No.1205
アメリカ・イギリス映画「ダウントン・アビー/グランドフィナーレ」をローソン・ユナイテッドシネマ小倉で鑑賞。大人気ドラマの劇場版第3弾で、最終作となります。前作の内容をけっこう忘れていましたが、英国貴族クローリー家と、彼らを支える使用人たちの物語です。それは激動の20世紀初頭を懸命に生きた人々の記録であり、英国史の貴重な証言でもあります。この映画を観て、ドラッカーの「継続」と「変化」、そして孔子の「孝」を連想しました。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「20世紀初頭のイギリスを舞台に、大邸宅に暮らす貴族一家と使用人たちが織り成す人間模様をつづる『ダウントン・アビー』シリーズの最終章。脚本はシリーズの生みの親であるジュリアン・フェロウズ、監督は前作に続き『黄金のアデーレ 名画の帰還』などのサイモン・カーティスが担当。キャストはヒュー・ボネヴィル、ローラ・カーマイケル、ジム・カーター、ミシェル・ドッカリーらおなじみの面々が続投し、アーティ・フラウスハン、アレッサンドロ・ニヴォラ、ジョエリー・リチャードソンらが新たに出演する」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「1930年のイギリス・ロンドン。クローリー家の人々とダウントン・アビーの使用人たちは、華やかな夏の社交シーズンを迎えていた。しかし長女・メアリー(ミシェル・ドッカリー)の離婚が報じられるや彼女は社交界から締め出され、一家の名声を揺るがす事態となる。そんな中、母・コーラ(エリザベス・マクガヴァン)の弟・ハロルド(ポール・ジアマッティ)の知人で、ニューヨーク出身の財務アドバイザー・サムブルックがダウントンを訪れる。彼はハロルドの投資が失敗したことを告げ、財政難に苦しむダウントンを救うべくロンドンの社交用の別荘を売却するよう提案する」
一条真也の映画館「ダウントン・アビー」で紹介した劇場版第1弾は、2019年に公開。故エリザベス女王も愛したというイギリスの人気ドラマの最終回の数年後を舞台に、大邸宅でのロマンスや陰謀を映し出します。国王夫妻が訪れることになった大邸宅ダウントン・アビー。グランサム伯爵家の長女メアリー(ミシェル・ドッカリー)は、パレードや晩さん会の準備のために引退していた元執事のカーソン(ジム・カーター)を呼び戻しますが、国王夫妻の従者たちは、自分たちが夫妻の世話や給仕をやると告げます。一方、先代伯爵夫人バイオレット(マギー・スミス)の従妹モード・バッグショー(イメルダ・スタウントン)は、自分の遺産をメイドに譲ろうと考えていました。
一条真也の映画館「ダウントン・アビー/新たなる時代へ」で紹介した劇場版第2弾は2022年に公開。なんと最初が結婚式のシーンで、最後は葬儀のシーンという"ザ・冠婚葬祭映画"でした。1928年、イギリス北東部にある邸宅ダウントン。グランサム伯爵ロバート(ヒュー・ボネヴィル)らは、他界した三女の夫トム(アレン・リーチ)とモード・バッグショー(イメルダ・スタウントン)の娘との結婚を祝福していました。一方、長女メアリー(ミシェル・ドッカリー)は傷みが目立つ屋敷の修繕費に苦慮していたところ、屋敷で映画撮影をしたいとのオファーを受けます。さらにロバートは、母バイオレット(マギー・スミス)が南フランスの別荘を相続したことに驚き、そのいきさつに疑問を抱いた彼は家族と共に別荘へ向かうのでした。
シリーズ最新作にして最終作「ダウントン・アビー/グランド・フィナーレ」では、冒頭から波乱のシーンで幕を開けます。ミシェル・ドッカリーが演じるクローリー家の長女メアリーの離婚が新聞に書かれ、社交界の人々から「離婚者は王室と同席できない」としてメアリーが舞踏会から追い出されてしまうのです。離婚者を社会からの落伍者として扱うことにはさすがに驚きました。すでに20世紀に入っているのに、英国社会はそれだけ古かったのですね。そもそも、イギリス国教会そのものが国王の離婚によって生まれているにもかかわらず、です。16世紀に国王ヘンリー8世が当時の王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの「離婚(正確には結婚無効宣言)」をローマ教皇に認められなかったことをきっかけに、ローマ・カトリック教会から離脱して成立しました。
2010年のテレビシリーズ放送開始から数えて15年になるこの物語の舞台は、「ダウントン・アビー」という邸宅です。ダウントンは架空の「ダウントン村」を指し、邸宅だけでなく村全体が貴族の領地の一部として描かれます。アビーはもともと修道院(僧院)を意味し、英国では修道院跡地に建てられた邸宅にこの名前が付けられることがあることから、荘厳な大邸宅のイメージを喚起します。そして、ダウントン・アビーのロケ地は、イングランド南東部のハンプシャーにあるハイクレア城です。ここは単なる映画用の撮影セットではなく、何世紀にもわたってカーナーヴォン伯爵家が実際に住まい、歴史を刻んできた本物の貴族の館です。ダウントン村のシーンはコッツウォルズのバンプトン村で撮影されており、教会や図書館などがそのまま登場します。
わたしは国ならイギリス、時代は20世紀初頭が好きです。さらには。貴族の文化や生活様式、礼儀作法などに深い関心があるので、「ダウントン・アビー」はまさにわたしの好みの作品です。当時の貴族たちのファッションはもちろん、建築や調度品も興味深いこと、この上なしです。「英国アンティーク博物館BAM鎌倉」の土橋正臣館長は、ハイクレア城について「19世紀、現在の英国会議事堂の設計で知られる名建築家チャールズ・バリー卿によって改築されたゴシック・リヴァイヴァル様式の傑作であり、天を突くような塔と壮麗な石造りの佇まいは、大英帝国の繁栄と英国貴族の威厳そのものを体現しています。壁に飾られた肖像画、廊下の軋み、部屋の空気感。この城が持つ、長い年月を経て刻まれた『歴史の重み』こそが、クローリー家の物語にフィクションを超えた説得力を与え、私たちを物語の世界へと深く引き込む最大の要因なのです」と述べています。
「ダウントン・アビー/グランドフィナーレ」は、単なる上流階級の優雅な生活を描いた貴族ドラマではありません。タイタニック号の沈没に始まり、第1次世界大戦やスペイン風邪によるパンデミックなど、さまざまな社会情勢の変化に翻弄されつつも、生きるために変わらざるを得なかった人々、そして階級という分厚い壁を越えて絆を持ち続けた壮大な人間愛のドラマです。階上の貴族も、階下の使用人たちも必死に生きており、すべての登場人物が愛おしく感じました(本作に登場する詐欺師は別ですが)。貴族たちは過去の栄光にすがりつくのではありません。かといって伝統を捨て去るわけでもありません。過去から続く伝統と、未来への適応とのバランスを取る人々の姿を見ながら、わたしは、経営学者ピーター・ドラッカーが説いた企業存続の条件である「継続」と「変化」を連想しました。
『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)
この「継続」と「変化」という考え方は、儒教における「孝」の思想に関わっています。わたしには『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)という著書がありますが、孔子とドラッカーの2人は、「死」のとらえ方において共通していました。正確には「不死」のとらえ方といったほうがよいかもしれませんが。そして、そこには企業が存続していくための究極のマネジメント思想があるのではないかと思っています。孔子が開いた儒教における「孝」は、「生命の連続」という観念を生み出しました。日本における儒教研究の第一人者である大阪大学名誉教授の加地伸行先生によれば、祖先崇拝とは、祖先の存在を確認することであり、祖先があるということは、祖先から自分に至るまで確実に生命が続いてきたことになります。
また、自分という個体は死によってやむをえず消滅するけれども、もし子孫があれば、自分の生命は存続していくことになります。わたしたちは個体ではなく1つの生命として、過去も現在も未来も、一緒に生きるわけです。つまり、「孝」があれば、人は死ななくなるのです。「遺体」という言葉の元来の意味は、死んだ体ではなく、文字通り「遺した体」という意味です。つまり本当の遺体とは、自分がこの世に残していった身体、すなわち子です。親から子へ、先祖から子孫へ、「孝」というコンセプトは、DNAにも通じる壮大な生命の連続ということになります。孔子はこれに気づいていました。もちろん孔子は古代中国の思想家で、「ダウントン・アビー」は20世紀のイギリスの物語ですが、そこで最大のテーマになっているものとは「孝」であると思います。
一方、ドラッカーは、著書『企業とは何か』(ダイヤモンド社)において、組織の「生命の連続」について論じました。世界中のエクセレント・カンパニーやビジョナリー・カンパニーというものには、いずれも創業者の精神が生きています。重要なことは、会社とは血液で継承するものではなく、思想で継承すべきものであるということ。創業者の精神や考え方をよく学んで理解すれば、血の繋がりなどなくても後継者になりえます。むしろ創業者の思想を身にしみて理解し、指導者としての能力を持った人間が後継者となったとき、その会社も関係者も最もよい状況を迎えられるのではないか。逆に言えば、超一流企業とは創業者の思想をいまも培養して保存に成功しているからこそ、繁栄し続け、名声を得ているのかもしれません。そのことを宗教哲学者の故鎌田東二先生に申し上げたとき、先生は「血液と思想の両方が揃ったとき、最強の後継者が生まれます」と喝破されました。
もちろん、会社や組織の発展には、「継続」とともに「変化」というものが求めらるのですが。いずれにせよ、孝も会社も、人間が本当の意味で死なないために、その心を残す器として発明されたものではなかったでしょうか。陽明学者の安岡正篤は、「孝」とは連続や統一を意味すると述べています。「老」すなわち先輩・年長者と、「子」すなわち後進の若い者とが断絶することなく、連続して1つに結ぶのです。そこから「孝」という字ができ上がりました。つまり、「孝」=「老」+「子」ということになります。そうして先輩・年長者の一番代表的なものは親ですから、親子の連続・統一を表わすことに主に用いられるようになったわけです。映画「ダウントン・アビー グランドフィナーレ」には、この「孝」の問題が切実に描かれていると思いました。父ロバートからクローリー家の当主の座を継承したメアリーの背後に祖母バイオレットの肖像画が飾られているのが印象的でした。そして、バイオレットを演じたマギー・スミスの死去を悼むテロップが最後に映ったことに感動をおぼえました。
最後に、前作「ダウントン・アビー/新たなる時代へ」が公開されたのは2022年でしたが、わたしはぶっつけ本番で最新作を観たところ、これまでのストーリーを失念して、物語を楽しむまでに時間を要しました。YouTubeには、前作の内容をまとめた特別おさらい映像がアップされているので、「これを観て行けば良かった!」と後悔。「いよいよフィナーレです。その前におさらいが必要? ネタバレは少なめにね」というロバート役のヒュー・ボネヴィルと長女メアリー役のミシェル・ドッカリーの案内からスタートする特別おさらい映像は、前作のハイライトシーンをダイジェストで振り返る構成となっています。 「スターウォーズ」が良い例ですが、シリーズものの映画の最新作をいきなり鑑賞することほど危険なことはありません。これから「ダウントン・アビー/グランドフィナーレ」を観る方は、特別おさらい映像を先に御覧になることをおススメします!


