No.865
3月22日の夜、この日から公開された日本映画「四月になれば彼女は」をシネプレックス小倉で観ました。なんとなく甘ったるい高校生向けの恋愛映画の予感がして興味はなかったのですが、出演しているのが佐藤健、長澤まさみ、森七菜の実力派トリオなので、観ることにしました。結果は轟沈。1ミリも感動できないというか、「変な家」じゃなくて変な話だと思いました。「原作を読みたい!」とは、まったく思いませんでしたね。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「映画プロデューサーや小説家など多彩に活動する川村元気の恋愛小説を映画化。結婚直前に婚約者が謎の失踪を遂げた精神科医が、ある手紙をきっかけに初恋の記憶や婚約者との日々を回想する。監督は米津玄師らのミュージックビデオなどを手掛けてきた映像作家・山田智和。主人公を川村原作による『世界から猫が消えたなら』などの佐藤健、失踪した婚約者を『MOTHER マザー』などの長澤まさみ、主人公の初恋の相手を『君は放課後インソムニア』などの森七菜が演じる」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「4月のある日、結婚を間近に控えた精神科医・藤代俊(佐藤健)のもとに、かつて交際していた伊予田春(森七菜)から手紙が届く。ボリビア・ウユニ塩湖からの手紙には、10年前の初恋の記憶がつづられていた。そんなとき、俊の婚約者・坂本弥生(長澤まさみ)が謎めいた言葉を残して姿を消す。春はなぜ手紙を書いてきたのか、そして弥生はなぜ失踪したのか。戸惑う俊が愛する人を探し求める中で、二つの謎がつながっていく」
原作は、川村元気によるベストセラー小説です。
アマゾンの文春文庫版には、「胸をえぐられる、切なさが溢れだす――『世界から猫が消えたなら』『億男』『百花』の著者が描く、究極の恋愛小説。大反響のベストセラーがついに文庫化!」として、「音もなく空気が抜けるように、気づけば「恋」が人生から消えている。そんな時僕らはどうすべきか? 夢中でページをめくった。――新海誠(アニメーション監督)」「こんな物騒で厄介な小説を手放しで褒めていいのか、わたしは身を震わせる。――あさのあつこ(作家)」と書かれています。
また、アマゾンの内容紹介には、「4月、精神科医の藤代のもとに、初めての恋人・ハルから手紙が届いた。"天空の鏡"ウユニ塩湖からの手紙には、瑞々しい恋の記憶が書かれていた。だが藤代は1年後に結婚を決めていた。愛しているのかわからない恋人・弥生と。失った恋に翻弄される12か月がはじまる――なぜ、恋も愛も、やがては過ぎ去ってしまうのか。川村元気が挑む、恋愛なき時代における異形の恋愛小説。"あのときのわたしには、自分よりも大切な人がいた。それが、永遠に続くものだと信じていた。""私たちは愛することをさぼった。面倒くさがった。""わたしは愛したときに、はじめて愛された。それはまるで、日食のようでした。"」と書かれています。
「四月になれば君は」の原作小説は未読ですが、大量のレビューを見る限り、多くの読者を感動させてきたようです。しかしながら、映画はまったくピンときませんでしたね。原作のある映画を観て感動したとき、「原作を読みたい」と思うものです。一条真也の映画館「52ヘルツのクジラたち」で紹介したグリーフケア映画の名作を観たときは、一条真也の読書館『52ヘルツのクジラたち』で紹介した町田そのこ氏の原作小説を再読したいと思いました。しかし、映画「四月になれば君は」を観て、原作を読みたいとは思いません。
ネタバレを避けるために気をつけて書きますが、「四月になれば彼女は」という物語の核となる部分について「単なる婚約者の元恋人に対するジェラシーでは?」と思ってしまいます。本来、名優である佐藤健、長澤まさみ、森七菜も、みんな良いところがありませんでした。というか、話がとてもウソくさくて、リアリティが感じられませんでした。映像は綺麗なのですが、映画全体に血が通っていないのです。山田智和監督の作品だけあって、映画というよりもミュージックビデオのような印象を受けましたね。
この映画は、2組のカップルが登場する恋愛物語ですが、その組み合わせが非常にビミョーなのです。主演の佐藤健は現在35歳。学生時代の恋人を演じた森七菜は22歳。その差13歳で、学生同士のカップルを演じるにはちょっと無理があります。どう見ても、年齢の離れた兄と妹にしか思えません。長澤まさみは36歳ですが、身長が169センチ。170センチの佐藤健とほぼ同身長で、並ぶと長澤の方が大きく見えてしまいます。正直言って、このトリオはミスキャストではないでしょうか? それでも、佐藤健の恋人役さえ演じなければ、森七菜はなかなか良かったです。若手女優随一の透明感がありました。
わたしが森七菜という女優を初めて知ったのは、一条真也の映画館「ラストレター」で紹介した2019年の岩井俊二監督の映画です。夫と子供と暮らす岸辺野裕里(松たか子)は、姉の未咲の葬儀で未咲の娘・鮎美(広瀬すず)と再会する。鮎美は心の整理がついておらず、母が残した手紙を読むことができませんでした。裕里は未咲の同窓会で姉の死を伝えようとしますが、未咲の同級生たちに未咲本人と勘違いされる。そして裕里は、初恋の相手である小説家の乙坂鏡史郎(福山雅治)と連絡先を交換し、彼に手紙を送ります。森七菜は広瀬すずの妹役を演じました。妹役といえば、広瀬すずのデビュー作は一条真也の映画館「海街diary」で紹介した2015年の是枝裕信監督作品ですが、長澤まさみとは異母姉妹の関係で、広瀬すずが妹役でした。
また、広瀬すずは「四月になれば彼女は」と同じく「四月」がタイトルに入った映画に主演しています。2016年の新城穀彦監督作品「四月は君の嘘」です。完全無欠、正確無比、ヒューマンメトロノームと称された天才ピアニスト・有馬公生(山﨑賢人)は、母の死を境にピアノが弾けなくなってしまいます。高校2年生となった4月のある日、公生は幼馴染の澤部 椿(石井杏奈)と渡 亮太(中川大志)に誘われ、ヴァイオリニスト・宮園かをり(広瀬すず)と出会います。勝気で、自由奔放、まるで空に浮かぶ雲のように掴みどころのない性格―そんなかをりの自由で豊かで楽しげな演奏に惹かれていく公生。かをりの強引な誘いをきっかけに公生はピアノと"母との思い出"に再び向き合い始めます。ようやく動き出した公生の時間。だが、かをりの身体は重い病に侵されていたのでした。
「四月になれば彼女は」には「ラストレター」や「四月は君の嘘」の影響もしっかり感じるのですが、最も強い影響を感じる映画はやはり行定勲監督の「世界の中心で、愛をさけぶ」(2004年)です。長澤まさみが17歳でヒロインを務めました。このときの彼女は本当に可愛かった! この映画の原作は、片山恭一原作の200万部突破の純愛小説です。「十数年前」「高校時代」「最後の目的地に行けなかった思い出」「恋人の死」「初恋の女性を失った青年が抱えてきた喪失感」......2004年に公開された「世界の中心で、愛をさけぶ」と「四月になれば君は」の共通点は非常に多いです。おそらく、原作小説を書いた川村元気氏は大ベストセラーになった『世界の中心で、愛をさけぶ』を愛読していたのでしょう。そして、その影響を強く受けているはずです。間違いない!
『死ぬまでにやっておきたい50のこと』
「世界の中心で、愛をさけぶ」はオーストラリアのエアーズ・ロック、「四月になれば君は」はウユニ、プラハ、アイスランド......死ぬまでに行きたい旅の映画でもあります。いま挙げた場所は、いずれも絶景です。拙著『死ぬまでにやっておきたい50のこと』(イースト・プレス)で、わたしは、24「自然の絶景に触れて『自分の小ささ』を知る」という項目を書きました。わたしたちは、自然の絶景に触れると人間の存在が小さく見えてきて、死ぬことが怖くなくなってくると思います。「死とは自然に還ることにすぎない」と実感できるのではないでしょうか。特に、「一度は行きたい世界の絶景スポット」として、ウユニ塩湖、グランドキャニオン、アンコールワットなどが高い人気を誇っています。世界には想像を超えた絶景がたくさんあることに正直、驚かされます。
「四月になれば彼女は」は、写真の映画でもあります。森七菜演じる伊予田春は写真が趣味でしたが、ある場所で老人たちの写真を撮り続けます。それが遺影となる人も多かったと思いますが、わたしは一条真也の映画館「おもいで写眞」で紹介した2021年公開の熊澤尚人監督の映画を連想しました。仕事をクビになり失意に沈む音更結子(深川麻衣)は、祖母が亡くなったことを受けて帰郷します。母の代わりに自分を育ててくれた祖母を孤独に死なせてしまったと悔やむ中、幼なじみの星野一郎(高良健吾)から老人を相手にした遺影撮影の仕事に誘われます。当初は老人たちに敬遠されますが、一人で暮らす山岸和子(吉行和子)との出会いを機に、結子は単なる遺影ではなくそれぞれの思い出を写し出す写真を撮るようになっていくのでした。というわけで、「四月になれば彼女」には過去の名作映画の面影をたくさん感じたのですが、どうも監督に思い入れが強過ぎて、消化不良になっているように感じました。
あまりボロクソに書くにも気が引けるのと、わたしは「あらゆる映画を面白く観る」「どんな映画からも学びはある」と考えている人間なので、この映画の良いところも考えてみました。そういえば、弥生のセリフで心に残ったものが2つありました。1つは冒頭の結婚式場を下見するシーンで語った「考えてみれば、自分が主役で、みんなが集まってくれることって、結婚式やお葬式ぐらいしかないよね」という言葉です。もうすぐ4月になって桜が咲きますが、わたしは人生も桜のようなものだと思っています。満開の桜は人生最良の日である「結婚式」であり、散る桜は、次なるステージへと旅立つ「葬儀」を連想させます。かつて、「花は咲き やがて散りぬる 人もまた 婚と葬にて咲いて散りぬる」という道歌を詠んだことがあります。もう1つは、弥生が藤代に対して語った「愛を終わらせない方法は、手に入れないこと」という言葉です。これは恋愛の本質をとらえた名言だと思いました。
それから、映画のエンドロールで流れた主題歌が良かったです。藤井風の「満ちてゆく」という歌です。藤井は、「人生で初めてラブソングというものを書いてみようと意気込んでいました。しかし出来上がったものはこれまでずっと表現していたものの延長線上にありました」コメントしています。音楽評論家の萩原梓氏は、「RealSound」の記事に「これまでの藤井の楽曲を彷彿とさせるような、ピアノとボーカルが美しく絡み合った一曲です。クラシックやジャズの素養に裏打ちされたピアノのタッチは、心に染み渡るようなディープな響きがあり、丁寧かつソウルフルなボーカルは、一音ごとに繊細な変化を見せ、全体的に聴き手の耳をやさしく撫でるような心地よさがある」「歌う内容も深い。特に印象的なのは、サビの締めの〈手を放す、軽くなる、満ちてゆく〉というフレーズだ。曲を通して何度も繰り返されるこの一文は、心が"満ちる"までのある種の行程が順を追って描かれている。"満ち足りない時代を満たす歌"とでも表現すればいいだろうか"」と書き、絶賛しています。わたしも、聴く者の心を優しくする素晴らしいバラードだと感じました。そして、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」の主題歌だった平井堅の「瞳をとじて」を思い出しました。グリーフケア・ソングの名曲ですね。