No.1030
3月7日、この日から公開されたアメリカ映画「ウィキッド ふたりの魔女」をシネプレックス小倉で観ました。上映時間が161分で間延び感があったのですが、ラストでこの映画がなんと二部作の前編だったと知ってビックリ! しかも後編の公開は1年後と知って、さらにビックリ! そんな大事なことを隠して、本作の宣伝をしていたのは不誠実ではないでしょうか? いや、おかしいでしょう、ふつう。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「おとぎの国オズを舞台に、二人の魔女の友情を描いたブロードウェイミュージカル『ウィキッド』を映画化。正反対の道を歩んできた二人の魔女が大学で出会い、ぶつかり合いながらも友情を育んでいく。監督を手掛けるのは『イン・ザ・ハイツ』などのジョン・M・チュウ。『ハリエット』などのシンシア・エリヴォ、シンガー・ソングライターとしても活動するアリアナ・グランデのほか、ピーター・ディンクレイジ、ミシェル・ヨー、ジェフ・ゴールドブラムらがキャストに名を連ねる」
ヤフーの「あらすじ」は、「大学生のエルファバ(シンシア・エリヴォ)とグリンダ(アリアナ・グランデ)は、魔法と幻想の国オズにあるシズ大学で出会う。誰よりも優しく聡明でありながら周りの人々に誤解されがちなエルファバと、人気者のグリンダは大学の寮で同室になる。外見も性格も全く異なる二人は最初は反発し合うものの、やがてかけがえのない絆で結ばれていく」となっています。
「ウィキッド」は、もともとブロードウェイのミュージカル舞台です。サンフランシスコでのトライアウトを経て2003年10月30日にニューヨークのガーシュイン劇場で初演を迎えました。原作は、1995年に刊行されたグレゴリー・マグワイアの『ウィキッド 誰も知らない、もう一つのオズの物語』です。エルファバ(Elphaba)の名前は『オズの魔法使い』(1900年)の作者ライマン・フランク・ボーム (Lyman Frank Baum) の頭文字L、F、Baから作られました。この作品はオズの国の魔女達の視点で描かれ、ドロシーがカンザス州からオズの国に到着する前から到着した後まで映画や小説のディテールと絡め、『オズの魔法使い』の裏の歴史物語としてもの悲しく語られています。
マグワイアの小説をウィニー・ホルツマンが書き直して脚本化し、スティーヴン・シュワルツが作詞作曲を手掛けたミュージカル版「ウィキッド」は、原作を大幅に脚色しなおして、テンポがよく趣のある作品に仕上げました。そのため、キャラクターやストーリーは原作とは異なっています。境遇の全く異なる魔女2人、西の悪い魔女エルファバと南の良い魔女グリンダが互いの性格や視点の違いに戸惑いながらの友情、ボーイフレンドとの三角関係、オズの魔法使いによる腐敗政治、エルファバの世間の評判の陥落に焦点を当てながらも、肌の色の違いや動物たちに象徴させたアメリカ社会が抱える弱者への差別問題があります。
「ウィキッド」は1990年に起こった湾岸戦争がきっかけで制作されたミュージカルであるという話があります。「アメリカにはアメリカの正義があり、イラクにはイラクの正義がある」といった「表の正義と裏の正義」、「正義とは一体なにか?」といったところにメッセージを込めたいといった製作者の思いがあったという裏話があり、最後にはどんでん返しも用意されている。ちなみに、ミュージカル版にはオズの魔法使いにも出てくる、ブリキ男、カカシ、空を飛ぶ猿たちが誕生秘話も含めて登場します。意気地のないライオンは尻尾だけ、ドロシーは影絵だけで、愛犬トトは名前しか出てきません。
ミュージカル「ウィキッド」は、本場・ブロードウェイの開幕から、ロサンゼルス、シカゴでのロングランをはじめ全米ツアー、さらにはロンドン、シドニー、トロント、東京、大阪、福岡と上演都市を増やし、世界各地で何度も興業収入記録を打ち立ててきました。日本では、2006年712日より、ストーリーを短縮した35分の特別版が大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンのランド・オブ・オズ内のエメラルド・シアターで上演されました。また、2007年6月17日には劇団四季による完全日本語翻訳版が東京・新橋の電通四季劇場[海]にて開幕。なお、タイトルについて、ユニバーサルがタイトル表記を「ウィケッド」とすることを先に決めたため、上演開始が後になった劇団四季版は「ウィキッド」となっています。
先日、20周年を迎えた「シンとトニーのムーンサルトレター第43信」にも書きましたが、2009年3月に、わたしは劇団四季の「ウィキッド」を電通四季劇場[海]で観ました。そして、差別や偏見は政治的に作られるものであることを改めて強く感じました。「誰も知らない、もう一つのオズの物語」であるこの作品は、『オズの魔法使い』に登場する「悪い魔女」と「善い魔女」の誕生秘話です。美しいルックスで皆から愛されるグリンダと、生まれつき緑色の肌を持ち周囲から差別され続けてきたエルファバ。この2人が世の中から「善」と「悪」というレッテルを貼られてゆくさまは、「正義とは何か」「悪とは何か」について深く考えさせます。
「ウィキッド」は『オズの魔法使い』の前日譚ですが、さらに古い過去を描いた前日譚として、一条真也の映画館「オズ はじまりの戦い」で紹介した2013年のディズニー映画があります。傲慢ながらも、どこか憎めない奇術師のオズ(ジェームズ・フランコ)。ある日、気球に乗り込んだ彼は竜巻に遭遇し、カンザスから魔法の国オズへとたどり着きます。そこは邪悪な魔女に支配されており、人々は予言書に記された魔法使いオズが国を救ってくれると信じていました。その魔法使いと同じ名前だったことから救世主だと思われたオズは、西の魔女セオドラ(ミラ・クニス)に引き合わされた東の魔女エヴァノラ(レイチェル・ワイズ)から、南の魔女グリンダ(ミシェル・ウィリアムズ)の退治を頼まれるのでした。
わたしは、もともとミュージカル映画史上に燦然と輝くMGMの「オズの魔法使」(1939年)が大好きでした。思えば、小学生のときにテレビの洋画劇場でこの映画を観てから、ファンタジーの世界に魅せられたのでした。主人公ドロシーを演じた主演のジュディ・ガーランドが歌う「虹の彼方へ」も素晴らしい名曲でした。「オズの魔法使」では冒頭部分がモノクロで、オズの国に入ると、フルカラーに一変します。「オズ はじまりの戦い」でも、まったく同じでした。偉大なる名作「オズの魔法使」へのオマージュなのでしょうが、この趣向は嬉しかったです。
『よくわかる伝説の「聖地・幻想世界」事典』
『よくわかる伝説の「聖地・幻想世界」事典』より
わたしは、ボームの『オズの魔法使い』は明らかにルイス・キャロルの『ふしぎの国のアリス』の影響によって書かれた作品であると思います。メーテルリンクの『青い鳥』の影響で、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が書かれたのと同じです。チルチルとミチルは、ジョバンニとカンパネルラに姿を変えました。それと同じように、アリスはドロシーへと転身したのではないでしょうか? アリスもドロシーもともに初潮を迎える直前の少女であり、その不安定な心理状態が彼女たちを「ふしぎの国」や「オズの国」といったワンダーランドに導いたという見方もできます。なお、「ふしぎの国」も「オズの国」も、わたしが監修した『よくわかる伝説の「聖地・幻想世界」事典』(廣済堂文庫)で詳しく紹介しています。
「ウィキッド ふたりの魔女」では、オズの国で動物たちは人間の言葉を話します。それをよく思わない人間もいて、不穏な状況が生まれていることが描かれています。わたしは、一条真也の映画館「動物界」で紹介した2024年のフランス映画を連想しました。第49回セザール賞12部門にノミネートされたスリラー。人間がさまざまな動物に変異する奇病がまん延した近未来を舞台に、動物に変異したまま姿を消した妻を捜す男と、その息子の姿を描きます。徐々に体が動物へと変異し凶暴化するという原因不明の感染病が拡大する近未来。動物に変異した者たちは施設に隔離され、フランソワ(ロマン・デュリス)の妻ラナも変異して施設に送られることになるが、移送中に事故が起きてラナは逃げ出してしまう。フランソワは16歳の息子エミールと共にラナの行方を捜すが、エミールの体にも動物化の兆しが現れるのでした。
「動物界」の新生物たちは森に逃げ込むところが興味深かったです。キリスト教化される以前の古代欧州世界では、深い森林地帯で狩猟するゲルマンやケルトの諸民族が森に棲む神々を畏敬する"森の宗教"を営んでいましたが、ローマ帝国の征服が及んで、やがて彼らもキリスト教徒に改宗すると、森は一転して邪悪な魔物や狼のような恐ろしい野獣が棲む異界と化しました。中世では、教会が支配する都市や農村が神聖な神の世界を構成し、周辺の自然や森林は、いずれ神の栄光の下に征服さるべき野蛮な闇の世界とみなされたのです。魔女として迫害された女性たちも森に逃げ込んだことは有名です。「ウィキッド ふたりの魔女」の中でエルファバが迫害される動物たちに強いコンパッションを抱くシーンがあるですが、この描写にこそ魔女の本質が示されていると思いました。また、エルファバの肌は緑色ですが、それはきっと「森の色」なのでしょう。
「オズ はじまりの戦い」にしろ、「ウィキッド」にしろ、さまざまな前日譚が作られるのは、それだけアメリカ人が「オズの魔法使」という映画を愛しているからでしょう。加えて、わたしはアメリカにおいて同作は神話的な存在なのだと思います。アメリカ人にとって、ドロシーは女神であり、カカシやブリキやライオンたちは神々のような存在なのだと思います。人間は神話を必要とします。神話とは宇宙の中に人間を位置づけることであり、世界中の民族や国家は自らのアイデンティティーを確立するために神話を持っています。一般に、アメリカ合衆国には神話が存在しないといわれます。建国200年あまりで巨大化した神話なき国・アメリカは、さまざまな人種からなる他民族国家です。ゆえに統一国家としてのアイデンティティー獲得のためにも、どうしても神話の代用品が必要でした。その最大の代用品こそ映画だったのではないでしょうか。
ところで、「ウィキッド ふたりの魔女」では、グリンダを演じたアリアナ・グランデがとにかく魅力的でした。現在31歳の彼女ですが、いつまでもキュートです。また、エルファバを演じたシンシア・エリヴォの存在感と演技力は素晴らしかった! シンシアとアリアナは本作をきっかけに役柄にとどまらない美しい友情を育み、その仲の良さはプロモーションツアー中もしばしば話題となっていました。2人の絆について聞かれたシンシアは、「本物の、深い、しっかりと根付いた友情を育むことができたことをとても誇りに思っている。こういう出会い自体なかなかないものだし、"この人はわたしの人生にいるべき人なんだ"と感じたのならば──それこそわたしたちに起きたことだけど、その友情をちゃんと大切にして、育てていかないといけないの」と人間関係についての金言を語りました。
シンシアの発言を受けて、アリアナも「相手について学ぶこともとても大切だと思う。必要な時に手を差し伸べることができるように、『今日はどんな気分?』『何を考えているの?』『大丈夫?』と相手を気に掛ける。時間をかけてその人を知ることが大事なの。それが友情を育てて"本物"にし、作品も成長させる。わたしたちはそれぞれの役づくりを宿題として別々にやってから、セットに来た。そこで友達として仕事をすること――互いを互いを気遣い、互いを安全だと感じさせること――が、撮影環境やわたしたちの演技、そして全ての経験をより良いものにした。エルファバとグリンダの友情と一緒に、わたしたち自身の友情も育めたことはとても美しいと思う」と語っています。
ブログ「第97回アカデミー賞」で紹介した現地時間3月2日に開催されたアカデミー賞授賞式では、シンシアとアリアナがオープニングで見事なパフォーマンスを披露しました。レッドカーペットでは、グリンダのテーマカラーともいえる淡いピンクのドレス姿を披露したアリアナ。ステージには真っ赤なドレスとシューズで登場、「オズの魔法使」の名曲「虹の彼方へ」を歌い上げました。真っ赤なドレスはこの映画の主人公ドロシーにちなんだものでした。続いてシンシアが1975年のブロードウェイ版ミュージカル「The Wiz」から「Home」を披露。そしてアリアナとシンシアが「ウィキッド ふたりの魔女」の名曲「Defying Gravity」をデュエット。
「Defying Gravity」の冒頭の部分を歌うと、アリアナはシンシアの手にキスをして舞台の後方へ。「シンシアの歌声にアリアナも心打たれ、彼女に1人で歌わせたいと思ったのでは?」という見方も浮上しているそうです。その後1人で歌うシンシアを、アリアナは微笑みを浮かべて見守っていました。この作品の撮影を通じてアリアナとシンシアが育んできた、深い絆と友情が感じられるシーンでした。シンシアの歌声に、会場ではスタンディングオベーションが起きました。「ウィキッド ふたりの魔女」のジョン・M・チュウ監督も、2人と共演したミシェル・ヨーも思わず涙したようです。彼女が演じた魔法の女教師も映画の中で素晴らしい存在感を放っていたことを思い出しました。二部作であることを隠してプロモーションを展開したことは良くないですが、1年後に公開予定の後編を楽しみにしています。