軍と連合国軍が西部戦線で対峙する中、イギリス軍兵士のスコフィールド(ジョージ・マッケイ)とブレイク(ディーン=チャールズ・チャップマン)に、ドイツ軍を追撃しているマッケンジー大佐(ベネディクト・カンバーバッチ)の部隊に作戦の中止を知らせる命令が下されます。部隊の行く先には要塞化されたドイツ軍の陣地と大規模な砲兵隊が待ち構えていました。撮影は、「007 スペクター」でもメンデス監督とタッグを組んだ名手ロジャー・ディーキンス。第92回アカデミー賞では作品賞、監督賞を含む10部門でノミネートされ撮影賞、録音賞、視覚効果賞を受賞しました。
 
 また、「西部戦線異状なし」を観て、一条真也の映画館「彼らは生きていた」で紹介した第1次世界大戦で撮影された映像をカラー化した2020年のイギリス映画も思い出しました。終結後、約100年たった第1次世界大戦の記録映像を、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズなどのピーター・ジャクソン監督が再構築したドキュメンタリーです。イギリスの帝国戦争博物館が所蔵する2200時間を超える映像を、最新のデジタル技術で修復・着色・3D化して、BBCが所有する退役軍人のインタビュー音声などを交えながら、戦場の生々しさと同時に兵士たちの人間性を映し出しています。第1次世界大戦中、戦車の突撃や激しい爆撃、塹ごうから飛び出す歩兵など、厳しい戦闘が続いていた。だが、死と隣り合わせの兵士たちも、時にはおだやかな様子で休息や食事を取り、笑顔を見せます。
 
 わたしは「1917 命をかけた伝令」を非常にリアルな戦争映画であると思ったのですが、本物の戦争ドキュメンタリーである「彼らは生きていた」には到底かないませんでした。「1917 命をかけた伝令」でリアルに感じた死体の描写も、「彼らは生きていた」はさらにリアルで、人間や馬の死体にたかるハエやウジまで写り込んでいます。ただでさえ悲惨な映像に色が着くと、スクリーンの向こうから死臭が匂ってくるようでした。過酷な戦場風景のほか、食事や休息などを取る日常の兵士たちの姿も写し出しており、死と隣り合わせの戦場の中で生きた人々の人間性を見事に描いています。いくら「戦争は悪である」と頭で考え、「戦争反対!」と口で叫んでも、この映画の圧倒的な迫力の前には無力です。
 
 もしも、「彼らは生きていた」が第1次世界大戦の終了直後に作られ、世界中で上映されたとしたら、第2次世界大戦は起こらなかったのではないかとさえ思いました。それぐらいの説得力があったのです。ベッドのない塹壕で寝ること、トイレのない場所で排泄すること、肥溜めに落ちても何週間も身体を洗えないこと、足が腐って壊疽となって切断すること、毒ガスで目をやられて見えなくなること、被弾して胸に穴が開いて呼吸できなくなること、前を歩いていた仲間の頭が吹っ飛ぶということ、まだ少年の敵兵を殺すということ......わたしたちには想像もできない極限の状況が延々と続き、観客も次第に気が滅入ってきます。まさに究極の「リアル」がここにはあります。そして、ドキュメンタリーではないにしろ、「西部戦線異状なし」の超リアリズムにもそれを感じました。
 
 それにしても、第1次世界大戦を描いた一連の映画を観ると、戦争の悲惨さを思わずにはいられません。拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)で、わたしは、「20世紀は、とにかく人間がたくさん殺された時代だった」と述べました。何よりも戦争によって形づくられたのが20世紀だと言えるでしょう。もちろん、人類の歴史のどの時代もどの世紀も、戦争などの暴力行為の影響を強く受けてきました。20世紀も過去の世紀と本質的には変わりませんが、その程度には明らかな違いがあります。本当の意味で世界的規模の紛争が起こり、地球の裏側の国々まで巻きこむようになったのは、この世紀が初めてなのです。なにしろ、世界大戦が一度ならず二度も起こったのですから。

ハートフル・ソサエティ』(三五館)
 
 
 
 20世紀に殺された人間の数は、およそ1億7000万人以上。アメリカの政治学者R・J・ルメルは、戦争および戦争の直接的な影響、または政府によって殺された人の数を推定した。戦争に関連した死者のカテゴリーは、単に戦死者のみならず、ドイツのナチスなど自国の政府や、戦時中またはその前後の占領軍の政府によって殺害された民間人も含まれます。また、1930年代の中国など国際紛争によって激化した内戦で死亡したり、戦争によって引き起こされた飢饉のために死んだりした民間人を含みます。その合計が1億7180万人であるとルメルは述べます。

心ゆたかな社会』(現代書林)
 
 
 
 では、21世紀になると、人間は戦争で死ななくなったかというと、そんなことはありません。未だに世界の各地では紛争や戦争で多くの人々が死んでいます。『ハートフル・ソサエティ』のアップデート版が100冊目の 一条本となる『心ゆたかな社会』(現代書林)です。同書の刊行後にロシア・ウクライナ戦争が勃発しました。コロナ終息が見えてきた今、一刻も早く戦争も終結させなければなりません。折しも17日、国連安保理事会は、ウクライナに関する公開会合を開きました。同日に国際刑事裁判所(ICC)が戦争犯罪の容疑でロシアのプーチン大統領に逮捕状を出したことをめぐり、複数の理事国が応酬しました。まさか第3次世界大戦にまで発展しないことを信じたいですが、こんな時代に作られた「西部戦線異状なし」をぜひ多くの人に観ていただきたいです。