No.826


 12月25日の夜、一条真也の映画館「ウィッシュ」で紹介したディズニー作品に続き、アニメ映画「屋根裏のラジャー」をシネプレックス小倉で観ました。一条真也の映画館「メアリと魔女の花」で紹介した名作アニメなどのスタジオポノックの最新作です。少女のグリーフケアの物語であり、その点は興味深く感じましたが、そこまでの感動はありませんでしたね。「ウィッシュ」に比べればマシですが、本当はもっと大感動して「やっぱり、日本のアニメ最強!」と思いたかった!
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『メアリと魔女の花』などのスタジオポノックが制作を手掛け、A・F・ハロルドの小説『ぼくが消えないうちに』を原作に描く長編アニメ。子供たちの想像から生まれたイマジナリーフレンドたちが暮らす想像の世界と、現実の世界が交錯する。監督を担当するのは『二ノ国』などの百瀬義行。『ばあばは、だいじょうぶ』などの寺田心が主人公・ラジャー、『こどもしょくどう』などの鈴木梨央が少女アマンダの声を務めるほか、安藤サクラ、仲里依紗、杉咲花、イッセー尾形らもボイスキャストを担当する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「少女アマンダの想像から生まれた少年ラジャーの姿は、彼女以外の誰にも見えない。『イマジナリ』と呼ばれるラジャーのような存在は、人間に忘れられると消えていく運命にあるのだった。その後ラジャーは、人間に忘れられたイマジナリたちが暮らす町へとたどり着く」
 
 原作の『ぼくが消えないうちに』は、イギリス文学協会賞受賞をはじめ、ケイト・グリーナウェイ賞、カーネギー賞などにノミネートされ、世界の文学賞を席巻しました。こだまともこ氏による翻訳書がポプラ社から出ていますが、アマゾンに「ラジャーは、少女アマンダが想像してつくり出した親友だ。ふたりはいつも一緒に、楽しい時間をすごしていた。しかしある日突然、アマンダがいなくなり、ラジャーはひとりぼっちになってしまう。アマンダに忘れられると、ラジャーはこの世から消えてしまうというのに。さらに、子どもたちの想像力を盗む、不気味な男もあらわれて...。大切な友だちを探すため、ラジャーの旅がはじまった......! 子ども時代の不安や喜びをスリリングな展開で描く、イギリス発のファンタジー。人気画家、エミリー・グラヴェットの挿絵入り」とあります。
 
 その『ぼくが消えないうちに』を映画化したのが「屋根裏のラジャー」です。テーマは「想像力」であり、「願い」をテーマとした「ウィッシュ」と同様に"こころ"の働きというものが扱われています。"こころ"は目に見えないので描くのが難しいです。それを目に見せるのがアニメーションですが、そこでは物語の力が必要となります。原作のない「ウィッシュ」は脚本にも厚味が出せず、結果的に面白くない物語になってしまいました。一方の「屋根裏のラジャー」も同じような"こころ"の物語でありながら、「ウィッシュ」に比べて少しは面白くなったのは、ひとえに原作の存在が大きいと言えるでしょう。
 
「屋根裏のラジャー」には、「イマジナリ」という存在がたくさん登場します。「イマジナリ」を直訳すると「想像上の」ということになりますが、ここでは「想像上の友だち」としてのイマジナリーフレンドを指します。イマジナリーフレンドとは、心理学、精神医学における現象名の1つです。学術的にはイマジナリーコンパニオン(IC)という名称が用いられる。「空想の仲間」などと訳されます。イマジナリーフレンドは実際にいるような実在感をもって一緒に遊ばれ、子どもの心を支える仲間として機能します。その存在についてはほぼ打ち明けられず、やがて消失するとされています。
 
 イマジナリーフレンドは、主に長子や1人っ子といった子どもに見られる現象だといいます。5〜6歳あるいは10歳頃に出現し、児童期の間に消失します。子どもの発達過程における正常な現象であるとされます。姿は人間のことが多いですが、人間ではない動物や妖精などの場合もあります。 また、本人と対話ができるぬいぐるみなど、目に見えるモノをイマジナリーフレンドに含むのかについては研究者によって意見が異なります。このぬいぐるみなどの擬人化されたモノについては、Personified Object(PO)という呼び方がされることもあります。それに対し、目に見えないイマジナリーフレンドを「インビジブルフレンド」と呼ぶ研究者もいます。
 
「屋根裏のラジャー」を観て、わたしは、イマジナリーフレンドは死者のメタファーでもあると思いました。実際、物語はその方向で動いていくのですが、アマンダが「忘れない」対象はイマジナリーフレンドのラジャーだけでなく、少し前に亡くなった父親も含まれていました。アマンダが父親から買ってもらったお気に入りの傘には「パパを忘れないこと。ママを守ること。ぜったいに泣かないこと」と書かれていたのです。わたしは、一条真也の映画館「リメンバー・ミー」で紹介したディズニー&ピクサーの2017年のアニメ映画を思い出しました。第90回アカデミー賞において、「長編アニメーション賞」と「主題歌賞」の2冠に輝いた作品ですが、「死者を忘れない」ことがテーマでした。カラフルな「死者の国」も魅力的でしたし、「死」や「死後」というテーマを極上のエンターテインメントに仕上げた大傑作です。

愛する人を亡くした人へ』(現代書林)
 
 
 
 板東龍汰、西野七瀬主演のグリーフケア映画「君の忘れ方」の原案である拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)で紹介しましたが、アフリカのある部族では、死者を二通りに分ける風習があるそうです。人が死んでも、生前について知る人が生きているうちは、死んだことにはなりません。生き残った者が心の中に呼び起こすことができるからです。しかし、記憶する人が死に絶えてしまったとき、死者は本当の死者になってしまうというのです。誰からも忘れ去られたとき、死者はもう一度死ぬのです。映画「リメンバー・ミー」の中でも、同じメッセージが訴えらえました。死者の国では死んでもその人のことを忘れない限り、その人は死者の国で生き続けられますが、誰からも忘れられてしまって繋がりを失うと、その人は本当の意味で存在することができなくなってしまうのです。そして、そこでの死者とはイマジナリとまったく同じでした。
 
「屋根裏のラジャー」は、最愛の父親を亡くした少女アマンダのグリーフ(深い悲しみ)がケアされていくグリーフケアの物語です。奇しくも、同じアマンダという名前の少女が主人公のグリーフケア映画があります。一条真也の映画館「アマンダと僕」で紹介した2018年のフランス映画です。第31回東京国際映画祭の東京グランプリと最優秀脚本賞を受賞したドラマ。主人公が姉の死によって人生を狂わされながらも、残された姪を世話しながら自らを取り戻します。ダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)は、レナ(ステイシー・マーティン)という恋人ができ、穏やかな毎日を過ごしていました。ある日、姉が事件に巻き込まれ、亡くなってしまいます。ダヴィッドは残された7歳の姪・アマンダ(イゾール・ミュルトリエ)の世話をすることになります。悲しみの中、困惑するダヴィッドと母の死を受け入れられないアマンダの共同生活が始まるのでした。母親の亡くした少女の悲しみは涙なくしては見れませんでしたが、「屋根裏のラジャー」のアマンダもちょうど7歳ぐらいではないでしょうか。
 
「屋根裏のラジャー」には、アマンダやラジャー以外にもさまざまなキャラクターが登場します。アマンダの母・エリザベス(リジー)。イマジナリの世界でラジャーが出逢うリーダー格の少女・エミリ。ラジャーの前に現れる右眼が紅、左眼が蒼のオッドアイの怪しげな猫・ジンザン。イマジナリの老犬・冷蔵庫、ピンク色のカバ・小雪ちゃん、幼児の背丈ほどの骸骨・骨っこガリガリなどなど。その中で、ラジャーをつけ狙っており、黒髪で黒い服装を着た無表情で無言の少女を常に従えている謎の男がいます。ミスター・バンティングという名前なのですが、「千と千尋の神隠し」に登場する窯爺によく似ていました。そういえば、「屋根裏のラジャー」の百瀬義行監督は、監督になる前にはアニメーターや演出家として「おもひでぽろぽろ」「もののけ姫」、そして「千と千尋の神隠し」など数多くのスタジオジブリ作品で中核を担っていましたね。
 
 主人公・ラジャー役の声優には、アニメーション映画初参加となる寺田心が起用されました。また、イマジナリの老犬役を務める俳優・歌手の寺尾聰も同じくアニメ映画への参加はこれが初となります。「ウィッシュ」でロサス王国のマグ二フィコ王の声を担当した福山雅治は違和感がありましたが、寺田心と寺尾聡の" 寺×2"コンビは声優として合格だと思います。他では、リジーの安藤サクラ、エミリの仲里依紗も良かったですね。「屋根裏のラジャー」の主題歌は、グラミー賞受賞のアメリカの男性デュオ、ア・グレイト・ビッグ・ワールドによる「Nothing's Impossibleossible (ナッシングズ・インポッシブル)」です。楽曲制作にはシンガーソングライターのレイチェル・プラッテンも参加しています。
 
 ジンザンという名のラジャーの前に現れる右眼が紅、左眼が蒼のオッドアイの怪しげな猫の声を担当したのは山田孝之でした。アマンダが交通事故で意識不明になり、影がどんどん薄くなっていくラジャーに対して、ジンザンは「消えたければ、そのままそこにいろ。消えたくなければ俺について来い」という場面があります。わたしは、そのとき、ラジャーが旧ジャニーズ事務所のアイドルのように思えました。また、ジンザンがジャニーズ事務所を早々と去って新しい芸能事務所の「TOBE」を設立した滝沢秀明に見えてきました。沈みゆく泥船である旧ジャニーズ事務所(STARTO ENTERTAINMENT)に残されたアイドルたちにタッキーが「消えたければ、そのままジャニーズにいろ。消えたくなければ俺について、TOBEに来い!」と言っているように思えたのです。考えてみれば、アイドルという存在はイマジナリによく似ていますね。それにしても、今年は最後の最後まで、映画を観て、ジャニーズを連想してしまった!(苦笑)