No.854
3月1日に公開された日本映画「52へルツのクジラたち」をシネプレックス小倉で観ました。同劇場が入っているチャチャタウン小倉の大観覧車が重要な舞台としてロケでも使われています。 一条真也の読書館『52ヘルツのクジラたち』で紹介した町田そのこ氏の名作小説の映画化です。原作を読んだ上で映画を観ましたが、素晴らしい感動作に仕上がっていました。グリーフケア映画の名作が誕生しましたね。
ヤフーの「解説」には、「町田そのこの小説を、『銀河鉄道の父』などの成島出が監督を務め映画化したドラマ。家族に虐待された過去を引きずる女性が、かつての自分と同じような環境にいる少年と交流する。『市子』などの杉咲花、『さんかく窓の外側は夜』などの志尊淳、『はざまに生きる、春』などの宮沢氷魚のほか、小野花梨、桑名桃李、余貴美子らが出演する」と書かれています。
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「東京から海辺の町の一軒家へ越した貴瑚(杉咲花)は、家族からの虐待を受けて声を出せなくなった、ムシ(桑名桃李)と呼ばれる少年と出会う。自身も家族に虐待されていた過去を持つ貴瑚は、彼を放っておくことができずに一緒に暮らし始める。貴瑚と平穏な日々を送るうちに、夢も未来もなかったムシにある願いが芽生えていく。それをかなえようと動き出した貴瑚は、かつて虐待を受けていた自分が発していた、声なきSOSを察知して救い出してくれた安吾(志尊淳)との日々を思い出す」
原作小説を読んだときは、「これはまた非常に重いテーマを扱っているな」と思いました。それも、児童虐待、ネグレクト、モラハラ、DV、LGBT、介護...現代社会の課題となっているさまざまなテーマがいくつも扱われています。「ちょっと詰め込み過ぎでは?」と思えたほどですが、サスペンスフルな物語の中にそれらは無理なく溶け込んでいました。この物語には、虐待をはじめ、さまざまな辛い体験のさ中にある人々の「声が届かない悲しみ」「声を聞いてもらえない絶望感」が満ち溢れています。今も、多くの人々が「叫んでも届かない悩み」「聞いてほしくても言えない悩み」を抱えて、52ヘルツの声を上げながら生きているのです。
タイトルの「52ヘルツのクジラ」とは、他の鯨が聞き取れない高い周波数で鳴く、世界で一頭だけのクジラのことです。たくさんの仲間がいるはずなのに何も届かず、何も届けられません。そのため、世界で一番孤独な存在だと言われているのです。心に重い石を抱えてひっそりと生きるのは辛いことですが、死なずに生きていれば、その石をどかしてくれ、52ヘルツの声を聞き取ってくれる人が現れる可能性があります。それは、自身も同じ体験をした人です。52ヘルツの声を上げつづけた人こそが、他人の52ヘルツの声をキャッチし、そして、他人の絶望を希望に変えることができるのです。
その名作小説を映画化した「52ヘルツのクジラたち」も素晴らしい感動作でした。昨今、漫画を中心に原作の改変問題が世間を騒がせていますが、この映画の原作者である町田そのこ氏は「涙なしでは見られません」と語ったそうです。これはもう原作者冥利に尽きますね。わたしも拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を原案としたグリーフケア映画「君の忘れ方」の公開を控えていますので、ドキドキです。「君の忘れ方」のヒロインは西野七瀬さんですが、彼女がなんと「52ヘルツのクジラ」では、ものすごい悪役で出演していました。息子を虐待する凶暴な母親役で、わたしは「うちの映画のヒロインに、なんて酷い役をやらせるんだ!」と最初は立腹しましたが、次第に彼女の演技力に感服している自分に気づきました。これ以上ないほど憎たらしい女の役を見事に演じているのです。さすがは、「孤狼の血2」のクラブのママ役で日本アカデミー賞優秀女優賞に輝いただけのことはありますね。
女優・西野七瀬も良かったですが、やはり圧巻だったのは主演女優・杉咲花の鬼気迫る演技力です。杉咲花といえば、一条真也の映画館「市子」で紹介した昨年公開の主演作を思い出します。プロポーズされた翌日に突如失踪した女性の壮絶な半生を描いた映画ですが、主人公の過酷な境遇は「52ヘルツのクジラたち」の貴瑚にも重なります。3年間共に暮らしてきた恋人・長谷川義則(若葉竜也)からプロポーズされた翌日、突如姿を消した川辺市子(杉咲花)。ぼうぜんとする義則の前に彼女を捜しているという刑事・後藤(宇野祥平)が現れ、信じ難い話を明かす。市子の行方を追って、義則は彼女と関わりのあった人々に話を聞くうち、彼女が名前や年齢を偽っていたことが明らかになっていく。さらに捜索を続ける義則は、市子が生きてきた壮絶な過去、そして衝撃的な事実を知るのでした。
それから、映画「52ヘルツのクジラたち」に出演した男優陣も良かったです。宮沢氷魚も万人から反感を持たれるような嫌味な社長の息子を怪演していましたが、なんといっても志尊淳のナイーブで切ない演技が最高。原作に登場する安吾のキャラとぴったりというか、志尊淳以外のキャストが思いつかないぐらいのはまり役ですね。わたしが彼の存在を初めて知ったのは、2017年に放送されたNHKドラマ「植木等とのぼせもん」でした。「無責任男」を演じ「スーダラ節」を歌って時代の寵児となった植木等と、植木に弟子入りして付き人兼運転手を務め植木のことを「親父さん」と慕った「のぼせもん」こと小松政夫との師弟関係の物語ですが、植木等を山本耕史、小松政夫を志尊淳が演じたのです。続く2018年放送のNHKドラマ「女子的生活」では、志尊淳はトランスジェンダーの人物を熱演しました。この2作で、彼の顔と名前は完全にわたしの中にインプットされました。
チャチャタウン小倉の観覧車
チャチャタウン小倉内「シネプレックス小倉」の前で
チャチャタウン小倉で撮影されました!
映画の半券で観覧車が無料だそうです!
映画「52ヘルツのクジラたち」には、チャチャタウン小倉が登場します。この映画をチャチャタウン小倉内にあるシネプレックス小倉で鑑賞できたことは大きな喜びでした。何を隠そう、わたしはこのシネプレックス小倉で年間100本以上の映画を観ているのです。全部で10のシアターがありますが、すべてのシアターでわが社のシネアドを流していますし、ロビーにはわが社の互助会のパンフレットも置いています。まさに、わが心のホームタウンなのです! 映画「52ヘルツのクジラたち」は脚本も良かったですが、唯一残念だったのは主人公たちが小倉を訪れた理由が説明不足だったこと。貴瑚が救った「52」と呼ばれる少年が以前、小倉の馬借に住んでいたことから、貴瑚とその友人の美晴と52は、3人で小倉を訪れます。
チャチャタウン小倉の観覧車を背景に
映画チケットの半券で観覧車に乗りました
故郷である小倉の街がよく見えました
松柏園ホテルと小倉紫雲閣が見えました!
3人は小倉駅の周辺のホテルに宿泊しますが、原作には「小倉駅は、駅舎からモノレールの線路が飛び出して真っ直ぐに伸びている変わった作りをしている。その線路に沿うようにして歩き始めた」とあります。そのとき、美晴は、「はじめて来たけどけっこう都会じゃん」「ねえ、52。あんた、こういうところに住んでたの? だったらあんな田舎に移り住んで、不便だったでしょ」と言うのでした。原作を読んだとき、チャチャタウン小倉の観覧車が「幸せのシンボル」として登場したことは大きなサプライズでした。その観覧車を見上げながら小倉で暮らしていたわたしは、嬉しくなったものです。映画の半券を見せると観覧車の料金が無料になるというので、もう10年以上ぶりに観覧車に乗りました。わが故郷である小倉の街がよく見えました。わが社の松柏園ホテルと小倉紫雲閣もよく見えました。なんだか、感動してしまいましたね。
『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)
人間にとって最も重要なテーマとは「愛」と「死」ではないかと思いますが、冠婚葬祭、結婚式と葬儀の会場である松柏園ホテルと小倉紫雲閣は「愛と死」の舞台であると、観覧車の上から眺めて再認識しました。小倉紫雲閣は今や「グリーフケア」の舞台でもありますが、「52ヘルツのクジラたち」はまさにグリーフケア映画であり、「愛する人を亡くした人」のための物語でした。貴瑚は、自分が発した52ヘルツの声を聞き取ってくれたかけがえのない人を亡くし、その悲しみを忘れるために東京から九州の田舎町に移住するのですが、その田舎で隣人たちからさまざまなケアを受け、再生していきます。彼女は、自宅近くの海に迷い込んだクジラをその「いまは亡き愛する人」の生まれ変わりだと思い、彼女の心は救われるのでした。
『隣人の時代』(三五館)
「52ヘルツのクジラたち」は暗く重い物語ですが、最後に救いがありました。世の中には、自身が52ヘルツの声を上げた経験がなくとも、他人の52ヘルツの声を聞き取ることのできる稀有な人もいます。それは、一般に「お節介」と称される人々です。拙著『隣人の時代』(三五館)で、わたしは、高齢者の孤独死や児童の虐待死といった悲惨な出来事を防ぐには、挨拶とともに、日本社会に「お節介」という行為を復活させる必要があると訴えました。昔は、お節介な人が町内に必ず1人はいました。そういう人は、孤独死しそうな独居老人のことも、児童虐待が行なわれているような家庭のことも確実に把握していました。はっきり言って、「親切」と「お節介」は紙一重です。でも、ディープな人間関係がわずらわしいからといって「お節介」な人々をどんどん排除していった結果、日本は「無縁社会」などと呼ばれるようになってしまいました。
わたしは、地域社会には「お節介」というものも、ある程度は必要であると思います。無縁社会を乗り越えるためには、「お節介」の復活が求められると言えるでしょう。「無縁社会」などと呼ばれるようになるまで日本人の人間関係が希薄化しました。その原因のひとつには個人化の行過ぎがあり、また「プライバシー」というものを重視しすぎたことがあります。そのため、善なる心を持った親切な人の行為を「お節介」のひと言で切り捨て、一種の迷惑行為扱いしてきたのです。しかし、「お節介」を排除した結果、日本の社会は良くなるどころか、悪くなりました。わたしは、「お節介」の復活を訴えたいです。「お節介」は「コンパッション」の表現でもあるのですが、映画「52ヘルツのクジラたち」では、倍賞美津子演じる老女がコンパッションを発揮していました。一条真也の映画館「護られなかった者たちへ」で紹介した2021年の映画でも、倍賞美津子は子ども食堂を営む老女を熱演していましたね。まさに、ミス・コンパッション女優です!
『隣人の時代』(三五館)では、「隣人祭り」を提唱しました。地域の隣人たちが食べ物や飲み物を持ち寄って集い、食事をしながら語り合うことです。都会に暮らす隣人ったいが年に数回、顔を合わせます。だれもが気軽に開催し参加できる活動なのです。『52ヘルツのクジラたち』の最後には、バーベキュー・パーティーの描写が登場します。そこには、「お酒を飲み、お肉を食べ、笑い合う。ひとが増えて宴は一層盛り上がる。日が沈み、空には星が瞬き、遠くからは波の音がする。わたしはビールを飲む手を止め、空を仰いだ。温かな笑い声。大事なひとの声。しあわせの匂い。死んでいたわたしが、ここにこうしているのが、ただただ不思議だ」と書かれています。
北九州市で開催された「隣人祭り」
「隣人祭り」といえば、20世紀末にパリで生まれましたが、2003年にはヨーロッパ全域に広がり、2008年には日本にも上陸しました。同年10月、北九州市で開かれた九州初の「隣人祭り」をわが社はサポートさせていただきました。日本で最も高齢化が進行し、孤独死も増えている北九州市での「隣人祭り」開催とあって、マスコミの取材もたくさん受け、大きな話題となりました。冠婚葬祭互助会であり、高齢会員が多いわが社はNPO法人と連動しながら、「隣人祭り」を中心とした隣人交流イベントのお手伝いを各地で行ってきました。コロナ禍前の2019年(令和元)まで、毎年750回以上の開催をサポートしましたが、最も多い開催地は北九州市の小倉でした。
最後に、町田そのこ氏の原作小説『52ヘルツのクジラたち』は大傑作ですが、町田氏にはもう1冊、一条真也の読書館『ぎょらん』で紹介した奇跡の名作があります。これは葬儀小説の最高傑作というべきで、もう完全に参りました! 主人公の女性の母親が亡くなる直前に言い残した「実はわたし、うれしかった。あんたが、葬儀社に入ったこと。きっと、同じ苦しみを背負うひとに出会い、救い救われ、生きていける、って。あんたが選んだ道は、間違ってない。大丈夫」という言葉に触れたとき、静かな感動で胸がいっぱいになり、もともと弱いわたしの涙腺が決壊しました。わが社の紫雲閣の全スタッフに読んでほしいと思いました。
町田さん、次はぜひ『魚卵』を映画化しましょう!
『ぎょらん』ほど、葬儀というハートフル・エッセンシャルワークに携わる者たちに勇気と志を与えてくれる小説は過去に存在しません。ブログ「町田そのこ氏に会いました」で紹介したように、わたしはこの名作に2021年の一条賞(読書篇)大賞を贈りました。そして、ぜひこの名作を映画化していただきたいと心から願っています。できれば、主人公役は杉咲花、母親役は一条真也の映画館「おくりびと」で紹介した日本映画史に残る名作で葬儀社の女子社員を好演し、「52ヘルツのクジラたち」でも魂の熱演を披露してくれた余貴美子さんを希望します。『ぎょらん』が映画化されるなら、わたしはあらゆる協力を惜しみません!