No.491
最近のブログで「鬼滅の刃」には手塚治虫の強い影響を感じると書いたところ、多大な反響がありました。その手塚の遺した膨大な作品の中でも群を抜いた異色作を原作とする日本映画「ばるぼら」を観ました。独特な世界観から「映画化不可能」と言われた作品ですが、手塚治虫生誕90周年を記念して、ついに初映像化されました。予想していた以上に面白かったです!
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「1973年から1974年に『ビッグコミック』で連載された手塚治虫の異色作を実写化したドラマ。謎めいた少女と暮らす小説家の行く末を描く。メガホンを取るのは、手塚治虫の息子で『星くず兄弟の新たな伝説』などの手塚眞。『半世界』などの稲垣吾郎と『生理ちゃん』などの二階堂ふみが主演を務め、『柴公園』シリーズなどの渋川清彦、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』などの石橋静河らが共演する。撮影は、ウォン・カーウァイ監督作などで知られるクリストファー・ドイル」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「作家として活躍する美倉洋介は新宿駅の片隅で、ばるぼらという酩酊状態の少女と遭遇する。洋介は、見た目がホームレスのような彼女を自宅に連れて帰る。だらしなく常に酒を飲んでいるばるぼらにあきれながらも、洋介は彼女の不思議な魅力に惹かれていく。何より、彼女と一緒にいると新しい小説を書く意欲が湧くのだった」
コロナ禍のせいで、ここ最近は日本映画ばかり見ている感じですが、この「ばるぼら」は出色の作品でした。オープニングからエンドロールまで、まったく退屈させることなく一気に観せる極上のエンターテインメントでした。禁断の愛とミステリー、芸術とエロス、スキャンダル、オカルティズムなど、さまざまなタブーに挑戦した問題作が見事に映像化されました。主人公ばるぼらを演じた二階堂ふみも、美倉洋介を演じた稲垣吾郎も、原作のイメージそのもので、素晴らしかったです!
わたしは「催眠」(1999年)以来の俳優・稲垣吾郎のファンなのですが、「催眠」もオカルティズムや幻覚が重要な主題となっており、その世界観は「ばるぼら」に通じます。また、「催眠」に登場する謎の女を演じた菅野美穂のイメージが、二階堂ふみに重なります。「催眠」といい、「ばるぼら」といい、謎の女に翻弄される役を演じさせたら、稲垣吾郎は天下一品です。優柔不断そうな表情がたまりません。なんだか、フランスを代表する俳優だったジェラール・フィリップの雰囲気に似ています。洋介は異常性欲の持ち主で、マネキンや獣にも興奮するのですが、そんな難役も吾郎ちゃんは違和感なく演じ切りました。
ライターの石津文子氏がは、「エロチックな新宿奇譚『ばるぼら』 稲垣吾郎と二階堂ふみは"妖しき手塚ワールド"への完璧な案内人!」というコラムで、「酒瓶を抱えて横たわる二階堂ふみは、原作のばるぼらそのもの。そして黒いサングラスをかけた稲垣吾郎の姿は、手塚治虫ワールドから抜け出てきたかのようだ。原作ではややマッチョだった美倉洋介よりも繊細な印象で、どちらかといえば『ブラック・ジャック』など手塚作品にたびたび登場する悪の貴公子、間久部緑郎(ロック・ホーム)を思わせる。目元が見えないのに、美倉の苛立ちを感じさせるのが、さすがとしか言いようがない」と書いています。まったく同感!
一条真也の映画館「凪待ち」で紹介した映画で主演した香取慎吾、「ミッドナイトスワン」で紹介した映画で主演した草彅剛の演技も素晴らしかったですが、稲垣吾郎もそれに続きました。これで「新しい地図」の3人とも、日本映画の傑作を自身の代表作とすることができました。彼らは元SMAPのメンバーですが、キムタクこと木村拓哉も俳優として大活躍しています。SMAPという偉大なアイドルグループは、中居正広以外はみんな一流の役者だったのですね。
この映画の原作は、手塚治虫の大人向け漫画『ばるぼら』です。「ビッグコミック」(小学館)で1973年(昭和48年)7月10日号から1974年(昭和49年)5月25日号まで連載されました。同誌での連載としては、『奇子』の後、『シュマリ』の前となります。わたしは『シュマリ』だけは小学館漫画文庫で読みましたが、『奇子』と『ばるぼら』は講談社の手塚治虫漫画全集で読みました。「なんとも異様な話だな」と思った記憶があります。
当時は青年漫画がブームの頃で、手塚も「ビッグコミック」に『地球を呑む』『きりひと讃歌』、「プレイコミック」に『空気の底』シリーズなど青年向けの作品を手がけています。この時期の手塚の青年向け作品は暗く陰惨な内容のものが多く、それは安保闘争などの社会的な背景も一因とされています。
手塚作品の暗さは、時代背景だけではありませんでした。この時期、少年誌において手塚はすでに古いタイプの漫画家とみなされるようになっていたのです。人気も思うように取れなくなってきていました。さらにアニメーションの事業も経営不振が続いており、1973年に自らが経営者となっていた虫プロ商事、それに続いて虫プロダクションが倒産し、手塚も個人的に推定1億5000万円の借金を背負うことになりました。作家としての窮地に立たされていた1968年から1973年を、手塚は自ら「冬の時代」であったと回想していますが、まさにそんな時期に『ばるぼら』は世に出たのです。
『ばるぼら』は芸術家にとっての創作の女神「ミューズ」の物語ですが、手塚にもミューズが微笑んでくれたのか、この頃から風向きが変わります。1973年に「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)で『ブラック・ジャック』の連載が開始されます。これは、少年誌・幼年誌で人気が低迷していた手塚の最期を看取ってやろうという、壁村耐三編集長の厚意で始まったものでしたが、長期間続く戦いで読み手を惹き付けようとするような作品ばかりだった当時の少年漫画誌にあって、『ブラック・ジャック』の毎回読み切り形式での連載は新鮮で、後期の手塚を代表するヒット作へと成長していくことになります。さらに1974年、『週刊少年マガジン』(講談社)連載の『三つ目がとおる』も続き、手塚は本格的復活を遂げたのです。このように手塚の復活劇は、『ばるぼら』の連載時期と完全に一致しています。
まるで『ばるぼら』という作品は魔術の書のようですが、物語の中でも黒魔術が登場します。ばるぼらの母親は「ムネーモシュネー」(渡辺えりが原作そのままの怪演を披露!)という名前ですが、これはギリシャ神話の記憶の女神であり、ミューズの母親です。映画での彼女は、薄暗い場所でタロットカードを繰る魔女のような存在です。そして、ばるぼらと洋介の結婚式はなんと黒魔術のミサとして行われます。このシーンを観て、わたしは「現代イギリスのデュマ」と呼ばれたデニス・ホイートリの代表作『黒魔団』を映画化した「悪魔の花嫁」(原題"The Devil Rides Out")を連想しました。この映画にも黒魔術のミサとしての結婚式が登場するのです。1968年の作品ですが、主演はドラキュラ俳優として有名なクリストファー・リーです。そういえば、「ばるぼら」に出てくるライブハウス風の酒場で歌う黒衣の男は吸血鬼みたいでした。
それにしても、「ばるぼら」の舞台となっている新宿の街が美しいです。70年代の新宿かなとも思いましたが、通行人がスマホをいじっているので現代の新宿のようです。実際はこんなに綺麗な街ではないと思うのですが、この映画では夢のように美しい。BGMで流れるジャズともぴったり合っています。撮影監督はクリストファー・ドイルです。彼は、『恋する惑星』(1994年)などウォン・カーウァイ作品で知られますが、石津文子氏は「ドイルが、新宿の街を異世界のように撮っている。中盤、ばるぼらが雨の街を傘をさしながら歩き回るシーンは、ドイルと二階堂ふみの二重奏に、稲垣のモノローグが重なり美しい。このシーンは手塚眞がドイルに1日、二階堂ふみを預けて、歌舞伎町で好きなように撮ってきて欲しい、と言ったそうで、ジャズの即興のようで、新鮮な魅力がある。そして橋本一子によるフリージャズ調の音楽も、映画の幻惑的な世界を引き立てる」と書いています。
最後に、この映画の導入部について。新宿駅の通路で洋介はアルコール依存症のフーテン娘・ばるぼらと出会うのですが、そのとき、彼女は「秋の日のヴィオロンのためいきの 身にしみてひたぶるにうら悲し」というポール・ヴェルレーヌの詩「秋の歌」(落葉)を口にしました。その只ならぬ雰囲気に惹かれた洋介は、その詩の続きを口ずさみ、彼女を自宅マンションに連れて帰ります。ここで、ヴェルレーヌが登場したことに驚きました。じつは、最近、わたしはヴェルレーヌの詩を口にしたからです。ブログ「グリーフケア発会式」で紹介したように、今月4日に小倉紫雲閣の大ホールで、「グリーフケア資格研修発会式」(グリーフケア資格研修ファシリテーター養成課程・開会ガイダンス)が行われ、全国の互助会から選び抜かれたファシリテーターのみなさんも参集しました。
ヴェルレーヌの詩を紹介しました
そこで挨拶に立ったわたしは、「『選ばれし者の恍惚と不安、二つ我にあり』という言葉があります。フランスの詩人ポール・ヴェルレーヌの言葉ですが、太宰治が『葉』という小説で使い、前田日明も新生UWFの旗揚げの挨拶で使いました。今日ここに全国から選び抜かれて集ったファシリテーターのみなさんも、同じ思いではないでしょうか?」と述べたのです。同じ月に二度もヴェルレーヌと縁があったとは! ヴェルレーヌは退廃の象徴であり、耽美派の作家である洋介のハートを射止めたわけですが、「ばるぼら」というデカダンスの世界にマッチした導入でしたね。