No.970


 東京に来ています。11月21日、業界の会議と出版の打ち合わせの間を縫って、ヒューマントラストシネマ有楽町でスペイン・フランスのアニメ映画「ロボット・ドリームズ」を観ました。評判の高さは事前に知っていましたが、やはりラストは泣けましたね。素晴らしい感動作でした。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「サラ・ヴァロンのグラフィックノベルを原作に、ドッグとロボットの友情を描く長編アニメーション。1980年代のニューヨークを舞台に、孤独なドッグが自分の手で作ったロボットと絆を深めていく。監督などを手掛けるのは『ブランカニエベス』などのパブロ・ベルヘル。第96回アカデミー賞長編アニメ映画賞にノミネートされた」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、「1980年代のニューヨーク。マンハッタンで暮らすドッグは孤独を感じ、友人となるロボットを自ら作り上げる。自作のロボットとドッグが友情を深めていく中で季節は移ろい、やがて夏がやって来る。ドッグとロボットは海水浴に出かけるが、ロボットがさびついて動けなくなってしまう」です。
 
 この映画には、ドッグをはじめ、キャットやダック、ラスカルなど、ありとあらゆる動物たちが登場します。でも、彼らは二足歩行で人間のような生活を送っていますので、もちろん人間のメタファーです。冒頭でドッグの私生活が描かれますが、一人暮らしで友人もおらず、非常に孤独です。わたしはニューヨークには住んだことはありませんが、九州の高校から東京の大学に進学したとき、いきなり六本木のマンションで一人暮らししました。というのも、父が東京出張用に持っていたマンションに住んだのです。「ロボット・ドリームズ」の冒頭シーンを観て、そのときの孤独感を思い出しました。もっとも、六本木のディスコに毎晩のように通ううちに、友人はたくさん作れました。わたしの部屋が彼らの溜まり場のようになって、父から怒られましたけど(苦笑)。なつかしい思い出です。
 
 六本木のディスコといえば、当時はアース・ウィンド&ファイヤーのナンバーが大人気でした。彼らの代表曲の1つである「セプテンバー」が映画「ロボット・ドリームズ」のテーマソングになっています。"Do you remember? The 21st night of September?"の歌詞から始まるこの歌は軽快で楽しい曲ですが、じつは失われた愛を振り返る切ないラブソングです。「9月21日の夜のことを覚えてるかい?」と切り出して、「12月となった今、9月に分かち合った愛に気づいたんだよ」("Now December found the love we shared in September")と続きます。そう、この歌は街に恋人たちが溢れるクリスマス・シーズンに9月の愛を振り返るというラヴ・ソングなのです。本当の意味がわかった上でこの曲を聴けば、誰でも元カレや元カノを思い出してセンチメンタルな気分になるのではないでしょうか? でも、わたしは今年の9月21日の前日に亡くなった父を思い出しました。父が最期に家族と分かち合った愛のことを想いました。
 
 ところで、「ロボット・ドリームズ」に多種多様な動物たちが登場するのは、アメリカが多民族国家であり、特にニューヨークにはさまざまな民族が住んでいることをじつに見事に表現しています。以前はニューヨークに対して、「人種のるつぼ」という言葉が用いられていました。しかし、ニューヨークの実態はそれぞれの文化が共存してはいるものの混じり合うことはない多文化主義とする見方もあります。ゆえに、「混ぜても決して溶け合うことはない」という意味から共通文化を形成していくるつぼに対して並立共存の状態を強調した「サラダボウル」が用いられるようになりまた。そのため最近では、「人種のサラダボウル」と言われる方が多いようです。いずれにせよ、世界一の大都市であるニューヨークには、世界中の人々が集まってくることには違いはありません。
 
「人種のサラダボウル」としてのニューヨークを舞台にした作品に一条真也の映画館「パスト ライブス/再会」で紹介したアメリカ・韓国映画があります。離れ離れになっていた幼なじみの男女が、24年間のすれ違いを経てニューヨークで再会を果たすドラマ。監督はセリーヌ・ソン。ソウルに暮らす12歳のノラとヘソンはお互いに惹かれ合っていたが、ノラが海外に移住したことで離れ離れになる。12年後、ニューヨークとソウルでそれぞれの道を歩んでいた二人は、オンライン上で再会してお互いへの思いが変わっていないことを確かめ合うが、すれ違いも起こしてしまう。さらに12年が経ち、36歳になったノラ(グレタ・リー)は作家のアーサーと結婚していたが、ヘソン(ユ・テオ)はそれを知りながらも彼女に会うためにニューヨークへ向かうのでした。この映画は「ロボット・ドリームズ」と同じ種類のセンチメンタリズムを描いています。
 
「ロボット・ドリームズ」はドッグとロボットとの愛の物語ですが、その根底には「AIに愛はあるのか?」という重大な問題を孕んでいます。LGBTQに代表されるように「多様性」が叫ばれている現代社会ですが、行き着く先は「AIと人間の共生」が待っています。鉄腕アトムやドラえもんに親しんでいる日本人はロボットに心があることに違和感を抱かないでしょうが、チェコの作家であるカレル・チャペックがSF小説『R.U.R』でロボットという概念を初めて提示して以来、欧米ではロボットは道具の延長として唯物的に考えられてきました。でも、「ロボット・ドリームズ」に登場するロボットは笑顔も見せ、明らかに心というものを持っていました。アニメーションも素朴で、日本のロボット・アニメとはまったく違うレトロなロボットの姿に癒されました。彼が(コニー・アイランドとおぼしき)観覧車のある海水浴場に放置され動けなくなったときは、亡くなる前の父が寝たきりで動けなくなり、天井ばかり眺めていた姿を思い出し、泣けてきました。
 
 ところで、ドッグとロボットが一緒に公園を散歩しているとき、仲良く手を繋いでいるカップルを見て、ロボットがドッグの手を握ります。でも、その力が強すぎて、ドッグは悲鳴を上げるのでした。その場面を見て、わたしは「相手の手を握るというのも、なかなか難しいな」と思いました。そして、ブログ「西野七瀬さんにお会いしました!」で紹介した女優の西野七瀬さんのことを考えました。西野さんは乃木坂46の出身です。今や日本の女性アイドルグループの頂点に立つ乃木坂46は握手会を行ってきましたが、西野さんは一番の人気を誇り、なんと彼女と握手をするのは6時間待ちも珍しくなかったそうです。じつは、わたしは西野さんに初めてお会いして、彼女がヒロイン役を務める映画「君の忘れ方」の原案である拙著『愛する人を亡くした人へ』(PHP文庫)をお渡しした直後、握手をしました。西野さんの手はとても柔らかったことを記憶しています。冥途の土産になりました。(笑)
 
 それにしても、「ロボット・ドリームズ」は、あまりにも切ない物語です。あれだけ大好きだったのに、別れなければならないカップルがこの世には無数にいることを思い知らされます。また、お互いが心の底で強く惹かれ合っているのに、年齢が離れているとか、住んでいる場所が離れているとか、相手に家庭があるとか......さまざまな理由で結ばれないカップルも多いと思います。でも、出会ったことは偶然でも、好きになるのは必然です。大好きな人と一緒にいる時間は何物にも代え難い人生の宝物です。その人と一緒に語り合う時間、食事する時間、カラオケでデュエットを歌う時間、そして同じ映画を観て感動する時間......こういった時間のかけがえのなさを「ロボット・ドリームズ」は改めて教えてくれるのです。