No.717
5月28日の日曜日、午前8時半から日本映画「波紋」をシネプレックス小倉で鑑賞。ものすごい大傑作で、次に何が起こるかまったく予想できず、1秒たりとも気が抜けませんでした。ラストシーンも最高に素晴らしく、わたしは「これは完璧な映画だ!」と大感動。その余韻に浸るべく、約30分かけて自宅まで歩いて帰りました。これは、一条賞(映画篇)大賞の最有力候補作品です!
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『よこがお』などの筒井真理子が主演を務めるドラマ。ある女性が、失踪していた夫が帰ってきたことを機に、老々介護や新興宗教、障害者差別といった問題に直面する。監督は『川っぺりムコリッタ』などの荻上直子。『バイプレイヤーズ』シリーズなどの光石研、『ビリーバーズ』などの磯村勇斗、『羊の木』などの安藤玉恵のほか、江口のりこ、平岩紙らが出演する」
ヤフー映画の「あらすじ」は、「須藤依子(筒井真理子)は、緑命会という水を信仰する新興宗教にのめり込み、祈りをささげては勉強会に勤しんでいた。庭に作った枯山水の庭の手入れとして、1ミリも違わず砂に波紋を描くことが彼女の毎朝の習慣となっており、それを終えては静かで穏やかな日々の尊さをかみしめる。しかし長いこと失踪したままだった夫の修(光石研)が突然帰ってきたことを機に、彼女を取り巻く環境に変化が訪れる」です。
いやあ、こんなに面白い映画は久々に観ました。全員、実力派。全員、ヤバい。痛快爽快な「絶望エンタテインメント」ですが、実力派の役者陣の中でもやはり主演の筒井真理子の存在感は圧倒的でした。名バイプレイヤーである彼女の姿をスクリーンで見たことは何度かありましたが、主演映画はこの「波紋」が初めてです。それでま「富田靖子に似ているな」「この人は、これまでの人生で何度も『あなたは富田靖子に似ていますね』と言われてきたんだろうな」などと呑気なことを考えていたのですが、現在54歳の富田靖子よりも8歳年上の筒井真理子の演技力にはぶっ飛びました。とにかく表現力が豊かで、怒り顔と笑顔とのギャップがすさまじいです。それにしても、62歳とは思えないほど若々しく綺麗な方ですね。最近のインタビューで、「どんな役も楽しい。特に初めてのタイプの役を演じるのは、ドキドキ、ワクワクして大好き。役者はやめられません。演じることは自分のギアをニュートラルに戻せるので、皆さんにもお勧めですよ!」と語っています。
筒井真理子演じる須藤依子の夫・修を演じた光石研も素晴らしかったです。家族を捨てて10年間も失踪した末に「がん」になって家に戻ってきたダメ男を見事に演じました。彼は1961年生まれの62歳で、わたしより2歳上です。北九州市八幡西区出身ということを最近知りました。高校在学中の1978年、16歳の時に友人に誘われて「博多っ子純情」のエキストラのオーディションを受けたところ、オーディション前日の喧嘩で眉を二針縫い絆創膏を貼っていたことから質問責めになり、喧嘩のまねや酔っ払いのまねをさせられるなどした結果、いきなり主役に抜擢されてデビュー。2020年、ブログ「さよなら、小倉昭和館」で紹介した昨年8月10日夜に発生した旦過市場の火事で焼失した老舗映画館・小倉昭和館が新型コロナウイルス感染拡大の影響により苦境にあった際に寄付をしています。同館は寄付を活用し、ウイルス対策を兼ね、2人1組で座れるテーブル付きソファーの座席を設置し「光石研シート」と命名されました。わが社も小倉昭和館復興の支援活動を行っていますので、今度、同館の樋口館長から光石さんを紹介していただきたいです。
その光石研の最新主演映画「逃げ切れた夢」が、現在フランスで開催されている世界三大映画祭の1つ「カンヌ国際映画祭」で日本時間の23日未明に上映され、多くの観客から喝采を浴びました。地元である北九州市で撮影された「逃げきれた夢」は、定時制高校の教頭が、記憶が薄れていく病に侵され、それまでの人生を見つめ直していく物語です。「カンヌ国際映画祭」の部門のひとつ、「インディペンデント映画普及協会」が選ぶACID部門の9作品に選出され、カンヌで上映されました。同作のアピールポイントについて、光石は「故郷である僕の街で撮影したこと。故郷ならではの方言を使ったこと」と語っています。福岡市出身の松重豊とのやりとりでは、コテコテの地元の言葉が使われたそうで、「『しゃーしぃ』というのが出てきたんですけど、それがちゃんとフランスの皆さんに伝わっているのか、不安ではあるんですが、僕にとってはとっても心地いい経験です」と語りました。「逃げきれた夢」は、6月9日から「T・ジョイリバーウォーク北九州」などで公開されるそうで、ぜひ観たいです!
「波紋」の話に戻しましょう。この映画には震災、原発事故、老々介護、新興宗教、障がい者差別といった現代社会が抱える問題がてんこ盛りで描かれていますが、やはり最大のテーマは新興宗教です。異常なまでの綺麗好きである依子は、夫に失踪され、1人で義父を介護することになります。深いグリーフを抱えた依子は「緑命会」という新興宗教に入信しますが、これが最高にインチキ臭い教団で、霊感商法の定番である「霊水」を売ることが布教の最大の目的というトンデモない組織です。この緑命会の会員たちがみんなで踊るダンスがまた最高に胡散臭いのですが、オウム真理教の「ショーコ―、ショーコ―」ダンスに比べれば、振り付けはしっかりしていると思いました。
オウム真理教といえば、一条真也の映画館「わたしの魔境」で紹介した日本映画を思い出します。「もし今、オウム真理教に類似したカルトがあったらどうなる?」をテーマに普通のOLがカルト教団に洗脳される過程を描いた問題作です。どこにでもいる普通の新卒OLの湯川華(近藤里奈)は、騙されてマルチ商法企業に入社してしまい、上司から理不尽な叱責を受ける毎日を送ります。ある日、人気YouTuberの紹介動画をきっかけに、カルト宗教「ニルヴァーナ」に心の救いを求め、のめり込んでいきます。そこには、自分が会社員生活で見出す事の出来なかった、心の平和を見いだせたかに思いました。しかし彼女は、やがて教団の恐ろしい実態を知り、引き返せなくなっていくのでした。地下鉄サリン事件から約30年が経過し、事件の記憶が風化しつつある中、今の時代に置き換えたフィクションとして描くことで、Z世代への警鐘を鳴らしています。
緑命会にしろ、ニルヴァーナにしろ、人はどうして怪しげな新興宗教に入信するのでしょうか。それは「救い」を求めるからです。一条真也の読書館『なぜ「救い」を求めるのか』で紹介した島薗進先生の最新作では、「『救い』を掲げる宗教の本質的なメッセージは『すべての人に関わる』ことであり、実際にそれだけの広がりをもっています」と書かれています。「救い」の教えは、キリスト教、仏教、イスラームなど世界中の宗教において教義の中心となってきました。そのような宗教を「救済宗教」と呼びます。なぜ、宗教では「救い」が重要とされ、普遍的な教えとなってきたのか。一方で、先進国、特に日本では、宗教への信頼が揺らいでいます。しかし、そんな現代社会においても、従来とは形を変えながら求められる"宗教性"があるのではないか。宗教の起源から現在にまで通じるこのような問いに、救済宗教と文明の歴史をたどることで理解と考えを深め、宗教という営みそのものの核心に迫った名著です。
「波紋」という映画が新興宗教をよく描いていると思うのは、姿は見えませんが教祖の言葉にそれなりの説得力がある点です。「人を赦せば魂は浄化される」とか「人を呪わば穴二つ」とか、いわば当たり前の言葉ばかりなのですが、リーダーの女性が教祖の言葉を紹介すると、なぜか異様な説得力が生まれてしまう。その理由は非日常的な祭祀空間、そこで行われる非日常的な儀式、そしてリーダーの女性の話術です。要するに新興宗教、ひいては「宗教」というものの本質が「演劇」と非常に近似性があることがわかります。緑命会に洗脳された依子を演じるにあたり、筒井真理子は「役の根っこ」を綿密に掘ったそうです。彼女は、「依子は、これまでどんな人生を送っていたのか?そういうことを想像して、自分の中にため込んでいきました。依子の苦しみ、悲しみ、喜びなど分からないと役として自由になれない」と語っています。さすがに新興宗教の信者に直接ヒアリングすることは思いとどまったそうですが、「他人のことは、リサーチなしに理解はできない」と本を読み、専門家に話を聞いたとか。
新興宗教以外にも、「がん」の扱い方が秀逸でした。がんに冒された修は、保険適用外の未承認薬の投与を希望しますが、その薬は1回150万円で、3回がワンクールという高価なものでした。金のない修は合計450万円もの薬代を依子に無心するのですが、彼女はなかなか「YES」と言いません。自分と老親を捨てて10年間も失踪していた夫を赦すことができないのです。死生観について深く切り込んだ「波紋」は、黒澤明の名作「生きる」(1952年)を連想させる哲学映画となっています。「生きる」をリメイクしたのが一条真也の映画館「生きる LIVING」で紹介したイギリス映画です。「生きる」では、志村喬演じる主人公が末期がんを宣告されて大変なショックを受けます。1952年当時、がんはまだ不治の病であり、罹患する人も少なかったのです。現在では、がんになる日本人は2人に1人です。映画の中で修がつぶやいた「俺、さっさと死ぬわ」という言葉が非常に印象的でした。
最後に、筒井真理子も光石研も最高に素晴らしい演技を見せてくれましたが、修と依子の息子を演じた磯村勇斗も良かったです。じつは、一条真也の映画館「最後まで行く」で紹介した「波紋」を観る前日に観た映画にも磯村が出演していました。「最後まで行く」では殺されるチンピラ役で、殺された後はずっと死体役でした。その死体は奇妙な形で(他人の遺体と一緒に)棺に入れられるのですが、「波紋」でも棺を見つめる磯村のシーンが出てきて、「ああ、彼は棺に縁があるなあ。いつか葬儀社の社員役をやるといいな」などと思いました。ネタバレにならないように気をつけて書きますが、「波紋」のラストで葬儀社の社員が棺を落としてしまうシーンには驚き、思わず「ああっ!」と声を上げそうになりました。実際に、わが社の社員がミスをしたような錯覚にとらわれたのです。ラストで、依子が喪服姿でフラメンコを踊るシーンには痺れました!
磯村勇斗は現在30歳ですが、中学生の頃に自主制作した映画がきっかけで役者を目指します。静岡県立沼津西高等学校在学中、俳優を志望して芝居を学ぶために地元の劇団に入り舞台に立ち、演劇の道に進みました。その頃から、プロダクションや劇団に入ろうとしましたが、両親に猛反対され、最終的には芝居ができる大学に行くということで落ち着き桜美林大学に進学しましたが、結局、2年半で中退。アルバイトをしながら小劇場の舞台を中心に劇団を転々とし、現在の事務所に所属する演出家の舞台に出演した縁から芸能界に入ったそうです。ブログ「ひよっこ」で紹介したNHK朝ドラでは、有村架純演じる主人公と結婚する調理師の役でした。2017年放送の「ひよっこ」では、主人公の初恋の相手を演じた竹内涼真に比べて印象が薄かった磯村でしたが、あれから6年。すっかり立派な役者になりましたね。これからが楽しみです!