No.1035


 3月13日、複数の書籍の打ち合わせを終えた後、夜はアメリカ映画「プレゼンス 存在」をTOHOシネマズ日比谷のスペシャルシートで観ました。実験ホラーといった内容で、シートの快適さもあって最初は眠かったですが、次第にスクリーンに没入していきました。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「ある屋敷に引っ越してきた一家の身の回りに起こる不可解な出来事を、全編幽霊の視点から描くホラー。何かが存在する大きな家に、崩壊寸前の家族が引っ越してくる。監督などを手掛けるのは『オーシャンズ』シリーズなどのスティーヴン・ソダーバーグ。『ブラッド』などのルーシー・リュー、『ハイウェイの彼方に』などのクリス・サリヴァンのほか、カリーナ・リャン、エディ・マディらがキャストに名を連ねる」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「ある日、クリス(クリス・サリヴァン)とレベッカ(ルーシー・リュー)夫妻、息子のタイラー(エディ・マディ)と娘のクロエ(カリーナ・リャン)が大きな屋敷に引っ越してくる。その家には彼らが住み始める以前から何かが存在していて、やがてそれは家族の秘密を目撃することになる。その存在は母親からも兄からも好かれない10代の少女クロエに次第に親近感を抱くようになっていく」

 まず、この映画、あのスティーヴン・ソダーバーグがホラー映画を作ったというのが驚きでした。ソダーバーグといえば、1989年、26歳で初めて監督した長編映画「セックスと嘘とビデオテープ」でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞し、センセーショナルなデビューを飾りました。続く「KAFKA/迷宮の悪夢」(1991年)は、わたしの大好きな幻想映画でした。その他、ジョージ・クルーニーを主演に迎えた「アウト・オブ・サイト」(1998年)で成功を収めました。

 2000年には「エリン・ブロコビッチ」と「トラフィック」でアカデミー監督賞にダブルノミネート(第11回アカデミー賞のマイケル・カーティス以来62年ぶり2人目)され、後者で受賞を果たしています。翌年の「オーシャンズ11」ではジョージ・クルーニー、マット・デイモン、ブラッド・ピット、ジュリア・ロバーツ、ドン・チードルなど豪華オールスターキャストを揃え、全世界で4億ドル以上の興行収入を記録。マット・デイモンはこの後7作で共にタッグを組んでいます。

「プレゼンス 存在」はオーソドックスな幽霊屋敷ものですが、実験精神旺盛なソダーバーグは、全編を幽霊の視点で撮っています。また、全シーンが主観カメラの長回しというトリッキーなスタイルとなっています。撮影監督としてクレジットされたピーター・アンドリュースは、ソダーバーグの変名です。つまり、ソダーバーグはまさに幽霊の視線で現場を駆け回ったわけです。ということは、この映画の主演ともいえる幽霊を演じたことになりますね。
 
 その古い一軒家には最初から"何か"がいました。そこに引っ越してきたべインズ一家にはクロエというティーンエイジャーの娘がいますが、彼女は"何か"の存在を感じ始めます。クロエがそれを口にしても両親や兄は信じてくれません。じつは、ベインズ一家の4人は全員が問題を抱えて苦悩していました。中でも、クロエは親友を亡くした深いグリーフを抱いていました。その寂しさをまぎらわせるように、クロエは兄の友人である年上のライアンと付き合い始め、ドラッグやセックスを体験していくのでした。
 
「この家には"何か"がいる」と必死で訴えるクロエの声に耳を傾けたのは父親でした。彼は、霊媒である友人の妻を家に招き入れます。霊媒も"何か"の存在を明確に感じます。じつは、ソダーバーグは「母親が霊能者だった」と告白しています。ソダーバーグといえば、ハリウッドを代表する理性派監督とのイメージが強いですが、映画の中のどこにでもいそうな霊能者の中に母の面影を重ねていたのかもしれません。べインズ一家の一軒家にいる"何か"は家族に危害を加える邪悪な存在ではなく、むしろクロエを守護していることが次第に明らかになっていきます。
 
 幽霊目線で描かれた幽霊屋敷ものは、別にソダーバーグの発明ではないですし、「プレゼンス 存在」が初めてでもありません。過去にいくつかの名作があります。中でも、わたしがホラー映画史上に燦然と輝く最高傑作だと思っているのがアメリカ・スペイン・フランス合作映画の「アザーズ」(2001年)です。1945年、第二次世界大戦末期のイギリス、チャネル諸島のジャージー島。グレース(ニコール・キッドマン)は、この島に建つ広大な屋敷に娘と息子と3人だけで暮らしていました。夫は戦地に向かったまま未だ戻らず、今までいた使用人たちもつい最近突然いなくなってしまいました。そこへある日、使用人になりたいという3人の訪問者が現れます。使用人の募集をしていたグレースはさっそく彼らを雇い入れますが、それ以来屋敷では奇妙な現象が次々と起こるのでした。

 また、アメリカ映画「私はゴースト」(2012年)も、まさに幽霊目線の幽霊屋敷もの。2012年の「サンフランシスコ国際アジア系アメリカ人映画祭」で初公開された作品です。成仏できない霊魂に隠された死の謎が、声しか聞こえない霊媒師との奇妙な交流を通じて徐々に解き明かされてゆく、哀しくも恐ろしい心霊ホラーです。郊外の一軒家にとり憑く、彷徨える亡霊エミリー。だが、雇われ霊媒師シルヴィアの力を借りながら、成仏できない自らの運命に隠された秘密をひも解いてゆきます。彼女はなぜ死んだのか、そしてなぜ成仏できないのか。すべての謎が明らかになるとき、想像を絶する恐怖が解き放たれます。
 
 そして、一条真也の映画館「A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー」で紹介した2018年のアメリカ映画があります。田舎町の小さな一軒家に住む若い夫婦の「C」(ケーシー・アフレック)と「M」(ルーニー・マーラ)は幸せな日々を送っていましたが、ある日夫「C」が交通事故で突然の死を迎えます。妻「M」は病院で「C」の死体を確認し、遺体にシーツを被せ病院を去りますが、死んだはずの「C」は突如シーツを被った状態で起き上がり、そのまま妻が待つ自宅まで戻ってきました。「M」は彼の存在には気が付きません。それでも幽霊となった「C」は、悲しみに苦しむ妻を見守り続けます。しかしある日、「M」は前に進むためある決断をし、残された「C」は妻の残した最後の想いを求め、彷徨い始めます。
 
 そのように、「アザーズ」「私はゴースト」「A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー」といった一連の幽霊目線の幽霊屋敷映画の系譜を受け継ぎながらも、「プレゼンス 存在」が異色なのは、なんといっても幽霊の姿が一切スクリーンに登場しないことです。これは、ホラー映画としては前代未聞ではないでしょうか。もっとも、べインズ一家の母親レベッカは、ラストで古い鏡の中に"ある存在"を見て絶叫しますが、それは幽霊ではなく過去の残像のようなものでした。レベッカを演じたルーシー・リューは、この映画が「カメラワークだけでなく、脚本からすでに幽霊の一人称視点で書かれていた」と明かしています。インタビューで、「この映画を3つの言葉で表すなら?」 との問いには「緊張感、予測不能、覗き見」と答え、「観客は自身の"存在"を持ち込むことで、映画の一部になっていく」と語っていました。