No.452


 イギリス・アメリカ合作映画「1917 命をかけた伝令」を観ました。前評判は聞いていましたが、非常に迫力のある戦争映画で、わたし自身が戦場にいるかのような臨場感を味わいました。無数の死体が地面に転がっていたり、川に浮かんだりしている様子もドキュメンタリーのようにリアルでしたね。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「第1次世界大戦を舞台にした戦争ドラマ。戦地に赴いたイギリス兵士二人が重要な任務を命じられ、たった二人で最前線に赴く物語を全編を通してワンカットに見える映像で映し出す。メガホンを取るのは『アメリカン・ビューティー』などのサム・メンデス。『マローボーン家の掟』などのジョージ・マッケイ、『リピーテッド』などのディーン=チャールズ・チャップマン、『ドクター・ストレンジ』などのベネディクト・カンバーバッチらが出演する。全編が一人の兵士の1日としてつながって見えることで、臨場感と緊張感が最後まで途切れない」

 ヤフー映画の「あらすじ」は以下の通りです。
「第1次世界大戦が始まってから、およそ3年が経過した1917年4月のフランス。ドイツ軍と連合国軍が西部戦線で対峙する中、イギリス軍兵士のスコフィールド(ジョージ・マッケイ)とブレイク(ディーン=チャールズ・チャップマン)に、ドイツ軍を追撃しているマッケンジー大佐(ベネディクト・カンバーバッチ)の部隊に作戦の中止を知らせる命令が下される。部隊の行く先には要塞化されたドイツ軍の陣地と大規模な砲兵隊が待ち構えていた」

 ネタバレにならないように注意深く書くと、最前線にいる仲間1600人の命を救うべく、重要な命令を一刻も早く伝達するという重大なミッションを与えられたスコフィールドとブレイクの友情に胸を打たれます。彼ら2人以外にも、兵士たちがお互いに仲間の命を助け合うシーンは、やはり、いつの時代のどんな戦争でも感動します。「きずな」という字には「きず」が入っています。「傷」を共有した者同士が真の「絆」を持てるのでしょうが、その意味で生死の境を彷徨った戦友たちには最強の「絆」があるのだと思います。

「1917 命をかけた伝令」という映画はワンカット映像が話題になっています。たしかに冒頭シーンからノンストップで延々と続く映像には圧倒されます。しかしながら、ネットでは「ワンカットじゃないじゃないか」とか「カメラの切れ目が8カ所ある」などの指摘も見られます。わたしは「当たり前じゃないの!」と言いたいです。この映画の上映時間は119分ですが、2時間ずっとワンカットであるわけがないではないですか!

 途中、登場人物の1人が敵軍の狙撃手と相撃ちになって階段から転落、気絶するのですが、そのとき画面は暗転します。また、カメラが固定状態で登場人物がフレームアウトするとか、川に流されるCG合成の場面とか、ガチのワンカットを期待していた人からすれば文句をつけたくなるのはわかりますが、基本的にはワンカット映画と言ってもいいと思います。正確には「ワンカットに見える映画」ですが......。

 ワンカット映画のアイデアは昔からありました。有名なのは、アルフレッド・ヒッチコック監督の「ロープ」(1948年)です。この映画で、ヒッチコックは作品全編を1つのカットで撮影するという究極の長回し撮影を敢行しました。ただし、当時使用されていた35ミリのフィルムのワン・リールは10分しかなかったため、繋ぎ目でそれとわからないような巧妙な編集を行ったそうです。大のヒッチコック好きであるわたしは何度も「ロープ」を観ましたが、どうしても繋ぎ目を発見することができませんでした。さすがはヒッチコック、映像の魔術師ですね!

 デジタルシネマでは、フィルムの長さの制限がありません。ゆえに約10分という制約もなくなりました。その流れで誕生したワンカット映画がアレクサンドル・ソクーロフ監督のロシア映画「エルミタージュ幻想」(2002年)です。この映画では約90分間の全編がワンカットで撮影されました。300万点以上という世界最大級の所蔵品が陳列されたままのエルミタージュ美術館の内部を使い、ロシア近・現代の300年間の歴史がワンカットで描かれました。当時は「世界映画史上最も贅沢な作品」と呼ばれましたが、わたしも映画館で鑑賞して呆然としたものです。

「エルミタージュ幻想」以降は、全編がワンカットで撮影された作品が続出しましたが、長回しの映画も多く生まれました。「黒い罠」(1958年)や「ザ・プレイヤー」(1992年)の長回しに作品中で言及したロバート・アルトマン監督の「ザ・プレイヤー」(1992年)では8分6秒間の長回しが行われ、柳町光男監督の「カミュなんて知らない」(2006年)のトップシーンでは6分40秒の長回しが行われました。この映画でも、「黒い罠」や「ザ・プレイヤー」の長回しについて言及しています。

 他に長回しが話題となった映画として、「スネーク・アイズ」(1998年)、「トゥモロー・ワールド」(2006年)、「ヴィクトリア」(2015年)、そして一条真也の映画館「カメラを止めるな!」で紹介した2018年公開の日本映画などがあります。「1917 命をかけた伝令」のように撮影・編集技術を駆使し長時間の長回しに見せている作品としては、一条真也の映画館「バードマン」で紹介した2014年のアメリカ映画があります。「バベル」などのアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥが監督を務め、落ち目の俳優が現実と幻想のはざまで追い込まれるさまを描いたブラックコメディーで、第87回アカデミー賞作品賞をはじめとする数々の映画賞を受賞しました。

 長回しというより「一体どうやって撮影したの?」と思わざるをえなかった作品に、昨年観た一条真也の映画館「天国でまた会おう」で紹介したフランス映画があります。第一次大戦で死にかけて友情を育んだ、歳の離れた二人が帰還後のパリで、国を相手に一儲けしようと大胆な詐欺を企てる物語です。冒頭、フランス軍の塹壕へと荒野を走る伝書犬を空中から俯瞰撮影するシーンから始まるのですが、そのカメラがそのまま狭い塹壕の中に入って兵士の間を駈け抜ける犬をずっとワンカメラで追いかけるのです。これには仰天しました。おそらくは犬の頭部にカメラを付けたのではないかと想像しますが、めくるめく魔術のような映像でした。

 この「天国でまた会おう」の冒頭にも第一次世界大戦の場面が登場しますが、「1917 命をかけた伝令」はまさに第一次世界大戦の物語です。わたしが戦争について考えるとき、なぜかいつも第一次世界大戦のことが頭の中に浮かんできます。人類の歴史上、戦争は無数に起こっていますが、わたしの関心を最も引くのは第一次世界大戦なのです。第一次世界大戦といえば、レマルクの『西部戦線異状なし』が有名で、1930年に製作された映画版は何度も観ました。その他にも、第一次世界大戦に関する映画で、強く印象に残ったものいくつかがあります。

 まずは、2004年の「ロング・エンゲージメント」。「ダ・ヴィンチ・コード」でトム・ハンクスと共演しているオドレイ・トトゥ主演のラブストーリーです。1919年、トトゥ演じる19歳のマチルドの元に1通の封書が届きます。それは第一次世界大戦の戦火の中、2年前に戦場に旅立っていった婚約者マネクが戦死したという悲報でした。しかし、マチルドは希望を捨てませんでした。「マネクに何かあれば、自分にはわかるはず」という直観だけを信じ、マチルドはマネクの消息を辿る、途方もなく遠い旅に出るのです。この作品の中には第一次世界大戦の実際の映像も多く使用され、リアルな映像美で戦火の中の愛を描いています。

 次に、2005年のフランス・ドイツ・ イギリス合作映画「戦場のアリア」。監督・脚本はクリスチャン・カリオン(フランス語版)、出演はダイアン・クルーガーとベンノ・フユルマンなど。ヨーロッパに語り継がれる実話を映画化した感動ドラマです。第一次世界大戦中の1914年、雪のクリスマス・イブ。フランス北部の前線各地で起こった信じられない実話がありました。それは、フランス・スコットランド連合軍、ドイツ軍の兵士による「クリスマス休戦」という一夜限りの奇跡的な出来事でした。カリオン監督は、大半がごく普通の青年だった兵士たちが、愛する家族と離れて迎えるクリスマスの夜に「クリスマス休戦」として敵国と友好を結んだ勇気に心を打たれ、彼らへのオマージュとしてこの史実を映画化することを強く願っていたと語っています。

 1914年の6月28日、バルカン半島のサラエボで、オーストリア帝国皇帝の甥に当たる皇位継承者フランツ・フェルディナンド大公夫妻が、セルビア人に暗殺されました。この「サラエボの悲劇」が第一次世界大戦の発端です。しかし、当事者であるオーストリアやサラエボはどこかに行ってしまって、いつの間にか「ドイツ対フランス・イギリスの戦い」がメインになってしまう。ドイツの潜水艦Uボートは無差別攻撃を開始し、それをきっかけとしてアメリカが参戦します。そして、第一次世界大戦は潜水艦や毒ガスや飛行機や戦車といったニュー・テクノロジーが総登場する「近代戦」となっていきます。当時、日英同盟を結んでいた関係で、日本も参戦したわけです。それはいいとして、作家の橋本治が高校生だった頃、第一次世界大戦を学んだときに「オーストリアはどうなったの?」と首をひねったそうですが、わたしも含めて同じ疑問を抱いた人は多いでしょう。

 作家・橋本治の『二十世紀』にも書かれていますが、第一次世界大戦は、それをきっかけにして各国のナショナリズムが国民の間で盛り上がった戦争です。それまでの戦争は、「支配者とそれに率いられる職業軍人がするもの」でした。国民は、「関係ないよ」でもすんでいたのですが、それが20世紀になって変わりました。「戦争を支持して戦争に積極的に参加する一般国民」というのは、意外にも20世紀になってから登場するのですね。だからこそ、その反対意見としての「反戦論」も20世紀に登場します。わたしたちは20世紀の戦争しか知りませんから、戦争というのはそういうものだと思っています。でも実際は、戦争は「20世紀になってから異常になった」のです。

 第一次世界大戦に参加した各国の国民たちの間にも「異常な戦争だなあ」という空気が強く流れていたように思います。それまでは職業軍人の仕事だったものに自分たちも巻き込まれていくわけですから、当然です。塹壕にたまる糞便の臭いに鼻をつまみながら、一般国民出身の兵士たちも「冗談じゃないよ」と思いながら嫌々戦った者が多かったのです。クラウゼヴィッツが『戦争論』で述べているように、かつての戦争は外交の延長戦上にありました。また、一種のゲームあるいはスポーツの観さえありました。第一次世界大戦までは、ドイツのウィルヘルム2世をはじめ、皇帝という存在が世界中にいたことも影響しています。開戦して双方の皇帝が知恵を駆使しあい、負ければ潔く白旗を揚げて、賠償金を払うというルールが厳然と存在しました。

 もちろん、カントが『永遠平和のために』で主張したように、戦争があくまで非人間的な愚行であることに変わりはありません。それでも、かつてのヨーロッパの戦争には、サッカーのようなゲーム性・スポーツ性が確かにありました。その意味で、ワールドカップとは世界大戦の見事な代用品だと言えますが、つまり戦争といえども、昔は一定のルールや作法に従っていたわけです。そのルールや作法が第一次世界大戦で壊されてしまった。おそらく毒ガスが登場したときに、それは始まったように思います。このあまりにも非人間的な殺人兵器に「シャレになってないよ」と当時の人々は戦慄したはずです。その後、アウシュビッツや広島や長崎で、人類は何度も「シャレになってないよ」を経験することになります。そのすべての始まり、ルールの逸脱の起こりは、第一次世界大戦にあったのではないでしょうか。

 その第一次世界大戦が勃発する前年、哲学者アンリ・ベルグソンは、ロンドンの心霊研究協会(SPR)において、『「生きている人のまぼろし」と「心霊研究」』と題する講演を行っています。ベルグソン以外にも、詩人のテニソン、批評家のラスキン、心理学者のウィリアム・ジェームスなどがSPRに名を連ねていました。そして、第一次世界大戦で発生した大量の死者との交信を遺族が求めて、戦後は「霊界通信」をはじめとしたスピリチュアリズムが大流行します。ベルグソンは「透視」や「精神感応」といった現象に関心を示していたことで知られていますが、実は「ロング・エンゲージメント」の主人公マチルドの直観とはテレパシーに他ならず、この作品は一種の心霊映画となっています。

 それにしても、第一次世界大戦には、人間の「こころ」の謎を解く秘密がたくさん隠されているような気がしてなりません。毒ガスはもちろんですが、それ以外にも、飛行機・戦車・機関銃・化学兵器・潜水艦といったあらゆる新兵器が駆使されて壮絶な戦争が行われました。「PTSD」という言葉この時に生まれたそうですが、わたしは「グリーフケア」という考え方もこの時期に生まれたように思えてなりません。それは人類の精神に最大級の負のインパクトをもたらす大惨事だったのです。21世紀を生きるわたしたちが戦争の根絶を本気で考えるなら、まずは、戦争というものが最初に異常になった第一次世界大戦に立ち返ってみる必要があるでしょう。

 第一次世界大戦といえば、今年の1月25日から「彼らは生きていた」というドキュメンタリー映画が公開されていました。終結後、約100年たった第一次世界大戦の記録映像を、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズなどのピーター・ジャクソン監督が再構築したドキュメンタリーです。イギリスの帝国戦争博物館が所蔵する2200時間を超える映像を、最新のデジタル技術で修復・着色・3D化して、BBCが所有する退役軍人のインタビュー音声などを交えながら、戦場の生々しさと同時に兵士たちの人間性を映し出した作品です。北九州で公開されなかったので、わたしは未見ですが、機会があればぜひ鑑賞したいと思います。第一次世界大戦については、これからも考え続けていくつもりです。