No.1227


 2月27日、この日から公開の日本映画「木挽町のあだ討ち」をローソン・ユナイテッドシネマ小倉で観ました。一番小さな10番シアターはほぼ満席。ミステリー時代劇でしたが、最高に面白かったです! 日本映画で今年最初の一条賞大賞候補作品に出合いました。さすがは時代劇の東映!
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「歌舞伎舞台化もされた永井紗耶子の直木賞受賞作を実写映画化。江戸の芝居町で語り草となったあだ討ち事件を巡り、現場に居合わせた人々の証言を通じてあだ討ちに隠された真相が明かされていく。監督・脚本を務めたのは『忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段(しゅっせのきざはし)』などの源孝志。事件の真相を追う武士を『きみの鳥はうたえる』などの柄本佑、事件の裏で謀略を巡らせる黒幕を『ラスト サムライ』などの渡辺謙が演じる」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「江戸時代のある雪の降る夜。芝居小屋の近くで美しい若者・菊之助があだ討ちを遂げ、現場に居合わせた目撃者たちにより事件は美談として語られる。1年半後、菊之助の縁者だという武士・加瀬総一郎(柄本佑)が『仇討ちの顛末を知りたい』と芝居小屋を訪ねてくる。彼が菊之助と関わりのあった人々の証言を聞いて回る中で、あだ討ちの裏に隠された真実が明らかになっていく」
 
 原作は永井紗耶子の同名小説ですが、アマゾンには「雪の夜、木挽町の芝居小屋の裏で、菊之助なる若衆が果たした見事な仇討。白装束を血に染めて掲げたのは作兵衛の首級。その二年後。事件の目撃者を訪ねる武士が現れた。元幇間、立師、衣装部屋の女形・・・・・・。彼らは皆、世の中で居場所を失い、悪所に救われた者ばかり。『立派な仇討』と語られるあの夜の〈真実〉とは。人の情けと驚きの仕掛けが、清々しい感動を呼ぶ直木賞・山本周五郎賞受賞作品」との内容紹介があります。
 
 わたしは本作についてほとんど予備知識を持たないまま鑑賞したのですが、本当に面白かった。何よりもテンポが良くて、開始から3分ぐらいで問題のあだ討ち事件が起こります。その1年半後に柄本佑演じる菊之助の縁者だという加瀬総一郎が芝居小屋の「森田座」を訪れてから、物語は一気に加速します。「銀座木挽町通り」にその名が残っていますが、木挽町の場所は現在の銀座3丁目13番から8丁目20番あたりです。「木挽町のあだ討ち」は江戸情緒に満ちており、わたしのような江戸ファンにはたまらない物語でした。
 
 「木挽町のあだ討ち」には江戸の魅力も満載ですが、何といっても江戸時代の芝居の魅力がこれ以上ないほど見事に描かれています。江戸時代は幕府から権利を与えられた劇場だけが櫓を上げて歌舞伎の興行をすることができました。江戸の前期には中村座、市村座、森田座、山村座の四座でしたが、正徳4年(1714年)に山村座が興行権を奪われてからは明治元年(1868年)まで、「江戸三座」の時代が続きました。幕府は劇場や関係者の住む区域も制限しており、そのエリアは「芝居」と呼ばれていました。現在の中央区日本橋人形町に中村座(堺町)と市村座(葺屋町)があり、森田座は木挽町に位置していました。
 
 映画「木挽町のあだ討ち」の冒頭は、森田座で上演される歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」で吉良上野介が切腹するシーンから始まります。「忠臣蔵」は言うまでもなく、赤穂浪士が主君・浅野内匠頭の仇である吉良上野介を討つ「仇討ち」の物語です。47人もの武士が寄ってたかって1人の老人の生命を奪う物語に、わたしは若い頃から強い違和感をおぼえていました。ずばり「卑怯ではないか!」と感じたのです。でも、日本人は「仇討ち」の物語が好きなのでしょう。考えてみれば、社会現象を起こし続けている「鬼滅の刃」だって、鬼に家族を皆殺しにされた竈門炭治郎が鬼殺隊に入って鬼に復讐するという「仇討ち」の物語ではありませんか!
 
 一条真也の映画館「国宝」で紹介した2025年の東宝映画は、日本映画史における実写映画で最高の興行収入を記録しました。歌舞伎をテーマにした「国宝」が大ヒットして以来、歌舞伎そのものの人気も高まる一方です。「木挽町のあだ討ち」でも、冒頭から歌舞伎の魅力が炸裂します。「国宝」は東宝でしたが、「木挽町のあだ討ち」は数多くの時代劇映画の名作を世に送り出してきた東映の作品です。この映画は歌舞伎さえも超えた演劇そのものの魅力を鮮やかに描き出しています。わたしは、この映画は、「国宝」で記録的成功を収めた東宝への、東映からの挑戦状ではないかと感じました。両作品で重要な役を演じている渡辺謙は日本映画界の至宝です!
芝居小屋とは「戯場国」である!
 
 
 この映画では、芝居小屋のことを「戯場」あるいは「戯場国」と呼ぶことも印象的でした。主に江戸時代の芝居小屋(歌舞伎舞台)を、現実とは異なる祝祭的・演劇的な「別の国・聖域」として表現した言葉です。そこでは身分の差も関係ありません。「木挽町のあだ討ち」のラストでは、大名が森田座を訪れますが、森田座の人々が土下座をしようとするのを殿様が止め、「ここは戯場国ゆえ、世間の作法は無用」と言った場面には涙が出るほど感動しました。芝居小屋とは、身分制度が存在した江戸時代にあって人間が平等でいられるユートピアだったことがわかりました。
 
 歌舞伎・芸能・文化史研究家の服部幸雄氏は、著書『大いなる小屋――江戸歌舞伎の祝祭空間』(講談社学術文庫)において、劇場を都市空間に突如出現する異界としてとらえました。地理条件、櫓、桟敷、幕、鼠木戸、船など、「神/魔物」の場所を構成する驚異の仕掛けを解読しています。そこは日常空間(現実)とは隔離された、芸能や人間の「大いなる聖域」であり、「異界」であったのです。また、歌舞伎をはじめとする演劇とは、演技・衣装・美術・音楽・演出・小道具・照明といった数多くのジャンルから構成される「総合芸術」ですが、そのあたりも「木挽町のあだ討ち」は見事に描いていました。
 
 映画「木挽町のあだ討ち」の主役は、ある意味で森田座と言えるでしょう。わたしはその異界としての魅力に見入りながら、かの「オペラ座の怪人」を連想しました。ミュージカルや映画で有名な同作は、オペラハウスという劇場の魅力と異界性を最大限に表現していました。すると、「木挽町のあだ討ち」の鑑賞後に、『戯場國の怪人』(新潮社)という小説があることを知りました。作者は、乾緑郎氏。桟敷席を予約し続ける謎の人物の噂が立つ江戸市村座。女形瀬川菊之丞、戯作者平賀源内、二代目市川團十郎、講談師深井志道軒、広島藩士稲生武太夫、大奥御年寄江島、さる公卿とその妹らを巻き込み、芝居小屋の地下で蠢く時を超えた怨讐、恋着、役者の業火等々、虚実のあわいを壮大に描き切る伝奇エンタメということで、面白そうですね!
加瀬総一郎を演じた柄本佑
 
 
「木挽町のあだ討ち」で加瀬総一郎を演じた柄本佑は、仇討ち事件の真相を探るべく、刑事コロンボばりに江戸中を聞き回ります。柄本自身は父の柄本明が劇団を主宰していたということもあり、戯場国出身とも言えるでしょう。「婦人画報」のインタビューで、柄本佑は「劇場は僕にとっては当たり前のようにある世界で、小学校のときは学校が終わると本多劇場の楽屋にランドセルを置いて、劇団員の人に遊んでもらっていました。親父は稽古中だとまだ一緒にいますが、劇場入りしちゃうと、もうずっといない。そんな生活が日常でした」と語っています。「ある意味、森田座は柄本さんにとって懐かしい場所のような感じでしょうか?」というインタビュアーの質問に対しては、「そうです。劇場って妙に落ち着くところではありますしね」と答えています。
「森田座」という戯場国の怪人たち!
 
 
 一方で、柄本佑は「でも子ども心に、劇場は常にミステリアスでした。ホラーな世界でもあるし、サスペンスもある。そういうフィクションが当たり前にその場に存在している感じがあって。小さい時から行っていた劇場には必ずちょっと怖い場所というのがありました。ただの入口や階段ですが、なぜだか未だにそこには近づけないです」とも語っています。また、この映画の主役は森田座という場所そのものであり、「渡辺謙さんが演じる立作者の金治さんを筆頭にそこにいる人たちの物語であり、今回演じた加瀬総一郎さんはそれをいかに魅力的にするかという役割だと思いました」と語ります。森田座の人々は「戯場国の怪人」たちでした!
 
 ミステリーですから、ネタバレするわけにはいきませんので、ギリギリの線で「木挽町のあだ討ち」という物語の展開への感想を書きます。世間でよく知られた事件や出来事に演劇人が関わっていたという設定は、アポロ11号による人類初の月面着陸の映像はスタンリー・キューブリックをはじめとするハリウッドの映画人が作ったフェイク映像だったという都市伝説に通じると思います。月面着陸でなくとも、歴史的な記録映像がじつは映画だったというケースはいろいろと考えられるでしょうが、「木挽町のあだ討ち」のように芝居小屋が丸ごと関与していたというアイデアは秀逸です。完全に一本取られました。こうなると、やはり原作小説も読んでみたいです!