No.864

 3月17日の日曜日、アメリカ・スペイン合作映画「星の旅人たち」をDVDで観ました。一条真也の映画館「コットンテール」を読んだ映画通の方が、「一条さんは『星の旅人たち』を御覧になりましたか? 『コットンテール』と同じく、遺灰を持ち歩いて旅をし、最後は散骨する物語です」とのLINEを送って下さったのです。未見だったわたしは、DVDを入手して鑑賞しました。心が洗われるようなグリーフケア・ムービーの名作でした。現在、アマゾン・プライムでも視聴することができます。未見の方は、ぜひ!
 
 ヤフーの「解説」には、「『ボビー』などで監督としても活躍する、エミリオ・エステヴェスによるヒューマン・ドラマ。スペイン北部のキリスト教巡礼地を回れずに急死した息子の遺志を継ぎ、彼の代わりに旅をする父親の姿を温かなタッチで見つめていく。エステヴェス監督の実父である『地獄の黙示録』などの名優マーティン・シーンが、旅を通じて溝が生じていた息子への思いをかみしめる主人公を好演。舞台となる、スペイン北部ガリシア地方の美しくも牧歌的な風景にも心を奪われてしまう」とあります。
 
 

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「息子のダニエル(エミリオ・エステヴェス)が、ピレネー山脈で嵐に遭遇して死んだと知らされたトム(マーティン・シーン)。キリスト教巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステーラを巡る旅を果たせなかった息子をとむらい、彼が何を考え巡礼に臨んだのかを知ろうとトムは決意。ダニエルの遺品と遺灰を背負い、800キロメートルの道を歩く旅に出る。その途中、夫のDVに苦しんだサラ(デボラ・カーラ・アンガー)や不調に陥った旅行ライターのジャック(ジェームズ・ネスビット)と出会い・・・・・・」


 
『星の旅人たち』(The Way)は、2010年のアメリカ・スペイン合作のドラマ映画です。 俳優エミリオ・エステヴェスが、実父マーティン・シーンを主演に起用し、自らの監督・脚本・製作・出演で制作したロードムービーです。エミリオ・エステヴェスによるオリジナルストーリーとジャック・ヒット(英語版)による書籍『Off the Road: A Modern-Day Walk Down the Pilgrim's Route Into Spain』に含まれるいくつかのストーリーを原案としています。

父のトム・エイヴリー

息子のダニエル・エイブリー
 
 
 
 米国カリフォルニアで眼科医院を開いているトム・エイヴリー(マーティン・シーン)は、ある日、自分探しの放浪の旅に出たまま疎遠になっていた1人息子ダニエル(エミリオ・エステヴェス)が、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の初日にピレネー山脈で嵐に巻き込まれて亡くなったと知らされます。生前の父子は折り合いが悪かったのですが、巡礼の旅に向かう息子を空港へ送るとき、父は「生き方は違うが、私は今の人生を選んだ」と言います。すると、息子は「人は人生を選べない。生きるだけ」と言います。なかなか深いセリフだなと思いました。この映画は、すれ違った父子の魂が結ばれ合う物語です。

ダニエルを火葬にすることを決心

悲しみを抱く者同士の「悲縁」がありました
 
 
 
 息子の遺体を引き取りに、スペインとの国境近くのフランスの町サン=ジャンにやって来たトムは、現地の警察官に同情されます。その警察官も息子を失ったことがあるのでした。悲嘆を共にする縁としての「悲縁」によってトムと警官には絆ができます。ダニエルを火葬にしたトムは、その遺灰を箱に入れて、遺品のバックパックの中に収めます。そして、そのバックパックを背負って、ダニエルが辿るはずだった巡礼の旅に出ることにするのです。
 
 サンティアゴ・デ・コンポステーラは、イエスの12使徒の1人である聖ヤコブの墓がある聖地です。サンティアゴとは聖ヤコブのスペイン語ですね。紀元44年、時のユダヤ王アグリッパに迫害され斬首されたヤコブは、12使徒中で最初の殉教者となりました。当時の殉教者はすぐに列聖されたため、ヤコブは聖ヤコブとなりました。聖ヤコブの死を悼んだ弟子のテオドロとアタナシオはその遺骸をこっそり小舟に乗せ風に行く先を任せた所、たどり着いたのはガリシアのパドロンの港、イリア・フラビア。弟子たちはその地に聖ヤコブの遺骸を埋葬しましたが、時の流れの中、いつしか聖ヤコブの亡骸は行方不明になり存在も忘れされたものになってしまいました。月日が流れ、9世紀に星の導きで聖ヤコブの墓が見つけられ、その場所にアルフォンソ2世が教会を建て、カンポ(野原)とステーラ(星)を合わせた意味のコンポステーラという地名が付けられたと言われています。

巡礼者として、1人で歩くトム

ダニエルの遺灰を撒き、祈りを捧げるトム
 
 
 
 現在、スペイン北西部のサンティアゴ・デ・コンポステーラは、ローマ、エルサレムと並びキリスト教三大巡礼地のひとつとされます。聖ヤコブの遺骨が発見されたとして大聖堂が建立されました。フランスから続く巡礼路のうち、スペイン国内の道は、1993年にユネスコの世界遺産にも登録されました。この聖地を目指す巡礼の道は1000年以上の歴史を持ち、巡礼者は年間に約30万人以上に上ります。巡礼者の1人となったトムは、行く先々でトムはダニエルの遺灰を撒き、祈りを捧げます。そんなとき、トムはダニエルの存在を強く感じるのでした。
 
 巡礼者はさまざまな道をたどりますが人気があるのは「フランス人の道」です。出発地としては、フランス側のサン・ジャン・ピエ・ド・ポーや、巡礼証明書が発行される条件を満たすサンティアゴから100Km地点のサリアを選ぶ人が多いそうです。遠くからでは、伝統的なフランスの町(ル・ピュイ、アルル、ヴェズレーなど)から出発する人や、さらに遠くからフランス内の道を目指す人、中世にならって自分の玄関から出発する人もいるとか。サン・ジャン・ピエ・ド・ポーからすべて歩くと780~900kmの距離で、1日平均20~25km歩くと1か月以上かかります。四国遍路を連想してしまいますね。

旅人を迎える宿泊施設の世話人

巡礼者たちの「隣人祭り」
 
 
 
 スペインと南フランスには、巡礼者に一夜の宿を与える宿泊施設(アルベルゲまたはレフーヒオ)が点在し、クレデンシャル(巡礼手帳)を持つ人は誰でも泊めてくれます。アルベルゲには公営と私営の施設があります。公営のものは教会や各地の村等が経営しており、寄付で賄っているところや有料で泊まれる宿などがあります。これらの施設は原則として予約はできず通常は1泊に限られます。私営のアルベルゲは公営よりも宿泊費がやや高くなっていますが、特色ある施設となっている楽しさもあります。各アルベルゲにはオスピタレロと呼ばれる世話人がいて、巡礼者のさまざまな問題や疑問に答えてくれます。映画「星の旅人たち」にも彼らが登場しますが、「ホスピタリティ」の原点を見るようでした。

ハートフル・ソサエティ』(三五館)
 
 
 
 拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の「ホスピタリティが世界を動かす」に書きましたが、ホスピタリティを人類の普遍的な文化としてとらえると、その起源は古いです。人類がこの地球上に誕生し、夫婦、家族、そして原始村落共同体を形成する過程で、共同体の外からの来訪者を歓待し、宿舎や食事・衣類を提供する異人歓待という風習にさかのぼります。異邦人を嫌う感覚を「ネオフォビア」といいますが、ホスピタリティはまったくその反対です。異邦人や旅人を客人としてもてなす習慣もしくは儀式というものは、社会秩序を保つ上で非常に意義深い伝統的通念でした。これは共同体や家族という集団を通じて形成された義務的性格の強いものであり、社会体制によっては儀礼的な宗教的義務の行為を意味したものもありました。

隣人の時代』(三五館)
 
 
 
隣人の時代』(三五館)にも書いたように、キリスト教の根底をなすのは「神への愛」ですが、人間社会では「隣人愛」が求められます。そして、隣人愛はホスピタリティの別名でもあります。「hospitality(ホスピタリティ)」の語源は、ラテン語のhospes(客人の保護者)に由来します。本来の意味は、巡礼者や旅人を寺院に泊めて手厚くもてなすという意味です。ここから派生して、長い年月をかけて英語のhospital(病院)、hospice(ホスピス)、hotel(ホテル)、host(ホスト)、hostess(ホステス)などが次々に生まれました。これらの言葉からもわかるように、それらの施設や人を提供する側は、利用者に喜びを与え、それを自らの喜びとしています。両者の立場は常に平等です。ゲストとホストは、ともに相互信頼、共存共栄、あるいは共生の中に存在しているのです。そういえば、キリスト教の聖地への巡礼の道中にある宿泊施設では、常に「隣人祭り」が開かれていました。

旅の道連れが4人に

ここにも悲縁がありました
 
 
 
 サンティアゴ・デ・コンポステーラはキリスト教カトリックの巡礼地ですが、キリスト教徒以外でも歩くことは問題なく、様々な動機や背景を持った人々が巡礼に訪れます。トムは、偶然出会ったオランダ人のヨスト、カナダ人のサラ、アイルランド人の作家ジャックと共に旅をすることになります。はじめのうちは彼らに頑なに心を開こうとしなかったトムも、さまざまな出会いと経験を通じて徐々に打ち解けて行くのでした。特に、サラは夫のDVから逃れるため、娘を手放したことによる深いトラウマとグリーフを抱いています。「娘の鳴き声を想像するわ」「時々、あの子の声が聴こえるの」「ひどい母親よ。母乳もあげられなかった」と嘆くサラと、息子を亡くしたばかりのトムの間にも悲縁というものが存在したのです。

ジプシーの「隣人祭り」に参加

ムシーアの海での散骨を提案される
 
 
 
 ある日、トムはダニエルの遺灰が入った大事なリュックをジプシーの子に盗まれます。必死で後を追ったトムと仲間たちでしたが、結局は泥棒の子を見失ってしまいます。途方に暮れるトムの前に、イズマエルと名乗るその子の父親が息子とともに現れます。彼はトムに対して深く謝罪し、「わたしたちジプシーは、ヨーロッパで忌み嫌われ、差別を受けている。しかし、誇り高く生きることを心掛けている。今回の息子のやったことは、一族の恥である。心からお詫びしたい」と言うのでした。彼から招待を受けて、トムたちはジプシーの隣人祭りに参加します。そして、イズマエルはダニエルの遺灰をムシーアの海に散骨することを提案します。差別の中で生きるイズマエルと、息子を失ったトム・2人の間には、コンパッションの交換とでもいうべきものが行われていました。

ついに目的の聖地に到着!

大聖堂では荘厳な儀式が......
 
 
 
 そして、ついに4人は、目的の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラに辿り着きます。大聖堂では毎日正午に巡礼者のためのミサが開かれ、巡礼者の祖国と出発地が唱えられます。聖ヤコブの祝日である7月25日やカトリックの祝日などにはボタフメイロという儀式を見ることが出来るでしょう。大聖堂へ入って巡礼の無事達成に感謝をささげた後、巡礼事務所へ足を運び、巡礼証明書を貰います。手続きの際には国、出発地、巡礼の方法(徒歩、自転車)、動機を用紙に記載し、最後の100km/200km踏破を証明するためのスタンプが押された巡礼手帳(クレデンシャル)を添えて申し込むのです。トムは最初は自分の名前で証明書を貰いましたが、ダニエルの名前に修正してもらいます。最初は不審に思ったものの、すぐに事情を察した担当者の思いやりが胸に沁みました。

ムシ―アに到着した4人

ムシ―アの海に向かい合う4人

亡き息子と魂の会話をする

亡き息子の遺灰を海に撒く父
 
 
 
 4人は目的地のサンティアゴ・デ・コンポステーラで別れるつもりでしたが、トムのムシーアへの旅に他の3人も付き合うことにします。それは旅の途中で出会ったジプシーの男イズマエルがトムに告げた「息子の遺灰をムシーアの海に撒け」との言葉に従う旅でした。ムシーアの海を前にした4人。トムを残して3人がその場を去ると、トムはダニエルの存在を強く感じながら、ダニエルの遺灰を海に撒きます。そしてトムはかつてのダニエルのように旅に出るのでした。現在、わが社のお客様でも海洋散骨を希望する方が増えており、来月は毎年恒例の沖縄での散骨に立ち会います。「なぜ、故人の遺灰を海に撒くのか」という問いの答えは、この映画の中にあるように思いました。
人生は「幸せ」を求めて歩き続ける旅

「オズの魔法使」(1939年)より

 
 
 それぞれ不安や悲しみを抱えた4人が救いを求めて巡礼する様子を見て、わたしは映画史に燦然と輝くミュージカル映画の名作「オズの魔法使」(1939年)を連想しました。カンザスの草原から竜巻に巻き上げられて家ごと吹き飛ばされた少女ドロシーと小犬のトトを中心に、かかし、ブリキの木こり、気の弱いライオンが、さまざまのできごとに出会いながら、不思議の国オズに住む魔法使いを訪ね、ついにもとのカンザスに戻るまでの奇想天外な冒険の物語です。ドロシーたちは幸せの国を目指して進んでいきますが、それが「星の旅人たち」の4人の姿に重なりました。人はみな、「幸せ」を求める人生の旅の旅人なのです。わたしも、いつか、サンティアゴ・デ・コンポステーラを訪れてみたいです。最後に、素敵な映画を紹介してくれた方に心から感謝いたします。