No.1102
わがシネマライフのホームである「シネプレックス小倉」が、「ローソン・ユナイテッドシネマ小倉」に名称変更。同時に、待望のIMAXが導入されました。7月19日、その記念すべき上映作品としてアメリカ映画「スーパーマン」を鑑賞。これまでに何度も映画化されている作品ですが、今回は政治色丸出しで、いろんな意味で面白かったです。参議院議員選挙の前夜、非常に政治的な映画を観てしまいましたが、北九州初導入のIMAXは最高でした!
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「アメコミヒーローの原点であるスーパーマンを主人公に描くアクション。地球を守るスーパーマンという自らの正体を明かさず新聞記者として働くクラーク・ケントが、宿敵である天才科学者レックス・ルーサーに立ち向かう。監督などを手掛けるのは『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズなどのジェームズ・ガン。ドラマシリーズ「ハリウッド」などのデヴィッド・コレンスウェット、『アイム・ユア・ウーマン』などのレイチェル・ブロズナハンのほか、ニコラス・ホルトらが出演する」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「普段はデイリー・プラネット社の新聞記者として働くクラーク・ケントは、地球を守るために戦うスーパーマン(デヴィッド・コレンスウェット)として活動していた。自身の正体を隠しながら生活する彼には、目の前で傷ついている人々を救いたいという願いがあった。そんな彼の前に宿敵である天才科学者レックス・ルーサー(ニコラス・ホルト)が立ちふさがる」
今回のスーパーマンの敵はレックス・ルーサー(ニコラス・ホルト)ですが、どう見てもイーロン・マスクをモデルにしたと思える人物です。また、髪型はちょっと違いますが、ドナルド・トランプみたいな某国の大統領も登場し、まさにジェームズ・ガンのやりたい放題! 「よくぞ、ここまでパロったな!」と痛快な思いで鑑賞しました。コメディの要素も多かったですが、特に笑ったのが、ルーサーが率いるネットの会社で飼っている猿たちで、ひたすら他人の悪口をSNSに書き込んでいるのです。わたしは、匿名で他人の誹謗中傷ばかりしている日本のネット民を連想しました。じつに卑怯千万な奴らです!
その邪悪なネット猿たちを退治したのは、クリプトという名前の犬です。クリプトは、スーパーマンと同じ惑星クリプトンからやって来た、怪力や飛行能力を持つスーパードッグです。手が付けられない暴れん坊ですが、映画の冒頭で瀕死のスーパーマンを救出するなど、その存在感は非常に大きいです。完全にCGIで作られた犬ではすが、ジェームズ・ガン監督が脚本執筆中に引き取った保護犬オズ(小津安二郎監督にちなんだ名前)をモデルにしています。クリプトは大人気で、本作の公開後、Googleでの「近くで犬を引き取る/犬の里親になる」という検索が513%増えたとのこと。ガン監督はこのニュースに「この映画は僕にとって祝福の連続だったが、これはその中でも最高のものかもしれない」とツイートしています。
本作のタイトルにもなっているスーパーマンは、DCの出版するアメリカン・コミックスの主人公です。1938年に原作ジェリー・シーゲルと作画ジョー・シャスターによって創造され、「アクション・コミックス」第1号で初登場しました。2018年には80周年を迎え、4月には「アクション・コミックス」が1000号に達しました。テレビ・シリーズ冒頭のナレーションは「弾丸(たま)よりも速く、力は機関車よりも強く、高いビルディングもひとっ跳び!」でした。キャッチフレーズは、「空を見ろ!」「鳥だ!」「飛行機だ!」「――いや、スーパーマンだ!」でした。当初のキャッチコピーは「真実、正義、そしてアメリカン・ウェイ」でしたが、2021年にグローバル展開を意識し「真実、正義、そしてより良い明日」に変更されています。
スーパーマンの主な能力は、怪力(80万トンの物体を持ち上げるほどの怪力を持っています)、飛行能力(最高時速800万kmで飛行できます)、耐久力(40メガトンの核爆発に耐えるほどの耐久力を持っています)、超視力(望遠、透視、赤外線、X線など、様々な種類の視覚能力を持っています)、ヒートビジョン(目から熱線を放射し、物体を焼き切ることができます)、スーパーブレス(吐く息で物体を凍結させることができます)、超聴力(人間の声だけでなく、遠くの音や微かな音も聞き取ることができます)、スーパーフレア(太陽エネルギーを爆発的に放出する能力です)。このように本来、スーパーマンは無敵の超人ですが、本作ではちょっと様子が違います。いきなり冒頭シーンから敵に敗れて瀕死のシーンが映し出されますし、その後も何度もピンチに陥ります。
そう、本作のスーパーマンは無敵の宇宙人ではなく、弱さも持った人間といった印象でした。これは、ジェームズ・ガン監督がDCユニバースのバランスを考えた上で、あえて「強過ぎないスーパーマン」を描いたのです。わたしはスーパーマンというよりも同じジャスティス・リーグのメンバーであるバットマンをイメージしてしまい、一条真也の映画館「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」で紹介した2016年の映画を連想しました。この作品は、世界的人気を誇るスーパーヒーロー、スーパーマンとバットマンが互いに全力を尽くしてバトルに挑む姿を描くアクション大作です。英雄から一転、悪に傾倒したスーパーマン相手に激しい戦いを繰り広げる人類の最後の希望バットマンとの最終対決を映し出します。
本作ではスーパーマンがアメリカ国民からバッシングを受けますが、それは「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」でも同様でした。バットマン(ベン・アフレック)は、両親の殺害現場を目撃したという過去のトラウマから犯罪者一掃に力を注ぎ、一方超人的能力を持つスーパーマン(ヘンリー・カヴィル)は、その力を人類のために惜しみなく使ってきました。だが、その破壊力の強大さゆえに、スーパーマンは人々からバッシングを受けるようになるのです。スーパーマンの破壊力はすさまじく、それが多くの無関係な人々にも危害を与える結果となり、彼は公聴会にまで呼ばれてしまいます。
この破壊力がありすぎるスーパーマンというのは、完全に「軍隊」「兵器」「核」などのメタファーになっています。考えみれば、大怪獣を退治しても、その大怪獣が倒れた場所で下敷きになる人がいるかもしれません。敵の攻撃をかわしたことが原因で高層ビルが崩壊した場合は、そのビルの中にいた人々が犠牲になってしまいます。要するに大都会の真ん中で闘った場合、何をしても無実の人を傷つけてしまう危険性があるわけですが、本作「スーパーマン」ではその辺への配慮がしっかりしていました。今回のスーパーマンは非常に優しく、コンパッションの塊です。
『ハートフル・ソサエティ』(三五館)
この映画を観て、わたしは「やはり、アメリカは神話のない国だな」と思いました。拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の「共感から心の共同体へ」にも書きましたが、神話とは宇宙の中における人間の位置づけを行うことであり、世界中の民族や国家は自らのアイデンティティーを確立するために神話を持っています。日本も、中国も、インドも、アフリカやアラブやヨーロッパの諸国も、みんな民族の記憶として、または国家のレゾン・デトール存在理由として、神話を大事にしているのです。ところが、神話を持っていない国が存在します。それは、アメリカ合衆国という現在の地球上で唯一の超大国です。
建国200年あまりで巨大化した神話なき国・アメリカは、さまざまな人種からなる他民族国家であり、統一国家としてのアイデンティー獲得のためにも、どうしても神話の代用品が必要でした。それが、映画です。映画はもともと19世紀末にフランスのリュミエール兄弟が発明しましたが、他のどこよりもアメリカにおいて映画はメディアとして、また産業として飛躍的に発展しました。映画とは、神話なき国の神話の代用品だったのです。それは、グリフィスの「國民の創生」や「イントレランス」といった映画創生期の大作に露骨に現れていますが、「風と共に去りぬ」にしろ「駅馬車」にしろ「ゴッドファーザー」にしろ、すべてはアメリカ神話の断片であると言えます。それは過去のみならず、「ブレードランナー」「マトリックス」のように未来の神話までをも描き出します。そして、スーパーマン、バットマン、スパイダーマンなどのアメコミ出身のヒーローたちも、映画によって神話的存在、すなわち「神」になったと言えるでしょう。
さらに、「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」を観て思ったことがありました。それは、スーパーマンは孟子的で、バットマンは荀子的であるということです。映画の中で両雄が議論をする場面があるのですが、それを観てそう思いました。孟子によれば、人間は生まれながら手足を四本持っているように、この「仁」「義」「礼」「智」の四つの芽生えを備えているというのです。孟子は「人間の本性は善きものだ」という揺るぎない信念を持っていました。これが、スーパーマンの楽観性というか、人間を無邪気に信じる姿に重なりました。「万人を幸福にしなければならない」といった絵に描いた餅のような発想は、「兼愛説」を唱えた墨子の説そのものです。これに対して孟子は、自分の親しいものの幸福を願うことが何よりも大切であると説いたわけです。まさに、スーパーマンは孟子的であると言えるでしょう。
孟子の「性善説」に対して、荀子は「性悪説」を唱えました。荀子によれば、人間は放任しておくと、必ず悪に向かいます。この悪に向かう人間を善へと進路変更するには、「偽」というものが必要になります。「偽」とは字のごとく「人」と「為」のこと、すなわち人間の行為である「人為」を意味します。具体的には「礼」であり、学問による教化です。両親を殺されたトラウマから、悪人の教化をめざすバットマンの姿は荀子に重なります。また映画の中でのバットマンの発言にもありますが、スーパーマンは両親から「この星に来たことには意味がある」と言われたのに対して、バットマンは親から「裏通りで理由もなく死ぬのが人間だ」ということを学びました。このあたりも、非常に孟子と荀子の香りがしてきます。
よく荀子の性悪説は誤解されます。悪を肯定する思想であるとか、人間を信頼していないニヒリズムのように理解されることが多いのですが、そんなことはまったくありません。人間は放任しておくと悪に向かうから、教化や教育によって善に向かわせようとする考え方なのです。人間は善に向かうことができると言っているのですから、性悪説においても人間を信頼しているのです。ユダヤ教やフロイトが唱えた西洋型の性悪説とは、その本質が異なっています。孟子の性善説にしろ、荀子の性悪説にしろ、「人間への信頼」というものが儒教の基本底流なのです。
2025年7月11日に日米同時公開された「スーパーマン」では、スーパーマンが「わたしは人間だ!」と人間宣言をします。そして、異国の地で他国からの侵略に苦しむ人々を救おうとします。「それは、あなたの仕事ではないでしょう」と諭す恋人に対して、スーパーマンは「だって、人が死んでいるんだ!」と叫ぶのでした。もはや、彼は「困っている者、助けを求めている者は、すべて救う」という思想に従って行動しています。そして、それは儒教の「仁」、仏教の「慈悲」、キリスト教の「隣人愛」に通じる「コンパッション」そのものでした。そう、スーパーマンを動かしている原動力は「コンパッション(COMPASSION)」なのです。そして、傷ついた彼を回復させるものは太陽光でした。つまり「サンレー(SUNRAY)」です。ということで、2025年の「スーパーマン」は、コンパッション&サンレーの物語でした!
北九州春導入のIMAXは最高でした!