No.920
7月11日、東京の有明で出版関係の打ち合わせをした後、ヒューマントラストシネマ有楽町でドキュメンタリー映画「ザ・ビートルズの軌跡 リヴァプールから世界へ」を観ました。72分の上映時間だと短いかと思っていましたが、高齢の関係者へのインタビューのみの地味な構成で、逆に長く感じてしまいました。
ヤフーの「解説」には、「イギリスのロックバンド『ザ・ビートルズ』がスターダムを駆け上がるまでの前日譚を、関係者へのインタビューなどからひもといたドキュメンタリー。ドイツのハンブルクでの巡業やデビュー直前のメンバー交代劇などを、初代マネージャーのアラン・ウィリアムズや解雇されたドラマーのピート・ベストといった、初期のザ・ビートルズをデビュー前から知る人たちが語る。監督をボブ・カラザーズが務める」と書かれています。
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「1962年に『ラヴ・ミー・ドゥ』でレコードデビューし、次々とヒット曲を飛ばした後、1970年に解散したザ・ビートルズ。デビュー前、イギリス・リヴァプールで活動し、初代マネージャーとなるアラン・ウィリアムズと出会う。ハンブルクでの公演やバンドメンバーの脱退と加入などを経て、やがて大成功を収める」
世界を席巻する前のビートルズは、駆け出しのセミプロ集団に過ぎませんでした。リンゴ・スターが加入する前のビートルズのドラムは、ピート・ベストが担当していました。彼はジェームス・ディ―ンを彷彿とさせるハンサムであり、演奏も一流で、非常に舞台映えがしました。それをポール・マッカートニーが嫉妬したという説もあるようですが、ビートルズのメンバー全員で居酒屋に行くときもピートだけは彼女と2人で帰宅するなど、協調性に欠けるところがあったようです。
この映画の出演者の1人が、「ピートは素晴らしいドラマ―だったが、素晴らしいビートルではなかった」語っていますが、要するにビートルズの雰囲気に合わなかったのでしょう。でも、そんな話をグダグダとインタビューで語られても、熱心なビートルズ研究家ならまだしも、一般の映画鑑賞者には退屈なだけです。ピートが演奏している映像が一切なかったことも致命的でしたね。ビートルズが「エド・サリバン・ショー」に出演した映像を何度も使い、ラストもそれに頼ったことには失望しました。
ビートルズのハンブルグ時代については、『ビートルズ・イン・ハンブルク: 世界一有名なバンドを産み出した街』イアン・イングリス著、朝日順子訳(青土社)という本に詳しく書かれています。同書は1960年8月にビートルズのエージェントであるアラン・ウィリアムズが最初に派遣したドイツ・ハンブルクでのビートルズの様子を生き生きと描き、ハンブルクという街がビートルズの物語にどのような役割を果たしたのかを示すだけでなく、彼らが直面した困難――公演会場、年齢制限、国外追放などの問題――、そして演奏家や作曲家としての彼らを形成した経験についても詳しく描いています。ビートルズはハンブルクにおいてプロのミュージシャンになっただけでなく、最終的に世界で最も人気のあるバンドになるための礎を築き始めていたことを明らかにしています。
本作「ザ・ビートルズの軌跡 リヴァプールから世界へ」はドキュメンタリー映画として駄作であると思いますが、同じビートルズについてのドキュメンタリー映画でも、一条真也の映画館「ミスタームーンライト~1966 ザ・ビートルズ武道館公演 みんなで見た夢~」で紹介した作品は良かったです。ビートルズが初来日した1966年は、わが社が創立した年でもあります。その年、ビートルズは日本武道館で5回の公演を行いました。その伝説的公演の舞台裏で奔走した人々、ステージに立ったザ・ビートルズの姿を目の当たりにした人たちなどの証言を通して、公演実現までの軌跡や日本におけるザ・ビートルズの人気に迫ります。わたしが知らなかった事実の波状攻撃に驚くとともに、大いに感動しました。ドキュメンタリー映画の大傑作です!
ちなみに、ザ・ビートルズは「史上最も売れたアーティスト」で不動の1位です。2位はリアーナ、3位はマイケル・ジャクソン、4位はエルヴィス・プレスリー、5位はエルトン・ジョン、6位がマドンナ、7位がレッド・ツェッぺリン、8位がピンク・フロイドとなっています。ビートルズの曲を聴くと、誰でも心を動かされるでしょう。そこには、モーツァルトにも通じる芸術的普遍性があるように思います。わたしが特に好きなビートルズの曲は「イエスタデイ」「レット・イット・ビー」「オール・ニード・イズ・ラヴ」「ヘイ・ジュード」「ノルウェイの森」ですが、彼らの楽曲は「こころの世界遺産」だと確信します!