No.855


 NETFLIX映画「パレード」を観ました。2月29日から配信されていますが、「余命10年」の藤井道人監督がメガホンを取った、遺された人への想いを描くヒューマン・ファンタジーです。豪華キャストによるジェントル・ゴースト・ストーリー(優霊物語)に涙しました。
 
 シネマトゥディ「みどころ」は、こう書かれています。
「この世から旅立った人々の視線で、残された者たちへの思いをつづるヒューマンドラマ。ある女性が、はぐれてしまった一人息子を捜すうちにさまざまな人々と出会い、自分がすでに死んでいることを知る。監督などを務めるのは『最後まで行く』などの藤井道人。『MOTHER マザー』などの長澤まさみ、『サイド バイ サイド 隣にいる人』などの坂口健太郎、『ヴィレッジ』などの横浜流星のほか、黒島結菜、田中哲司、寺島しのぶ、リリー・フランキーらがキャストに名を連ねる」
 
 シネマトゥディ「あらすじ」は、以下の通りです。
「海辺で目を覚ました美奈子(長澤まさみ)は、離れ離れになってしまった息子の良を捜そうとする。その道中でアキラ(坂口健太郎)やヤクザだった勝利(横浜流星)、元映画プロデューサーのマイケル(リリー・フランキー)、さらにその仲間たちと出会う。美奈子はその場所が現世に未練を残した者たちがとどまる場所だという現実を受け止められずにいたが、死者たちが会いたかった人を捜すパレードに参加したことをきっかけに、彼女は変わり始める」
 
「パレード」を観たとき、わたしは最初に大林宣彦監督の名作「あした」(1995年)を連想しました。原作は赤川次郎の小説『午前0時の忘れもの』で、尾道市を舞台にした、"新尾道三部作"の2作目に当たります。小型客船・呼子丸が嵐のなか尾道沖で遭難し、乗客9名全員の絶望が伝えられてから3ヵ月。残された恋人、夫、妻、家族のもとには、「今夜午前0時、呼子浜で待っている」という不可解なメッセージが次々と届き、それぞれの者が、それぞれの思いを抱えたまま呼子浜の待合所に続々と集まってきます。温泉旅行に来ていた女子大生・原田法子(高橋かおり)は、自分の勘違いで最終便の船に間に合わなくなり、友人の綿貫ルミ(朱門みず穂)とともに、呼子浜の待合所で過ごすことになってしまい、不思議な一夜を過ごすことになるのでした。
 
 また、 一条真也の映画館「想いのこし」で紹介した2014年の日本映画も連想しました。金と女に目がない青年が、ひょんなことから現世に未練を遺した幽霊たちを成仏させようと奔走しながら騒動を巻き起こしていくさまを、涙と笑いを交えて綴る物語です。考えることは金と女のことばかりで、お気楽に毎日を過ごすことがモットーの青年・ガジロウ(岡田将生)。そんなある日、交通事故が縁となって幽霊となったユウコ(広末涼子)ら、3人のポールダンサーと年配の運転手に出会う。小学生の息子を残して死んだのを悔やむユウコをはじめ、成仏できぬ事情を抱える彼らは遺(のこ)した大金と引き換えに無念の代理解消をガジロウに依頼。それを引き受けた彼は、花嫁姿で結婚式に出席したり、男子高校生に愛の告白をしたりと、それぞれの最後の願いをかなえていくのでした。
 
「パレード」は、「あした」や「想いのこし」などの系譜上にあるジェントル・ゴースト・ストーリーです。瓦礫が打ち上げられた海辺で目を覚ました美奈子(長澤まさみ)は、離ればなれになった1人息子・良を捜します。彼女は、さまざまな人々と出会い、自分が亡くなったと知ります。そして、未練を残してこの世を去ったため、まだ"その先"に行けないことを悟ります。ここで描かれている死者の世界は、心霊主義でいうアストラル界とか精霊界といったものだと思います。美奈子が出会った彼らもまた、さまざまな理由からこの世界にとどまっていました。現実を受け止めきれない美奈子は、月に一度死者たちが集い、それぞれの会いたかった人を探すパレードに参加したことを機に、各々の心に触れていくのでした。
 
「パレード」には、さまざまな切ないエピソードが描かれていますが、わたしが最も泣けたのは横浜流星演じるヤクザの青年・勝利のエピソードでした。暴力団同士の抗争で命を落とした勝利には将来を誓い合った恋人(深川麻衣)がいました。彼女ともう一度会いたいというのが彼の未練でした。ずっと恋人と再会できなかった勝利は、自身の七回忌に、ついに彼女の姿を見つけます。そっと彼女が暮らすアパートまでついていった彼は、彼女には恋人がいて、まさにプロポーズされる場面に遭遇します。もはや生者である彼女を幸せにすることができない勝利は、「ごめんな。幸せになれよ」と言って静かに去っていくのでした。
 
 他にも、元小説家希望の青年・アキラを坂口健太郎が演じています。アキラは震災後の瓦礫の山の近くで呆然とする美奈子を見つけ、救ってくれた恩人です。牧場の息子として生まれた彼は、生まれつき身体が弱く、家業を手伝えませんでした。牧場主である父親(でんでん)を恐れるアキラでしたが、死後、父が原稿用紙に向かって小説を書いていることを知ります。亡き息子の志を代わりに果たそうという父の想いに、アキラは感動します。そして、父が小説を書き上げるまでは、自分も次の世界に行かずに、死んだ後の経験談を書き綴っていくのでした。
 
 今や日本映画界を代表する若手女優の1人なった森七奈が演じるのは、元女子高生のナナです。彼女は生前、高校で壮絶ないじめに遭っており、自ら命を絶ったのでした。彼女には、1人の友人がいました。ナナの生前は2人揃っていじめられていたのですが、ナナが亡くなった後の標的は彼女1人になってしまいました。ナナは、辛い現実から逃げ出して自分だけ死んで楽になろうとしたことを彼女に謝りたいと思います。それがナナにとっての心残りでしたが、まさに友人が自死を図ろうとした瞬間、ナナはそれを食い止め、心からの謝罪を果たしたのでした。
 
 主要な登場人物である元映画プロデューサー・マイケル役でリリー・フランキーが出演しています。生前の彼はミニシアターで特集上映会が開かれるくらい有名な映画人でしたが、学生時代の恋人を捨てて逃げたという悔いを引きずっていました。学生運動が盛んだった頃、沖縄で反戦活動を行っていた彼は恋人と映画を撮影していたのですが、未完成のままに東京に逃げ帰ったのです。マイケルが沖縄を去った後、彼女と結婚したのはマイケルの親友(舘ひろし)でした。その映画を完成させて、彼女のもとにフィルムを届けることが彼の悲願となりました。

死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)
 
 
 
「パレード」がユニークなのは、死者の想いを描いたジェントル・ゴースト・ストーリーであると同時に、映画への限りない愛情を描いた「映画の映画」という要素があることです。死者たちは、マイケルを監督兼主演として、映画を製作します。それはマイケルが生前未完成だった作品なのですが、完成した映画を上映する映画館も登場するのです。死後の世界の映画館には、死者たちが集います。観客である死者たちは、スクリーンに映る光をじっと見つめますが、それは「死」の世界から「生」の世界を覗き見しているように思えました。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)で、わたしは、映画館で映画を観る行為は「臨死体験のシミュレーション」であると述べました。

© 一条真也
 
 
 
 古代の宗教儀式は洞窟の中で生まれたという説がありますが、洞窟も映画館も暗闇の世界です。暗闇の世界の中に入っていくためにはオープニング・ロゴという儀式、そして暗闇から出て現実世界に戻るにはエンドロールという儀式が必要とされるのかもしれません。そして、映画館という洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思います。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。映画鑑賞とは、まさに臨死体験です。

死後の映画館に集う死者たち(「パレード」より)

映画館の闇から光を見る死者たち(「パレード」より)
 
 
 
 つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為にほかならないのです。つまり、映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。わたし自身、映画館で映画を観るたびに、死ぬのが怖くなくなる感覚を得るのですが、それもそのはず。わたしは、映画館を訪れるたびに死者となっているのではないでしょうか。ジェントル・ゴースト・ストーリーである「パレード」を観て、わたしは映画の本質について想いを馳せたのでした。藤井道人監督には、ぜひ、『死を乗り越える映画ガイド』をお読みいただきたい!

映画フィルムは人生そのもの(「パレード」より)

幻想的な死者の世界(「パレード」より)