No.697


 眼の具合が良くなったら、映画が観たくなりました。それで、4月2日の日曜日にシネプレックス小倉でイギリス映画「生きる LIVING」を観賞。「最期を知り、人生が輝き出す」というテーマですが、主人公の「生きることなく、人生を終えたくない」という言葉が心に沁みました。黒澤明の傑作がアップデートされて、大傑作になっていました!
 
 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「黒澤明監督による『生きる』を、映画化もされた『日の名残り』などで知られるノーベル賞作家カズオ・イシグロの脚本でリメイク。第2次世界大戦後のイギリス・ロンドンを舞台に、仕事一筋で生きてきた男性が死期を宣告されたことで、自らの人生を見つめ直す。監督はオリヴァー・ハーマナス。『パレードへようこそ』などのビル・ナイが主演を務め、『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』などのエイミー・ルー・ウッド、『パーティで女の子に話しかけるには』などのアレックス・シャープ、『聖なる証』などのトム・バークらが共演する」
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「1953年、第2次世界大戦後のイギリス・ロンドン。役所の市民課に勤めるウィリアムズ(ビル・ナイ)は、毎日同じことを繰り返し、仕事に追われる自分の人生にむなしさを感じていた。ある日、医師からがんで余命半年であることを告げられる。最期が近いことを知った彼はこれまでの味気ない人生を見つめ直し、残された日々を大切に過ごして充実した人生にしたいと決意する。やがて、彼の変化は無関心だった周囲の人々をも変えていく」
 
「生きる LIVING」は、黒澤明監督の不朽の名作「生きる」(1952年)を再映画化作品です。「生きる」の主人公は、市役所の市民課長・渡辺(志村喬)です。彼は30年間無欠勤、事なかれ主義の模範的役人です。ある日、渡辺は自分が胃癌で余命幾ばくもないと知ります。絶望に陥った渡辺は、歓楽街をさまよい飲み慣れない酒を飲みます。そして、「自分の人生とは一体何だったのか?」と考えます。彼は人間が本当に生きるということの意味を考え始め、そして、初めて真剣に役所の申請書類に目を通します。そこで彼の目に留まったのが市民から出されていた下水溜まりの埋め立てと小公園建設に関する陳情書でした。
 
「生きる」は、非人間的な官僚主義を痛烈に批判するとともに、人間が生きることについての哲学をも示した名作でした。「生きる LIVING」は「ここまで同じか!」と驚くくらい、黒澤明版の「生きる」とストーリーがまったく同じです。しかしながら、黒澤版よりも上映時間が約30分短くなっており、その理由はストーリーは同じでも描写が違うからです。公園建設の嘆願書を持参した市民が市役所の中をたらい回しにされるシーンでも、黒澤版は15ヵ所ぐらいですが、イシグロ版は5ヵ所と少な目です。でも、人生をブルシット・ジョブに費やしてきた虚しさは両作品ともに見事に表現しており、公園のブランコに揺られながら、渡辺は「ゴンドラの唄」を、ウィリアムズは故郷のスコットランド民謡である「ナナカマドの木」を歌うシーンが哀愁に満ちていました。
 
 主演のビル・ナイは、わたしのお気に入りの俳優です。出演作は多いですが、特に「フェアリーテイル」(1997年)、「ラブ・アクチュアリー」(2003年)などが印象的でした。一条真也の映画館「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」で紹介した2012年の作品、「アバウト・タイム~愛おしい時間について~」で紹介した2013年の作品、「MINAMATA―ミナマタ―」で紹介した2020年の作品でも好演していました。彼は当年73歳だそうですが、「生きる LIVING」では20歳も若い50代前半の役でした。来月で還暦を迎えるわたしよりもずっと若い設定なので嫌になりますが、今から70年前ですので、50代といえば立派な老人だったのでしょう。「サザエさん」の磯野波平だって54歳なのですから!
 
「生きる LIVING」のウィリアムズは、感情を押し殺した英国紳士として、礼儀正しく行動します。「生きる」で志村喬が演じた渡辺は癌の余命宣告を受けてパニックになりますが、「生きる LIVING」でビル・ナイが演じたウィリムスは内心こそ激しく動揺していますが、外見的には物静かな紳士のままです。志村の演技が「動」なら、ビル・ナイのそれは「静」。「生きる LIVING」の脚本も描いた原作者のカズオ・イシグロは「ビル・ナイは笠智衆に似ている」と言ったそうですが、確かに志村喬よりは笠智衆の枯れたイメージそのものです。志村といえば黒澤映画の常連でしたが、笠は小津安二郎作品の常連でした。つまり、(映画評論家の町山智浩氏も指摘していましたが)この映画は黒澤作品が原作でありながら、全体のトーンは小津作品に近いわけです。

自身の死を受け容れる難しさ
 
 
 
 半年の余命宣告をされたウィリアムズが外見的に物静かなままであると書きましたが、内心はもちろんそうではありません。自身の命があと半年という事実にショックを受け、迫り来る死の不安に怯えています。酒に逃げ、自死さえ図ろうとします。「生きる」の渡辺などは、傍から見ても混乱のきわみで、まるで狂人のように見えました。ここで、わたしは思うのです。ともに時代は1952年。第2次世界大戦が終結してから、わずか7年後です。日本でも、イギリスでも、膨大な数の死者を出しました。年齢的に渡辺やウィリアムズが従軍していないとしても、彼らの周囲には多くの死者がいたはずです。つまり、1952年当時は、もっと「死」が身近だったはずなのに、なぜ2人とも、それほど自身の「死」の宣告に驚くのでしょうか?


死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)
 
 
 
 もちろん、家族や友人や知人などが亡くなったとしても、それはあくまでも「二人称」や「三人称」の死です。自分という「一人称」の死とは訳が違います。なぜ、自分の愛する者が突如としてこの世界から消えるのか、そしてこの自分さえ消えなければならないのか。これほど不条理で受け容れがたい話はありません。これまで数え切れないほど多くの宗教家や哲学者が「死」について考え、芸術家たちは死後の世界を表現してきました。医学や生理学を中心とする科学者たちも「死」の正体をつきとめようとして努力してきました。まさに死こそは、人類最大のミステリーであり、全人類にとって共通の大問題なのです。拙著『死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)では、その不条理を受け容れて心のバランスを保つための本を紹介しました。「死生観は究極の教養である」が同書のコンセプトです。

死ぬまでにやっておきたい50のこと
 
 
 
 最近、「死生観は究極の教養である」ということを思い知らせてくれた方がいました。以前より親しくさせていただいている人生の大先輩なのですが、癌のステージ4の宣告を受けられた後、残された時間で「やるべきこと」のリストを作成し、病気になってからも精力的に活動され続けておられるのです。わたしは、その方に心から尊敬の念を抱き、自分が余命宣告されたとしても、粛然とその運命を受け容れ、人生を卒業するその日まで自らの使命を果たしたいと思いました。もっとも、「生きる」や「生きる LIVING」の時代は今から70年前であり、当時は癌という病気が現在のように「誰でもなる病気」と考えられるほど一般化していなかったのでしょう。それゆえ宣告されたときのショックも大きかったのだと思います。しかし、別に末期癌の患者でなくとも、誰だって半年後に、いや明日死ぬかもしれません。いつ人生が終わるかもしれない状況は、じつは万人が同じなのです。
 
 黒澤明と小津安二郎といえば、日本映画史を代表する二大巨匠ですので、日本映画への愛とリスペクトが最大級に溢れた映画が「生きる LIVING」なのです。カズオ・イシグロは、2017年10月のノーベル文学賞の受賞後にインタビューで、「予期せぬニュースで驚いています。日本語を話す日本人の両親のもとで育ったので、両親の目を通して世界を見つめていました。私の一部は日本人なのです。私がこれまで書いてきたテーマがささやかでも、この不確かな時代に少しでも役に立てればいいなと思います」と答えています。1954年生まれの彼は日本の長崎で生まれ、1960年に5歳のときに両親と一緒にイギリスに移住しました。彼の一連の作品は、日本文化とイギリス文化の共通性を浮き彫りにするなどと評されていますが、映画「生きる LIVING」の脚本はまさにそうだと思います。
 
 カズオ・イシグロ小説を原作とする映画では、「日の名残り」(1993年)が有名です。ブッカー賞を受賞した同名ベストセラーを、「眺めのいい部屋」のジェームズ・アイボリー監督が映画化したものです。第66回アカデミー賞で作品賞を含む8部門にノミネートされました。1958年、オックスフォード。ダーリントン卿の屋敷で長年に渡って執事を務めてきたスティーブンス(アンソニー・ホプキンス)は、主人亡き後、屋敷を買い取ったアメリカ人富豪ルイスに仕えることになります。そんな彼のもとに、かつてともに屋敷で働いていた女性ケントン(エマ・トンプソン)から手紙が届きます。20年前、職務に忠実なスティーブンスと勝ち気なケントンは対立を繰り返しながらも、密かに惹かれ合っていましたが、ある日、ケントンに結婚話が舞い込むのでした。「残りも少ないのに、人生こんなはずではなかった」というところは、明らかに黒澤明の「生きる」の影響を受けているとされています。

人生の修め方』(日本経済新聞出版社)
 
 
 
 原作が同じなので当然といえば当然ですが、「生きる」も、「生きる LIVING」も、主人公が亡くなって葬儀が行われます。そして、そこから本当の物語が始まります。葬儀に参列するために集まった人々が故人について語り合う中から、主人公のこの世での最後の日々の様子が明らかになっていくのです。そして、渡辺もウィリアムズも残り時間を自身のために使わず、市民のため、それも未来ある子どもたちのための公園作りに精力的に取り組んだことがわかるのでした。コロナ前、わたしは「終活」をテーマにした講演をよく依頼されました。わたし自身は、「人生の終(しま)い方の活動」としての「終活」よりも、前向きな「人生の修め方の活動」としての「修活」という言葉を使うようにしています。『人生の修め方』(日本経済新聞出版社)という本も書きました。

「生きる」の葬儀シーン
 
 
 
 そんな講演会でよくお話しするのが、「講演を聴いておられるみなさん自身の旅立ちのセレモニー、すなわち葬儀についての具体的な希望をイメージして下さい」ということです。自分の葬儀について考えるなんて、複雑な思いをされる方もいるかもしれません。しかし、自分の葬儀を具体的にイメージすることは、残りの人生を幸せに生きていくうえで絶大な効果を発揮します。「死んだときのことを口にするのは、バチがあたる」と、忌み嫌う人もいます。果たしてそうでしょうか。わたしは自分の葬儀を考えることは、いかに今を生きるかを考えることだと思っています。ぜひ、みなさんもご自分の葬義をイメージしてみていただきたいと思います。そこで、友人や会社の上司や同僚が弔辞を読む場面を想像して下さい。そして、その弔辞の内容を具体的に想像して下さい。

「生きる」の葬儀シーン
 
 
 
 そこには、あなたがどのように世のため人のために生きてきたかが克明に述べられているはずです。葬儀に参列してくれる人々の顔ぶれも想像して下さい。そして、みんなが「惜しい人を亡くした」と心から悲しんでくれて、配偶者からは「最高の連れ合いだった。あの世でも夫婦になりたい」といわれ、子どもたちからは「心から尊敬していました」といわれるシーンを頭の中に描いてみて下さい。いかがですか、自分の葬儀の場面とは、「このような人生を歩みたい」というイメージを凝縮して視覚化したものなのです。そんな理想の葬式を実現するためには、残りの人生において、あなたはそのように生きざるをえないのです。

入棺体験もおススメです!
 
 
 
 日本では、人が亡くなったときに「不幸があった」と言われます。でも、こんなおかしな話はありません。わたしたちは、みな、必ず死にます。死なない人間はいません。いわば、わたしたちは「死」を未来として生きているわけです。その未来が「不幸」であるということは、必ず敗北が待っている負け戦に出ていくようなものです。わたしたちの人生とは、最初から負け戦なのでしょうか。どんな素晴らしい生き方をしても、どんなに幸福感を感じながら生きても、最後には不幸になるのでしょうか。亡くなった人はすべて「負け組」で、生き残った人たちは「勝ち組」なのでしょうか。そんな馬鹿な話はありません。

「西日本新聞」2011年10月1日朝刊
 
 
 
 わたしは、「死」を「不幸」とは絶対に呼ばないようにしています。なぜなら、そう呼んだ瞬間、わたしは将来必ず不幸になるからです。死はけっして不幸な出来事ではありません。それは人生を卒業するということであり、葬儀とは「人生の卒業式」にすぎないのです。さあ、あなたも自分の幸福な葬儀をイメージすることによって、「美しく人生を修める」準備を進めてみませんか?