No.467
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、長らく映画館が休業していました。最近ようやく再開したようですが、正直言って観たい映画がありません。すると、公式HPに匿名の方から「『一条真也の映画館』は『復活の日』をもって終了なのでしょうか? 続投希望です!」とのメールを頂戴しました。もう3ヵ月近くも新しい映画のレビューを書いていません。コロナ禍の中で公開された映画で早くもブルーレイ&DVD化された作品をいくつか購入したのですが、その中の「ペット・セメタリー」を観てみました。愛するものと死別する物語なので、「グリーフケア」の要素を探してはみたのですが、残念ながらあまり参考にはなりませんでした。悲嘆よりも恐怖に焦点が当てられていたからです。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「作家のスティーヴン・キングが自らの体験を基に執筆した小説を原作にしたホラー。死者を復活させる森の存在を知った夫婦に訪れる恐怖を描く。メガホンを取るのは『セーラ 少女のめざめ』などのケヴィン・コルシュとデニス・ウィドマイヤー。『ナチス第三の男』などのジェイソン・クラーク、『ビューティフル・ダイ』などのエイミー・サイメッツ、『人生は小説よりも奇なり』などのジョン・リスゴーらが出演する」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「妻子と田舎に引っ越してきた医師のルイス(ジェイソン・クラークは、新居の裏に動物用の墓地があることに気づく。新天地での生活にも慣れてきたころ、飼っていた猫が事故で死んでしまう。ルイスは墓地の向こうにある森の奥深くに猫を埋葬するが、その翌日に凶暴化した猫が現れる。やがて彼は、この場所が先住民によって語り伝えられてきた秘密の森だと知る。ある日、娘のエリー(ジェテ・ローレンス)が交通事故で命を落とす」
原作は、‟モダン・ホラーの帝王"ことスティーヴン・キングの『ペット・セマタリー』です。競争社会を逃れてメイン州の田舎に越してきた医師一家を襲う怪異を描いていますが、ジェイコブズの古典的名作『猿の手』にも通じる「死者のよみがえり」というテーマに真っ向から挑んだ、恐ろしくも哀切な家族愛の物語です。『ペット・セマタリー』は1983年に発表されましたが、原稿自体は4年も前に完成していました。かねてから「あまりの恐ろしさに発表を見合わせている」と噂されていた作品でしたが、その後キングは別のインタビューで、「恐ろしくて忌まわしい」から「出版を見送ってきた」わけではなく、「原稿に手を入れる気にもならないほど恐ろしい作品を書いた」というのが真意であったと明かしています。つまり、内容が満足のゆくものでなかったので、文章の推敲を重ねているうちに出版が遅くなったというわけです。しかし、時間の経過とともに、『ペット・セメタリー』という小説は「あまりの恐ろしさに発表を見あわせていた」という風評が、いつしか伝説化してしまったのです。
愛するが故に、呪いの力を借りてまでも死んだ家族を生き返らせようとしてしまうという「家族愛の哀しさ」と「人間の愚かさ」を描いたモダン・ホラーである『ペット・セマタリー』は1989年にパラマウントから映画化されましたが、邦題は「ペット・セメタリー」でした。この映画のリメイク版が2019年に作られたわけです。日本では2020年1月17日に公開されました。このリメイク版では、亡くなる人物の設定が医師夫妻の息子ではなく娘に変更されていますが、基本的にはキングの原作に忠実な内容となっています。なんでも、「前作の欠点を補った完全版」としてキングから高い評価を得たようです。キングは、自身の小説を映画化したスタンリー・キューブリック監督のホラー映画史に燦然と輝く金字塔「シャイニング」(1980年)をまったく評価しなかったことで知られています。
映画「シャイニング」は大ヒットしたのですが、キューブリックによる原作からの改変が目立ったために、キングからは「エンジンが付いてないキャデラック」と忌み嫌ったのです。キングのホラー論である『死の舞踏』でも、キューブリックの「シャイニング」を散々にこき下ろしています。1997年には、キング自らテレビドラマ「シャイニング」を監修しています。ただし、キューブリックという著名な監督が自らの作品を映画化することは光栄に思っていたといいます。まあ、「シャイニング」は誰が見ても、映画が原作に勝っています。わたしは両方観ましたが、テレビドラマ版も映画版には勝てません。よく、「スティーヴン・キングの小説は映画化しにくい」とか「キング原作の映画には名作が少ない」などと言われます。ホラー小説ファンの間では定説になっているようですが、個人的には、1980年の「シャイニング」と1990年の「IT」は名作だったと思います。
そう、「IT」も一条真也の映画館「IT/イット "それ"が見えたら、終わり。」、「IT/イット THE END "それ"が見えたら、終わり。」で紹介した二部作として、2017年と19年に公開されましたが、わたしは前作の方が怖かったです。何が怖かったかって、子どもたちを次々にさらって殺すペニーワイズという怪物の姿です。彼はピエロの恰好をしているのでした。そのビジュアルは強烈で、わたしは「ピエロは怖い」というイメージを強く印象づけられました。しかし、リメイク版は非常に不満でした。
というのは、ペニーワイズの目が光ったり、邪悪なビジュアルにしたりと、演出過剰に思えるからです。1990年版のシンプルなピエロ姿のペニーワイズのほうがずっと怖かった。1990年のペニーワイズはそのままサーカスに出演しても違和感がありませんが、21世紀のペニーワイズは悪の権化のような外見をしています。
「ペット・セメタリー」のリメイクが「前作の欠点を補った完全版」などと謳われているのも、きっとキングの原作に忠実に作られているからだと推察されます。しかし、映画の世界では「リメイクはオリジナルを超えられない」という言葉がありますが、「ペット・セメタリー」の場合も同じだと感じました。わたしには、1989年のオリジナル版のほうがずっと怖かったですね。ただ、2019年のリメイク版の子どもたちが動物の仮面を被ってペットの葬列を組むシーンは非常に不気味で良かったです。また、ラストシーンが前作とは大きく違っていましたが、これは前作のラストの方がずっと良かったです。愛する者を再び失う悲しみがよく描けていました。ネタバレにならないように気をつけて書きますが、今回のリメイク版のラストは、そのへんのゾンビ映画と変わらず、B級ホラー映画そのものといった印象でした。
ところで、この「ペット・セメタリー」、「スティーヴン・キングが自らの体験を基に執筆した小説を原作にしたホラー」という触れ込みですが、これはいったいどういうことでしょうか? まさか、死を生き返らせる土地が実在したのでしょうか? キングのインタビューなどによれば、この物語は、キング自身の家庭に振りかかったアクシデントを基にして描かれたそうです。キングとその家族は一時期、メイン州のオリントンという町の、車通りの多い道沿いの家に暮らしていた。そしてその近所には、交通事故で死んだペットのために、地元の子ども達が作った墓地がありました。
ある日、キングの幼い娘が飼っていた猫が、その道路で轢かれて死ぬ事故がありました。さらにその後、2歳の息子が、同じ道路でトラックに轢かれかかるという事件があったのです。そのとき、愛する息子が道路に飛び出す直前にその体を掴んだというキングは後に、「5秒遅かったら、子どもを1人失っていた」と語っています。考えてみれば、「自分の子どもの死」というのは誰にとっても最大の恐怖でしょう。そして、キングは「最悪のことを考えていれば、それが現実となることはないよ」と語ります。彼の作品の中では子どもが死ぬ場面が多いですが、それは現実世界で死なせないための祈りだったのですね。愛するわが子を失ったとき、人は「幽霊でもいいから、もう一度会いたい」と思うものです。しかし、幽霊なら心ゆたかな再会が可能でも、ゾンビとなった故人と再会しても悲劇が深まるだけ。生ける屍よりも幽霊、すなわち「からだ」よりも「こころ」が大切なのです。