No.1017


 2月19日の夜、スウェーデン・デンマーク・ドイツ合作映画「愛を耕すひと」をシネプレックス小倉で観ました。デンマークのアカデミー賞とされる「ロバート賞」で作品賞、主演男優賞など9部門を受賞。18世紀のデンマークが舞台というのは事前のイメージが湧きにくかったですが、苦難に挑む男の姿を見て大いに感動しました。これは、もう今年の一条賞大賞の有力候補作であります!

 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「イダ・イェッセンによる歴史小説を、『アナザーラウンド』などのマッツ・ミケルセン主演で実写化したドラマ。18世紀のデンマークを舞台に、有力者からの圧力や自然の猛威に立ち向かいながら荒野の開拓に尽力する退役軍人の姿を描く。監督は『ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮』でもマッツと組んだニコライ・アーセル。ドラマシリーズ「レイズド・バイ・ウルブス/神なき惑星」などのアマンダ・コリン、『THE GUILTY/ギルティ』などのシモン・ベンネビヤウらが出演する」
 
 ヤフーの「解説」は、以下の通りです。
「18世紀のデンマーク。貧しい生活を送る退役軍人のルドヴィ・ケーレン(マッツ・ミケルセン)は、荒野を開拓して貴族の称号を得ようとするが、それを知った有力者フレデリック・デ・シンケル(シモン・ベンネビヤウ)は自身の勢力圏への影響をあやぶむ。デ・シンケルからの妨害や自然の猛威にさらされながらも開拓に励む中、ケーレンはデ・シンケルのもとから逃げ出した使用人の女性アン・バーバラ(アマンダ・コリン)と、家族に見捨てられた少女アンマイ・ムス(メリナ・ハグバーグ)に出会う」
 
 この映画は「コンパッション」の映画です。「愛を耕すひと」の英題は「The Promised Land」ですが、デンマーク語のタイトルは「Bastarden」です。これは「私生児」という意味です。主人公のルドヴィ・ケーレンが領主とその女中の間に生まれた私生児であったことに由来します。彼はその出生ゆえに、荒野を開拓して貴族の称号を得ようとします。しかし、そんな世俗の栄達よりもずっと大事なものに気づきます。それは、領主から夫を殺された未亡人のアン・バーバラ、少数民族ロマ(蔑称タタール人)の少女アンマイ・ムスとの愛情でした。彼らは疑似家族として生きますが、そんな彼らを繋いでいたものこそ「コンパッション」でした。これは「思いやり」であり、キリスト教の「隣人愛」でもあります。キリスト教国であるデンマークが舞台のこの映画のテーマは、イエス・キリストの「パッション」(受難)に基づくキリスト教が重んじる「コンパッション」の精神でした。
 
 疑似家族の物語といえば、一条真也の映画館「万引き家族」で紹介した2018年の是枝裕和監督の日本映画を連想します。治(リリー・フランキー)と息子の祥太(城桧吏)は万引きを終えた帰り道で、寒さに震えるじゅり(佐々木みゆ)を見掛け家に連れて帰ります。見ず知らずの子供と帰ってきた夫に困惑する信代(安藤サクラ)は、傷だらけの彼女を見て世話をすることにします。信代の妹の亜紀(松岡茉優)を含めた一家は、初枝(樹木希林)の年金を頼りに生活していました。この映画は第71回カンヌ国際映画祭で最高賞であるパルムドールを受賞して話題を呼びましたが、わたしはまったく評価していません。
 
 なぜ、わたしが「万引き家族」を評価しないか。それは、樹木希林扮する祖母役の初枝が亡くなったとき、疑似家族たちは初枝の遺体を遺棄し、最初からいないことにしてしまったからです。わたしは、このシーンを観ながら、巨大な心の闇を感じました。1人の人間が亡くなったのに弔わず、「最初からいないことにする」ことは実存主義的不安にも通じる、本当に怖ろしいことです。初枝亡き後、信代(安藤サクラ)が年金を不正受給して嬉々としてするシーンにも恐怖を感じました。家族が亡くなったときに弔いもしないのは家族とは言いません。「万引き家族」は家族愛を描いているようで、じつは疑似家族の恐怖を描いた作品でした。一方、「愛を耕すひと」の疑似家族には疑似愛情ではなく本物の家族愛がありました。
 
「愛を耕すひと」は、1755の年デンマークで、貧窮にあえぐ退役軍人ルドヴィ・ケーレン大尉が、ユトランド半島の荒野の開拓に名乗りをあげるところから物語が始まります。その土地は、いわゆる「不毛の大地」です。草木も乏しく、わずかな下草は土ごと凍りついています。暖かくなれば事態は好転するかと思われましたが、大雨が地面を荒らし、とても肥沃な改良は望めそうにありません。そんな不毛な地を望むなど無謀にもほどがあると他の貴族たちは半ば呆れ、半ば見放しました。それでも、貴族の称号を得るための執念から、ケーレンは絶対に諦めません。ついに努力が実って土壌に改善の兆しが見られ、ジャガイモが臭覚できたときは感動しました。そして、「過去、世界中の開拓地でこのようなドラマがあったのだろうな」としみじみと思いました。歴史ドラマは深みがありますね。
 
 主人公ケーレンを演じたマッツ・ミケルセンは1965年デンマーク・コペンハーゲン生まれの俳優です。もともとは体操選手、ダンサーでした。映画出演21作目のジェームズ・ボンド映画「007/カジノ・ロワイヤル」(2006年)で主敵のル・シッフルを演じ、世界的な評価を得ました。 他にも、「ココ・シャネル&イゴール・ストラヴィンスキー」(2008年)のイゴール・ストラヴィンスキー、「ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮」(2012年のヨハン・フリードリッヒ・シュトルエンゼー、デンマーク映画「偽りなき者」(2012年)のルーカス役でカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞しました。「愛を耕すひと」では、「ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮」以来となる、ニコライ・アーセル監督とマッツ・ミケルセンの2度目のタッグが実現しました。2人が再び描いたのは、母国デンマーク開拓史の裏に隠された愛の物語でしたが、世界中に感動の嵐を呼びました。

「愛を耕すひと」のラスト近くで感動的なシーンがありました。ここだけネタバレ覚悟で書くと、荒野の開拓を成功させてデンマーク国王から「男爵」の称号を得たケーレンは娘同然のアンマイ・ムスと平穏に暮らしていました。彼らは400人もの入植者の到着を待っていましたが、そこに彼女と結婚したいという旅大工の青年が現れます。タタール人を嫌う入植者を迎えるケーレンの今後も考えた末、アンマイ・ムスは結婚の申し入れを受け入れ、青年と共に旅に出ます。別れのとき、ケーレンとアンマイ・ムスはハグして「ありがとう」とお互いに言います。そのシーンが「愛を耕すひと」上映前に劇場で流れたわが社のシネアドの一部にそっくりで泣けました。それは、教会のバージンロードを歩く父と娘が互いに「ありがとう」と言い合うシーンなのですが、先に花嫁(女優さんが乃木坂46の久保史緒里に似ています)が目に涙を浮かべて「ありがとう」と言い、次に涙を堪えた父親が「ありがとう」と言うのです。18世紀デンマークでも、現代の日本でも、「ありがとう」は国も民族も時代も超えた最高の言葉なのですね。荒野を耕した結果、愛の大地は「ありがとう」という名の作物を産みました。そのことに、とても感動しました。