No.1037
3月18日の夜、ベルギー映画「Playground/校庭」をシネスイッチ銀座で観ました。非常にストレスフルで不愉快な映画でしたが、小学1年生の女児を演じた少女のリアルな演技が素晴らしかった!
ヤフーの「解説」には、「第74回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞したドラマ。小学校に入学したものの自分の居場所を見つけられずにいた少女が、いじめに遭う兄の姿を目にする。メガホンを取るのは『リハビリ』などのローラ・ワンデル。マヤ・ヴァンデルベック、ギュンター・デュレのほか、『またヴィンセントは襲われる』などのカリム・ルクルー、『ハッピーエンド』などのローラ・ファーリンデンが出演する」とあります。
ヤフーの「あらすじ」は、「小学校に入学した7歳のノラ(マヤ・ヴァンデルベック)は、内向的で友人がおらず、なじむことができずにいた。ようやくクラスメート2人と仲良くなるが、同じ学校に通う3歳年上の兄アベルがいじめられている姿を目にしてしまう。アベルを助けたいと思うノラだが、彼からいじめられていることを誰にも口外するなとくぎを刺される。いじめを受け続けるアベルの気持ちが理解できずに混乱する中、理解者だった担任(ローラ・ファーリンデン)が学校を去ってしまう」です。
わたしはホラーなどの怖い映画はまったく平気(というか好き)なのですが、いじめ・差別などをテーマにした映画は苦手です。いじめられたり、差別されたりする被害者が気の毒でたまらず、何もできない自分に対してフラストレーションが募るからです。この「Playground/校庭」もストレスフルな映画でした。正直あまり観る気はしなかったのですが、観てしまったのには3つ理由があります。1つ目は、ネットでの評価が異様に高かったこと。2つ目は、上映時間が72分と短く、隙間時間を使って鑑賞できたからです。そして3つ目は、「学校版『サウルの息子』」というキャッチコピーがつけられていたからです。
一条真也の映画館「サウルの息子」で紹介した作品は、カンヌ映画祭でグランプリを受賞した2015年のハンガリー映画。強制収容所に送り込まれたユダヤ人たちがたどる壮絶な宿命に迫る感動作です。仲間たちの死体処理を請け負う主人公サウルが、息子と思われる少年をユダヤ人としてきちんと葬るために収容所内を駆けずり回る2日間を活写しています。リアルなホロコーストの惨状と、極限状態下でもなお、息子を正しく埋葬することにより、最後まで人間としての尊厳を貫き通そうとしたサウルの生き様が強い感動を呼びます。何度も観返したい名作です。この映画と「Playground/校庭」に共通するのは、救いようのない閉塞感、逃げ場のない絶望、そして「人間の尊厳」を根底から問うているところでしょうか。
カンヌ映画祭といえば、子どもの世界を描いた一条真也の映画館「怪物」で紹介した2023年の日本映画がカンヌ映画祭で脚本賞を取りました。でも、「この映画の脚本のどこがいいの?」と思ってしまうほど、つまらなかったです。父親を亡くした母子家庭の少年と、父親から虐待される父子家庭の少年の物語です。2つのグリーフが交錯しているわけですが、そこに深みは感じられませんでした。タイトルも内容に合っていないと思いました。息子を愛するシングルマザーや生徒思いの教師、元気な子供たちなどが暮らす、大きな湖のある郊外の町。どこにでもあるような子供同士のけんかが、互いの主張の食い違いから周囲を巻き込み、メディアで取り上げられます。そしてある嵐の朝、子供たちが突然姿を消してしまいます。
「Playground/校庭」は、やりきれない「いじめ」というものを描いた映画です。いじめっ子からマウントを取る方法を描いた映画に、台湾映画の「オールド・フォックス 11歳の選択」があります。リャオジエ(バイ・ルンイン)は、父親(リウ・グァンティン)と二人で台北郊外に住んでいます。倹約しながら生活する2人の夢は、いつか自分たちの家と店を持つことだでした。ある日、誠実な父親とは正反対の、腹黒いキツネと呼ばれる地主のシャ(アキオ・チェン)と出会ったリャオジエは、生き抜くために手段を選ばない彼の生き方を目の当たりにします。そんな折、不動産価格が高騰し、リャオジエは自分たちの夢が遠のいていくのを感じるのでした。
「Playground/校庭」ですが、小学校に入学したノラ(マヤ・ヴァンデルベック)が、ひたすら登校そのものを嫌がるシーンが印象的でした。その後、彼女が学校に馴染んでいくシーンを見て、「あ、あれは演技だったのだ!」と知り、驚きました。それぐらいマヤ・ヴァンデルベックの演技はリアルで、彼女は一条賞(映画篇)の新人賞の最有力候補となりました。この映画では,アベルとノラの兄妹がともに「いじめ」に対象となるのですが、わたしは父親にも責任があると思いました。彼は仕事もせず、家事に専念しています。なぜ、彼は働かないのか? アベルとノラの母親はどうしたのか? そのへんの説明が一切ないので、また観客のストレスが溜まるわけですが、夫婦の問題が子どもたちに波及して「いじめ」を生んでいるとしたら、子どもたちが不憫であり、気の毒でなりません。