No.866


 3月24日の日曜日、日本映画「ペナルティループ」をコロナワールドシネマ小倉で観ました。シネコン自体は多くの人で賑わっていたのですが、同作が上映された4番シアターの観客数はわたしを含めて2人。わたしが好きな伊勢谷友介の復帰作ということで観たのですが、内容的にはイマイチでしたね。でも、監督の志の高さは感じました。
 
 ヤフー映画の「解説」には、「恋人を殺害した犯人への復讐を繰り返すタイムループから抜け出せなくなった男を描くサスペンス。メガホンを取ったのは『人数の町』などの荒木伸二。主人公を『街の上で』などの若葉竜也、彼に繰り返し復讐される犯人を『あしたのジョー』などの伊勢谷友介、主人公の恋人を『Ribbon』などの山下リオ、タイムループの謎を握る人物を『ドライブ・マイ・カー』などのジン・デヨンが演じる」と書かれています。
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「素性不明の男・溝口登(伊勢谷友介)に恋人・砂原唯(山下リオ)を殺された岩森淳(若葉竜也)。喪失感にさいなまれる彼は自らの手で犯人に復讐すべく、綿密な計画のもとで犯行を実行するが、翌朝目覚めると周囲の様子は昨日と変わらず、殺したはずの溝口も生きていた。時間が昨日に戻っていることに気付いた淳は、戸惑いながらも再び溝口を殺害するが、何度殺しても同じ日を繰り返すタイムループにはまり込んでしまう」
 
 わたしの専門分野の1つがグリーフケアですが、映画「ペナルティループ」は恋人を殺された主人公のグリーフケアの物語です。その手段は復讐という(負の)グリーフケアですが、彼は、ある会社の「被害者遺族の心情に鑑み、犯人に対して複数回の処刑を行う」サービスに登録します。その方法というのは、まあSF映画ではおなじみのアレなのですが。そのサービスに従って、若葉竜也演じる岩森は、伊勢谷友介演じる溝口という男を何度も殺害するのでした。しかし、その結果、岩森のグリーフがケアされたかどうかは......おっと危ない!ネタバレになるので、ここまでです。いずれにしろ、復讐、仇討ち、あるいは憎き犯人の死刑執行などがグリーフケアになりうるかどうかというのは、わたしにとって重要テーマなのです。
 
「ペナルティループ」を観た最大の理由は、伊勢谷友介さんが出演していたからです。わたしは彼のファンだったのですが、ブログ「伊勢谷友介よ!」で紹介したように、2020年9月に大麻取締法違反の疑いで逮捕されたニュースには驚きました。伊勢谷さんは俳優として多くのドラマや映画に出演。2011年第20回日本映画批評家大賞助演男優賞を受賞、2012年にはブルーリボン賞助演男優賞、さらに日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞していますが、わたしは彼に会ったことがあります。もう15年ぐらい前になると思いますが、六本木ヒルズのクラブで開かれたパーティー(沢尻エリカ嬢も来てました!)で、彼の知り合いだった友人から紹介されたのです。
 
 パーティーで会った伊勢谷さんはものすごい男前でドキドキしましたが、とても教養が豊かな印象を受けました。英語もベラベラです。友人がわたしのことを「冠婚葬祭会社の社長さんですけど、本をたくさん書かれている作家さんでもあります」と紹介してくれると、彼は「本を書く人って尊敬します。どんな本なんですか?」と言ってくれました。わたしは何冊かの自著を紹介して、「よかったら、今度お送りしますよ」と言うと、すごく喜んでくれました。『ハートフル・ソサエティ』(三五館)を送りました。
 
 伊勢谷さんとは映画の話もしました。
 じつは、わたしは彼が主演した映画「CASSHERN」(2004年)に感動し、そのことを宗教哲学者の鎌田東二先生との往復書簡である「ムーンサルトレター」に書きました。すると、鎌田先生も同作を観て、絶賛されていました。わたしが彼に「『CASSHERN』を観ましたが、素晴らしかったです。日本映画の最高傑作の1つだと思いました」と言うと、彼は「本当っすか!」とすごく嬉しそうな顔をしてくれました。その後、しばらく映画談義をしましたが、わたしたちは意気投合したと思います。伊勢谷さんには、本当に「好青年」という印象しか受けませんでした。その彼の復帰作が「ペナルティループ」です。なんと10回も殺される役で、これは長い映画の歴史でも一番多いのではないでしょうか?
 
「ペナルティループ」には、犯罪被害者の人権問題など、現実社会の課題が反映しています。メガホンを取った荒木監督は、「AERA」のインタビューで、「死刑制度の問題とかももちろん関係しているんだけど、でも何かの答えを聞くことが映画ではない、という強い思いがある。僕はそこからがんばって逃げているんです。見た人の感想をこちらが明示するようなことは絶対にやらないようにしようって。それはたぶん日本映画界ではあんまり歓迎されない流れなのかもしれなくて。いまは映画公開と同時に『正解の解釈』のようなものが発表されている感じがするんですよね。作り手が発表しているのかわからないけど、 そのことに正直、飽き飽きしているし、ムカついているっていうか」と語っています。また、「コロナ禍で娯楽を作る人たちが保守的に」と指摘しています。
 
 荒木監督は1970年、東京生まれ。東京大学教養学部表象文化論科卒業後、広告代理店に入社。CMプランナーとして松本人志が出演する「バイトするならタウンワーク」のCMやミュージックビデオなどの企画制作をしました。本業の傍ら、2012年よりシナリオを本格的に学び、第1回木下グループ新人監督賞の準グランプリに選出された脚本『人数の町』が映画化。2020年9月、監督デビュー作として全国公開されました。映画「人数の町」は中村倫也が主演を務めるミステリーです。自由に出入りできるのになぜか離れることができない不思議な町の住人となった青年が、その謎に迫っていく。荒木監督はこの作品でも架空の町を舞台に現代社会の問題を映し出しているそうです。配信で鑑賞できるそうなので、ぜひ観てみたいです。

「CINEMORE」のインタビューで「前作と今作に共通するSFの世界観に引き込まれますが、ご自身の中で意識されているものはありますか」という質問に対して、荒木監督は以下のように答えています。
「僕は70年生まれで、7歳のときに『未知との遭遇』(77)と『スター・ウォーズ』(77)に出会ってますから(笑)。60年代の熱狂が完全に終わっていた時代では、UFOとか『ムー』とか、そういう怪しげなものも含めた全てがSFだった気がします。SF的なCGや仕掛けがすごく好きなわけではなく、考えを解放する場所としての"未来"や"装置"などに惹かれるのでしょうね。僕の世代だとそれが最初にセットされているような感覚もあります。勉強でもずっと理数系の方が好きでしたし、文学的なことよりも数学的なものに興味があった。『未来はどうなっていくのだろう』と今もまだ考えていますね」
 
 また、「日本映画でこういった世界観を確立するのは難しいと思いますが、制作にあたり気をつけていることはありますか?」という質問に対して、荒木監督は「片手にSFを持っているので、もう一方では社会性みたいなものを持っているつもりです。"LGBTQ"、"ハラスメント"、"反戦"などを羅列してトピックとして捉えるのではなく、それが自分の人生や価値観にどう絡んでくるか、そういう視点を求めています。SF、社会性と両手にそれぞれ持っているので、トピックとして単体で扱う余裕もないんです。海外はそこが上手ですよね。むしろそれ無しには製作のGOが出ない感じすらある。一方で邦画が言うエンタメって王道という名の使い古された感動話が好きだから、社会性を扱っているようでそれが全く表現に結びついていない。何の問題を描いても、同じような内容で問題がすげ替わっているだけな感じがします」と答えています。
 
 荒木監督の志は高いですが、「ペナルティループ」にもさまざまな想いが込められているのでしょう。タイムループで何回も殺されるというアイデア自体は珍しいものではありません。有名なところでは、クリストファー・ランドン監督の「ハッピー・デス・ディ」(2017)があります。マスクを被った謎の人物に殺される誕生日を何度もループする女子大生を描いたタイムリープホラーです。毎晩飲んだくれながら、さまざまな男性と関係を持つ大学生のツリー(ジェシカ・ロース)は、誕生日を迎えた朝にカーター(イズラエル・ブルサード)のベッドで目を覚ますが、1日の出来事をすでに経験したような違和感を抱く。そして1日が終わるとき、マスクをかぶった何者かに殺されてしまう。しかし目を覚ますと、ツリーは再びカーターの部屋で誕生日の朝を迎えていたのでした。
 
 また、タイムループを主題にした映画はそれこそ多数作られていますが、最も名作だと思うのは、一条真也の映画館「オール・ユー・ニード・イズ・キル」で紹介した2014年のダグ・リーマン監督のSF映画ですね。2004年に発表された桜坂洋のライトノベルを、トム・クルーズ主演でハリウッド実写化。「ギタイ」と呼ばれる謎の侵略者と人類の戦いが続く近未来が舞台です。再び戦死するとまた同じ時間に巻き戻り、不可解なタイムループから抜け出せなくなったウィリアム・ケイジ少佐(トム・クルーズ)は、同様にタイムループの経験を持つ軍最強の女性兵士リタ・ヴラタスキ(エミリー・ブラント)に訓練を施され、次第に戦士として成長していきます。戦いと死を何度も繰り返し、経験を積んで戦闘技術を磨きあげていくケイジは、やがてギタイを滅ぼす方法の糸口をつかみはじめるのでした。

死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)
 
 
 
「オール・ユー・ニード・イズ・キル」は拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)でも紹介。同書のテーマは「映画で死を乗り越える」ですが、わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。映画と写真という2つのメディアを比較してみましょう。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。「ペナルティループ」の荒木監督は、「映画は時間をいじることができる芸術なので、これまでも『ループもの』は多く作られてきた。その究極を作ってみたかったんです」と語っていますが、まさに映画の本質に挑んだ作品だと言えるでしょう。