No.1147


 世界映画史に燦然と輝く日本映画を劇場で観てきました。「七人の侍 新4Kリマスター版」です。小倉コロナシネマワールドでも上映されていましたが、こちらは2K上映とのこと(ありえない!)で、パス。わざわざ、遠くのユナイテッドシネマなかま16まで行ってきました。わたしは「七人の侍」を日本映画史上はもちろん、世界映画史上の最高傑作であると思っており、もう数えきれないほどビデオやDVDで観ました。このたびは映画館のスクリーン、しかも新4Kリマスター版を鑑賞できて感無量でした。やはり、この映画は最高にして最強。改めて、多くの発見がありました。ちなみに、本作は今年観た160本目の映画です。

「七人の侍」は、1954年に公開された日本の時代劇映画です。監督は黒澤明、主演は三船敏郎と志村喬。モノクロ、スタンダードサイズ、207分。日本の戦国時代の天正年間(1586年)を舞台とし、野武士の略奪に悩む百姓に雇われた7人の侍が、身分差による軋轢を乗り越えながら協力して野武士の襲撃から村を守るという物語です。深刻な経営危機にあった東宝が、当時の通常作品の7本分に匹敵する製作費を投じ、1年近い撮影期間をかけて製作し、興行的にも大きな成功を収めました。一条真也の映画館「ゴジラ」で紹介した怪獣映画も同じ1954年に公開されましたが、瀕死の東宝は「七人の侍」と「ゴジラ」が世界的に大ヒットし、不死鳥のように蘇ったのでした。
 
 物語の舞台は、戦国時代末期のとある山間の農村。村人たちは、野武士(百姓たちは「野伏せり」と呼ぶ)たちに収穫を奪われる生活を余儀なくされていました。春、山中で野武士達の会話を盗み聞いた者の話から、間近に迫った麦の刈り入れが終わった頃に40騎の野武士たちが村を襲おうとしていることが判明。これまでの経験から代官は頼りにならず、広場に集まった村人たちは泣くばかりでしたが、若い百姓の利吉が野武士と戦うことを主張する。村人たちは怖気づいて反対するが、長老の儀作は侍を雇って戦火を免れた村を見た昔の記憶から、「食い詰めて腹を空かせた侍」を雇って戦うことを提案するのでした。
 
 日本映画といえば、小津安二郎も、溝口健二も、宮崎駿も、新海誠も国際的に有名ですが、世界で最も有名な日本の映画監督はダントツで黒澤明でしょう。その黒澤監督の代表作である「七人の侍」は、は世界で最も有名な日本映画の1つです。1954年の第15回ヴェネツィア国際映画祭では銀獅子賞を受賞。世界各国の最高の映画のリストに何度も選出されており、2018年にBBCが発表した「史上最高の外国語映画ベスト100」では堂々の1位に選ばれています。外国語映画基準を超えてハリウッドを含む歴史上、すべての映画の中で最高の映画100選では7位。スティーヴン・ジェイ・シュナイダーの『死ぬまでに観たい映画1001本』にも掲載。また、「Rotten Tomatoes」の支持率100%の映画のうちの1つでもあります。
 
 「七人の侍」は国内外の多くの映画監督や作品に大きな影響を与えており、1960年にアメリカで西部劇「荒野の七人」としてリメイクされています。日本映画がハリウッドでリメイクされたのは、おそらくこれが初めてだったと思います。「荒野の七人」の監督はジョン・スタージェス。国境を越えたメキシコの寒村イズトラカンは、毎年刈り入れの時期にカルベラ率いる盗賊に作物を奪われ苦しんでいた。そして今年は作物ばかりか1人の村人が殺された。自分たちは耐えられても子どもたちにこの苦しみを与え続けるわけにはいかない。ミゲルは長老に相談し、盗賊と戦う銃を買うために金を出し合って、国境を越えてテキサスに向かった。出演はユル・ブリンナー、スティーブ・マックイーン、ジェームズ・コバーン、チャールズ・ブロンソンなどです。
 
「七人の侍」では、複数カメラや望遠レンズの効果的使用、緻密な編集技法などを駆使して、クライマックスの豪雨の決戦シーンなどのダイナミックなアクションシーンを生み出しました。アメリカの西部劇(特に黒澤が敬愛するジョン・フォード)の手法を取り入れ、綿密な脚本と時代考証により、旧来のアクション映画と時代劇にはないリアリズムを確立しています。刀で斬られた人物がスローモーションで崩れ落ちるシーンは世界の映画人に衝撃を与え、アメリカン・ニューシネマの代表作「俺たちに明日はない」(1967年)のラストでボニーとクライドがスローモーションで射殺されるシーンに取り入れられました。また、西部劇の傑作「ワイルド・バンチ」(1969年)で撃たれた人物がスローモーションで倒れるシーンも同様です。西部劇から多大な影響を受けた黒澤明は、逆に西部劇に影響を与えたわけです。
島田勘兵衛を演じた志村喬



「七人の侍」に出演している俳優陣は、いずれも名優揃いですが、特に侍のリーダー役である島田勘兵衛を演じた志村喬が良いです。軍師のような名前の勘兵衛ですが、実際に頭脳明晰の戦略家です。若い頃には、「一国一城の主」という志がありました。歴戦の智将ですが、合戦は敗戦続きで浪人となります。普段は笑顔が多く、剃髪した頭をなでるのが癖です。温厚で冷静沈着ですが、リーダーとして鋭く叱責することもあります。向かってくる騎馬武者を一刀で叩き斬ったり、最終決戦において村に突入してきた騎馬を、豪雨の中しぶきを飛ばしながら弓で次々に射落すなどの手練れも見せました。それにしても、「七人の侍」と同時期に黒澤明監督の名作「生きる」(1952年)や「ゴジラ」(1954年)にも主演していたことを考えると、志村喬という俳優の凄さを思い知ります。
菊千代を演じた三船敏郎



 志村喬と並んで「七人の侍」を主演を務めたのが、菊千代を演じた三船敏郎。言わずと知れた日本映画史上最高の俳優ですね。百姓の出自で、戦禍で親を失い孤児として育ちました。本名は本人も忘れており不明。孤児となった後も、いくつかの戦禍を見聞きしているようで、その過程で独学にて武具の扱いを体得。腕っ節は半端な野武士より強く、型破りの乱暴者です。一方、子供好きであるらしく、村の子供たちの前でおどけて見せるシーンも多いです。野武士に致命傷を負わされ逃げてきた儀作の嫁から託された赤子を抱きながら「こいつは俺だ、俺もこの通りだったんだ!」と叫び、赤子の将来を慮り号泣するシーンは彼のグリーフが爆発した名場面でした。この映画で三船は熱演のあまり身体に付けていたピンマイクが外れてしまい、そのためにセリフが不明瞭になったことは有名な話ですね。
木村功が演じた岡本勝四郎



 志村喬の島田勘兵衛、三船敏郎の菊千代の他には、木村功が演じる岡本勝四郎が重要な存在です。勝四郎は育ちがいい裕福な郷士の末子で半人前の浪人。7人の中では最年少で、まだ前髪も下ろしていません。浪人になりたいと親に頼んでも許されないので家を飛び出して旅をしてり、勘兵衛に弟子入りした形です。もちろん子どもですから足出まといになりがちなのですが、他の6人が必死で彼を守っている姿が目立ちます。これはこの映画の公開からわずか9年前に終結した太平洋戦争において、神風特攻隊をはじめとして多くの若い命を失わせてしまったことへの贖罪の意味があるという見方があります。黒澤監督がそれを意識していたかどうかはわかりませんが、観客の中には勝四郎に戦死した若者の姿を重ね合わせた人も多かったはずです。
 
 勘兵衛、菊千代、勝四郎の他の4人の侍もいずれも渋くて、人間味に溢れていました。稲葉義男が演じた片山五郎兵衛は、勘兵衛の人柄に惹かれて助力する浪人。いつでも静かでおだやかだが、その物柔らかさの下に何か人をなだめるような力があります。加東大介が演じた七郎次は、勘兵衛の最も忠実な部下です。過去の戦(負け戦)で勘兵衛と離れ離れになった後、物売りとして過ごしていました。千秋実が演じる林田平八は、苦境の中でも深刻にならない上に、柔軟で人懐っこく、愛想の良い明るい浪人。7人の中のムードメーカーです。そして、宮口精二が演じる久蔵。修行の旅を続ける凄腕の剣客で、勘兵衛の誘いを一度は断ったものの、気が変わり一行に加わります。
 
 7人の中で、わたしが一番好きな侍は久蔵です。黙々と自分の役目をこなし、危険な仕事も率先して受け持ち確実に成果を挙げる姿に、勝四郎は「素晴らしい人だ」と絶賛しました。でも、今回じつに久しぶりに「七人の侍」を鑑賞して、勝四郎の未熟さや初々しさが心に残りました。若者の一途な純粋さがとても眩しく感じたのですが、これは、わたしが60歳を過ぎて年齢を重ねてきたせいかもしれません。「七人の侍」に登場する7人はそれぞれキャラが立っています。後の時代劇、西部劇、あらゆるアクション映画のキャラクター設定に強い影響を与えました。そればかりか、ジャニーズ事務所のアイドルグループなど、エンタメの世界にも影響を及ぼしたと言われているそうです。影響といえば、SF映画の金字塔である「スター・ウォーズ」シリーズや大ヒットアニメ「ONE PIECE」への影響も広く知られており、「七人の侍」の凄さを痛感します。
『「鬼滅の刃」と日本人』(産経新聞出版)の装幀案



 わたしの次回作は『「鬼滅の刃」と日本人』(産経新聞出版)という本で、同書の再校に赤字を入れた直後に「七人の侍 新4Kリマスター版」を鑑賞しました。意外というべきか、当然というべきか、「七人の侍」と「鬼滅の刃」の間には大きな共通点がありました。もちろん、ともに日本発のエンタメ作品で世界を席捲しました。いずれも東宝作品ですが、「七人の侍」が戦後の日本復興の狼煙となったように、「鬼滅の刃」も高市早苗第104代首相の言う「ジャパン・イズ・バック」を体現するような大ブームを巻き起こしています。また両作品は、ともに刀をもって死闘を演じる剣戟でもありますね。しかし、そんなことより、もっと大きな共通点にわたしは気づきました。それは、両作品がともにグリーフケアの物語であるという点です。「七人の侍」にも、「鬼滅の刃」にも、人間が生きていく上で避けることのできない死別の悲嘆をはじめ、多様なグリーフが描かれています。
 
「鬼滅の刃」ですが、鬼というのは人を殺す存在であり、悲嘆(グリーフ)の源であります。そもそも冒頭から、主人公の竈門炭治郎が家族を鬼に惨殺されるという巨大なグリーフから物語が始まります。また、大切な人を鬼によって亡き者にされる「愛する人を亡くした人」が次から次に登場します。それに対して鬼殺隊に入って鬼狩りをする一部の人々は、復讐という(負の)グリーフケアを自ら行うのです。しかし、鬼狩りなどできない人々がほとんどであり、彼らに対して炭治郎は「失っても、失っても、生きていくしかない」と言うのでした。強引のようではあっても、これこそグリーフケアの言葉ではないでしょうか。ちなみに、一条真也の映画館「劇場版『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来」で紹介したアニメ映画では、鬼である猗窩座のグリーフが描かれていますが、「鬼滅の刃」は鬼の悲しみの物語でもあります。
 
 炭治郎が語った「失っても、失っても、生きていくしかない」というメッセージは、「七人の侍」の冒頭でもほぼ同じような意味で語られます。年貢を納めるだけでも大変なのに、その上、野武士が襲ってくる。米も、麦も、村の女たちをも野武士たちは奪っていく。辛い。苦しい。もう生きていても仕方ない。それでも、百姓たちは生きていくしかないのです。ちなみに、「七人の侍」での野武士はそれなりに有名な俳優たちが演じているのですが、ほとんど顔が映らず、不気味な存在です。それはまるで、「鬼滅の刃」に登場する鬼たちのようでした。わたしは『「鬼滅の刃」と日本人』で、最近その脅威が叫ばれている「熊」と「鬼」を比較しながら論じたのですが、「七人の侍」の中で村の古老が「腹が空けば、熊だって山から降りてくる」というセリフが印象的でした。野武士たちももとは志がある侍だったのでしょうが、腹を空かせて村を襲ったわけです。
 
「七人の侍」で重要な役割を果たすものに「米」があります。村を守ってくれる侍を探そうと、利吉・茂助・万造・与平の4人は宿場町に出ます。彼らは木賃宿に滞在しながら、白米を腹いっぱい食わせることを条件として侍たちに声をかけますが、ことごとく断られ、宿では荒くれ者の人足たちに馬鹿にされてしまいます。しかし、百姓たちに助太刀してくれたのは、その荒くれ者の人足でした。彼は、百姓たちにとって米がいかに貴重なものか、自分たちはそれを口にできず、麦を食べますが、それさえ叶わないときはヒエを食べるのだと、勘兵衛たちに訴えるのです。その言葉が心に刺さった勘兵衛が「この飯、おろそかには食わんぞ」と言って村を守ることを約束するシーンは感動的でした。それにしても、「庶民が米を食べられる」ことを目指すのが日本の政治の歴史だったはず。それなのに、昨今の米不足は嘆かわしい限りです。『「鬼滅の刃」と日本人』でも、米不足が日本人のアイデンティティを根底から揺るがしたことを訴えました。
 
「鬼滅の刃」と同じように、「七人の侍」もグリーフケアの物語です。冒頭の村人たちが絶望して泣き叫ぶシーンをはじめ、この映画には登場人物たちが悲しむ場面が次々と登場します。村人の多くは野武士から家族を殺されていますが、その中でも、すべての身内を殺されて1人だけ取り残された「久兵衛の婆さま」の存在はあまりにも哀れです。ちなみに、婆さまを演じたのは浅草寺で鳩の豆売りをやっていたキクさんという老婆でしたが、彼女は東京大空襲のときB29が落とした焼夷弾の炎の中で息子夫婦と別れたまま、その消息がわからずじまいという境遇にありました。本物のグリーフを抱いたキクさんが、グリーフの象徴である久兵衛の婆さまを演じたわけです。
侍たちの墓標



 村を守るために集結した7人の間にも、グリーフが生まれました。もう70年も前の古典的作品ですから「ネタバレ」も何もないと思いますが、7人のうち、まずは片山五郎兵衛が死に、続けて林田平八が死に、剣豪であった久蔵も鉄炮に倒れ、久蔵の仇を討とうとした菊千代までもが鉄炮で撃たれて亡くなります。じつに、7人のうちの4人が犠牲になったのでした。侍たちが亡くなるたびに、村には墓として土饅頭が作られ、そこに刀が突き立てられます。その「侍の墓」がじつに美しく、神々しささえ漂わせていました。亡くなった侍たちは死者となって生き残った仲間と共闘していたのかもしれません。生者にとって、それは「弔い合戦」でした。
死者とともに生きる』(産経新聞出版)



 拙著『死者とともに生きる』(産経新聞出版)でも書きましたが、柳田國男らが創設した日本民俗学が明らかにしたように、日本には、祖先崇拝のような「死者との共生」という強い精神的伝統があります。しかし、日本のみならず、世界中のどんな民族にも「死者との共生」や「死者との共闘」という意識が根底にあります。「七人の侍」でも、「鬼滅の刃」でも、ともに闘う仲間の死を最大のグリーフとして描いています。それは、両作品に限らず、古今東西のあらゆる戦に共通することなのでしょう。わたしには、「四人の侍」の墓標が、太平洋戦争で尊い命を落とした英霊たちの墓標のように思えました。終戦80年の節目に「七人の侍」を映画館で鑑賞できて、本当に良かったです。東宝さんに感謝!