No.954


 金沢に来ています。10月12日の夜、金沢駅前のイオンフォーラスで日本映画「傲慢と善良」を観ました。そんなに期待はしていませんでしたが、思ったよりも面白かったです。あと、2人の上級グリーフケア士と一緒に鑑賞したのですが、この映画にもグリーフケアの要素がありました。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「辻村深月の小説『傲慢と善良』を実写化したミステリーロマンス。婚約者が失踪し、その行方を追う男性が、彼女の思わぬ過去とうそを知る。監督を務めるのは『ブルーピリオド』などの萩原健太郎。『そして僕は途方に暮れる』などの藤ヶ谷太輔、『先生の白い嘘』などの奈緒、『OUT』などの倉悠貴のほか、桜庭ななみ、阿南健治、宮崎美子、西田尚美、前田美波里らが出演する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「30代の架(藤ヶ谷太輔)は、長年付き合っていた恋人と別れたことをきっかけにマッチングアプリで婚活を始め、真実(奈緒)という女性と出会う。真実と1年間交際しても結婚に踏み切れずにいた架だったが、真実からストーカーの存在を告白され、その直後に恐怖におびえた声で助けを求める着信を受ける。真実を守らなければならないと婚約するが、彼女は突然姿を消してしまい、真実の行方を追う架は、彼女の両親や友人、過去の恋人などのもとを訪ねるうちに、真実の驚くべき過去とうそを知る」
 
 原作小説は文庫で504ページもありますが、8000件を超える高評価レビューが入っています。アマゾンの内容紹介には、「婚約者・坂庭真実が姿を消した。その居場所を探すため、西澤架は、彼女の『過去』と向き合うことになる。『恋愛だけでなく生きていくうえでのあらゆる悩みに答えてくれる物語』と読者から圧倒的な支持を得た作品が遂に文庫化。《解説・朝井リョウ》」と書かれています。わたしはまったく知りませんでしたが、辻村深月によるこの小説は多くの読者から支持を受けているのですね。
 
 主演の藤ヶ谷太輔と奈緒の2人は良かったです。わたしがこの2人の名優の存在を知ったのはけっして古くはありません。まず、藤ヶ谷ですが、一条真也の映画館「そして僕は途方に暮れる」で紹介した2023年公開の日本映画で知りました。自堕落な生活を送るフリーターの菅原裕一(藤ヶ谷太輔)は、長年共に暮らしている恋人・鈴木里美(前田敦子)とふとしたことで口論になり、話し合うこともせず家を飛び出してしまう。それ以来親友、学生時代の先輩や後輩、姉、母のもとを渡り歩く彼は、気まずくなるとそこから逃げ出し、あらゆる人間関係から逃げ続けていく。行き場をなくして途方に暮れる裕一は、かつて家族から逃げた父・浩二(豊川悦司)と10年ぶりに再会するのでした。「そして僕は途方に暮れる」と「傲慢と善良」で藤ヶ谷が演じたキャラクターは違いますが、ともに調子に乗っていてしっぺ返しを食うところは共通しています。
 
 一方の奈緒ですが、最初に彼女の存在を知ったのはブログ「あなたの番です」で紹介したTVドラマでの怪演によってでしたね。女優としての彼女の存在感の大きさに注目したのは、一条真也の映画館「マイ・ブロークン・マリコ」で紹介した2022年公開の日本映画でした。「文化庁メディア芸術祭マンガ部門で新人賞に輝いた平庫ワカのコミックを映画化した作品です。気の晴れない日々を送るOL・シイノトモヨ(永野芽郁)は、親友・イカガワマリコ(奈緒)が亡くなったことをテレビのニュースで知ります。マリコは子供のころから実の父親(尾美としのり)にひどい虐待を受けており、そんな親友の魂を救いたいと、シイノはマリコの遺骨を奪うことを決断します。マリコの実家を訪ね、遺骨を奪い逃走したシイノは、親友との思い出を胸に旅に出るのでした。このマリコという役は、「傲慢と善良」の真実に通じる心の闇を持っています。
 
「傲慢と善良」について、メガホンを取った萩原健太郎監督は、映画公式HPに「架は天然なんだけどどこか憎めないキャラクターです。スターなのに誰とでも常にフラットに接する藤ヶ谷さんと重なる部分を感じました。藤ヶ谷さんのコアにあるそういう優しさが現場で常に滲み出ていて、どんどん架のことが好きになりました。奈緒さんは真実というキャラクターの背景をどこまでも深く広く想像力をもって演じてくださいました。撮影前は想像していなかった真実の姿を見る度に真実が自分の想像を超えて魅力的な女性であると気付かされました。原作小説の行間にある架と真実の感情の機微をお二人が繊細に表現してくださったお陰で実写映画化した意味を強く感じました。『傲慢』と『善良』は表裏一体で、きっとその狭間を行き来しながら生涯付き合っていかなければなりません。本作が、完璧じゃない他人や自分を受け入れて前に向かって進む一助となることを願っています」とのコメントを寄せています。
 
 一緒に鑑賞した上級グリーフケア士の1人、サンレーの大谷部長は、「幼少の時から母親『傲慢さ』を表に出すこと禁じられ、そして植え付けられた『善良』。『傲慢』さを『善良』で隠し続けた結果、エゴという名の「歪んだ傲慢」の現われ。そんな自分を否定され、心の行き場所を無くしてしまった結果の失踪。悲しみをきちんと表現する。傷つくときはきちんと傷つく。それを否定した結果、悲しんでいる自分を否定してしまい居場所を失ってしまう。そんな自分がこの世の中から消えてなくなればいいと自死を選ぶ人もいる今の世の中。主人公が向かった先のボランティアは、グリーフケア・サポートの『月あかりの会』を連想させ、あらためて悲しみを否定しない安心安全な場所が社会には必要なのだと強く思いました。まさにこれはグリーフケアの物語でした。母親に持たされてしまった善良さも、抑圧され続けた傲慢さも、誰かが優しく手を差し伸べてどちらも抱えたままでいいのだと分かること。この映画で、『悲しみは個人の問題である』という今の日本社会の抑圧が、グリーフケアという光によって解放され、輝いていくというメッセージを感じました!」と述べています。
 
 また、同じく一緒に鑑賞した上級グリーフケア士のもう1人、サンレーの市原部長は、「『傲慢と善良』を鑑賞して先ず感じたことは、ひとりひとりに価値観があり、人はそれに固執し自分自身の枠組で、他人や世界を当てはめてしまうこと、そしてあるがまま受け入れることの難しさを改めて感じました。ボランティアで訪れた熊本ではそのあるがまま受け入れることに近いことが行なわれていたように感じています。互いに価値観を押し付けず、話したくなったら聴いてもらえる。グリーフケアの場に似ているように思いました。その場を経験したからこそラストシーンの互いの告白が生まれてきたように思いました。グリーフケアの映画だったと感じています。ラストシーンに向かっていくにつれ、真実が生き生きと見えて来たのもケアが行なわれてきたからのように感じています。グリーフケアの可能性を感じさせていただきました」と述べています。ともに、上級グリーフケア士らしい感想であると思いました。
 
 さて、「傲慢と善良」には、マッチングアプリが重要な要素として登場します。わたしは、一条真也の映画館「マッチング」で紹介した2024年2月公開の日本映画を思い出しました。マッチングアプリがもたらす恐怖を描いたサスペンススリラーです。恋愛に消極的なウエディングプランナーが、アプリでの出会いをきっかけに想像を絶する恐怖を味わいます。ウエディングプランナーの輪花(土屋太鳳)は恋愛に消極的でしたが、同僚に勧められてマッチングアプリに登録します。間もなくある男性とやり取りが始まり初デートに向かうと、現れたのはプロフィールとは程遠い雰囲気の男でした。同じころ、アプリ婚をした利用者が殺害される事件が相次ぎ、彼女が出会った男が捜査線上に浮かぶのでした。なかなか怖い映画でしたね。
 
 一条真也の読書館『「今どきの若者」のリアル』で紹介した中央大学文学部教授(家族社会学)の山田昌弘氏の編著の第三章「マッチングアプリと恋愛コスパ主義」において、山田氏は、恋人や結婚相手との出会いのパターンを大きく、①「自然な出会い」、②「偶然の出会い」、③「積極的な出会い」の3つに分けています。①「自然な出会い」とは、幼なじみ、学校、職場、趣味のサークルなど、身近にいる人を好きになり、交際を始めるというもの。②「偶然の出会い」とは、旅先や街中、バーなどで、素性をよく知らない人とたまたま出会って好きになり、交際が始まるというもの。③「積極的な出会い」とは、自分から交際相手あるいは結婚相手を積極的に見つけにいくもの。以上が、山田氏のいう「婚活」(もしくは恋活)です。
 
 見合いでも、友人の紹介でも、合コンでも、結婚相談所でも、そしてマッチングアプリであっても、最初からお互いに交際(恋人、結婚)相手候補として相手と会うので、「積極的出会い」に含まれるそうです。マッチングアプリが含まれる「積極的な出会い」は、リスクに関して「自然な出会い」と「偶然の出会い」との中間といえます。山田氏は、「会う前から、釣書(自己紹介書)やネット上のプロフィールで相手のある程度の情報を知ることはできる。親戚の紹介での釣書にはウソはないかもしれないが、いわゆる仲人口で実際よりも誇張されて伝えられるかもしれない。一方、出会い系では職業や年齢でもウソが書かれている可能性がある」と述べています。
 
 日本におけるマッチングアプリの隆盛の背景には、婚活ブームがあります。「婚活」という言葉は、山田氏がジャーナリストの白河桃子氏と2008年に刊行した『「婚活」時代』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)で生まれました。「パラサイト・シングル」「格差社会」で知られる気鋭の社会学者の山田氏。結婚・恋愛・少子化をテーマに圧倒的な質量の取材と執筆・講演活動を続けるジャーナリストの白河氏。両氏は、驚くべきスピードで進む晩婚化・非婚化の要因と実態を明快にリアルに伝え、早速読んだわたしも衝撃を受けました。この「婚活」というキーワードの誕生によって、結婚相手を探すことが人目をはばかるものではなく、「就活」などと同じように、自分の将来のために能動的に取り組むものという意識が広がったのです。
結魂論〜なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)



 それにしても、「傲慢と善良」を観て、思うのはベスト・パートナーに出会うことの難しさです。そして、その不思議さです。そもそも縁があって結婚するわけですが、「浜の真砂」という言葉があるように、数十万、数百万人を超える結婚可能な異性の中からたった1人と結ばれるとは、何たる縁でしょうか! 拙著『結魂論』(成甲書房)でも紹介したように、かつて、古代ギリシャの哲学者プラトンは、元来が1個の球体であった男女が、離れて半球体になりつつも、元のもう半分を求めて結婚するものだという「人間球体説」を唱えました。元が1つの球であったがゆえに湧き起こる、溶け合いたい、1つになりたいという気持ちこそ、世界中の恋人たちが昔から経験してきた感情です。恋愛にしろ、お見合いにしろ、友人や知人の紹介にしろ、そして婚活にしろ、世界中の人々が自分の魂の片割れと出会い、「結魂」を果たすことを願ってやみません。