No.972


東京から北九州へ戻った翌日となる11月23日、シネプレックス小倉で日本映画「海の沈黙」を観ました。倉本聰が原作・脚本を務めただけあって、ひたすら重く暗い作品でしたが、豪華俳優陣の熱演で名作に仕上がっていました。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『駅 STATION』、ドラマ『北の国から』シリーズなどで知られる倉本聰が原作・脚本を務めた人間ドラマ。倉本が長年にわたって構想してきたモチーフだという美術品の贋作をテーマに、真の美を追い続ける孤高の天才画家の知られざる過去や愛を描く。メガホンを取ったのは『Fukushima 50』などの若松節朗。『おくりびと』などの本木雅弘が主人公を演じ、『食べる女』などの小泉今日子、『大河への道』などの中井貴一のほか、清水美砂、仲村トオル、菅野恵、石坂浩二らが共演する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「世界的な画家・田村修三(石坂浩二)の展覧会で贋作事件が起こり、報道が加熱する中、北海道・小樽で女性の死体が発見される。やがて二つの事件の間に浮上した人物は、かつて天才画家ともてはやされるも、ある事件を機に表舞台から姿を消した津山竜次(本木雅弘)だった。一方、彼の元恋人で現在は修三の妻である安奈(小泉今日子)は小樽を訪れ、二度と相まみえることはないと思っていた竜次と再会する」
 
 映画「海の沈黙」のキャッチコピーは、「倉本聰が描く至高の愛、至高の美」です。「前略おふくろ様」「北の国から」「やすらぎの郷」などの巨匠・倉本聰が長年構想し、「どうしても書いておきたかった」と語る渾身の物語の映画化です。人々の前から姿を消した天才画家が秘めてきた想い、美と芸術への執念、そして忘れられない過去が明らかになる時、至高の美と愛の全貌がキャンバスに描きだされます。撮影は多くの倉本作品の舞台になっている北海道でも行われ、小樽でのロケ撮影を敢行。運河の美しい風景が重厚な物語を彩ります。
 
 映画「海の沈黙」では孤高の画家・津山竜次を本木雅弘が演じますが、なかなか画面に登場しません。上映開始からじつに1時間近く経ってから、ようやく老いさらばえた本木雅弘の姿がスクリーンに映ります。その髪型といい、痩せこけた頬の感じといい、眼鏡のデザインといい、ブログ「知の巨人・松岡正剛、逝く」で紹介した今年8月に逝去した著述家の松岡正剛氏によく似ていました。そんな津山竜次の元恋人を小泉今日子、津山の秘書を中井貴一、画壇の大御所を石坂浩二、美術館の館長を仲村トオル、謎の刺青女性を清水美砂が演じ、豪華キャストが集結しました。
 
 倉本聰氏は現在、89歳。9月20日に満88歳で亡くなった父と同年齢だと知り、倉本氏に対して親しみが涌きました。それにしても、36年ぶりの新作映画とは凄いですね! ミステリアスな脚本もいいですが、この映画の最大の魅力は豪華俳優陣の共演です。中でも、元シブがき隊の本木雅弘と小泉今日子という"花の82年組"同期コンビが32年ぶりに共演したことでしょう。共に端正な顔だちで、スクリーン映えします。また、単なる美男美女というだけでなく、互いに映画や演技に対する考えも確立されており、日本映画界の中でも稀有な存在感を放っています。

 天才画家を演じる本木のもとには倉本氏から脚本に書かれていない人物背景がA4の紙で11枚送られてきたそうです。演じるにあたり、絵画監修をした岩手県二戸市の画家・高田啓介氏を訪ねたとか。本木は、「油絵1つ、描いたことがないんです。書道はやっていたのですが(片岡)鶴太郎さん、緒形拳さんのような独自の世界を作れるほどの技量じゃない。覚えた形を整えていくので絵とも全く違う。それで山奥のアトリエにお邪魔して初めて油絵を描いた。面白かったのは、自分は常に体裁、与えられた役割で正しいのはこの辺かなと考え、居場所とか表現を決めていくところがある。自分で思い付くまま、思いのままにやることに慣れていないんですよ」と語っています。
 
 本木雅弘といえば、ブログ「おくりびと」で紹介した日本映画史に燦然と輝く2008年の主演作が思い浮かびます。ひょんなことから遺体を棺に納める"納棺師"となった男が、仕事を通して触れた人間模様や上司の影響を受けながら成長していく姿を描いた感動作です。楽団の解散でチェロ奏者の夢をあきらめ、故郷の山形に帰ってきた大悟(本木雅弘)は好条件の求人広告を見つけます。面接に向かうと社長の佐々木(山崎努)に即採用されますが、業務内容は遺体を棺に収める仕事でした。当初は戸惑っていた大悟でしたが、さまざまな境遇の別れと向き合ううちに、納棺師の仕事に誇りを見いだしてゆきます。「おくりびと」は、「死」という万人に普遍的なテーマを通して、家族の愛、友情、仕事への想いなどを直視した名作です。

 しかし、わたしが「おくりびと」で最も興味深く感じたのは、納棺師になる前の主人公の仕事がチェロ奏者という音楽家であった点でした。チェロ奏者とは音楽家であり、すなわち、芸術家です。芸術の本質とは、人間の魂を天国に導くものだとされます。素晴らしい芸術作品に触れ心が感動したとき、人間の魂は一瞬だけ天国に飛びます。絵画や彫刻などは間接芸術であり、音楽こそが直接芸術だと主張したのは、かのベートーヴェンでした。すなわち、芸術とは天国への送魂術なのです。拙著『唯葬論』(三五館、サンガ文庫)の「芸術論」にも書きましたが、わたしは、葬儀こそは芸術そのものだと考えています。なぜなら葬儀とは、人間の魂を天国に送る「送儀」にほかならないからです。人間の魂を天国に導く芸術の本質そのものなのです。
 
「おくりびと」で描かれた納棺師という存在は、真の意味での芸術家です。そして、送儀=葬儀こそが真の直接芸術になりえるのです。「遊び」には芸術本来の意味がありますが、古代の日本には「遊部(あそびべ)」という職業集団がいました。これは天皇の葬儀に携わる人々でした。やはり、「遊び」と「芸術」と「葬儀」は分かちがたく結びついているのです。「おくりびと」は、葬儀が人間の魂を天国に送る「送儀」であることを宣言した作品です。人間の魂を天国に導くという芸術の本質を実現する「おくりびと」。送儀=葬儀こそが真の直接芸術になりうることを「おくりびと」は示してくれました。
 
「おくりびと」の主人公の大悟はチェロ奏者という芸術家でしたが、「海の沈黙」の竜次は画家です。彼は世界的な画家・田村修三の作品「落日」の贋作の作者とされましたが、他にもゴッホ、モネ、さらにはダヴィンチの作品まで精巧に、ある意味でオリジナル以上の傑作に仕上げていたのです。不遇な人生を歩んだ末に末期がんに冒された竜次は、「美とは何だ? 誰が描いたかということで作品の評価が変わるなら、それは美への冒瀆ではないか。本来の美とは、値段とか権力などとは無縁のはずだ」と語ります。そう、この映画のメインテーマは「美とは何か」です。その意味で、一条真也の映画館「ブルーピリオド」一条真也の映画館「まる」で紹介した美術をテーマにした一連の日本映画にも通じていると思いました。最近、このジャンルが人気ですね。