No.1121
8月26日、会議や打ち合わせの合間を縫って、アメリカ・イギリス・フランス映画「キムズビデオ」をヒューマントラストシネマ有楽町で観ました。伝説のレンタルビデオ店についてのドキュメンタリーとあって非常に期待していたのですが、想像していた内容とはかなり違いました。
ヤフーの「解説」には、「1990年代のニューヨークで映画ファンたちの聖地と言われた実在のレンタルビデオ店『キムズビデオ』が保有していた膨大なビデオコレクションの行方をたどるドキュメンタリー。かつて人気を集めたものの、ビデオレンタルの時代の終焉とともに閉店した同店のコレクションの所在を、その店の元会員が確かめようとする。アシュリー・セイビンとデヴィッド・レッドモンが監督などを手掛けている」と書かれています。
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「1990年代のニューヨーク。5万本を超える貴重な映像作品を取りそろえたレンタルビデオ店のキムズビデオには、映画ファンたちが通い詰めていた。しかしビデオレンタルの時代は終わりを迎え、キムズビデオは2008年に閉店する。そこで社長のキム・ヨンマン氏は、イタリア・シチリア島のサレーミという村に、自身の大量のコレクションを譲渡することを決める」
冒頭、この映画の製作者がキムズビデオが存在していた場所の近くで「キムズビデオはどこですか?」「キムズビデオを知っていますか?」と道行く人々に質問します。質問を受けた人々は口を揃えて「キムズビデオはもうないよ」「今は配信の時代だから、レンタルビデオ店は成り立たないよ」と言います。そう、かつて隆盛を極めたレンタルビデオ店の時代は完全に終わったのです。わたしは早稲田の学生時代、東京の各所にある10店近くの会員になって、映画やプロレスのVHSを片っ端から借りてダビングしまくっていたので、たまらなくノスタルジーを感じます。
映画評論家の町山智浩氏によれば、一条真也の映画館「ロボット・ドリームズ」で紹介したスペイン・フランスのアニメ映画の中で主人公の犬がレンタルビデオを借りた店がキムズビデオだったそうです。「ロボット・ドリームズ」という映画は1980年代終わりの頃の物語でしたが、キムズビデオは1987年にニューヨークでオープンして、2008年まで続いた実在のレンタルビデオ店です。アメリカで一番有名なレンタルビデオ店であり、かのコーエン兄弟なども会員でした。キムズビデオが世界的に有名だった理由は、主に2つありました。1つ目は、5万5000本という世界最大のコレクション量を誇ったこと。2つ目は、置いてあるのは普通のビデオではなかったこと。
例えば、1973年に日本で放送されていた「クレクレタコラ」という着ぐるみコメディのTV番組がありました。タコが何でも欲しがって「くれ、くれ」って言うだけの内容でしたが、町山氏が80年代にキムズビデオを訪れたとき、この「クレクレタコラ」のVHSが置いてあったといいます。町山氏は「えっ、これアメリカで発売されたの?」と思い、パッケージをよく見たらちゃんと英語で全部、びっしり書いてありました。「ああ、発売されたんだな」と思ったそうですが、後から調べたら、そんなものはアメリカで発売されていなかったとか。完全な海賊版でしたが、このキムズビデオは海賊版の殿堂だったわけです。
キムズビデオには、三島由紀夫の未亡人がこの世からフィルムを消し去ったはずの幻の切腹映画「憂国」のVHSなどもあったそうです。この世には存在しないはずの、ありとあらゆる映画がありました。そんなキムズビデオを創業したキム・ヨンマンという韓国系の男性が映画に登場しますが、なんとも胡散臭くて、ある意味で魅力に溢れた人物でした。キム氏は自分の膨大なビデオ・コレクションをイタリア・シチリア島のサレーミという村に譲渡します。しかし、映画「キムズビデオ」の製作者からサレーミでコレクションがしっかり管理されておらず、キム氏の希望通りに市民にも開放されていないことを知ります。わたしも大量のビデオやDVDを所持していますので、このくだりは胸が痛くなりました。コレクションの未来は悲しいです。
ヒューマントラストシネマ有楽町の売店
上映館であるヒューマントラストシネマ有楽町の売店には、「キムズビデオ」上映記念に中古のVHSが販売されていました。それにしても、レンタルビデオ店がなつかしいです。世界的には、1977年12月にロサンゼルスにて最初のレンタルビデオ店が開業したと言われますが、同時期のニューヨークの方が早かったとの説もあります。1978年に25ドルの会費と3泊5ドルでビデオを貸す店舗が作られ、これは後に米国最大のビデオレンタルチェーンのひとつ「ファミリー・ビデオ」となりました。日本においては70年代末から80年代初頭にかけて家庭用ビデオデッキが普及してきたことに合わせて、東宝等の映画会社が東京にてビデオレンタルの実験を繰り返しながら業態を模索していました。
ヒューマントラストシネマ有楽町の売店
1983年4月に社団法人・日本ビデオ協会はレンタルビデオに関する公式ルールを策定。そして、1983年11月にレンタルに関する法整備がなされたことにより、それまでグレーゾーンだったレンタル業が正規の商売として日本で認められました。これらのルール制定により日本のレンタルビデオが幕を開けたのです。TSUTAYA等の大規模フランチャイズが拡大したのは90年代後半からであり、90年代前半はローカルなチェーン店を中心とした零細店舗が全国にひしめいていました。まだ携帯電話やインターネットがほとんど普及しておらず、ビデオ鑑賞が安価な娯楽として大きな地位を占めていたため、90年代はビデオレンタル業界が最も活気づいていた頃でした。
2000年代に入ると業界は寡占が進み薄利多売となり、ローカルチェーン等の零細事業者は次々と撤退していきました。全国に大規模チェーン店が急拡大。同時にビデオからDVDへメディア媒体が変わったことも零細事業者を追い込みました。2010年代は急速なインターネットの拡大とスマートフォンの普及により、物理メディアを扱うレンタル業そのものへの存在意義を問う時代となりました。大手各社はネット注文による郵送で完結するシステムを導入するなど試行錯誤したが、確実にレンタル業は斜陽化していきました。2020年代に入り、娯楽はネット経由で楽しむことが一般的になりDVD等の物理メディア自体が急速に廃れていきました。そのためかつて隆盛を極めたビデオ(DVD等)レンタル業はほぼ消滅しています。レンタルビデオの黄金時代に、その恩恵を最大級に受けたわたしとしては、「キムズビデオ」を観ながら、ダビングに明け暮れた青春の日々が蘇ってきました。