No.1273
5月29日、岐阜から名古屋を経て、小倉に戻りました。その夜、この日から公開された日本映画「箱の中の羊」のレイトショーをローソン・ユナイテッドシネマ小倉で観ました。グリーフケアSFといった内容でしたが、最初から最後まで不気味な印象を受けました。もっとホラーに寄せても良かったかなと思います。大悟の演技は素晴らしかったですが、それ以外はピンときませんでした。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「ヒューマノイドの少年と彼を家族に迎えた夫婦の姿を描くドラマ。亡くなった息子の姿をしたヒューマノイドと暮らすことにした夫婦が、大きな決断を迫られる。メガホンを取るのは『万引き家族』などの是枝裕和。『リボルバー・リリー』などの綾瀬はるか、お笑いコンビ「千鳥」の大悟、『キングダム』シリーズなどの清野菜名のほか、桒木里夢、余貴美子、田中泯らが出演する。
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「建築家の音々(綾瀬はるか)と工務店の二代目社長を務める健介(大悟)の甲本夫婦は、2年前に亡くなった息子・翔(桒木里夢)の姿をしたヒューマノイドを家族として迎え入れる。本物の息子のようにヒューマノイドと接する音々だが、健介と音々の母親・信代(余貴美子)は戸惑いを隠せずにいた。息子が生きていたころのような生活に戻れるものだと考えていた音々だが、健介とすれ違うことが多くなり、やがて大きな決断を迫られる出来事が起きる」
タイトルの「箱の中の羊」というのは、 一条真也の読書館『星の王子さま』で紹介したサン=テグジュペリの名作童話に登場する有名なエピソードです。砂漠に不時着した飛行士が、羊の絵を描いてほしいとせがむ王子さまのために描きます。飛行士がいくつかの羊の絵を描くものの、どれも王子さまは気に入りません。最後に3つの穴があいた「箱」を描いて「この中に君のほしい羊が入っているよ」と渡したところ、王子さまは大喜びします。 このエピソードは、目に見える形にとらわれず、ブログ「大切なものは目に見えない」で紹介した『星の王子さま』の中でも最も重要なテーマを象徴しています。王子さまは箱の外観ではなく、自分の想像力を使って「心の中の羊」を見たのです。
『涙は世界で一番小さな海』(三五館)
『星の王子さま』は、『論語』と並んで、わが最大の愛読書です。拙著『涙は世界で一番小さな海』(三五館)では、アンデルセン『人魚姫』『マッチ売りの少女』、メーテルリンク『青い鳥』、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』とともに1つの「つながった物語」としてとらえました。特に大人のための童話である『星の王子さま』は人類へのメッセージブックとしての性格を持ち、孔子・ブッダ・ソクラテス・イエスといった「人類の教師」の教えが凝縮されていると指摘しました。『聖書』『資本論』『コーラン』に次ぐ大ベストセラーでもある『星の王子さま』は、まさに「こころの世界遺産」と呼ぶべき本であり、「隣人」の大切さや、「死者」との向き合い方というテーマは普遍です。
2年前に最愛の息子を亡くした夫婦は、当然ながら深い悲嘆の中にあります。そのグリーフをケアするべく、息子の姿をしたヒューマノイドを家族として迎え入れます。でも本作では、幸せそうにヒューマノイドを笑顔で受け入れる妻と、戸惑う夫の対比が印象的に描かれています。ヒューマノイドの中にはAIが搭載されているわけで、本作には「AIにおけるグリーフケア」という重要テーマがあります。わたしは、大切な人を亡くした遺族にとって「また会える」という感覚がグリーフケアにおいて非常に大切であると、多くの著書で訴えてきました。故人の声や記憶、写真のデータをもとにAI技術で故人をデジタル空間上に復活させる「デジタル・レザレクション」 は、遺族の悲しみを和らげる可能性もあると思います。でも、あくまでも一時的なものですが。
一方で、ブログ「AIによる死者の復活」で指摘したように、倫理的な問題点や法規制にも目を向けなければなりません。中国では、AIを用いて死者を再現・対話させるビジネスが急成長していましたが、2026年4月に国家インターネット情報弁公室(CAC)が発表した規制草案により、本人の事前同意がない死者のAI生成は原則禁止となりました。思うに、「AIが進化したから、死者を復活させよう!」といった安易な技術偏重あるいはテクノロジーの盲信は慎むべきです。AIが飛躍的な進歩を遂げた今、歴史や哲学などの「人文知」の存在が再認識されていますが、グリーフケアとは哲学・芸術・宗教などの文化の集大成であり、まさに人文知そのものであると言えます。
本作で綾瀬はるかが演じる音々は建築家です。彼女がヒューマノイドの息子を相手に建築のレクチャーをする場面があるのですが、それを見て「建築家とは、人文知と理数知の両方を兼ね備えている存在」であると気づきました。人文知は、「人はどう生きるべきか」「社会はどうあるべきか」といった、唯一の正解がない問いを扱います。一方、理数知は理系科目や数学・自然科学に根ざした知のあり方を指します。数式や実験、データなどを通じて、自然や現象の法則を論理的に説明し、再現可能な形で扱う知です。近年は、社会課題の解決やイノベーションのために、人文知と自然科学的な知を統合した「総合知」や「文理融合」が重視されています。人文知が「そもそも何のためにそれをやるのか」を問い、理数知が「どうやったら実現できるか」を具体化する、という役割分担で支え合うイメージです。
「箱の中の羊」に登場するグリーフケアとしてのロボットという設定は、けっして新しいものではありません。そもそも、日本人にロボットの概念を叩き込んだ手塚治虫の「鉄腕アトム」がそうでした。アトムは、天馬博士の愛息である天馬飛雄(トビオ)の姿をしています。トビオが交通事故で世を去った後、博士がその悲しみを埋めるために彼そっくりの少年ロボット(アトム)を造り出したことから物語が始まります。 当初、天馬博士はアトムを自分の子供として愛そうとしました。しかし、アトムが人間のように成長しないことに苛立ち、サーカス団へと売り飛ばしてしまいます。このサーカス時代に「アトム」という名前が付けられました。後に、ロボットの権利を主張する新しい科学省長官・お茶の水博士によって引き取られ、アトムは人間とロボットの架け橋となる正義のヒーローとして活躍するようになります。
印象的だったのは、綾瀬はるか演じる音々の母親・信代です。余貴美子が演じたのですが、彼女は一条真也の映画館「おくりびと」で紹介した日本映画の名作に葬儀社の事務員役で出演していました。その彼女が演じる信代が音々に向かって「いま、グリーフワークっていうのがあるのよ」と言うシーンがありました。また、ラスト近くで信代は「亡くなった人が帰ってくるんは1年に1回でいいよ」というセリフを吐きます。もちろんお盆のことですが、お盆という死者の季節に故人と再会するなら心も休まるが、死んだ人間がずっとこの世にいてはいけないといった意味だと思います。死んだ孫と同じ姿をしたロボットが日常生活を送っていたら、それを目にする祖母は不気味に感じるでしょう。この映画、ヒューマノイドの不気味さを描いた部分が秀逸で、不穏な雰囲気がありました。 一条真也の映画館「本心」で紹介した死んだ母親をAIで蘇らせる2024年の日本映画、 一条真也の映画館「コンパニオン」で紹介したセックス・ロボットが人間に復讐する2025年のアメリカ映画に通じる怖さがありました。
是枝監督は、なかなか恐怖描写が上手ですね。ある意味で黒沢清監督のようなホラーのセンスを感じてしまいます。そして、「箱の中の羊」のラストに登場する広島の山林にそびえる大木にヒューマノイドたちが抱きつくシーンは、黒沢監督の1999年の映画「カリスマ」を連想しました。役所広司が演じる刑事・藪池は、犯人と人質を両方生かそうとして両方死なせてしまいます。心に深い傷を負った藪池は、心の傷を癒そうとふらりと入った森で一本の木に出会います。それは、根から分泌する毒素によって周りの木々をすべて枯らしてしまう不思議な木"カリスマ"でした。黒沢清監督が真に自由に生きることの意味を問うた人間ドラマです。この映画、テーマやメッセージが非常にわかりにくかったのですが、それは「箱の中の羊」も同じです。そのわかりにくさが、カンヌでの酷評を生んだようですね。
是枝監督の作品には、巣鴨子供置き去り事件をモチーフにして、「フランダース国際映画祭」のグランプリに輝いた「誰も知らない」(2004年)をはじめ、いつも「家族」や「血縁」といったテーマがあります。彼の代表作でいえば、
「血がつながっているのに」が「誰も知らない」。
「血はつながっていなくても」が「そして父になる」。
「血がつながっているから」が「海街diary」。
「血がつながっていても」が「海よりもまだ深く」。
「血はつながっていないから」が「万引き家族」。
そのように、わたしは受け取っています。「万引き家族」(2018年)は疑似家族の崩壊の物語でしたが、「箱の中の羊」はヒューマノイドというSF的設定を使って、再び疑似家族を描きました。残念ながら、大悟の名演技を除いて、特に見るべきところはなかったのですが・・・・・・。


