No.1074
東京に来ています。業界の会議が相次いだ27日の夜、シンガポール・ドイツ合作映画「未完成の映画」を角川シネマ有楽町のレイトショーで観ました。わたしは映画そのものを題材にした‟映画の映画"が好きなので鑑賞した次第です。しかし、‟映画の映画"というよりも‟コロナの映画"といった印象で、非常にストレスフルな内容でした。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「未完成の映画を完成させるために再集結した映画制作チームを描くフェイクドキュメンタリー。撮影がようやく再始動するものの、新型コロナウイルスのまん延によりチームが再び苦境に立たされる。監督などを手掛けるのは『スプリング・フィーバー』『サタデー・フィクション』などのロウ・イエ。『長江 愛の詩』などのチン・ハオ、マオ・シャオルイのほか、チー・シーらが出演している」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「映画監督のシャオルイ(マオ・シャオルイ)は、10年前に中断した未完の映画の撮影を再開することを決意する。彼はキャストとクルーを集めて説得し、2019年に企画が再び動き出すものの、撮影がほぼ完了した2020年1月、新種のウイルスが武漢で広まり始める。クルーたちがニュースを追い続ける一方で、シャオルイ監督は撮影を中断するかどうかの判断を再び迫られる」
「未完成の映画」を完成させる物語と知り、わたしは一条真也の映画館「オマージュ」で紹介した2023年の韓国映画を思い出しました。ヒット作がなく新作を撮る目処も立たない映画監督のジワン(イ・ジョンウン)は、1960年代に活動した女性映画監督ホン・ジェウォンの映画『女判事』の修復の仕事を依頼されます。ジワンは家族との日常生活を送りながら自身の映画を撮りたいと願っていましたが、失われたフィルムの一部を求めて関係者を訪ね歩く中で、かつて映画業界で活動していた女性たちの苦難を知ります。
わたしは「未完成の映画」には、「オマージュ」のような〝失われた映画"を求める映画愛が描かれているとばかり思っていました。最初のうちは、そのイメージ通りの展開でした。監督のシャオルイ(マオ・シャオルイ)は、10年前に中断された映画の撮影を再開するため、キャストとスタッフを集め説得します。そして2019年、10 年間電源が入っていなかったコンピューターを起動。その映像に写っていた主演俳優のジャン・チェン(チン・ハオ)を呼び寄せ、「この未完成の映画を完成させよう」と説得します。俳優の仕事も順調で、もうすぐ妻に子どもも生まれるジャン・チェンは消極的でしたが、シャオルイ監督の熱気に押されて了承します。
「未完成の映画」のメガホンを取ったロウ・イエ監督の代表作は2008年のフランス・中国映画「天安門、恋人たち」です。1989年に起きた天安門事件を、人民解放軍に弾圧された学生たちの目線でとらえた青春映画です。ユー・ホン(ハオ・レイ)は恋人を故郷に残し、中国東北地方から北京の大学に進学。美しく抜群のプロポーションを持つ彼女は、友人(フー・リン)に紹介されたチョウ・ウェイ(グオ・シャオドン)と恋に落ちる。1989年当時、民主化を求める学生運動が激しくなる中、彼らは身も心も激しく求め合いますが、それも長くは続きませんでした。主演の2人は、中国映画史上初の全裸のセックスシーンに果敢に挑みました。この映画を上映したことにより、ロウ・イエは中国共産党政府の逆鱗に触れ、中国電影局より5年間の映画製作・上映禁止処分を受けます。
「天安門、恋人たち」の上映をきっかけに中国電影局より5年間の映画製作・上映禁止処分を受けた監督ロウ・イエですが、その処分を無視して、ゲリラ的に撮影を敢行し、2010年にフランス・中国映画「スプリング・フィーバー」を作りました。南京の日常の中で紡がれる普遍的な愛の物語を描き、カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞しました。夫ワン・ピン(ウー・ウェイ)の浮気を疑う女性教師リン・シュエ(ジャン・ジャーチー)は、その調査を探偵(チェン・スーチョン)に依頼し、相手がジャン・チェン(チン・ハオ)という青年であることを突き止める。夫婦関係は破たんし、ワンとジャンの関係も冷え込むが、その一方、探偵とジャンは惹かれ合い始めるのでした。
その「スプリング・フィーバー」からこぼれ落ちた作品が「未完成の映画」で撮影が10年ぶりに再開された映画でした。というのは、この作品は男性同士の恋愛を描いたクィア映画だったのです。それを知ったわたしは、「またか!」と思いました。最近、製作国を問わずクィア映画が本当に多いからです。ちょっと食傷気味なのですが、この「未完成の映画」が2024年第77回カンヌ国際映画祭特別招待作品として上映され、ドキュメンタリー作品に与えられる「金の眼賞」にノミネートされたことを知り、「なるほどな」と思いました。 一条真也の映画館「怪物」で紹介した是枝裕和監督のカンヌ脚本賞受賞作をはじめ、カンヌ映画祭に出品される作品はLGBTQをテーマにしたものが目立ちます。カンヌ映画祭は、いっそ「LGBTQ映画祭」と改名したほうがいいようにさえ思いました。
再開された映画の撮影がほぼ完了した2020年1月、武漢で発生した新種のウイルスに関する噂が広まり始めます。不穏な空気が漂う中、武漢から来たヘアメイクが帰宅を余儀なくされ、スタッフ達はスマホでニュースを追い続ける日々を送ります。一方、シャオルイ監督は再び撮影を中断するかどうかの決断を迫られます。そんな中、一部のスタッフと俳優はホテルが封鎖される前の脱出に成功するものの、残ったスタッフはホテルの部屋に閉じ込められたまま、すべてのコミュニケーションがスマホの画面だけに制限されます。そして武漢はロックダウンするのでした。
新型コロナウイルスの感染が拡大する中、映画のスタッフたちはビデオ通話を通じて連絡を取り合います。ホテルに閉じ込められたままのジャン・チェンは、北京で1か月の赤ん坊と共に部屋に閉じ込められている妻サン・チー(チー・シー)とビデオ通話で励まし合います。でも、この妻がちょっと過干渉というか、つねにビデオ通話で繋がることを求めるのです。産後すぐで不安でたまらないことはわかりますが、ホテルからの脱出しようとする夫が急いで荷造りをしているときも、脱出を阻止する警備員から殴られて出血しているときも、ビデオ通話を要求するのです。これは非常にストレスを感じました。しかも、彼女はちょっと永野芽郁に似ているのです!
この映画は、途中からもはや映画製作の物語ではなく、完全にコロナ禍の物語へと変化します。長い隔離期間中の閉塞感を携帯画面上で自由と解放を表現したシーンは、狂気さえ感じるほどで、まるでホラー映画のようでした。英ガーディアン紙は「コロナ禍についての、まったくユニークで非常に重要な映画。『天安門、恋人たち』以来の最高傑作。☆☆☆☆☆。」と絶賛し、2024年11月の中華圏最大の映画祭、台北金馬映画祭では、金馬奨の劇映画部門の最優秀作品賞と監督賞をダブル受賞しました。2019年コロナウィルスが発生したと言われる中国武漢に近い都市を舞台に映画制作を行っていた人々を描くことにより、パンデミック時の「集団的トラウマの記録」をリアルに描いた映画となりました。
コロナ禍中の福岡空港で
「未完成の映画」を観て、わたしはコロナ禍の中の緊急事態宣言を思い出しました。とにかく、新型コロナウイルスの感染拡大は想定外の事件でした。緊急事態宣言という珍しい経験もすることができましたが、一方で、わたしを含め、あらゆる人々がすべての「予定」を奪われました。個人としては読書や執筆に時間が割けるので外出自粛はまったく苦ではありませんでしたが、冠婚葬祭業の会社を経営する者としては苦労が絶えませんでした。
コロナ禍中の北九州空港で
いま、「出版寅さん」こと内海準二さんが、京都大学名誉教授で宗教哲学者の鎌田東二先生との往復書簡集である『満月交命~ムーンサルトレター』(現代書林)の編集を行っている最中ですが、内海さんは「コロナ禍のときの文通内容があまりにも切ない」と言っていました。「今なら、コロナ禍は終わるということがわかるけど、渦中のときは出口がまったく見えなかった」とも言っていました。内海さんの言葉を聴いて、あの頃の絶望感が蘇ってきました。
緊急事態宣言の最中、わたしは一条真也の読書館『コロナの時代の僕ら』で紹介したイタリアの小説家パオロ・ジョルダーノの随想を読みました。この本の著者あとがき「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」は、まことに心を打つ文章です。ジョルダーノは、「僕は忘れたくない。今回のパンデミックのそもそもの原因が秘密の軍事実験などではなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそあることを。僕は忘れたくない。パンデミックがやってきた時、僕らの大半は技術的に準備不足で、科学に疎かったことを」と書いています。この言葉は、わたしの心に響きました。
「サンデー新聞」2020年8月1日号
また、彼は「僕は忘れたくない。家族をひとつにまとめる役目において自分が英雄的でもなければ、常にどっしりと構えていることもできず、先見の明もなかったことを。必要に迫られても、誰かを元気にするどころか、自分すらろくに励ませなかったことを」と述べ、最後に「家にいよう。そうすることが必要な限り、ずっと、家にいよう。患者を助けよう。死者を悼み、弔おう」と書いています。「未完成の映画」の最後で、ロックダウンが解除された武漢の街で犠牲者の追悼が行われる切ないシーンを観ながら、わたしはジョルダーノの言葉を思い出していました。