No.955


 10月16日の朝、ヒューマントラストシネマ有楽町でインド映画「花嫁はどこへ?」を観ました。前日に会食した映画通の知人から「この作品だけは絶対に観た方がいいですよ」と勧められ、急遽鑑賞することにしたのですが、やはり観て良かったです。最高に素晴らしい感動作でした!
 
 ヤフーの「解説」には、「『きっと、うまくいく』などの俳優アーミル・カーンがプロデューサーを務め、取り違えられた花嫁の騒動を描いたドラマ。同じベールで顔を隠し、満員電車に乗っていた2人の花嫁が、花婿の勘違いによって取り違えられてしまう。監督を務めるのは『ムンバイ・ダイアリーズ』などのキラン・ラオ。ニターンシー・ゴーエルやプラティバー・ランター、スパルシュ・シュリーワースタウなどが出演する」と書かれています。
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「同じ電車に乗った花嫁のプール(ニターンシー・ゴーエル)とジャヤ(プラティバー・ランター)は、インドの村にある花婿の家へ向かっていた。しかし、同じ赤いベールをかぶっていたため、プールの夫・ディーパク(スパルシュ・シュリーワースタウ)がジャヤを家に連れ帰ってしまう。しかもプールは夫の連絡先を知らなかった。一方のジャヤは、なぜかディーパクの家から帰ろうとしなかった」
 
 わたしは、インド映画が好きです。きっかけは、一条真也の映画館「きっと、うまくいく」で紹介した2009年の作品を観たことでした。最高に面白くて、どハマリしました。ハリウッドを凌ぎ世界一の製作本数&観客動員数を誇る映画大国インドで、なんと歴代興行収入ナンバーワンの偉業を達成した大ヒット感動ムービーです。主演は"ミスター・パーフェクト"の異名を取るボリウッドの大スター、アーミル・カーン。舞台は日の出の勢いで躍進するインドの未来を担うエリート軍団を輩出する、超難関理系大学ICE。未来のエンジニアを目指す若き天才が競い合うキャンパスで、型破りな自由人のランチョー、機械よりも動物が大好きなファラン、なんでも神頼みの苦学生ラージューの"三バカトリオ"が、鬼学長を激怒させるハチャメチャ珍騒動を巻き起こします。合言葉は「きっと、うまくいく!!」でした。
 
 超名作である「きっと、うまくいく!!」に代表されるように、インド映画といえば、やたらと長くて、ボリウッドダンスが付きものです。もちろん、それがインド映画の長所でもあるのですが、アーミル・カーンがプロデューサーを務めた「花嫁はどこへ?」は、ちょっと違います。上映時間が2時間ちょっとと、インド映画にしてはかなり短く、強引なボリウッドダンスもありません。最近のインド映画にありがちな不死身アクションも見られず、ひたすらハートフルな人間ドラマに徹しています。それでも、インドの社会問題を扱っていて、冒頭の複数の新婚カップルが列車に乗り込むシーンでは、花嫁はみな赤いベールを深々と被り、顔を覆っています。これは女性の尊厳を守るためのベールということになっていますが、じつは女性の自由を奪うものでもあります。
 
 新婚夫婦が乗り込んだ満員列車の中で、幼な妻のプールはひょんなはずみでディーパクとはぐれてしまいます。ベールが顔を覆っているために、ディーパクが間違ってジャヤを連れて列車を降りてしまったのです。たった一人で見知らぬ駅に取り残されてしまったプールは、今さら実家に戻るわけにもいきません。彼女は夫の村の名前も分からず、途方に暮れてしまいます。物語の時代設定は2001年ですが、日本と違って、インドは治安が良くありません。外では粗野な男たちがうろついており、恐怖のあまりプールは駅のトイレに隠れて夜を明かします。彼女は駅に住み着いた物乞いの二人組と売店のおばちゃんに助けられ、命拾いします。ここには見事な助け合い精神が見られました。"THEコンパッション映画"というか、貧しい者同士が助け合い、支え合って生きる姿を見ていると、古き良き日本の「人情」を思い出します。まるで寅さん映画のようで、その意味では、日本では松竹がこの映画を配給していることがきわめて自然のように思えました。
 
 それにしても、インドの広大さ、人口の多さ、言語の多様さ、そして無教育な人々......自分の出身地さえ満足に伝えられない中で、インドで迷子になったら生死に関わることがわかります。わたしは、「花嫁はどこへ?」と同じく、列車で迷子になる物語である一条真也の映画館「LION/ライオン〜25年目のただいま〜」で紹介した2017年の映画を思い出しました。インドのスラム街。5歳のサルーは、兄と遊んでいる最中に停車していた電車内に潜り込んで眠ってしまい、そのまま遠くの見知らぬ地へと運ばれて迷子になる。やがて彼は、オーストラリアへ養子に出され、その後25年が経過する。ポッカリと人生に穴があいているような感覚を抱いてきた彼は、それを埋めるためにも本当の自分の家を捜そうと決意。わずかな記憶を手掛かりに、Google Earthを駆使して捜索するのでした。最後は、大きな感動が観客の心を包み込みます。
 
「花嫁はどこへ?」は、女性のための物語です。迷子になったプールが身を寄せた売店で働く肝っ玉おばちゃんは、暴力夫と別れ、貧しいながらも自立した生活を営んでいました。彼女から励まされたプールは、母から仕込まれたお菓子作りの腕を発揮し、生まれて初めて自分の力でお金を稼ぎます。一方、もう1人の花嫁であるジャヤは、親の決めた裕福な相手との結婚を望んでおらず、大学で農業の勉強をしたいと願っていました。ジャヤもまた新郎に連れられ列車の旅に出ますが、ひょんなことからディーパクの村へ潜り込み、偽名を使って村に居座るのでした。彼女の作戦はなんとか新郎から離れ大学へ行くことでしたが、警察に身元を暴かれ、金目当ての結婚詐欺犯として留置所に入れられてしまいます。そして本物の新郎が彼女を迎えにやってきます。スリリングな展開ですが、最後には感動が待っています。2人の花嫁の「あなたのおかげで、見つけてみらえた」「あなたのおかげで、自分を見つけられた」というセリフが心に刺さりました。
 
 この映画の素晴らしいところは、結婚を望む女性も、望まない女性も、ともに肯定している点です。プールは夫を支え、伝統に従って生きようとする、良妻賢母型の女性。ジャヤは大学で高等教育を受けることを望み、新しい生き方を模索する女性。2人の女性の考え方も生き方もまったく違いますが、ともに幸せになるために必死に生きています。観客は、「どちらの女性も幸せになってほしい」と願わずにはいられません。最近のハリウッド映画に見られるような安易なポリコレなど足元にも及ばないような「人間賛歌」がここにはあります。また、アメリカや日本のフェミニズム活動家には、自分の生き方を肯定したいために相手の生き方を否定する人が多いですが、プールとジャヤはけっして対立せず、お互いに深く理解しています。世界中のあらゆる女性は、「花嫁はどこへ?」を観て、「自分のための映画だ」と思うのではないでしょうか?
 
「花嫁はどこへ?」は女性の人生にエールを送る映画ではありますが、インドの女性たちを取り巻く様々な問題も描かれています。親の決めた相手との結婚と持参金の負担。ネットでは、「持参金が少なかったからと、夫の家族らが新婦を殺害する持参金殺人も相次いでいる。最悪期の2011年には年間8618人の女性が犠牲になった」などという悲惨な記事が出ています。この映画には、持参金目当ての悪い夫も登場します。でも、ラヴィ・キシャンが演じた警察官マノハールが悪党をスカッと退治してくれます。当初は、マノハール役はアーミル・カーンが演じる予定だったとか。最後に、迷子になったプールは夫の村の名前も分かりませんでしたが、「花の名前だった」ことだけは記憶していました。それで、周囲の者がいろんな花の名前を言ってみるのですが、どれも違いました。最後の最後に、その花が「向日葵」であることがわかったとき、わたしは亡き父の葬儀の祭壇で遺影を向日葵が囲んでいたことを思い出し、涙が溢れてきました。まだ、わたしのグリーフは深いようです。今日17日は、父の「五七日」です。
葬儀の祭壇で「向日葵」に囲まれた父の遺影