No.691

 
 3月18日から公開の日本映画「シン・仮面ライダー」を公開前日の3月17日の夜にシネプレックス小倉で観ました。全国最速公開記念舞台挨拶のLIVE映像付きでした。ずいぶん前から、わたしはこの映画をとても楽しみにしていたのです。でも、正直、ビミョーな内容でしたね。
 
 この映画、監督の想いがスベっているというか、やたらとお金をかけた自主映画といった印象でしたね。主演女優の浜辺美波は良かったです。彼女は橋本環奈や川口春奈とともに、かのガーシー参議院議員から「パパ活」疑惑を暴露されたことがあります。わたしは浜辺美波ファンなので、「美波ちゃん、君に嫌な思いをさせたガーシーが早く逮捕されるといいね...」と思いながら観ていました。
 
 ヤフー映画の「解説」には、「1971年から1973年にかけて放送された石ノ森章太郎原作の『仮面ライダー』50周年プロジェクトとして、『シン・ゴジラ』などの庵野秀明が監督を務めた特撮アクション。仮面ライダーこと本郷猛を池松壮亮、ヒロインの緑川ルリ子を浜辺美波、仮面ライダー第2号こと一文字隼人を柄本佑が演じ、西野七瀬や塚本晋也、森山未來などが共演する」とあります。
 
 この映画、わたしは地元のシネコンで全国最速公開記念舞台挨拶を観賞したわけですが、これは初体験でした。池松壮亮、浜辺美波、柄本佑、西野七瀬、塚本晋也、手塚とおるが登壇しましたが、臨場感があって、実際に役者が集結した劇場での舞台挨拶を後方席からモニターで観ている感じでした。なかなか新鮮でした。でも、舞台挨拶なら、 一条真也の映画館「シン・ゴジラ」「シン・エヴァンゲリオン劇場版」「シン・ウルトラマン」で紹介した映画に続いてメガホンを取った庵野秀明監督が登壇しなかったのは違和感がありましたし、残念でしたね。
 
「シン・仮面ライダー」で仮面ライダー1号の本郷猛を池松壮亮、2号の一文字隼人を柄本佑が演じたところは良かったと思います。平成・令和の「仮面ライダー」といえば、若手男優の登竜門として、佐藤健、吉沢亮、瀬戸康史、菅田将暉、福士蒼汰、竹内涼真......綺羅星のごとくイケメン俳優を輩出してきました。仮面ライダーファンの少年たちよりもその母親たちに人気を得ていたことは有名です。こういうチャラチャラした空気を一掃して、20代前半のイケメンではなく、32歳の池松、36歳の柄本といった30代の渋めの役者を起用したところはまさに原点回帰であり、好感が持てました。「シン・仮面ライダー」は大人の男のための映画だという感じがしました。
 
 この映画には、グリーフケア映画の要素もありましたね。主人公である本郷猛は警察官だった父を担当事件の犯人から殺害され、緑川ルリ子は母親を暴漢から殺されています。2人は、ともに愛する肉親を不条理に奪われた悲嘆を抱えている者同士なのでした。また、この映画、とにかく公開前の情報統制が徹底していました。クモオーグやコウモリオーグが登場することは予告編で告知されていましたし、西野七瀬がハチオーグ(旧ドラマ版の「蜂女」)を演じることもわかっていましたが、サソリオーグが女性であり、日本を代表する某女優が演じていたことには驚きました。適役とは思いませんでしたが......。
 
 あと、「シン・ゴジラ」で内閣総理大臣補佐官(国家安全保障担当)の赤坂秀樹を演じた竹野内豊、「シン・ウルトラマン」で主人公・神永新二を演じた斎藤巧が脇役で出演していたのも贅沢なキャスティングでしたね。まあ、あまり意味があるとは思いませんでしたが......。ショッカーの野望が会話だけで描かれていたのもイマイチでした。やはり、世界最悪の秘密結社の悪だくみは見える化してほしかったです。ショッカーの目的にやたらと「幸福」という言葉が登場するのは、教祖が最近亡くなった某宗教団体を連想してしまいました。
 
 冒頭に、この映画を「お金をかけた自主映画の印象」と書きました。じつは、わたしは少年時代、「仮面ライダー」が大好きで大好きで、ドラマの放送も全話を観ていましたし、ライダーカードも全部集めていました。だから、ラストでドラマ版の主題歌が流れたときは感激しました。それぐらい思い入れのある作品が、庵野監督によってアップデートされたのは嬉しい反面、複雑な感情もありました。庵野監督も、ゴジラやウルトラマンほどには仮面ライダーに思い入れがなかったのではないでしょうか。あまり仮面ライダーに対しての愛を感じなかったのです。庵野監督自身は、「シン・仮面ライダー」について「撮りたいものを撮るというより恩返しのつもりで撮った」と発言したようですが、けっして恩返しにはなっていないと思いました。
 
 それと、「シン・ウルトラマン」ではゼットンのシーンで睡魔に襲われました。「ウルトラマン」のオリジナル・ドラマ版では最終回となる最重要の場面にもかかわらず、です。「シン・仮面ライダー」でも、蝶オーグと本郷猛&一文字隼人のWライダーと決戦シーンで、またもや睡魔に襲われました。蝶とバッタの会話は、わたしにとって強力な睡眠薬となったのです。両作とも、映画の冒頭ならまだしも、最も盛り上がるクライマックスシーンですので、結局シナリオが悪いということなのでしょう。まあ、単にわたしが寝不足だったからかもしれませんけどね。
 
 蝶オーグというのは、石ノ森章太郎の原作やオリジナルのドラマ版にも登場しなかったショッカー怪人でした。蝶の他にも、この映画には、クモ、コウモリ、サソリ、ハチ、カマキリ、カメレオンの怪人が登場します。オリジナル版では、「蜘蛛男」とか「蜂女」などと呼ばれていましたが、「シン・仮面ライダー」では「男」や「女」ではなく、「オーグ」で統一されていましたね。オーグというのは「オーグメント」の略で「増強」という意味ですね。ちなみに仮面ライダーは、もともと人間とバッタの合成オーグメントとしての「バッタオーグ」でした。ハートフル・ソサエティ』(三五館)
 
 
 
「シン・仮面ライダー」は、ショッカーによって肉体を改造された超人の物語です。超人というと、拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)にも書きましたが、石ノ森章太郎が生み出した数多くのキャラクターたち、サイボーグ009、仮面ライダー、キカイダー、イナズマン、ロボット刑事Kなどはすべて人間を超えた存在でした。それらはサイボーグ、アンドロイド、ミュータントなど厳密には異なる存在であるけれども、人間を超えた存在としてのパワーと悲しみが十分に表現されていました。
 
 そういえば、「シン・仮面ライダー」には、ロボット刑事Kの主人公である「K」がショッカーの使徒として登場していました。Kを演じたのは、なんと松坂桃李! それならば、わたしの好きなキカイダーも出してほしかったです。浜辺美波演じる緑川ルリ子の兄の「イチロー」は森山未來が演じましたが、彼は「蝶オーグ」に変身しました。イチローという名前ならば、本当は「キカイダー01」に変身してほしかったと思いました。そのように思った昭和特撮ヒーロー大好きおじさんは、わたしだけではありますまい。
 
 仮面ライダーは、自らの肉体に機械を埋め込まれ、怪物のような改造人間となったことに苦悩します。今後、人間と機械の関係はさらに複雑で広範囲なものになっていくでしょう。すでに20世紀の半ばに、人間と機械を徹底的に比較しようとした研究がありました。クロード・シャノンとノーバート・ウィーナーという二人のユダヤ系研究者による「サイバネティックス(人間機械論)」です。
 
 シャノンとウィーナーは、「情報」という概念を歴史上初めて唱え、生物固有の仕組みを「情報」によって説明しようとしました。そして、シャノンの「情報理論」は、今日のコンピュータと通信技術の基礎をつくったのです。一方、ウィーナーは「人間とは何か」と問いかける学際的な「人間観」を構築していったのでした。その意味で、改造人間である仮面ライダーとは「人間とは何か?」を問う、きわめて哲学的な存在であると言えるでしょう。