No.696

 
 金沢に来ています。
 3月30日の夜、イオンシネマ白山で映画「デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム」を観ました。初めて訪れたシネコンでしたが、最新設備で最高の映画環境でした。初体験のDOLBY ATOMOS(ドルビーアトモス)はド迫力で、まるで実際のライヴ・コンサートに参加しているような臨場感。また、わたしは左目にものもらいができているのですが、永遠に左目を負傷した男であるデヴィッド・ボウイとの間に奇妙な縁を感じました。ザッツ・シンクロニシティ!
 
 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「ロックミュージシャン、デヴィッド・ボウイの人生と才能にスポットを当てた、デヴィッド・ボウイ財団初の公式認定ドキュメンタリー。ボウイが保管していたアーカイブ映像からの未公開映像を『スターマン』『チェンジズ』など40曲以上の楽曲と共に映し出し、ナレーションも全編にわたりボウイの音声で構成される。監督を務めるのは『くたばれ!ハリウッド』や『COBAIN モンタージュ・オブ・ヘック』などのブレット・モーゲン。音楽をボウイやT.REXなどのプロデューサーだったトニー・ヴィスコンティが担当する」
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、「1964年にデビューし、グラムロックの代表的なミュージシャンとして世界に影響を与えたデヴィッド・ボウイ。ボウイは常に変化することを厭わずに、時代を先導するアイコンとして存在し続けた。そんな彼が残し、デヴィッド・ボウイ財団が保有しているボウイの映像を、ブレット・モーゲン監督が2年の期間をかけて選別し、本作を作り上げた」です。
 
 久々に見たデヴィッド・ボウイの姿と音楽はすごく懐かしかったです。わたしの学生時代、白人ではデヴィッド・ボウイ、黒人ではマイケル・ジャクソンが世界的スーパースターでした。当時はディスコ・ブームだったので、六本木に住んでいたわたしはNICOLEとかアーストン・ボラ―ジュなどの服を着て、マイケルの「ビート・イット」や「ビリー・ジーン」などに合わせて伝説のディスコ「ナバーナ」で踊りまくっていました。一方、ヨージ・ヤマモトやKANSAIなどに身を包んで新宿の「ツバキハウス」に行ったときは、ボウイの「レッツ・ダンス」を踊るのが好きでした。映画の中で「レッツ・ダンス」のLIVEシーンが流れたときは嬉しかったです。
 
 当時、マイケルもボウイも、わたしは「地球人らしくないな」と思っていました。さらに言えば、彼らは「月の住人ではないか」と思っていました。マイケルが月の住人というのは「ムーンウォーク」からの連想ですが、なぜ、デヴィッド・ボウイが月の住人なのか。おそらくはボウイが初主演したイギリスのSF映画「地球に落ちてきた男」(1976年)のイメージがあったのだと思います。人間に似た姿の宇宙人が乗る宇宙船が、地球からはるか離れた惑星から飛来して、ニューメキシコ州の湖に不時着する物語です。彼は地球人と変わらない服装・容姿をしており、見た目では宇宙人とは分かりませんでした。ボウイの歌には「星」「月」「太陽」といった天体をテーマにしたものが多いですが、特に「月」が彼のイメージには合うと思いました。一条真也の映画館「月に囚われた男」で紹介した2009年の月を舞台にしたSF映画のメガホンを取ったダンカン・ジョーンズはボウイの息子です。この親子は、ともに魂が月に囚われていたのかもしれませんね。
 
「デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム」という映画は、多くの映画の名シーンが登場しました。チャップリンの作品をはじめ、世界初の吸血鬼映画である「吸血鬼ノスフェラトウ」(1922年)、スリラー映画の古典「ドクトル・マブセ」(1922年)、ルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリによる「アンダルシアの犬」(1927年)、イングマール・ベルイマン監督の名作「第七の封印」(1957年)などなど数えきれないほどの名作映画が登場するのですが、その中にスタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」(1968年)も登場します。「2001年宇宙の旅」の原題は「2001:A SPACE ODYSSEY」ですが、「デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム」の中には「SPACE ODYSSEY」という曲が使われています。この曲は、実際の宇宙飛行士が宇宙船の中からも歌ったMVがあるのも思い出しました。
 
 多くの映画の名シーンが脈絡もなく次から次に流れる「デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム」は、ストーリーのある映画というよりも、一条真也の映画館「イメージの本」で紹介したジャン・ジャック・ゴダールの最晩年の作品のようにイメージのコラージュといったスタイルです。全体としてはSF映画のような印象があります。この映画はドキュメンタリーではなく、宇宙にあるボウイの記憶と意識が繋がった映像のような気もしました。冒頭には「神は死んだ」という哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉が紹介されます。ニーチェの代表作といえば『ツァラトウストラかく語りき』ですが、リヒャルト・シュトラウスによる同名の曲が映画「2001年宇宙の旅」で使われていることはあまりにも有名ですね。
 
 わたしには、デヴィッド・ボウイが「現代のツァラトゥストラ」として、数々の託宣を人類に伝えたような気もします。実際、哲学とロックには共通性が多いことが一条真也の読書館『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』で紹介した山口周氏の著書に書かれています。同書で、山口氏は、哲学で真に重要なのは「その哲学者が生きた時代において支配的だった考え方について、その哲学者がどのように疑いの目を差し向け、考えたかというプロセスや態度」であり、「その時代に支配的だったモノの見方や考え方に対して、批判的に疑いの目を差し向ける。誤解を恐れずに言えば、これはつまりロックンロールだということです。『哲学』と『ロック』というと、何か真逆のモノとして対置されるイメージがありますが、『知的反逆』という点において、両者は地下で同じマグマを共有している」と述べています。わたしは、この山口氏の意見を全面的に賛同します。ならば、デヴィッド・ボウイは「20世紀の哲人」であったのかもしれません。
 
 実際、「デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム」は哲学的な洞察に満ちています。ボウイは思索の人であり、大変な読書家でした。兄の影響を受けて、ビートやモッズにはじまり当時のカルチャーの洗礼を受けた少年は、生涯かけて数えきれない数の本を読んできたのです。文学、音楽、アート、ファッションなど膨大な知識は、ありとあらゆるものに解体され、歌詞、曲、ヴィジュアルなど、もう一度ボウイの創造物として作り直されていると言えます。『Bowie's Books----デヴィッド・ボウイの人生を変えた100冊』ジョン・オコーネル著、菅野楽章訳(亜紀書房)という、ボウイのお気に入りだった書籍100作品を1作ずつ紹介した本があります。そこには、ホメロスの『イリアス』やダンテの『神曲 地獄篇』をはじめ、アントニイ・バージェスの『時計じかけのオレンジ』、アルベール・カミュの『異邦人』、三島由紀夫の『午後の曳航』、ウラジミール・ナボコフの『ロリータ』、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』、ジョージ・オーウェルの『1984年』、エリファス・レヴィの『高等魔術の教理と祭儀』など、きわめて興味深いブックガイドとなっています。
 
「神は死んだ」とニーチェは言いましたが、20世紀には人類は新しい神々を持ちました。ロック・ミュージシャンです。拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の「共感から心の共同体へ」にも書きましたが、ロック・コンサートなどの会場には共感のエネルギーがたびたび生まれます。いまや、カリスマ的なロック・ミュージシャンはまさに「現代の神」と言えますが、何度も繰り返されるリズミカルな刺激をともなう音楽には、大脳辺縁系や自律神経系を活性化させる効果があることが分かっています。こうした変化は、脳が現実を解釈したり、感じたり、思考したりする方法を根本的に変化させ、自己の境界を規定する能力に大きな影響を及ぼします。これによって共感のエネルギーが生まれるわけです。これは、かつてイギリスの人類学者ヴィクター・ターナーが「コミュニタス」と名づけたものに通じていると言えます。コミュニタスとは、身分や地位や財産、さらには男女の性別など、ありとあらゆるものを超えた自由で平等な実存的人間の相互関係のあり方です。つまり、「心の共同体」ということです。
 
 その意味で、デヴィッド・ボウイは間違いなく「20世紀の神」の1人でした。同時に、彼には魔術師としてのイメージも強く漂っています。映画の中でも、「『黄金の夜明け団』に心を寄せ、クロウリーに親しみを感じる」といった言葉が流れました。「黄金の夜明け団」とは、19世紀末のイギリスで創設された西洋魔術結社です。「黄金の暁会」とも訳され、G.D.と略名されます。現代西洋魔術の思想、教義、儀式、実践作法の源流になった近現代で最も著名な西洋隠秘学組織ですね。一方、クロウリーとは「20世紀最大の魔術師」と呼ばれたアレイスター・クロウリーのことです。イギリスのオカルティスト、儀式魔術師として知られます。オカルト団体を主宰し、その奔放な言論活動と生活スタイルで当時の大衆紙から激しいバッシングを浴びた人物です。1999年に、インターネットの未来を予言していたことなど、ボウイは予言者であり、魔術師のようでした。あと、昔から霊能者には片目しか見えない隻眼の人物が多いことも気になりますね。
 
 この映画は特定のミュージシャンの人生を描いた音楽映画ですが、このジャンルには2つのタイプがあります。1つめは、一条真也の映画館「ボヘミアン・ラプソディ」「ロケットマン」「エルヴィス」「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」などで紹介した作品です。それぞれ、フレディ・マーキュリー、エルトン・ジョン、エルヴィス・プレスリー、ホイットニー・ヒューストンといった偉大なミュージシャンたちの伝記映画ですが、最も記憶に残るのはやはり2018年の大ヒット映画「ボヘミアン・ラプソディ」でしょう。1970年のロンドン。ルックスや複雑な出自に劣等感を抱くフレディ・マーキュリー(ラミ・マレック)を中心に「クイーン」が結成されます。やがてクイーンはスターダムにのし上がりますが、フレディはスキャンダル報道やメンバーとの衝突に苦しむのでした。
 
 ミュージシャンの人生を追った音楽映画には、俳優が演じるドラマではなく、純粋なドキュメンタリー映画もあります。これがもう1つのタイプで、代表的な作品に一条真也の映画館「ジョン・レノン~音楽で世界を変えた男~」があります。イギリスのロックバンド「ザ・ビートルズ」のメンバーとして知られる、ジョン・レノンの故郷リバプールを中心に撮影されたドキュメンタリー。ジョンの生い立ちや人となり、彼の音楽に影響を与えた出来事などを、友人や関係者へのインタビューによって映し出しています。ジョン・レノンは、1940年にイギリス・リバプールで生まれます。ティーンエイジャーになった彼は、ザ・ビートルズの前身バンドであるザ・クオリーメンを結成する。リバプール・カレッジ・オブ・アートに進学後、バンドにのめり込んだジョンは、後にザ・ビートルズのメンバーとなるポール・マッカートニーらと出会うのでした。
 
 ビートルズはボウイにも影響を与えており、映画の中でも彼が「ラブ・ミー・ドゥー」を歌う場面が登場します。中でもジョン・レノンからボウイは多大な影響を受けました。かつてボウイは「ジョン・レノンの弟のような男」と言われてましたし、実際に兄のようにジョンを敬愛していたそうです。レノンに関するインタビューで、レノンとボウイが出会ったのは1974年5月頃と答えていました。しかし、当時のボウイはドラッグ漬けでこの記憶が曖昧だったようです。ボウイがガールフレンドを連れてレノン邸を訪れたとき、ボウイがガールフレンドに対してひどい扱い方をするのを見たヨーコが激怒したという逸話が残っています。ヨーコは、ボウイを1時間も説教し、彼は相当に凹んだとか。YouTubeにアップされているインタビュー動画では、笑顔でインタビューを受けていたボウイがジョン・レノンの名前を聞いた瞬間に深い溜め息を漏らします。おそらくは、最も敬愛する人物を失った時の深い悲嘆を思い出したのでしょう。
 
 デヴィッド・ボウイの本名は、デヴィッド・ロバート・ジョーンズで、1947年1月8日に生まれ、2016年1月10日に亡くなりました。イングランド出身のロックミュージシャン、シンガーソングライター、俳優です。グラムロックの先駆者として台頭し、ポピュラー音楽の分野で世界的名声を得ました。役者の世界にも進出し、数々の受賞実績を持つマルチ・アーティストとして知られています。1996年に「ロックの殿堂入り」を果たした彼は、グラミー賞を5回受賞しています。ノミネートは19回です。NME誌選出の「史上最も影響力のあるアーティスト」などにも選ばれています。彼の多くの曲の中では、ディスコで踊った「レッツ・ダンス」がやはり一番好きです。ナイル・ロジャースをプロデューサーに起用したアルバム『レッツ・ダンス』は最大のヒット・アルバムとなり、ファン層を拡大。また、「レッツ・ダンス」のミュージックビデオは、ボウイによって人種差別に対する「非常に単純で非常に直接的な」意見の表現だとされました。
 
 また、わたしは「ブルー・ジーン」も好きでした。このミュージックビデオほどカッコいい作品はありません。魔術師としてのボウイの側面をよく表現しているMVです。もちろん、曲もいい。ミュージシャンとしてのボウイは音楽メディアから商業主義との批判も受けましたが、生涯意欲的な創作を続けました。1970年代・1980年代以降のミュージック・シーンは、なにかしらボウイの音楽的影響を受けているミュージシャンも存在します。モット・ザ・フープル、イギー・ポップ、ルー・リード、ジャパンやデヴィッド・バーン、カルチャー・クラブ、ヴィサージ、スパンダー・バレエ、デュラン・デュラン、トレント・レズナー、そして日本の吉井和也率いるザ・イエロー・モンキースらが影響を受けてきたとされます。セールス的に成功し、死後のロックスターとしての遺産はきわめて巨額でした。アーティスティックな面と、商業的利益をうまく両立させたミュージシャンとも言えるでしょう。
 
 デヴィッド・ボウイが大の日本好きであったことはよく知られています。一時期京都市に居住し、邸宅を構えていたとの噂もありますが、実際には1980年にディヴィッド・キッドという同名の東洋美術家の京都市山科区にある家にしばしば滞在し、その間は京都の各地でボウイが目撃されていたことから噂が膨らんだのではないかとの説も示されています。彼が大島渚監督の日本映画「戦場のメリークリスマス」(1983年)に出演したことは大きな話題になりました。第二次世界大戦をテーマにした戦争映画でありながら、戦闘シーンは一切登場しない不思議な作品です。また、主要な出演者はすべて男性という異色の映画でもありました。ハラ軍曹(ビートたけし)らに見られる当時の日本軍による捕虜に対する扱いや、イギリスなどにおける障害者への蔑視行為やパブリックスクール(寄宿制名門校)におけるしごきなど、歴史の闇の部分も容赦なく描いています。何よりも、ヨノイ大尉(坂本龍一)とジャック・セリアズ陸軍少佐(デヴィッド・ボウイ)のキスシーンの衝撃は、鑑賞から40年経った今も忘れられません。