No.825
12月25日のクリスマスの夜、ディズニー・アニメ最新作の「ウィッシュ」の吹替え版をシネプレックス小倉で観ました。予告編で面白くなさそうだったので観る気はなかったのですが、子どもの頃からずっとお世話になったディズニー社の創立100周年記念作品とあって感謝の気持ちで鑑賞しました。あと、主人公アーシャの吹替えを担当した生田絵梨花の声が好きなことも理由の1つ。しかし正直言って、内容は非常につまらなかったです。「これが、ディズニーの100周年記念作品か?」とガッカリしました。
ヤフーの「解説」には、「ウォルト・ディズニー・カンパニーの創立100周年記念作品で、願いの力をテーマにしたミュージカルアニメ。最も大切な願いを王様にささげることで願いがかなうとされる国を舞台に、王国の秘密を知った17歳の少女アーシャが悪に立ち向かう。『アナと雪の女王』シリーズなどのクリス・バックがファウン・ヴィーラスンソーンと共に監督を務め、『アナと雪の女王』シリーズなどの共同監督であるジェニファー・リーが脚本を担当。ヒロインの声を『ウエスト・サイド・ストーリー』などのアリアナ・デボーズが担当する」とあります。
ヤフーの「あらすじ」は、「自分にとって一番大切な願いを王様にささげることで、どんな願いもかなうとされるロサス王国。この国に暮らす明るく前向きな17歳のアーシャは、まだ自分の本当の願いを知らなかった。王国の人々を大切に思うアーシャは、ある出来事をきっかけに王国に隠された邪悪な一面を知る」となっています。
この映画の監督も脚本も、一条真也の映画館「アナと雪の女王」で紹介した2014年日本公開のアニメ映画と同じ人物が担当したそうです。アンデルセンの童話「雪の女王」をヒントにしたディズニーミュージカルです。正直言って、わたしは「今さら、ディズニーねぇ」と思っていました。この映画も松たか子の歌以外にはあまり関心がなかったのですが、ところがどっこい、観賞後は「やっぱり、ディズニーはすげえなあ!」と感心してしまいました。とにかく面白いのです。大人が観ても、まったく退屈しません。それもそのはず、この映画、ディズニー・アニメーション史上で最大のヒットを記録し、先日のアカデミー賞でも主題歌賞、長編アニメーション賞のオスカー2冠に輝きました。
しかし、「ウィッシュ」は大違いで、「これが、ディズニーかよ、ショボイなあ!」としか思いませんでした。まず、ストーリーが陳腐で面白くない。「アナと雪の女王」の原作は、「みにくいアヒルの子」や「リトル・マーメイド」と同じくアンデルセン童話でした。「白雪姫」や「眠れる森の美女」はグリム童話で、「シンデレラ」はペロー童話。「くまのプーさん」や「ふしぎの国のアリス」や「ピノキオ」や「ピーター・パン」や「ジャングル・ブック」の原作は、児童文学の歴史に残る名作です。しかし、「ウィッシュ」には原作はなく、ジェニファー・リーとアリソン・ムーアがオリジナルの脚本を共同で担当しました。これがまったくダメで、ディズニー100年の歴史でも最もつまらない内容だったと思います。
イベリア半島の沖合に位置するロサス王国で、17歳の少女アーシャは、王国の支配者であるマグニフィコ王に、他の誰にも感じられない闇を感じます。それがやがて、彼女がいざというときに星に熱く訴えようとするきっかけとなります。やがて、スターという名の本物の星が、アーシャの願いに応えてくれます。空からスターが降ってきた後、そのスターにも願いを叶える魔法の力があることが明らかになり、アーシャとスターは共にロサスに立ちはだかる悪を乗り越え、より良い未来のために立ち上がるのでした。このストーリーが観ていて嫌になるほど陳腐でした。
相変わらずポリコレ色が強いアーシャは、ディズニー史上最恐のヴィラン(悪役)であるマグニフィコ王に立ち向かっていきます。ハンサム過ぎる国王であるマグニフィコ王の声を担当したのは、福山雅治。これが、まったく違和感だらけでした。というか、福山雅治は声優に向いていないと思いました。このマグニフィコ王の正体は魔術師で、国民の"願い"を叶える儀式を行うのですが、そこではまるでロックスターのように振舞います。その儀式そのものも怪しいものだということが次第に明らかになるのですが、「儀式をネガティブに扱うのは本当にやめていただきたい!」と、儀式バカ一代を自任するわたしは思うのでした。最後に国王に代わって王妃がロサス王国のリーダーとなりますが、国民たちは口々に「女王陛下万歳!」と叫びます。ここには、フェミニズムの強い影を感じました。
ミュージカルですから、このアニメ映画は歌が命です。「ウィッシュ~この願い~」という曲がメインなのですが、生田絵梨花の歌唱は素晴らしいです。それでも、「アナと雪の女王」のメイン曲である「ありのままで」に比べて感動できないのは、曲そのものの完成度が違うということもありますが、「ウィッシュ~この願い~」のラストに問題があるからだと思います。最後は「この願い~、あきらめることは、ない♪」という歌詞なのですが、「ない」に抑揚がなく、尻切れトンボ感がハンパないのです。これがビブラートを効かせて「な~い~♪」と歌い上げれば、まだ感動的になったのでしょうが、そうではありませんでした。せっかくの日本が誇る生田絵梨花の歌唱力がまったく生かされず、まことに残念です。
それから、登場するキャラクターにも問題がありました。山羊のセバスチャンはまだいいとしても、星のスターというキャラがダメです。あれでは、まるで「星のカービー」ではありませんか。一見して、スターは日本の幼児向けのアニメキャラであり、ディズニーとの相性が悪いのです。わたしも予告編でスターの姿を観たとき、そのあまりにも幼稚な造形に落胆して、この映画自体を観たくないと思ったほどでした。一条真也の映画館「ワンス・アポン・ア・スタジオ 100年の思い出」で紹介した「ウィッシュ」と同時上映の短編映画には、「アナと雪の女王」のオラフなど、85作以上の作品から543のキャラクターが登場しましたが、ディズニー100年のキャラクターの歴史を見ても、「ウィッシュ」のスターは最低だと思います。
『法則の法則』(三五館)
何よりも、「ウィッシュ」のメインテーマである「強く願えば、その願いは叶う」という考え自体に違和感をおぼえました。わたしはかつて、『法則の法則』(三五館)という本を書きましたが、世界的ベストセラーの『ザ・シークレット』に登場した「引き寄せの法則」というものに興味を抱いたことがきっかけでした。「引き寄せの法則」とは、平たく言えば、「思考は現実化する」ということです。そのルーツは「ニューソート」というアメリカの新興宗教にあることを初めて明らかにしました。そして、願望というものは利己的なものであり、黒魔術としての「呪い」にも通じるということを訴えました。
正直言って、ディズニー100周年記念映画は「願い」ではなく「夢」をテーマにすべきだったと思います。「ウィッシュ」ではなく、「ドリーム」です。「夢見ることができるなら、それは実現できる」と語ったのは、かのウォルト・ディズニーです。アメリカはフロリダのウォルト・ディズニー・ワールド内にある「エプコット・センター」の「ジャーニー・イン・トゥー・イマジネーション!」というアトラクションの入口に"If you can dream it,you can do it."と掲げられています。わたしは大学4年生のときに初めてエプコット・センターを訪れましたが、「イマジネーション!」の入口でこの言葉を目にしたときは魂が震えるほど感動しました。それ以来、わたしの座右の銘のひとつになっています。
人間が夢見ることで、不可能なことなど1つもありません。逆に言うなら、本当に実現できないことは、人間は初めから夢を見れないようになっているのです。誰でも、少年や少女の頃には夢を持っていました。ナポレオンは雨上がりの虹を見て、「あの虹をつかまえてやる」と叫んで、駆け出したといいます。シュリーマンは、よく知られているように、子どもの頃に本で読んだトロイの遺跡が実在すると信じ、大人になったら自分がそれを発掘するという夢を持っていました。長嶋茂雄やイチローや大谷翔平は、野球少年時代から「一流のプロ野球選手になる」という夢を抱き、それを果たしました。そして、誰よりも大きな夢を見た人がウォルト・ディズニーその人です。ディズニーの偉大な夢は、多くのアニメ作品のみならず、ディズニーランドとして具現化しました。ディズニー100周年記念作品のタイトルは「ドリーム」であるべきでした。