No.647
11月15日は、一条本最新刊『心ゆたかな映画』(現代書林)の発売日です。この日、ロングセラーの拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を原案としたグリーフケア映画「愛する人へ」(仮題)の打ち合わせをしましたが、その前に話題のアニメ映画「すずめの戸締り」をTOHOシネマズ日比谷で観ました。「すべての映画はグリーフケア映画」というのはわが持論ですが、「すずめの戸締り」もまさにグリーフケア・アニメの大作でした。
ヤフー映画の「解説」には、「『君の名は。』『天気の子』などの新海誠監督が、"災いの元となる扉"を閉めるために旅をする少女の姿を描いたアニメーション。九州の田舎に暮らす女子高校生が扉を探す不思議な青年と出会い、災いをもたらす扉を閉めるために日本各地の廃虚へおもむく。少女の声をオーディションで選ばれた原菜乃華、災いを招く扉を閉める"閉じ師"の青年の声をアイドルグループ『SixTONES』のメンバーで『ライアー×ライアー』などの松村北斗が担当する」と書かれています。
ヤフー映画の「あらすじ」は、「九州の静かな町で生活している17歳の岩戸鈴芽は、"扉"を探しているという青年、宗像草太に出会う。草太の後を追って山中の廃虚にたどり着いた鈴芽は、そこにあった古い扉に手を伸ばす。やがて、日本各地で扉が開き始めるが、それらの扉は向こう側から災いをもたらすのだという。鈴芽は、災いの元となる扉を閉めるために旅立つ」となっています。
この作品、一部では「新海誠監督の最高傑作ではないか?」などと言われているようですが、正直わたしはそこまでの傑作とは思いませんでした。 一条真也の映画館「君の名は。」で紹介した作品の方が感動は大きかったです。 一条真也の映画館「天気の子」で紹介した作品と比べても、とりわけ「すずめの戸締り」が傑作という印象は持ちませんでした。というか、「すずめの戸締り」は人間が椅子に変身するという突拍子もない物語なのですが、細部のディテールにリアリティを感じられなかったのです。例えば、主人公の鈴芽を探しに宮崎から上京してきた叔母さんとお茶の水駅の前で会うといった不自然な偶然などです。わたしは、こういう御都合主義がすごく苦手で、一気に冷めてしまいます。
主人公の岩戸鈴芽という名前も思わせぶりですが、激戦のオーディションで選ばれた原菜乃華の声は良かったです。でも、高校2年生の鈴芽が勝手に授業をサボって廃墟に入ったり、何日も無断欠席したりする場面は、わたしが几帳面は親父ということもあってイライラしましたね。若い娘がヒッチハイクをする場面でも、心の中で「危ないから、やめろ!」と叫んでいました。この映画、宮崎から愛媛、神戸、東京、東北と日本列島を大移動するのですが、その移動手段や必要なお金などにリアリティがありませんでした。こういうのも苦手です。あと、不安定な三本足の椅子が走り回るのもイライラしましたね。椅子が三本足なのは三本足のカラスとしての八咫烏(やたのがらす)を連想しました。日本神話に登場する導きの神ですね。
三本足の生き物といえば、カラスの他にもカエルが有名です。風水の世界では、脚が3本しかない、沢山の古銭の上に乗った特殊なヒキガエルが活躍しています。 自分の前方と左右にある「財」をすべてかき集め、くわえてくるために3本脚になったといわれています。 その名にちなんで「お金が返ってくる」縁起物としても人気です。 財運を飛躍的に高めてくれるといわれ、玄関や店舗の入り口に置かれます。カエルといえば、わたしは「すずめの戸締り」で宗像草太が三本足の椅子に変えられたの見て、童話の「カエルの王様」を連想しました。男性が異形の姿に変えられ、女性の愛によって元に戻る物語では「美女と野獣」が有名ですが、「すずめの戸締り」は「美女と野獣」というより、現代版「カエルの王様」だと思いました。
その草太は、災いを招く扉を閉める"閉じ師"でした。彼は神道の祝詞のような言葉を吐いて、扉を閉めます。椅子に変えられて扉を閉められなくなったときは、同行する鈴芽に依頼します。扉を閉めるとき、草太は「その土地の人々の日常の様子を思い浮かべて」と鈴芽にアドバイスしますが、鈴芽の脳裏には人々の「おはよう」とか「いただきます」「行ってきます」などの日常の何気ない挨拶の言葉が次々に浮かんでいました。わたしは、家庭での日常の挨拶ほど大切なものはないと思っています。親しい家庭の中で他人行儀な挨拶など無用と思っている人がいたら大間違いです。そんな家庭の子どもは将来、必ず社会を騒がすような問題を起こす人間となるでしょう。わたしは、父から7つの挨拶を幼少のときより徹底的に叩き込まれました。すなわち、「おはようございます」「行って来ます」「ただいま」「いただきます」「ごちそうさま」「おやすみなさい」「ありがとうございます」です。この7つの挨拶は、拙著『人間関係を良くする17の魔法』(致知出版社)でも「躾に必要な七つの挨拶」として紹介しました。
『人間関係を良くする17の魔法』(致知出版社)
日常わたしたちが何気なく使っているこんな挨拶こそが、バラバラになりがちな家族の心を結びつけ、互いに思い合い、気づかい合い、なごやかな家庭を作り出す土台なのだと思います。その中でも、「行ってきます」「行ってらっしゃい」、「ただいま」「おかえり」はとても大切な挨拶です。「行ってきます」は、当人にとっては「今日も元気にがんばろう」という決意と「今日も無事でありますように」と祈る気持ちで我が家を出発する言葉です。「行ってらっしゃい」という送り出す側の言葉は「今日も元気で」で応援する気持ちと、「車や事故に気をつけて」と安全を祈る心の表現です。ですから、送り出した人が元気で帰宅することが家で待つ者にとっては一番気がかりなのです。交通事故の他にも、災害、犯罪、学校でのいじめなど、日常的に心身の危険にさらされている今日では、元気な「ただいま」の一言で、家族は安心するのです。そして、「おかえり」の一言で、帰ってきた者もまたホッとし、外での苦しいこと、辛いことも癒されるのです。ちなみに、「すずめの戸締り」の最後のセリフは、「おかえり」でした。
言葉には「言霊(ことだま)」という不思議な力が宿るとされますが、7つの挨拶は、幸せになるための言霊でもあると思います。「言霊」というのも神道の考え方ですが、「君の名は。」「天気の子」、そして「すずめの戸締り」と、新海誠監督の大作アニメは一貫して神道が重要な役割を果たしています。「君の名は。」と「天気の子」では、神社が重要な舞台となっていました。あと、三作品に共通するのは、隕石の落下とか自然災害とか大規模なカタストロフィーが発生するところです。ネタバレにならないように注意深く書けば、「すずめの戸締り」では大地震、それもずばり東日本大震災が登場していました。この映画、スマホの自身警報が何度も大音量で鳴るのですが、地震にトラウマのある人にはきついかもしれませんね。冒頭、宮崎で震度4の自身が発生しますが、昨日、石川県で発生した地震も震度4でした。日本はどこで地震が起きてもおかしくない地震列島なのです。
気仙沼の陸上に漂着した船の前で
わたしは、「いつか、3・11を真正面から扱ったアニメ映画が作られるのではないか」と思っていましたが、この「すずめの戸締り」がまさにその映画なのだと悟りました。2011年3月11日は、日本人にとって決して忘れることのできない日になりました。三陸沖の海底で起こった巨大な地震は、信じられないほどの高さの大津波を引き起こし、東北から関東にかけての太平洋岸の海沿いの街や村々に壊滅的な被害をもたらしました。この国に残る記録の上では、これまでマグニチュード9を超す地震は存在していませんでした。地震と津波にそなえて作られていたさまざまな設備施設のための想定をはるかに上回り、日本に未曾有の損害をもたらしました。じつに、日本列島そのものが歪んで2メートル半も東に押しやられました。その大災害を象徴するものが、津波によって気仙沼の陸上に漂着した船です。「すずめの戸締り」でも、3・11のアイコンとして登場しました。
細部のリアリティという意味では不満の残った「すずめの戸締り」ですが、音楽は良かったです。東京から東北へ向かうオープンカーでユーミンの「ルージュの伝言」が流れたときは、ジブリ映画の「魔女の宅急便」のオープニングで同曲が使われたことを思い出し、パクリかと思いました。しかし、その後で松田聖子の「SWEET MEMORIES」が流れたときは驚きました。さらに井上陽水の「夢の中へ」、斉藤由貴の「卒業」、国生さゆりの「バレンタイン・キッス」、河合奈保子の「けんかをやめて」まで流れて、わたしは何だか怖くなってきました。なぜなら、すべて、わたしの大好きな曲ばかりだからです。なんで、俺の子のみを知っているの? もちろん、RADWINPSによる主題歌「すずめ」は最高でした。歌っている女性ボーカルの十明の声の透明感が素晴らしい! 近年のアニメ映画の中でも、主題歌は最高傑作の部類では?
鑑賞後、グリーフケア映画の打ち合わせをしました