No.1116
8月19日の夜、松山で唯一のアート系映画館・シネマルナティックで日本映画「私の見た世界」を観ました。観客は、わたし1人だけ。かの松山ホステス殺人事件をテーマにした作品ですが、まさにご当地で観るべき映画です。しかし内容はといえば、「?」が数個もつきました。ネットの評価が非常に低い作品ですが、納得がいきました。わずか69分の上映時間ですが、途轍もない胸糞映画でした。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「松山ホステス殺人事件の犯人である福田和子をモデルに描く逃走劇。1982年に愛媛県松山市で起きた殺人事件を題材に、その後およそ15年間逃亡を続け、時効成立直前に逮捕された犯人の逃走の顛末を映し出す。『聞こゆるや』などの俳優・石田えりが監督などを手掛け、出演も果たす。『おかあさんの被爆ピアノ』などの佐野史郎、『英語の女(ひと)』などの大島蓉子のほか、後藤ユウミ、下総源太朗らが出演している」
ヤフーの「あらすじ」は、「1982年、愛媛県松山市で発生した松山ホステス殺人事件の犯人として福田和子が指名手配される。ごく普通の母親だった彼女は、整形手術をして自身の顔を変えると同時に名前も変えながら、警察の捜査の網をかいくぐって逃亡を続ける」となっています。
この映画、昭和のカルトムービーのような、観る者の無意識を浸食するような攻めた演出に満ちていますが、あの石田えりが監督したとは驚きですね。彼女は、「生きていれば、どんな人でも、できれば逃げ通したいものに出会う。考えるのが面倒なこと。過去にしでかした罪や受けた傷。どうすることもできないと思っている性癖。トラウマ。しかし、『逃げる』ということは、『追われる』ということだ。いったいどうしたら『解放』されるのだろう? ある日、その答えのヒントになるような夢を見た。人に言うとバカみたいと思ったが、その3日後、詩人の谷川俊太郎さんが見た夢を語られているのを、偶然テレビで観た。全く同じ夢だった。驚いた。私はこの夢のことを、時効寸前まで15年逃げ続けた、整形殺人犯『福田和子』の事件を基に伝えられたらいいなと思いました」と語っています。
この映画、タイトルのように主人公にとっての「私の見た世界」が描かれています。主人公は、福田和子をモデルにした佐藤節子。監督の石田えりが演じていますが、スクリーンに彼女の顔が映るのは一瞬です。あとは、ひたすら節子から見た世界が描かれるのでした。モデルとなった福田和子の名前は、昭和と平成をまたいで日本中を騒がせた事件とともに記憶されています。1982年(昭和57年)、松山ホステス殺人事件の犯人として指名手配された福田は、顔や名前を変えるなどして警察の目を欺き、時効直前の約15年間にわたり逃走を続けた。妻であり母親でもあった彼女の逃走劇とその背景は、当時の日本社会に大きな衝撃を与え、犯罪の恐ろしさだけでなく、人間の弱さや社会の闇を映し出す鏡としても多くのメディアや書籍で紹介されています。
痛み、孤独、そして恐怖に満ちていたようにも思える福田和子の人生。しかしながら、映画「私の見た世界」は、過去の出来事を単なる犯罪史として再現する映画ではありません。かつては"格闘王"前田日明とも噂になり、芸能界で華々しいキャリアを持つ石田えりが、SNSやデジタル技術が普及した令和の時代に、あえて福田和子の物語を描きました。石田は、福田和子の逃走生活を描くことで、「罪を犯した者」が社会との接点をどのように持ち続けたのか、その中で何を感じていたのかについて考え抜いたように思われます。映画公式HPには、「これは福田和子の物語に重ねて、社会の光と人間の強さにもわずかな希望を見出している石田えりの物語でもある」と書かれています。
福田和子の人生はこれまでにも何度も映像化されていますが、最も有名なのは坂本順治監督の「顔」(2000年)でしょう。喜劇女優・藤山直美主演の異色の犯罪ドラマです。藤山演じる吉村正子は、クリーニング店を営む母親を手伝う冴えない40過ぎの女性。家にとじこもりっきりで、恋人はおろか友人さえもいません。そんなある日、母親が急死してしまいます。通夜の晩、ホステスをしている妹が正子に向かっていつものようにきつい言葉をぶつけました。カッとなった正子は妹を殺してしまいます。我に返った正子はその場から逃げ出す。そして、初めて外の世界へ出た正子の逃亡生活が始まります。そして正子は、福田和子のように整形を繰り返すのでした。
また顔を整形して逃亡し続けた人物の映画といえば、殺人犯・市橋達也の手記を基に映画化した「I am ICHIHASHI 逮捕されるまで」(2013年)があります。2007年3月、千葉県市川市のマンションでイギリス人女性の変死体が発見されます。住人である市橋達也は捜査員の追跡をかわして、行方をくらましてしまいました。市橋は青森、四国、沖縄、名古屋、大阪、福岡と行く先々で名前を変え、顔さえも変えて、逮捕されるまで2年7か月にも及ぶ逃亡を続けるのでした。監督を、台湾で活動する日本人俳優のディーン・フジオカが務め、自ら市橋を熱演。市橋が3年近くも捕まらずに逃げることができた理由や、市橋自身が明かした逃亡生活の中身が赤裸々に描かれました。
そして、 一条真也の読書館「正体」で紹介した日本映画の大傑作を思い出しました。染井為人の小説を原作に藤井道人が監を務めたサスペンスです。変装と潜伏を繰り返しながら、日本中を巡る指名手配犯の488日間にわたる逃走劇を映し出します。殺人事件の容疑者として逮捕され、死刑判決を受けた鏑木(横浜流星)は脱走に成功。日本各地で潜伏しながら逃走を続ける鏑木が沙耶香(吉岡里帆)や和也(森本慎太郎)、舞(山田杏奈)らと出会う一方、彼を追う刑事の又貫(山田孝之)は沙耶香らを取り調べます。しかし彼らが語る鏑木の人物像はそれぞれ全く異なり、まるで別人のようでした。主演の横浜流星の演技は素晴らしく、本作で第48回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。
「私の見た世界」に話を戻すと、この映画は非常に気味の悪い作品です。主人公の目に映る登場人物たちはすべて醜悪で悪意の塊です。節子が働く焼鳥屋の親父を佐野史郎が演じていましたが、彼もとんでもない悪人でした。同僚のホステスを絞殺し、15年間も逃亡生活を続け、いくつもの偽名と7つの顔を持つ女だった節子もじゅうぶん悪人ですが、彼女が接する人々も恐ろしい怪物だったのです。特に、刑務所で彼女をレイプする暴力団員の顔が変形し、無数の目玉が浮かび上がってくるシーンは、まさにホラー映画でした。福田和子は実際に刑務所で強姦され、それゆえに「二度と刑務所には戻りたくない」との恐怖心から逃亡を続けたといいますが、信じられない事実があったのです。この強姦男の顔が醜く変形するシーンを見て、ロマン・ポランスキーが監督し、カトリーヌ・ドヌーヴが主演したイギリスのサイコホラー映画「反撥」(1965年)を連想。あれも、主人公の見た世界を描いていました。
シネマルナティックが入った商店街のビル
お芝居の「松山劇場」も入ってます!
シネマルナティックは2Fです
シネマルナティックの入口
あまりにもクセの強い演出の「私の見た世界」はけっして傑作とは言い難い作品でしたが、インパクトはありました。そして映画以上に強いインパクトをわたしに与えたのが上映館であるシネマルナティックでした。愛媛県松山市の銀天街商店街に隣接する松山市唯一のアート系映画館です。「フォーラム松山」の支配人をつとめたのち、広島「サロンシネマ」で経験を積んだ橋本達也氏が、1992年に「シネ・リエンテ」でのレイトショー上映活動を経て、1994年10月に同市河原町の「フォーラム松山」跡地に1号館をオープン(2005年11月に閉館)。2005年7月に同市湊町に2号館として現在の劇場を開館しました。同じビルには大衆演劇の劇場「松山劇場」も入っています。経営者である橋本氏が映写から受付までひとりで一手に担っている究極の個人映画館です。この日も、橋本氏らしき方がチケットを売って下さいました。
シネマルナティックの館内
シネマルナティックの劇場内
なんと全席にクッションが!
もちろん、わたしが同館を訪れたのは初めてですが、最初、「え、ここに映画館があるの?」と思ってしまう外観でした。大衆演劇の劇場前のある幟のすぐ近くの階段を2階に上がると、橋本支配人のオススメ作品を集めたチラシボードがあります。先の上映作品が終わるまでベンチのような椅子に座って待ちました。しばらくして前の映画が終わりましたが、出てきたのは1人の女性だけでした。そして、続くわたしも1人だけの観客となりました。劇場内に入ってビックリ! なんと、すべての座席に座布団というかクッションが置かれているのです。スクリーンの下には広い舞台があるので、ここではもともと演劇が上演されていたのでしょう。この奇妙な空間で奇妙な映画を1人で観たことは、忘れがたい思い出となりました。ちなみに翌日の朝イチは、ここで日本映画「黒川の女たち」を観るつもりです。明日はしっかり早起きしないと!
シネマルナティックの入口前で