No.1072


 5月22日の朝、東京から北九州に戻りました。前日の21日、西新橋で業界の会議を終えた後、シネスイッチ銀座でノルウェー映画「ただ、愛を選ぶこと」を観ました。その日の朝には一条真也の映画館「104歳、哲代さんのひとり暮らし」で紹介した日本映画を観たので、この日はシネスイッチ銀座を朝夕の2回訪れたことになります。両作品ともにドキュメンタリーでしたが、「ただ、愛を選ぶこと」は愛する人を亡くした人たちを描いたグリーフケア映画でした。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。 「ノルウェーの自然豊かな森で暮らすある一家の姿を捉えたドキュメンタリー。森の中で自給自足の生活を送っていた一家の母親が突然亡くなり、残された家族が厳しい現実に直面する。監督を手掛けるのはシリエ・エヴェンスモ・ヤコブセン。第40回サンダンス映画祭ワールド・シネマ・ドキュメンタリー部門で審査員大賞を受賞した」
 
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「ペイン一家は豊かさと自由を求めて北欧の森で自給自足生活を送っていた。通学する代わりに子供たちは両親からさまざまな教えを受け、大地の恵みを得ながら成長してきたが、母親が病死したことで全てが変わってしまう。父親と血のつながっていない長女は家を出て行き、父親は残された実子3人とこれまで通りの生活を続けようとするが、さまざまな困難が彼らの前に立ちふさがる」
 
 父はイギリス人で、母はノルウェー人。その子どもたちは驚くほど美形で、特に次女のフレイヤは輝くばかりの美少女です。こんな美しい一家の自給自足の生活を記録すれば、さぞ魅力的なドキュメンタリー映画が生まれたことだろうと思います。しかし、映画の冒頭にだけ登場した母のマリヤは、病気でこの世を去ってしまいます。妻を亡くした夫、母を亡くした子どもたち、それぞれが抱える悲嘆が描かれています。自分を守ってくれるはずの母が目の前からいなくなった現実を受け入れなければいけない幼い子どもの姿は見ていて辛いですし、共に子どもたちを育てるはずのパートナーを失った夫の狼狽ぶりも胸が痛みました。
愛する人を亡くした人へ』 (PHP文庫)



「ただ、愛を選ぶこと」には、愛する人を亡くした悲しみが描かれています。では、「愛する人」と一言でいっても、家族や恋人や親友など、いろいろあります。わたしは、親御さんを亡くした人、御主人や奥さん、つまり配偶者を亡くした人、お子さんを亡くした人、そして恋人や友人や知人を亡くした人が、それぞれ違ったものを失い、違ったかたちの悲しみを抱えていることに気づきました。それらの人々は、何を失ったのでしょうか。それは、「親を亡くした人は、過去を失う。配偶者を亡くした人は、現在を失う。子を亡くした人は、未来を失う。恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う」ということだと思います。そのことを、拙著『愛する人を亡くした人へ』(PHP文庫)に書きました。
 
 同書を原案としたグリーフケアのドラマ映画が一条真也の映画館「君の忘れ方」で紹介した今年1月17日に公開された作品です。東京での上映館が、まさにシネスイッチ銀座でした。「君の忘れ方」は、死別との向き合い方をテーマに、恋人が他界し悲嘆に暮れる青年が、ある出会いをきっかけに前へ進もうとする人間ドラマです。放送作家・森下昴(坂東龍汰)は付き合って3年になる恋人・美紀(西野七瀬)との結婚を控えていましたが、ある日彼女が交通事故で帰らぬ人となります。ショックで呆然とした日々を過ごす中、彼は母親・洋子(南果歩)の勧めで故郷・岐阜へ久々に帰省します。洋子もまた不慮の事故で夫を亡くしており、今も深い悲しみを抱えていました。昴の悲しみが癒えることはないと思われましたが、彼はある体験を通して美紀の死と向き合うようになるのでした。

「ただ、愛を選ぶこと」と同じドキュメンタリー映画としては、ブログ「グリーフケアの時代に」で紹介した2024年公開の日本映画があります。出演者は、島田理絵(訪問看護師・グリーフ専門士)、本郷由美子(グリーフパートナー歩み代表)、島薗進(上智大学グリーフケア研究所 元所長)、金田諦應(通大寺住職 カフェ・デ・モンク代表)、阿部淑子(訪問看護師)、三井祐子(癌サバイバー・自死遺族)、岡村毅(精神科医)、 佐久間庸和(全国冠婚葬祭互助会連盟 元会長)、井手敏郎(日本グリーフケア協会代表理事)、須賀ゆりえ(看護師・グリーフ専門士)といった面々。日本を代表するグリーフケアの達人たちが一堂に集結した印象です。家族やパートナー、友人やペットを失って、旅立ちを見送らなくてはならない人が、心の痛みを手放し、やがて再生へと向かうための一助となるような、心あたたまる映画です。

「君の忘れ方」と同じシネスイッチ銀座で上映された「ただ、愛を選ぶこと」は死別の悲嘆を描いたグリーフケア映画でしたが、同時上映されている「104歳、哲代さんのひとり暮らし」もある意味でグリーフケア映画だと言えます。というのも、グリーフケアの目的は主に2つあるからです。「死別の喪失に寄り添う」ことと「死の不安を軽減する」ことです。「ただ、愛を選ぶこと」が前者なら、「104歳、哲代さんのひとり暮らし」は後者の代表的作品であると言えます。また、哲代さんは日々、仏壇に向かって亡くなった夫へ語りかけており、彼女の映画では死別の喪失からの回復も描かれています。「こころの時代」と言われてきて久しいですが、「こころの時代」とは「死を見つめる時代」であり、「グリーフケアの時代」ではないでしょうか。わたしは、そのように考えています。
 
 さて、「ただ、愛を選ぶこと」の冒頭に登場したペイン一家の自給自足の生活をスクリーンで観たとき、わたしは「北の国から」を連想しました。言わずと知れた日本のドラマ史に残る名作シリーズで、フジテレビ系で放送されました。「金曜劇場」枠で1981年10月9日から1982年3月26日まで毎週金曜日22:00―22:54に放送された後、ドラマスペシャルとしてシリーズ化され、8編のドラマスペシャルが1983年から2002年まで放送されました。北海道富良野市(主に麓郷地区)を舞台に、北海道の雄大な自然の中で主人公・黒板五郎(田中邦衛)と長男・純(吉岡秀隆)、長女・蛍(中島朋子)の2人の子どもの成長を21年間にわたって描きました。ドラマの序盤には、母親(石田あゆみ)との別れ、そして死別も描かれ、グリーフケアの物語としても優れています。
 
「北の国から」に登場するのは2人の子どもたちでしたが、この「ただ、愛を選ぶこと」には4人の子どもたちが登場します。カメラが映し出すのは、ノルウェーの森にある小さな農場で自給自足に生活を送るペイン一家の営み。母親のマリアと父親のニックはかつては都会に住み、ともに働いていたことが窺えます。彼らは結婚しますが、マリアは再婚で、ロンニャという連れ子がいました。マリアとニックは、競争社会や経済優先社会に疑問を抱き、都会の喧騒から逃れるためにのどかな田舎町へ引っ越すのでした。長女ロンニャ、次女フレイヤ、長男ファルク、次男ウルヴの4人の子どもたちは豊かな自然の広がる自由な空間での生活を始めますが、マリアの死という不測の事態が彼らの運命を一変させるのでした。しかし、この映画には彼らが互いにケアし合い、再生していく姿が描かれています。愛する人を亡くしても、残された人は生きていく......古今東西繰り返されてきた人間の営みを優しく示してくれるドキュメンタリー映画でした。