No.0317
「アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち」を観ました。
新作ではありません。2014年製作で16年に公開されたアメリカ映画です。じつは、映画館で何か新作を観ようかと思ったのですが、あまりにも寒いのと、インフルエンザが流行していることから自宅でDVDを鑑賞することにしました。それで、ヤフー映画で最近その存在を知り、ぜひ観たいと思ってDVDを購入したばかりの「アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち」を観たのです。全体的にわたし好みの雰囲気で、面白かったです。
ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。
「エドガー・アラン・ポーの小説『タール博士とフェザー教授の療法』を映画化したサイコスリラー。19世紀末のイギリスを舞台に、新たな治療法で評判の精神病院を訪れた学生を襲う事件を描く。『アンダーワールド』シリーズなどのケイト・ベッキンセイル、『ラスベガスをぶっつぶせ』などのジム・スタージェス、オスカー俳優ベン・キングズレーとマイケル・ケインらが集結。メル・ギブソンらが製作を務め、テレビシリーズ『FRINGE/フリンジ」などのブラッド・アンダーソンがメガホンを取る」
また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。
「19世紀末のイギリス。オックスフォードの医学生エドワード(ジム・スタージェス)は実習のため、革新的な治療でうわさのストーンハースト精神病院を訪れる。患者に薬を使わず、自由に院内を動き回らせるというこれまでにない光景に驚くエドワードだったが、院内の様子がどこかおかしいことに気付く。そして、彼はイライザ(ケイト・ベッキンセイル)という美しい患者と出会い・・・・・・」
この映画の原作となった『タール博士とフェザー教授の療法』は、怪奇小説の巨匠エドガー・アラン・ポー(1809~1849)が1845年に発表した物語です。たまたま旅行中にフランス南部の片田舎にある私立の精神科病院を見学することになった主人公が奇妙な体験をすることになります。主人公は、この病院では「鎮静療法」を採用しているという噂を聞いていましたが、それは「処罰は一切避け、監禁もほとんど用いない―患者には蔭からの監視は加えるが、一応の自由は大幅にあたえて、常人の普通の服装で室内も構内も勝手に歩き廻らせておく」という治療法だったのです。
この話、精神分析学や臨床心理学の基礎となったジークムント・フロイト(1856~1939)の学説などの影響を受けて書かれたとばかり思っていましたが、じつはポーとフロイトは同時代人ではありません。なにしろ、フロイトが誕生したのは『タール博士とフェザー教授の療法』が書かれた11年も後なのですから、ポーの先見性には驚きます。物語に描かれている患者を自由に行動させる治療法は、あたかも現代の精神医学界における最新療法を先取りしているかのようにさえ見えるのです。
「アサイラム」(Asylum)というのは、もともと避難所、保護、亡命などを意味します。そこから、精神薄弱者、孤児、障害者、老人などの保護施設、さらには監禁病棟や孤児院などの意味で使われています。わたしがこの言葉を初めて知ったのは、2013年にリリースされたTV怪奇ドラマ「アメリカン・ホラー・ストーリー」の第2作「アサイラム」でした。ホラー映画には目のないわたしですが、非常に怖い名作でした。
「アメリカン・ホラー・ストーリー」は、ライアン・マーフィーおよびブラッド・ファルチャック企画・製作によるホラーテレビシリーズです。各シーズンがそれぞれ独立した設定のキャラクター、舞台、ストーリーを持ち、始まりから終わりまでが描かれるミニシリーズ(英語版)となっています。
2011年に放送された第1シーズンではロサンゼルスの幽霊屋敷に引っ越してきた家族が描かれました。第2シーズン「アメリカン・ホラー・ストーリー:アサイラム」は1964年を舞台とし、触法精神障害者の施設に住む人々が描かれます。さらに第3シーズン「魔女団」、第4シーズン「怪奇劇場」、第5作「ホテル」、第6作「ロアノーク」と、すべて名作揃いです。
さて、「アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち」の詳しい内容はネタバレになるので(公開からずいぶん時間が経過してはいますが)書きにくいのですが、ある精神病患者の頭部に電気ショックを与える治療法が後のロボトミー手術を連想させました。「悪魔の手術」などとも呼ばれた精神外科のロボトミー手術とは、脳の前頭葉を切断するというものです。ロボトミーを開発した医師アントニオ・エガス・モニスはノーベル医学・生理学賞を受賞しました。また、ウォルター・フリーマンという医師ははアイスピックを目の奥に突き立てて前頭葉を破壊する方式を提唱し、アイスピック片手に全米の精神病院を回ったといいます。アメリカで精神病者の精神病院収容から転換させたケネディー大統領の妹もロボトミー術を受けましたが、後遺症に苦しんだそうです。その後、非人道的な精神外科手術に批判が高まり、現在では行われていないとされています。
もともとロボトミー手術は鎮静効果を狙ったものでしょうが、脳を直接傷つけるのですから当然、重い障害を残します。このロボトミー手術を主要テーマとして取り上げた映画には「女優フランシス」「ニーゼと光のアトリエ」などがありますが、なんといっても有名なのが1975年のアメリカ映画「カッコーの巣の上で」です。原作はケン・キージーが62年に発表した同名のベストセラー小説。精神異常を装って刑務所での強制労働を逃れた男が、患者の人間性までを統制しようとする病院から自由を勝ちとろうと試みる物語です。いわゆるアメリカン・ニューシネマの代表作の1つであり、第48回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞(ジャック・ニコルソン)、主演女優賞(ルイーズ・フレッチャー)、脚色賞と主要5部門を独占しました。
精神病の患者を扱った映画としては、一条真也の映画館「危険なメソッド」で紹介した作品も思い出しました。監督は、デヴィッド・クローネンバーグ。ジークムント・フロイトとカール・グスタフ・ユングという、精神分析の礎を築いた2人の偉大な心理学者の交流と決別を描いた歴史心理ドラマです。
心理学を現在のような花形学問にした最大の功労者といえば、もちろんフロイトです。しかし、イギリスの文学史家リチャード・ウェブスターはフロイトについて、「西洋文明最大の愚行の1つと見なされることになった、複雑な似非科学の創造者」と述べています。また、ノーベル生理学・医学賞受賞者ピーター・メダワーは、心理療法を「20世紀で最悪のペテン」と評しました。さらにドイツの科学ジャーナリストであるロルフ・デーケンは、「フロイトはマルクスよりも多大な損害を人類に与えた」と言い切っています。
デーケンはベストセラー『フロイト先生のウソ』の著者で、心理学過剰の現代文明社会に対して痛烈な批判を展開しています。人生の不首尾や対人関係の困難、問題ある人格性の原因を、幼児期のトラウマや「抑圧された記憶」に求める風潮は、これまで、個人の責任逃れの格好の口実になってきました。自分の人生がこのように不本意なものになったのは、親のせい、家庭のせい、学校のせい、社会のせい、あるいはエイリアン(異星人)にさらわれて心に傷を負ったせいとされる。このような傾向は、特にアメリカで80年代半ばから顕著になり、さまざまな形で批判され、警鐘が鳴らされるようになりました。まさに、現代日本の状況にも重なっていますね。
フロイトといえば、ユダヤ人です。彼には『モーセと一神教』という優れた著作もありますが、じつは彼が創始した学問がキリスト教にとっての大いなる脅威となったことに気づきました。というのも現在、バチカンのエクソシストの資料を固め読みしているのですが、かつてのカトリックの「悪魔祓い」の儀式が現在では精神医による「セラピー」に代替されたという現実があるからです。別に悪魔祓いでなくとも、あらゆる心の悩みに対処する者が教会の神父ではなく精神分析の専門家に代わったという事実は、ある意味でユダヤ教からキリスト教へのリベンジの側面があるように思えてなりません。
ところで、この映画は今年観た3本目の映画です。一条真也の映画館「嘘八百」、同じく「嘘を愛する女」で紹介したように、「嘘」の映画が続きましたが、「アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち」も最後に「嘘」の映画であることが判明しました。もっとも、その「嘘」は「虚言癖」という精神病の一種に起因するのですが。それほど「やられた!」と思うほどのインパクトはありませんでしたが、ラストはまずまずのどんでん返しであったと思います。
そういえば、今年は「嘘八百」を観た直後に、「はれのひ」事件の発生を知りました。社長が会見でいろいろ言い訳していましたが、わたしには「嘘」としか思えませんでした。それにしても、「事実は小説よりも奇なり」ですね。