No.1112
 

 8月9日、日本映画「長崎―閃光の影で―」を観ました。80年目の「長崎原爆の日」に、ローソン・ユナイテッドシネマ小倉で鑑賞。これまでに多くの戦争映画、原爆をテーマにした映画を観てきましたが、本作には魂が揺さぶられるような深い感動をおぼえました。長崎から戻った直後のこの日に、この映画を観ることができて本当に良かった!
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「日本赤十字社の看護師たちが被爆から35年後に記した手記を原案に描くヒューマンドラマ。原爆投下直後の長崎を舞台に、被爆者救護にあたった看護学生たちの1か月を映し出す。監督などを務めるのは『車軸』などの松本准平。ドラマ『亀も、青春は短い』などの菊池日菜子、『プリテンダーズ』などの小野花梨、『ブルーイマジン』などの川床明日香らが出演している」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「1945年、看護師を目指して勉強中のスミ(菊池日菜子)、アツ子(小野花梨)、ミサヲ(川床明日香)は空襲による休校のため、長崎に一時帰郷していた。彼女たちが家族や恋人と久しぶりに過ごす中、8月9日11時2分、アメリカ軍が投下した原子爆弾が爆発し、一瞬にして多くの人の命を奪う。看護師の卵である3人は、被爆した人々の命を救おうと駆けずり回る」
 
 1945年、長崎。看護学生の田中スミ、大野アツ子、岩永ミサヲの3人は、空襲による休校を機に帰郷し、家族や友人との平穏な時間を過ごしていました。しかし、8月9日午前11時2分、長崎市上空で原子爆弾がさく裂し、その日常は一瞬にして崩れ去ります。それまでの日常の風景を淡々と描いているがゆに、原爆の投下で一瞬にして地獄が現出するさまが印象的でした。原爆の投下によって街は廃墟と化し、彼女たちは未熟ながらも看護学生として負傷者の救護に奔走します。
 
 救える命よりも多くの命を葬らなければならないという非情な現実の中で、彼女たちは命の尊さ、そして生きる意味を問い続けるのでした。いくら救護や看護をしようとしても、周囲は死にそうな負傷者ばかりという極限の厳しい現実に観客の胸も痛みます。亡くなった人々はそこらかしこで火にくべられ、焼却されます。どんな病気や怪我であっても病院できちんと治療を施された後で亡くなること、路上で火に焼かれるのではなく、家族や縁ある人々から葬儀をあげてもらってから荼毘に付されること。それがどれほど幸せなことであるかを痛感しました。
 
 この映画で非常に興味深かったのは、ケア者のケアが描かれていたことでした。人類史上でも2度しかない核兵器が使用された直後の場所で看護行為に従事することはケア当事者に身心ともに想像を絶するストレスを与え、バーンアウトの危険がありますが、それを仲間たちが支え合い、ケアし合う姿を見て、「相互扶助は人間の本能である」ことを再確認しました。そして、映画の最後には修道院を訪れたスミの心と魂をケアした南原令子という修道女が登場します。令子が「浦上天主堂の焼け跡から見つかったマリア様を見ていると、必死で看護された貴女方も聖女だと思います」と言うのですが、スミは「そんなことありません。わたしはそんな立派な人間ではありません!」と泣き崩れるシーンは、観ていて涙が止まりませんでした。
 
 この南原令子という修道女は、南果歩が演じていました。彼女は、一条真也の映画館「君の忘れ方」で紹介した、拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林・PHP文庫)が原案の日本映画にも出演しています。主演の坂東龍汰が演じる主人公・昴の母親である洋子を演じましたが、映画では夫を殺した犯人捜しをする洋子の葛藤がミステリー仕立てで描かれていました。さすがベテラン女優だけあって、南果歩の夫を死に至らしめた張本人を探す姿には鬼気迫るものがありました。グリーフケアがテーマである「君の忘れ方」ではケアを受ける側の役を演じた南果歩ですが、「長崎―閃光の影で―」では素晴らしいケア者を見事に演じました。
 
 映画のラストには、看護学生時代、被爆者の救護にあたった 山下フジヱ さんが松本監督たっての願いで出演。学生時代、凄惨な体験をしながらも「看護」を一生の仕事としてきた山下さん。松本監督は、山下さんが、強い思いをもってこの映画の撮影に臨んでくれたと感じており、「山王神社のクスノキの場所で撮影したんですけれども、階段がたくさんあるじゃないですか。(山下フジヱさんの)車椅子をどうやって搬入するかということを考えて準備をしていたんですけど、でも山下さんは、ご自身の足で歩きたいという風に仰られて。原爆はいけない、そして平和への思い、それが本当に強くフジヱさんの中にあるんだなと思って」と語っています。その山下さんの思いは長崎出身の被爆者・美輪明宏が語りとして声で体現しています。
 
 この映画、3人の看護学生を演じた菊池日菜子、小野花梨、川床明日香の演技が本当に素晴らしかったです。主演で田中スミ役の菊池日菜子は、「(山下さんから)強いエールをいただいたので、その瞬間にすごく覚悟が決まりました。私はその『頑張ってね』に、『伝えていってね』という気持ちをすごく感じて、微力でもできることはやろうと今すごく思っています」と、大野アツ子役の小野 花梨は「きょう生きているということに感謝して、戦後80年という数字がどこまでも大きくなるように」と、岩永ミサヲ役の川床明日香は「(以前は)遠い過去のことのように感じていたので、そういった状況ではダメだなと この作品を通して考えるようになったので、観てくださった方が、何か1つでも 平和について考えるきっかけになればなと」と、それぞれ真摯に語っています。
 
 川床明日香が演じた岩永ミサヲの父親である岩永信行は萩原聖人が演じました。岩永父娘は熱心なクリスチャンで、原爆が投下された日の朝も教会で礼拝をした設定になっていました。原爆で生死に関わるほどの負傷をした父を親戚の元に避難させたミサヲは看護の現場に戻ります。彼女の母親も米軍の攻撃で命を失っていました。憎んでも憎みきれない敵国アメリカですが、ミサヲは「神様はすべての悪事をもお赦しになる。どんなに相手が憎くても、赦す心を持たなくてはならない」と考え、家族が原爆で黒焦げになって死んだアツ子から「わたしはアメリカが憎くて仕方ない。あんたは甘い!」と責められます。その意味でこの映画は「神」や「信仰」の本質を問う宗教映画であるとも言えますが、ミサヲとアツ子が口論する場面はあまりにも切なくて泣けました。
 
 一説によれば、アメリカは広島原爆のことは報道しても長崎原爆は報道したがらないと言われています。それは教会を破壊し、キリスト教徒を殺戮したという事実を封印したいからだといいます。アメリカはプロテスタントで、長崎はカトリックが主流でしたが、同じイエス・キリストの子らを大量殺戮したことはキリスト教国家・アメリカにとっても大きなトラウマなのでしょう。しかし、それがゆえに長崎原爆を歴史から消し去るようなことは絶対に許されません。本作で修道女の令子が、生き残った自分を責め続けるスミに向かって「あなたは生かされたんですよ。まず、生きなさい。それから、生き続けなさい。そして、忘れないようにしなさい」と優しく語りかけるシーンは、まさにケアが実現した瞬間であり、大いに泣けました。
 
 この映画の主題歌は、長崎出身の福山雅治が被爆クスノキを題材に作詞・作曲した「クスノキ―閃光の影で―」でした。エンドロールで流れましたが、とても心に沁みました。特に、「涼風も 爆風も 五月雨も 黒い雨も ただ浴びて ただ受けて ただ空を目指し」という歌詞には猛烈に感動しました。作詞も福山雅治によるものですが、彼は天才ですね。本日、長崎市で開かれた平和祈念式典では、地元の小学生による合唱曲として「クスノキ」が初めて選ばれ、歌われました。原爆の被害は樹木にも及びました。爆心地から約800メートル離れた山王神社の境内にあったクスノキでした。樹齢約500~600年と推定される大クス2本は、幹が折れ、熱線で黒焦げになったのです。ところが、被爆から約2カ月後、大クスに新しい芽が出てきました。被爆直後に「70年は草木も生えない」といわれた焦土でたくましさを見せた大クスの姿は、長崎原爆の復興のシンボルとされました。

朝日・読売・毎日・西日本新聞8月9日朝刊
 
 
 
 この日、わたしは小倉のシネコンで10館あるシアター中の7番シアターで「長崎―閃光の影で―」を鑑賞しました。けっして広いシアターではありませんが、それでもほとんど満席になっていたのには驚きました。他のシアターは超話題作をはじめ大作揃いだったにもかかわらずです。わたしは、「この人たちは、長崎原爆が小倉に落ちるはずだったことを知っているのだろうな」と想いました。そして、20年以上前には多くの北九州市民がその事実を知らなかったことを思い出しました。わが社では毎年、「鎮魂」「昭和20年8月9日 小倉に落ちるはずだった原爆。」というキャッチコピーで新聞各紙にメッセージ広告を掲載しています。もう20年も広告掲載を続けているせいか、ようやく北九州でも歴史上の事実が知れ渡ってきました。80年目の「長崎原爆の日」に、長崎原爆の映画が上映された小倉の映画館が満席になったことが嬉しく、わたしの涙はさらに増量しました。最後に、長崎原爆の犠牲者の方々の御冥福を心からお祈りするとともに、当時の医療や看護にあたられた方々に心より敬意を表します。