映画「15時17分、パリ行き」のレイトショーを観ました。一条真也の映画館「アメリカン・スナイパー」、「ハドソン川の奇跡」で紹介した作品などでリアルヒーローの真実の物語を描き続けてきた巨匠クリント・イーストウッド監督の最新作にして新境地を開く作品です。

 ヤフー映画の「解説」には、以下のように書かれています。

「クリント・イーストウッド監督が、2015年8月に高速鉄道で起きた無差別テロ事件を映画化。列車に乗り合わせていた3人のアメリカ人青年がテロリストに立ち向かう姿を描く。事件の当事者であるアンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーンを主演俳優に起用し、当時列車に居合わせた乗客も出演。撮影も実際に事件が起きた場所で行われた」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「2015年8月21日、554人の客が乗るアムステルダム発パリ行きの高速鉄道タリスに、武装したイスラム過激派の男が乗り込み無差別テロを企てる。乗客たちが恐怖に凍り付く中、旅行中で偶然乗り合わせていたアメリカ空軍兵スペンサー・ストーンとオレゴン州兵アレク・スカラトス、二人の友人の大学生アンソニー・サドラーが犯人に立ち向かう」

 クリント・イーストウッドは、これまで、さまざまな人間愛を自身の監督作品で描いてきました。わたしが最も印象深かったのは、「グラン・トリノ」で描かれた隣人愛ですが、あの隣人愛はあくまでも隣家の人への愛情ということでした。しかし、今回の「15時17分、パリ行き」ではイエスが説いた本来の隣人愛が描かれていました。じつは、わたしは最近、「カトリックとは何か」について考える機会が多いのですが、「15時17分、パリ行き」にはカトリックが説く隣人愛の良き面を感じることができました。そういえば、この映画にはヴァチカンのサン・ピエトロ寺院も登場しますが......。

 それにしても、イーストウッド監督が、事件の当事者であるアンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーンを主演俳優に起用したことには驚きます。エンドロールで彼らの実際の映像が流れますが、映画の中での3人そのままだったので、ちょっと感動しました。フィクションとリアルの間の皮膜が破れたような、じつに不思議な感覚でした。
 彼らは映画俳優としては、いわゆるド素人なわけですが、どうしてどうして堂々たる演技でした。そして、何よりも3人ともハンサムです。プロの俳優でないのが信じられません。

 この映画のクライマックスになった列車の中でのテロのシーンですが、わたしは複数のテロリスト集団による列車ジャックを想像していたのですが、実際は1人の犯人による暴挙だったので、ちょっと意外でした。イスラム過激派の犯人は主役3人の青年たちに取り押さえられますが、銃のみならず、ナイフも所持しており、彼を生捕りにすることは非常に危険な行為でした。最初に犯人を捕らえたスペンサー・ストーンなどは、首をナイフで切りつけられ、かなりの量の出血をしました。一歩間違っていれば、彼は死んでいたでしょう。あと、ストーンが稽古を積んでいた柔術が実戦ですごく使えることがわかりました。

「15時17分、パリ行き」を観ながら、わたしは、かつて日本で起こった「サンダーバード事件」を思い出していました。
 2006年、JR北陸線の富山発大阪行きの特急サンダーバードの車内で、当時21歳の女性に乱暴した男が逮捕されました。当時36歳の犯人は女性客の隣に座って「声を出すな、殺すぞ」などと脅して体を触り、さらに女性をトイレに連れ込んで暴行したのです。当時、泣きながら連れて行かれる女性の異変に気づいた客もいましたが、犯人が「何を見とるんじゃ」などとすごんだために、何もできなかったといいます。しかし、犯行が行われた当時、40人ほどの乗客が乗車していたのです。自ら犯人に注意しなくても、せめて車掌を呼んだり、携帯電話で警察に通報するなどの行為はできたはずです。なぜ、それができなかったのでしょうか。

『論語』には、「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉があります。
 孔子は、「勇」を「正しいことを行う」という意味で使っています。まさに、蛮行を見て見ぬふりをした彼らは、「勇なき」人々でした。「15時17分、パリ行き」の3人は、勇気ある「義の人」でした。彼ら3人の小学校時代は、揃いも揃って問題児でしたが、地元の英雄として凱旋パレードで迎えられたラストシーンを観て、わたしはしみじみと感動しました。学校で教えるべきは勉強だけではありません。「困っている人を助ける」「勇気をもって正しい行いをする」といった倫理こそ教えるべきではないでしょうか。