No.758
東京に来ています。8月30日の朝から赤坂エクセルホテル東急(31日で閉館)で「出版寅さん」こと内海準二さんと朝食ミーティングをしました。その後、午後の打ち合わせまで少し時間があったので、12時から有楽町マリオン9階の丸の内ピカデリーで映画「ローマの休日 製作70周年記念 4Kレストア版」を観ました。すでに何度も観ている映画なのに、涙するほど感動しました。
映画公式HPの「イントロダクション」には、「世紀を超えて世界中の人々に愛され続ける、ラブストーリーの最高傑作にして永遠の名作『ローマの休日』が製作70周年を迎え、4Kレストア版でスクリーンに復活! 千年の都、美しいローマの街を背景に繰り広げられる王女アンと新聞記者ジョー・ブラドリーのロマンティックで切ない物語は世界中の観客を虜にし、当時無名の新人女優だったオードリー・ヘプバーンは一躍、大スターとなった。名匠ウィリアム・ワイラー監督、原案ダルトン・トランボらが紡いだ珠玉のストーリー、そしてアカデミー賞®衣装デザイン賞を受賞した煌びやかな衣装の数々を、4K映像でふたたび瞼に焼き付ける、貴重なリバイバル・ロードショー」と書かれています。
映画公式HPの「ストーリー」は、以下の通りです。
「ヨーロッパ最古の王室の王位継承者、アン王女(オードリー・ヘプバーン)は、公務に縛られ不自由な毎日にうんざりしていた。 欧州親善旅行で訪れたローマでの歓迎舞踏会の夜、彼女は宮殿から脱走を図り、夜の街をぶらつき始めるのだった。 しかし、主治医に処方された鎮静剤が効きはじめた彼女はベンチに倒れこんでしまう。そんな彼女をたまたま助けたのは、アメリカ人の新聞記者ジョーだった。アン王女の正体を知り、これは大スクープのチャンスと意気込むジョー。 彼は王女と知らないふりをしたままローマのガイド役を買って出るのであった。美しいローマの街で、"真実の口"や"祈りの壁"など観光地をめぐり、はしゃぐアンの姿をジョーの同僚のカメラマン、アービングに撮影させる。 そうこうするうち、アンを捜しにきた情報部員との大立ち回りとなるが、間一髪逃れる。そんな中、二人の距離は次第に近づいていくのだが......」
映画公式HPより
映画公式HPには、「元祖デート・ムービー」として、「それぞれの立場を隠してローマの街の名所を散策するジョーとアン。初めてのカフェ、タバコ、真実の口、祈りの壁...。ぎこちない距離感がやがて、恋心に変わっていく、魔法のような瞬間をときにコミカルに、ときにみずみずしく描き、後の多くの映画作品の原型ともなった本作は、恋人や友人、家族など誰とでも一緒に楽しめる元祖デート・ムービーです」と書かれています。確かに、「ローマの休日」を観ると、恋愛の素晴らしさを痛感します。けっして結ばれる運命にはない二人ですが、最後に熱いキスを交わす場面を観て、わたしは年甲斐もなく泣きました。そして、「どんな人間にだって恋をする自由はある!」と思いました。命短し、恋せよ老若男女!
映画公式HPより
さらに映画公式HPには、「語り継ぐ記憶」として、「『ローマの休日』の日本公開は1954年。戦争の傷も癒えきらぬ中にあっても、本作は大ヒットとなった。1970年代以降はテレビ局がこぞって本作を放映し、映画館のみならずお茶の間でも、幅広い年代にファンを生み出すこととなった。今回の4Kレストア・ロードショーにあたっては本編の前後に、テレビ朝日『日曜洋画劇場』での放送時、映画評論家・淀川長治氏が本作を紹介した貴重な解説映像を付属して上映。『サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ』の名フレーズとともに、お楽しみください」と書かれています。いやあ、スクリーンで淀川さんの雄姿を拝めたのは感動でした。本当に、なつかしかった!
じつは、わたしがプランナーをやっていた若い頃、エピック・ソニーのカセットブックの収録で淀川氏にお会いしたことがあります。わたしは、淀川氏の定宿であった六本木アークヒルズにあった東京全日空ホテル(現在のANAインターコンチネンタルホテル東京)にお迎えに行きました。そのとき、初めてお会いした淀川氏はわたしの顔を見て、「あなた、綺麗な顔をしているわね。役者さん?」とおっしゃったのです。あのときは驚きましたが、今では良い思い出です。あれから、わたしも映画づいて、これまでに3本の映画にチョイ役ながら出演しましたし、来月10日にも拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を原案とするグリーフケア映画「君の忘れ方」に出演いたします。そんなわけで、淀川氏の霊前に「恥ずかしながら、わたしも映画に出ております」と報告したい気分です。
スペイン広場、トレビの泉、真実の口......今さらながらに思うのは、「ローマの休日」という名作が最高の観光映画になっていることです。70年ぶりに、その後継作品が出現しました。一条真也の映画館「ミッション:インポッシブル デッドレコニング PART ONE」で紹介したトム・クルーズ主演映画の最新作です。「ミッション:インポッシブル」シリーズは、世界各国の名所で撮影されて「観光映画」の側面がありますが、今回もローマの景色を楽しめました。トム・クルーズ演じる主人公イーサンが美しきイーサン・ガールとスクーターの相乗りでローマ市内を走り回るのですが、その車種がなんとベスパ! そう、「ローマの休日」でアン王女とブラッドリーが相乗りしたのと同じです。これはもう、完全に「ローマの休日」へのオマージュでした。「久々にローマにも行きたいな!」とも思いましたが、数千年ぶりの猛暑で、現在のイタリアは気温48度もあるそうです。それは、ちょっと行けません!
『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)
初めて観る4Kレストア版は綺麗でした。70年前の映像だというのに、スクリーンの中のオードリー・ヘプバーンは生きているようです。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)では、古代の宗教儀式は洞窟の中で生まれたという説を紹介しました。洞窟も映画館も暗闇の世界です。暗闇の世界の中に入っていくためにはオープニング・ロゴという儀式、そして暗闇から出て現実世界に戻るにはエンドロールという儀式が必要とされるのかもしれません。そして、映画館という洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思います。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為にほかならないのです。映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。わたし自身、映画館で映画を観るたびに、死ぬのが怖くなくなる感覚を得るのですが、それもそのはず。わたしは、映画館を訪れるたびに死者となっているからです。
『死を乗り越える映画ガイド』において、わたしは、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があり、映画そのものは「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあるとも述べました。そう、映画を観れば、今は亡き好きな俳優に再会することができます。一条真也の映画館「オードリー・ヘプバーン」で紹介したドキュメンタリー映画を観たときも、映画で死者と再会できることを再確認しました。この映画で、"永遠の妖精"と呼ばれたオードリーが幼少期に経験した父親による裏切り、ナチス占領下のオランダという過酷な環境で育った過去のトラウマ、奪われたバレエダンサーへの夢、幾度の離婚などが紹介され辛い気持ちになりましたが、劇中に登場した「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ」などの数々の名作の名場面を観ていると、「ああ、いまでもオードリーは生きている。いや、スクリーンの中で彼女は永遠に生きている」と実感できました。やっぱり、映画は不死のメディアです!
オードリー・ヘプバーンの多くの出演映画の中で、やはり最高の代表作といえるのは彼女のハリウッド・デビュー作である「ローマの休日」(1953年)です。オードリーのアン王女役は、まばゆいように新鮮です。相手役の新聞記者ブラッドリーは、当時のハリウッドを代表する俳優グレゴリー・ペックが演じました。「ローマの休日」という映画史上に燦然と輝く名作の素晴らしさ は、相手を思いやる気持ちが随所に出ているところです。まさに、コンパッションですね。中でも特に世界中の観客を感動させたのは、アン王女が記者会見場で各社の記者と接見した後に、階段を上り終えて止まる場面です。無言で見つめ合う二人の表情を見るだけで、今でも涙が出てきます。
アン王女を演じたオードリーも素晴らしいですが、ブラッドリーを演じたグレゴリーも素晴らしい。淀川長治氏は「グレゴリー・ペックの品の良さが『ローマの休日』という映画にぴったりでしたね」と語っていましたが、グレゴリーは誠実な性格で知られ、多くの人々から慕われたそうです。また、オードリーとは恋愛関係にはなりませんでしたが、生涯、固い絆で結ばれていた同志的関係だったそうです。なんだか素敵ですね! じつは、わたしは少し前にある映画通の方から「グレゴリー・ペックに似ていますね。ただし、『ローマの休日』のときの」と言われました。わたしは本当に驚き、かつ困惑しました。わたしが「からかわないで下さいよ」と言うと、その方は「いいえ、近くの方に聞いてみてください。きっと、グレゴリー・ペックに似ていると言いますよ」とまで言うのです。
「ローマの休日」主演の二人
それ以来、街を歩いていても、道行く人がみんな「あの人は、マスクを外したら、きっとグレゴリー・ペックに似ているよ」と思っているような気がして落ち着きません。そのことを「出版寅さん」こと内海準二さんに話したところ、内海さんはただ笑うだけでした。ああ、わたしはグレゴリー・ペックに似ているのでしょうか? それとも、「似ていますね」と言った人から、からかわれただけなのでしょうか? あの世で淀川氏にお会いしたら「あなた、グレゴリー・ペックに似ているわね」と言われたいです。
似てるかな?(もちろん、フェイク写真です