No.1272
5月27日の夜、中国映画「ボタニスト 植物を愛する少年」をヒューマントラストシネマ有楽町で観ました。タイトルに惹かれて観た作品ですが、植物はメインテーマではありませんでしたね。草原に生きる異なる民族の少年少女が淡い恋心を抱くという物語でしたが、心が洗われるようでした。
ヤフーの「解説」には、「中国・新疆ウイグル自治区の草原地帯に暮らす少年の姿を描き、第75回ベルリン国際映画祭ジェネレーションKplusカテゴリーの国際審査員グランプリを受賞したドラマ。植物の観察と記録に没頭するカザフ族の少年が、漢民族の少女との出会いと別れを通じて自分を見つめていく。メガホンを取るのはジン・イー。イェスル・ジャセレフ、レン・ズーハン、ジャレン・ヌルダオレット、サルヘト・エラマザンらが出演する」と書かれています。
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「新疆ウイグル自治区北部の草原地帯にある小さな村に暮らす13歳のアルシン(イェスル・ジャセレフ)は、行方をくらませた叔父からかつて植物について教わったことがきっかけで、植物の観察と記録に夢中になっていた。ある日、漢民族の少女メイユー(レン・ズーハン)が村にやってきて、アルシンは彼女と二人で草原を歩き、植物を探すようになる。明るくて自由奔放なメイユーと穏やかな時間を過ごし、淡い思いを抱くようになったアルシンだったが、彼女が上海の学校へ転校することが決まる」
植物を採集し、標本を作るアルシン
本作の冒頭とエンディングには白髭の老人が登場しますが、これは主人公のアルシンの現在の姿でしょう。つまり、この物語はアルシン老人が少年時代を回想しているように思いました。少年は植物を採集し、それを標本にします。それは時間を記録する営みでもあります。時間を採集し、記録するという行為はじつは映画の本質でもあります。拙著『映画の観方』(産経新聞出版)にも書きましたが、静止した瞬間を封印する写真が「時間を殺す芸術」であるのに対し、かけがえのない時間をそのまま保存する動画や映画は「時間を生け捕りにする芸術」と定義しています。フィルムやデータは、失われた過去の瞬間、風景、そして今は亡き人々の姿や息遣いさえも、そのままの形で現代に蘇らせることができます。映画そのものが1つの「時間の標本」なのです。
本作に登場するアルシンはカザフ族の少年、メイユーは漢民族の少女。ともに13歳の2人はとても仲が良く、いつも一緒に遊んでいます。年齢からすると異性を意識して恋愛感情を抱くのが普通だと思いますが、2人ともそんな気配は見せません。今時の13歳ならキスやハグなどもするのかもしれませんが、彼らは手もつながず、言葉さえあまり交わしません。ただ一緒にいるだけです。それが野に生えている草花や、川に流れる水や、夜空に浮かぶ月のように、「ただ、そこにあるもの」として風景の一部のように描かれています。それが非常に心地良く感じました。とはいえ、アルシンとメイユーの間には明らかに淡い恋心が芽生えています。メイユーが上海の全寮制の学校に転校することになり、2人の別れが決まったときの彼らの寂しそうな表情は、わたしも観ていて辛いものがありました。
わたしは、昔、大好きだった「SO LONG」という歌のプロモーションビデオを思い出しました。元オフコースの鈴木康広が1984年に発表したラブソングです。PVでは、夏休みを利用して田舎に遊びに来た都会の少女と田舎の少年の交流がハートフルに描かれています。可憐な少女役は当時12歳の引田智子で、彼女は後の「少女隊」のトモです。初代引田天功の娘さんですね。少年役は俳優の大塚幸太で、彼は桐朋学園芸術短期大学の特任教授を務めています。撮影は浅井慎平で、ロケ地は松山です。この「SO LONG」のPVがわたしはとにかく好きで、数えきれないほど観ました。その甘美でセンチメンタルな世界観は、明らかに「ボタニスト 植物を愛する少年」に通じています。
あと、アルシンが男友達とボクシングをする場面が印象に残りました。ちゃんとした競技用のグローブを着けて殴り合う姿が本格的だったからです。本作の舞台である新疆ウイグル自治区はウズベキスタンの近くですが、わたしは一条真也の映画館「草原の英雄ジャロロフ~東京への道~」で紹介した映画を連想しました。東京オリンピック2020のボクシングスーパーヘビー級で金メダルを獲得したウズベキスタンの国民的英雄バホディル・ジャロロフの半生を日本・ウズベキスタン合作で映画化した作品です。ウズベキスタンの美しい農村で育った青年ジャロロフは家族のため、恵まれた体格を生かしてボクシングのスーパーヘビー級で頭角を現します。草原に生きる少年たちのボクシング遊びを見て、わたしは草原の英雄ジャロロフを思い出したのでした。
本作のメガホンを取ったシン・イー監督は新疆ウイグル自治区の出身だそうです。ウイグル出身の監督の映画は生まれて初めて観ましたが、こういう映画を上映してくれるヒューマントラストシネマ有楽町に感謝です! 本作はまったく政治色がないようでいて、やはり政治を反映してしまうように感じました。というのも、静かな村の商店に置いてあるラジオがスクリーンに映るたびに、「新疆から採掘予定の資源の量について」とか「新疆の税収について」などが語られているのです。さりげないシーンではありますが、新疆が中国から資源としてしか見られていない厳しい現実がわかります。子どもたちは成長すると、みな、北京や上海といった大都市に行ってしまうこともわかります。カザフ族の少年と漢民族の少女の交流は、「中国では多民族が仲良く共生している」という当局のプロパガンダのようにも見えますが、監督の「そうあってほしい」という願いや祈りが反映したものとも受け取れます。わたしは後者を信じたいです。


