No.1009
建国記念日の2月11日、アニメ映画「野生の島のロズ」をシネプレックス小倉で観ました。ドリームワークス・アニメーションの最新作ですが、当初観る気はありませんでした。しかし、映画ジャーナリストのアキさんから届いた「今年のトップ10に入るアニメーションに出合いました。全人類観てほしい」のLINEメッセージに導かれて鑑賞。ちびっ子だらけの休日のシネコンで、還暦を過ぎたオヤジが1人しみじみと感動しました。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「ピーター・ブラウンの童話『野生のロボット』シリーズを原作に描くアニメーション。無人島に漂着した最新型ロボットのロズが、大自然の中で野生動物たちと共に生き抜こうとする。監督などを手掛けるのは『ヒックとドラゴン』『野性の呼び声』などのクリス・サンダース。『アス』などのルピタ・ニョンゴ、『PROSPECT プロスペクト』などのペドロ・パスカルのほか、キャサリン・オハラ、ビル・ナイらがボイスキャストに名を連ねる」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「ある嵐の晩、人間をサポートするプログラムがインストールされた最新型アシストロボットが、箱に入った状態で無人島へと流れ着く。自称ロズことROZZUM(ロッザム)7134は誰もいない大自然の中で起動し、人間からの命令を求めて歩き出す。しかし島ではロズに命令を出す者はおらず、ロズはあてもなく島内をさまよっていたが、ある出会いを通して変化し始める」
アニメ界のアカデミー賞とも呼ばれる、第52回アニー賞の授賞式が米ロサンゼルスで現地時間の2月8日に開催され、「野生の島のロズ」が、作品賞を含む最多9部門で受賞しました。原作者のピーター・ブラウンは、アメリカ人の作家兼画家です。 著書に『The CuriousGarden』(『ふしぎなガーデン:知りたがりやの少年と庭』/ブロンズ新社)など多数。 ニューヨークタイムズの最優秀絵本賞や、子どもが選ぶ絵本のイラストレーター・オブ・ザ・イヤーにも選ばれています。
原作『野生のロボット』ですが、アマゾンの内容紹介には「あらしの夜、5つの木箱が無人島に流れついた。中にはどれも新品のロボットが1体ずつ入っていたが、こわれずに無事だったのは一体だけだった。偶然スイッチが入り起動したロボット=ロズは、島で生きぬくために、まわりの野生動物たちを観察することでサバイバル術を学んでいく。はじめはロズを怪物よばわりしておそれていた動物たちだったが、ある日ひょんなことからガンの赤ちゃんを育てることになったロズが子育てに孤軍奮闘しているのを見て、しだいに心をひらいていく。(中略)ロボットが野生動物たちとともに生きぬいていくこの物語はまた、環境問題など私たちをとりまくさまざまなテーマについて話し合うきっかけを与えてくれる」と書かれています。
映画ポスターには「プログラムを超えて 生きる」と書かれています。そう、「野生の島のロズ」はAIで動くはずのロボットがプログラムを超えて「心」を持ち、「愛」を知る物語です。人間が頭脳のかぎりを尽くして開発したAIのプログラムを超えるということは「人知を超える」ということであり、それはとりもなおさず「神」の領域に踏み込むことを意味します。じつは、東京大学名誉教授で宗教学者の島薗進先生との対談本である『宗教の言い分』(仮題、弘文堂)が3月刊行予定なのですが、島薗先生と「神」と「人間」と「AI」について大いに議論したことを思い出しました。AIについて考えることは、結局は神について考えることです。そのことを再確認しました。
ロボットのロズは、とある事故で鴈の子であるキラリの親兄弟を「消去」してしまいます。ロボットのために世事に疎いロズは、キラリの親を殺してしまった重大性をいまひとつ理解していません。でも、キラリが生まれる前の卵を必死で守ります。ようやく生まれたキラリのかわいいこと! 無防備なヒナは「かわいさ」こそが唯一の武器なのでしょうが、それにしてもかわいすぎます! 生まれたキラリは最初に目にしたロズを母親だと認識します。いわゆる「刷り込み」ですね。鴈だけでなく、アヒルや鶏など、鳥類のヒナが出生後の間もない時期に最初に見た動くものを親と認識する学習能力のことです。 一度学習した経験は長時間持続し、「インプリンティング」とも呼ばれます。
キラリが卵に入っていたとき、キツネのチャッカリから食べられそうになります。それを防いだロズとチャッカリの間には奇妙な友情が芽生え、世事に疎いロズに対して、チャッカリはさまざまなアドバイスをしていきます。そのアドバイスがなかなか深く、達観したチャッカリは哲学者のように見えてきます。わたしは、 一条真也の読書館『星の王子さま』で紹介した児童文学の金字塔に登場するキツネを連想しました。星の王子さまは、砂漠で会ったキツネから「めんどうみた相手には、いつまでも責任があるんだ。まもらなきゃならないんだよ、バラとの約束をね...」ということを教わります。その言葉に従って、王子さまは、自分だけの1輪のバラが待つ小さな星へ還っていくのでした。
ロズとチャッカリは協力して、キラリを育てます。食べること、泳ぐこと、飛ぶことが3大目標でした。ロズが母親なら、チャッカリはそれをサポートする父親のようです。彼らが必死でキラリを育てる姿を見ると、親になったことのある人なら誰でも子育ての苦労を思い出すでしょう。また、子どもたちは親から受けた愛情を思い出すかもしれません。その意味で、「野生の島のロズ」は完璧なファミリー映画ですね。思えば、ヒトの赤ちゃんというのは自然界で最も弱い存在です。すべてを母親がケアしてあげなければ死んでしまいます。2年間もの世話を必要とするほどの生命力の弱い生き物は他に見当たりません。
わたしは、ずっと不思議に思っていました。「なぜ、こんな弱い生命種が滅亡せずに、残ってきたのだろうか?」と。あるとき、その謎が解けました。それは、ヒトの母親が子どもを死なせないように必死になって育ててきたからです。出産のとき、ほとんどの母親は「自分の命と引きかえにしてでも、この子を無事に産んでやりたい」と思うもの。実際、母親の命と引きかえに多くの新しい命が生まれました。また、産後の肥立ちが悪くて命を落とした母親も数えきれません。まさに、母親とは命がけで自分を産み、無条件の愛で育ててくれた人です。ロズはキラリの本当の母親ではありませんが、体が小さくて飛行能力も低く、本来は成長できずに死んでいた可能性が高かったキラリを必死で育てたのでした。その姿はひたすら感動的です。
ロズが母親で、チャッカリが父親なら、近所の世話焼きおばさん的な存在がピンクシッポです。ロズに有益なアドバイスを与えてくれるピンクシッポはオポッサムの母親で、いつも多くの子どもを体にくっつけています。オポッサムはネズミ風の愛くるキュートな外見ですが、有袋類でコアラやカンガルーの仲間です。死んだふりをすることで有名な生き物なのですが、そのハードな子育てぶりでも知られます。有袋類のオポッサムは、12~14日程度という非常に短い妊娠期間を経て胎児の状態で出産され、自力で母親の体を這って育児嚢にたどり着き、しばらく育児嚢で育てられます。少し大きくなると育児嚢から出て、親の背中で過ごすことが多くなります。親が子を背負う姿から、「コモリネズミ」の別名が使われることもあるそうです。
ロボットでありながら、鴈のキラリをはじめ、島の動物たちのことを思いやるロズの姿を見ていると、一条真也の映画館「ロボット・ドリームズ」で紹介したスペイン・フランスのアニメ映画を思い出しました。サラ・ヴァロンのグラフィックノベルを原作に、ドッグとロボットの友情を描く長編アニメーションです。1980年代のニューヨークを舞台に、孤独なドッグが自分の手で作ったロボットと絆を深めていきます。マンハッタンで暮らすドッグは孤独を感じ、友人となるロボットを自ら作り上げます。自作のロボットとドッグが友情を深めていく中で季節は移ろい、やがて夏がやって来ます。ドッグとロボットは海水浴に出かけますが、ロボットがさびついて動けなくなってしまうのでした。ラストは泣けました。2024年「一条賞(外国映画篇)」で長編アニメーション賞と音楽賞に輝いた感動作です。
『コンパッション!』(オリーブの木)
「ロボット・ドリームズ」も、「野生の島のロズ」も、無機物であるはずのロボットが有機物である動物たちへコンパッションを示す物語です。そして本来は、人間という動物こそコンパッションを本能として持っているはずなのです。拙著『コンパッション!』(オリーブの木)にコラム「コンパッションが求められるわけ」を寄稿して下さった島薗進先生は、「現代人と現代社会に不足していて、切実に求められているものに『コンパッション』がある。コンパッションは仏教の『慈悲』の訳語として用いられるし、『パッション』はキリストの『受難』だから、キリスト教の『愛』とコンパッションが関連づけられるのも不思議ではない。キリストが受難によって人々を救ったように、他者の苦難に寄り添い、支えようとするような心の姿勢を指している。この言葉は『ケア』という言葉とも関係が深い。現代社会は人が孤立しやすく、居場所がなくなるように感じることが生じやすい。ケアが枯渇しがちな社会と言える。そのようなケアの不足を超えようとするところにコンパッションが求められる」と書かれています。
キリストが受難によって人々を救ったように、島の動物たちの苦難に寄り添い、支えうとするロズは、まるでキリストのようです。また、『旧約聖書』「創世記」に登場するノアのようでもあります。大洪水のとき、ノアは多くの動物たちを方舟に乗せて救いました。ロズも島の動物たちが凍え死にしそうなとき、彼らを暖かい場所に避難させました。そこでは争いが絶えませんでしたが、哲学者のようなキツネのチャッカリが動物たちを諭します。そして、傷ついたロズの「みんな、ここでは休戦して」の一言で平和が実現したのでした。「みんな、この場所で生きるしかないのだから、ここでは仲良くしよう」というメッセージですが、まさに現代の人類に向けられたメッセージです。「この場所」とは他ならぬ地球のことであり、ここでは戦争すなわち殺し合いなどせず、人類みんなで生き延びようというロボットからの悲痛な叫びでした。この映画をわたしに薦めてくれたアキさんの「全人類観てほしい」という言葉の意味がよくわかりました。